第6話 王城の悲劇(後編)
「これは……、何という……!」
思わず、イーディア女王の口から声が漏れる。
目にしたものは、廊下の床に横たわっている、エルフの兵士だった。死んでいる。全身を血に塗れさせ、白目を向き、息を引き取っている。
しかも、ただ死体となっているわけではない。よく見ると両腕が引きちぎられており、着ていた鎧は剥がされ、その身体の至る所に、何回も何回も刃物で刺された跡があった。そして、身体の中身が曝け出され、醜悪な弄びの跡が残されていた。
彼が具体的にどのように殺されたかはまでは分からないものの、その死体から、ゴブリンの凄まじい殺意の強さが窺える。そして、彼らの悍ましい憎悪も。
イーディア女王は、床に膝を付き、屈む。
「う、ぐっ……! うぇえええっ!」
そして、耐えきれず嘔吐した。
あまりにも凄惨な死体だった。イーディア女王は、これまで、これ程までに惨たらしく殺されている死体を見たことが無かった。ゴブリンの、このような悪趣味な殺し方を目の当たりにしたことが無かった。
「ほら、まだ行くぞ、姉上。立て」
冷徹な瞳が、イーディア女王を見据えている。リアリスは、痙攣して屈み込む彼女の腕を掴んで持ち上げる。彼女は、焦って、首を振る。
「ちょ……、ちょっと、待ってください……」
「休んでいる暇はない。ぐずぐずしていると、綺麗に片付けられてしまうからな」
「……貴方は、このような死体を見せたいがために、私を……?」
「そうだ」
そう短く答えて、リアリスは、イーディア女王を引っ張り、城内を歩いて行く。
死体は1体だけではない。城内の至る所に死体が横たわっていた。
ゴブリンの死体もあるが、目を引くのがエルフの死体だった。初めに見た兵士の死体のように、どれも、惨たらしい殺され方をしていた。そして、死体は兵士だけではない。兵士以外の城の住人の死体もあった。
王城内は、すっかり血で汚れていた。
「姉上、目を逸らしているな」
歩きながら言われたリアリスの言葉に、イーディア女王は、ドキリとした。図星だった。彼女は、なるべく、死体の具体的な有り様を見ないようにしていた。その光景は、あまりにも、惨過ぎるのだ。
「しっかり見るんだ、姉上!」
「こんなっ! こんな事をして、貴方は何がしたいのですか!? 彼らの死体を見世物にして、一体何を!? 貴方のやっている事は、死者を冒涜するものですよ!」
イーディア女王は、リアリスから平手打ちを受ける。女王に対しても容赦のない、強烈な一撃だった。
「俺だって、この悲惨な光景から目を背けたいんだ! 一刻も早く、無残な姿の彼らを、綺麗に葬儀してやりたい。だが、その前に、姉上は彼らの死をしっかりと目に焼き付ける必要がある。__なぜなら、彼らは、貴女に殺されたからだ!」
その言葉に、イーディア女王は、目を丸くする。そして、頬の痛みも忘れて反発する。
「私が殺したですって!? どう言う意味ですか!?」
「彼らは、捕虜収容所のゴブリンに殺されたんだ。姉上が、馬鹿げた博愛主義の下、生かしておいた小鬼共に。再三、殺すように提言した俺の、いや、兵士達の言葉を無視して、貴女が生かしておいた小鬼共に!
貴女が、あのような馬鹿げたことをしていなければ、今回のようなことにはならなかった。我らの同胞が、このように無残な死体になることもなかった……」
イーディア女王は、顔を引きつらせる。少なからず、リアリスの言葉に動揺していた。捕虜収容所で生かしていたゴブリンについて、責任を感じたのだった。
「あ、貴方は……、ならば、ゴブリンは殺しても良いと言うんですね……!」
「そうだ」
「……っ! ……その、……貴方のゴブリンに対する憎悪と偏見……、醜悪な心に、呆れるばかりです」
「またそれか」
リアリスは、大きく溜息を吐く。そして、更にイーディア女王の腕を引っ張って、城の奥へと進んでいく。
「……これ以上、何処へ……!?」
「いいから付いて来い、馬鹿女王」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
リアリスが向かったのは、王城に住み込んでいるメイドの居住区だった。メイド達の居住部屋の扉が並ぶ中、リアリスは、一つの扉を選んで開ける。
そして、目にした光景に、イーディア女王は言葉を失い、再び強烈な吐き気を催す。
住み込みのメイドが、暮らしていた部屋。メイドだけでなく、その家族が暮らしていた部屋。昨日まで平穏だったその部屋には、3人の死体があった。__メイドと、その子ども2人の死体が、床に横たわっている。
見るも、あまりにも悲惨な姿だった。ただ殺されたのではない。随分といたぶる余裕があったのか、3人の死体には、猟奇的なまでの傷があった。
腕や足などの、致命傷にならないような部位の傷が夥しい。顔に幾つもの傷、そして、取り分け惨たらしいのが、子どもの一人が片方の眼球を抉られていること。部屋を良く照らしてみると、彼方こちらに、血飛沫の跡と、3人の内の誰の物かも分からない肉片が散らかっている。
彼らの傷が、生前に出来たものなのか、死亡後に出来たものか、考えるのも恐ろしい。絶句せざるを得ない、常軌を逸した殺害現場だった。
「分かったか? これが、ゴブリン共のやる事だ。姉上が、間抜けにも、生かしてしまった小鬼共の残忍さだ。奴らは、殺さなくてはならない」
「そ、それは……」
イーディア女王は、首を振る。強く、強く、首を振る。
「……確かに、彼らは、多少荒っぽい所があるのかもしれません! しかし、だからと言って、殺して良いのですか!?」
