第4話 眠れない夜に
フィール王国の王城の図書室。時刻は深夜12時を回った。
図書室からエルフの司書は去り、アデルだけが室内にいた。正確に言えば、図書室を監視するエルフの使い魔の精霊が、光の玉の姿で時折本棚の間を巡回しているわけであるが、読書をする者はアデル一人だけであった。
「アデル、かなり集中しているね」
いや、更に正確なことを言えば、アデルと、もう一人、彼女の読書の様子を眺めている魔法の帽子のメメがいた。
アデルは椅子に座り、机に分厚い本を広げ、すっかり読書に没頭していた。その傍らには、さらに何冊もの本が山積みにされていた。
アデルは、メメの声に応えない。わざと無視しているわけでなく、読書に集中しすぎて彼の声が聞こえていないのだ。アデルの両目は忙しく左右に動いていき、物凄い速さで本の文字をなぞって行く。その右手は、常に次のページの端を掴んでいた。
「ねえ、アデル、聞こえてる? ……ねえ。ねえ」
反応してくれないのが寂しくて、メメは再度声を掛ける。アデルは、その呼びかけに気付いて、本から顔を上げる。
「……ん? 何、メメ?」
「いや、かなり集中しているね、って」
「……ああ、そうね」
「少し休憩したら? もう何時間も読みっぱなしだよ」
「うーん……、そうしようかしら」
アデルは、立ち上がり、背伸びをする。気付いてみれば、肩が若干凝っていた。
「やっぱり本を読むと時間が経つのが早いわね。つい読み過ぎちゃうわ……」
「君は本が好きなんだなあ」
「まあ、普通の魔法使い並みにはね」
「で、それだけ読んで、何か分かったことはあった?」
アデルは、フィール王国についての歴史書を読んでいた。特に、50年前の出来事について調べていたのだった。
「そうね、色々興味深い事が書かれていたわ。“串刺し女王”のこともそうだけど、50年前の戦争前期に採られていたフィール王国の戦術や、それと、王城で起きた悲劇なんかも」
「……悲劇?」
「ええ」
アデルは、椅子に腰を下ろして、山積みにされていた本の中から数冊抜き出して、該当するページを広げ、メメに説明していく。
「50年前のロブ王国との戦争で、この国のエルフは最初、かなり変な戦術を行っていたのね」
「変?」
「敵のゴブリンを極力殺さないようにしていたの。幻術と眠り薬によって、敵の攻撃を無力化することに専念していたみたいで、原則として殺傷行為をしていないみたい。というか、敵の殺傷を禁止していたみたいよ、女王の命令で」
「……それは、確かに……変だね。戦争しているのに、殺傷が駄目なんて。しかも、女王の命令って、つまり、イーディア女王が?」
「そうなるわね」
「……うーん」
その事実を聞いて、メメは思うこと色々があった。だがとりあえず、アデルは説明を続ける。
「それで、眠り薬で眠らせたゴブリンは捕まえて、捕虜収容所に閉じ込めていたんだけど、それがある日、脱走されたの。500以上収容されていたみたいなんだけど、それが一気に。
で、収容所の外に放たれたゴブリンは、城下町で暴れ回ったり、そして、王城にまで侵入した。しかも、都合が悪いことに、その頃、フィール王国の兵士は、平原に多数集結していたゴブリンを警戒して、森の西と北の城塞に回されていて、王城の警備は割と手薄だった。
ゴブリンは、王城内のエルフに襲い掛かり、それで多数の死傷者が出て、それが“王城の悲劇”と呼ばれて、歴史的事件として名を残しているわ。どうやら、かなり酷い有り様になったみたいよ」
アデルは、“王城の悲劇”について記載された部分をメメに見せた。
エルフの兵士が城内に侵入してきたゴブリンに上手く対処できず、兵士以外にも城内の住人が、女や子ども区別なく、ゴブリンに惨たらしく殺害された事実が書かれていた。本の挿絵には、多くのエルフが血塗れで死体となって転がり、その上をゴブリンが踊るように飛び回っている、悲惨な城内の様子が描かれていた。
「エルフがゴブリン相手にここまで……」
「まあ、ゴブリンは、狭い所での戦闘が得意なんでしょう。精霊の加護が強い森の中ならエルフが最強なんでしょうけど、そもそも、この城内での戦闘はエルフには向いていないのよ。
あるいは、女王の殺傷行為禁止命令が、兵士を委縮させたのが問題だったのかも。この事件が起こる前に、ゴブリンに殺傷行為をした騎士団の兵士が一斉に粛正されることがあったみたいよ。騎士団長も牢に入れられたんだって。兵士達は、命令違反の罰が怖くて、攻撃することに相当ビビっていたのかもね」
「確かに……」
「それで、この“王城の悲劇”を機に、フィール王国の態度も大きく変わったのよ。ずっと守りの姿勢だったこの国が、積極的にロブ王国へ攻め入るようになって、また、捕らえた捕虜についても生かしておくんじゃなくて、串刺しにして晒すようになった。“串刺し女王”の誕生ってわけ」
「なるほど……」
メメは、何となく、イーディア女王の事情について掴めてきた。そして、おそらく、説明しているアデル自身も、同じ事を考えているのだろう。
「__あら、貴女……」
その時、図書室の扉が開いて、誰かが室内に入ってきた。
「こんな夜遅くまで、読書ですか……」
アデルは、扉の方に顔を向け、思わぬ入室者に驚き、「あっ……」と声が出る。
図書室に入ってきた人物、それは、イーディア女王だった。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「隣に座ってよろしいかしら?」
「ええ、どうぞ、女王様」