「少なくとも、我らエルフの命を奪い、害を為して来る相手に対しては、殺すのもやむを得ない。そして、ロブ王国のゴブリンは、我らに害を為し続け、今もそれを止めようとはしない。したがって、我々は、奴らが止めるまで、殺し続けなければならない」
イーディア女王は、その考え方に断固として反対する。今ここで、はっきりと、反対の言葉を口にしなければならなかった。
そうでなければ、今まで自分が追い求め、ようやく形を成してきた理想が、崩れ去ってしまうような、そんな気がした。
「そうではありません! こちらが武器を取るのを止め、相手がそれに気付いてくれれば、我々は皆、互いを愛し合い、尊重し合い、やがては、争いは無くなります!」
「……もしかしたら、……そういう可能性も、あるのかもしれない」
「なら……!」
「しかし、ゴブリンには、その可能性は無い」
リアリスは、断言する。
「確かに、北の国の人間達との関係は、それなりに上手くいっている。だが、それも結局、過去の戦争の果てに、人間達が我々エルフの力を思い知り、精霊の森の資源について妥協点を上手く探れたからだ。
人間達とすら、そのような経緯があってこその友好関係だ。野蛮なゴブリンの場合、奴らとの戦争を終わらせるには、それ以上の流血が求められる。……それこそ、根絶まで追い込まなければならないかもしれないな。
見ろ! こんなことをする小鬼共と、分かり合えると思うのか……? ……おい、見ろ!」
リアリスは、イーディア女王が部屋の悲惨な光景から目を逸らそうとしていることに気付き、ちゃんと見るように促す。
イーディア女王は、部屋の光景を見ない。リアリスの言葉をあくまで無視する。そして、震え声で反論する。
「そのように希望を捨てるのは簡単です! 貴方のその考えは、貴方が勝手に思い込んでいるだけではありませんか? ゴブリンが野蛮? 本当にそうでしょうか? 皆そのように偏見の目で彼らを見ていますが、本当に、彼らの事を理解しているのでしょうか? いや、理解しようとしているのでしょうか? そのように決めつけて、簡単に尊い彼らの命を奪うのは__」
「しっかり見ろっ!!」
リアリスの怒声が、城内に響き渡った。言葉を遮られたイーディア女王は、固まった。
「いいか、姉上、貴女の理想は失敗したんだ! 終わったんだ! ああ、確かに、ゴブリンも我々エルフも、手を取り合い、殺し合いが起きない、そんな幸せな世界が出来たら良いだろう。だが、そうはならないと、今日、証明された。貴女が証明してくれた。
結局、貴女がやったことは、戦争で本来死ぬべきであったゴブリン達の代わりに、我々エルフの同胞を殺したことだ。そして、貴女の理想の犠牲者が、目の前にいる子らだ! 本当に可哀そうだ! 間違った理想に取り憑かれた女王陛下が、間抜けにもゴブリンを生かしていなければ、こんな事にはならなかったのになあ!」
「わっ……私の理想は、まだ終わっていません! 間違った理想でもありません!」
イーディア女王の両足は震えていた。
「間違ってないだと? まだ、そんなことを……。姉上は、まだ馬鹿げた博愛主義を続けていくつもりか?」
「と、当然です! この夢は、……この理想は、正しき博愛主義。全ての種族が、向かうべき未来。だから……」
リアリスは、溜息を吐く。そして、急に、イーディア女王の後頭部を掴み、彼女の顔面を勢いよく床に擦り付けた。彼女は、無理やり土下座するような姿勢となった。
突然のリアリスの行動に、イーディア女王は悲鳴を上げる。
「彼らから目を逸らして喋るな! 見ろ! 何度言わせるんだ!」
イーディア女王の顔面を床に擦り付けているリアリスは、さらにもう片方の手で彼女の前頭部を掴み、顔面を無理やり上げさせる。
イーディア女王の目が、床に横たわっているエルフの子どもの目と合う。凄惨な殺され方をした子どもの、虚ろな目。
理想の犠牲者の虚ろな目。
「ひっ……!」
「姉上、彼らは、平穏な日々をこの城で送っていた。平穏な家族の生活が、ずっと続くと思っていた。母親は子どもの成長を楽しみにしていたのだろう。子どもには、将来の夢があったのだろう。しかし、それは、全て、ゴブリンによって奪われた。……いや、貴女が奪った! 貴女が、この家族を滅茶苦茶にした! 貴女が馬鹿なことをしなければ、この家族は、今夜も、そして明日も、幸せな時間を過ごせていた!」
「……うっ、うう……」
イーディア女王は、涙を流し、呻き声を漏らす。リアリスの一言一句が、胸に響く。そして、この場から、逃げ出したかった。消えてしまいたかった。
「さあ、陛下! 貴女が、まだ、自分の理想が正しいと思い、馬鹿げた博愛主義を続ける気があるのであれば、是非とも、この子の前で仰ってください! 私は、間違っていません、と!」
リアリスは、イーディア女王の顔を、ぐいっと、死体の子どもに近寄せる。
虚ろな目が、こちらを見つめる。
「うっ……う……、ごめんな、さい……」
「は? 今何と?」
「……ごめんなさい。……許して、ください。こんな、つもりでは……」
「違うだろう? “私は、間違っていません”だろ?」
「……うっ、う。……許して……ください」
「謝罪してどうするんですか、陛下!? ほら、どうぞ!」
「……もう、許して……、リアリス」
イーディア女王は、目を閉じ、すすり泣く。
そして、黙り込む。もうこれ以上、己の理想を口にすることが、彼女には出来なかった。
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