図書室に入ってきたイーディア女王は、一言断ってから、アデルの隣の椅子に座った。これから寝るところなのか、彼女は寝間着姿で、真っ白なガウンを着ていた。
煌めく金髪に、純白な肌と、透徹な碧眼。
アデルは、まじまじとイーディア女王を眺める。改めて見ても、その女王の美貌は凄まじいと感じた。一切穢れの無い天使のような、完成された造形だった。
そのアデルの視線に気付いて、イーディア女王は首を傾げる。
「……? どうかされましたか?」
「え、いえ……本当美人ね、と思って」
「あら、やだ。……何だか照れますね。__そういうアデルさんの方も、随分綺麗な顔立ちをしていますよ」
「あら、やだ。……何だか照れるわね。……。……照れる」
などと、二人は微笑み合った。
傍から見ていたメメは、そのやり取りに、何だか苦笑したい気分だった。そのアデルの照れた表情が、可笑しかった。人格破綻者でも、容姿を褒められて照れたりするものなのか。
そして、メメのその様子は、何となくアデルに伝わった。
「……ねえ、メメ、今、笑った?」
「え、笑っていないよ」
「笑うな帽子野郎」
「笑っていないって」
とりあえず、アデルは、メメを強く握り締めておいた。
「ところで、女王様は、どうして図書室へ?」
「……特に、これと言ってはないです。ただ、立ち寄ってみただけですよ」
「もう夜遅いのに……。寝ないの?」
「あまり眠れなくて……。このように城内を意味も無く立ち回っているのです」
「戦争が近いから、緊張しているの?」
「いえ、そういう訳ではないです。ずっとこの調子で」
「それは何時から?」
「……さあ。かなり昔からのように思いますが……」
そのイーディア女王の顔に、少し、愁いの影が掠めた。これ以上その話をしたくない、といった様子だった。
「アデルさんこそ、どうして図書室に?」
「え、それは……。まあ、読書が好きなので」
「……見たところ、歴史書ばかりですね」
「好きなので、歴史」
調べものの事は言わない方が良いかもしれないので、とりあえず、アデルはそのように誤魔化した。貴女のことについて調べている、と明かすと、変に警戒されてしまうかもしれない。
__いや、というか、今ここでイーディア女王に会えたのは幸運だった。見たところ、彼女は独りで、どうやら時間が空いているようだった。彼女と直接話して、事情を詳しく探るチャンスだった。
「ねえ、アデル、僕にも女王様の顔を良く見せてよ。なるべく近くで見たいんだけど」
メメの声が、二人の間に割り込む。
「あら、メメ、そんなに見たいの?」
「見たい」
メメの即答に、アデルは何だかイラっと来た。
メメは他者の心を読む能力があり、それでイーディア女王の心の中を探るために、彼女の顔を良く見たい、ということなのだろう。しかし、その語気から、その目的の他、単純にイーディア女王の美貌を間近で見たいという、彼の男性としての邪な気持ちを察した。
アデルは、何だか、素直に見せてやるのが癪な気分になってきた。
「どのくらい見たいの?」
「物凄く見たい」
「メメがそんなに気に入るほど、女王様の顔って綺麗なの?」
「君の顔くらい綺麗だよ」
「……ぬ。……。ところで、私って世界で何番目に美人だと思う?」
「話が脱線していないか?」
「質問に答えろ」
「五本の指には入る」
「……帽子に指なんてないくせに」
「えぇ……」
「まあ、良いでしょう……」
アデルは頷き、メメを手に取って、イーディア女王に渡した。
メメは、その変な茶番に、苦笑せざるを得なかった。どうもアデルは、自身の容姿について、妙に意識しているようだった。容姿をさりげなく褒めてやると、機嫌が良くなる。
「女王様、こいつメメって言うの。喋る帽子よ」
さて、イーディア女王は、メメを受け取ると、彼を近寄せ、じっと見つめた。
「……喋る帽子ですか。どうやら、意思を持ったマジックアイテムのようですね」
「胸元に気を付けて女王様。そいつ、身分の高い女が好きで、しかも、むっつりスケベだからね」
「え。……ええ」
「アデル、変なこと言わないでもらいたいんだけど」
アデルの忠告に、イーディア女王は若干身構え、メメは本当に迷惑そうに声を出した。
「それにしても、本当美人だよね、女王様。しかも、どうやら、随分優しい心の持ち主のようだ」
「……優しい? 私が、ですか……?」
「そうだね。……何だ、自覚が無いのかい?」
「……」
イーディア女王は、沈黙する。メメの言葉に、動揺したようにも見えた。彼女は、自分が
優しさ否かについて、肯定するのも否定するのも憚っているようだった。
「僕はね、実は、喋れるだけでなくて、他人の性格が一目見ただけで分かる能力があるんだ」
「性格が分かる?」
「そう。貴女の性格も、僕には筒抜けだよ。だから、断言できる、貴女は優しいって」
性格が一目見ただけで分かるという能力は嘘であるが、メメには、イーディア女王の優しさについて、確信があった。
「貴女が“串刺し女王”なんて信じられないなあ。何か訳があるんじゃないのかな?」
「……。“串刺し女王”の話は事実です。捕虜にしていたゴブリンの串刺しは、私の命令で行いました」
「あのリアリス最高補佐官の命令、とかじゃなくて?」
「……助言は受けました。ただ、決断し、実行したのは私です」
「辛かったかい?」
そのメメの言葉が、一瞬、イーディア女王を凍らせた。
そして、急に正気に戻ったように首を振り、イーディア女王は、断言するのだった。
「いいえ。私は、然るべきことを遂行したにすぎません」
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