第2話 交渉の余地
精霊の森の西の平原を、さらに西へ越えたところには、10万を超える数のゴブリンが住み着いている山地が存在する。その山地一帯は、通称“ゴブリン山”と呼ばれており、そこにはゴブリンの王国が築かれている。
ゴブリンの王国の名は、ロブ王国。その王国で、10万を超えるゴブリンが、ゴブリン王の統治下に置かれていた。
低能な種族と見下されるゴブリンであったが、彼らは決して、獣の類ではない。若干の未開明さは否めないものの、彼らには一応の言語能力があり、他種族と知的かつ文明的に交渉することが出来なくはなかった。
さて、ゴブリンのロブ王国と、エルフのフィール王国の因縁は深い。両国は、古来から精霊の森を巡って、争いと交渉を繰り返してきた。
そして、今、再びエルフとゴブリンの戦争が起ころうとしていたのだった。
「なるほど、ゴブリンの殲滅……。流石は、“串刺し女王”と呼ばれているだけあるわね。エルフって見かけによらないものね」
アデルの言葉に、イーディア女王の表情が曇る。
「ああ……、気に障ったらごめんなさい、イーディア女王陛下」
「いいえ、大丈夫です。私がそのように呼ばれていることは、承知しています。私自身、その異名を気に入っていますので」
などとイーディア女王は言うが、とてもそのおどろおどろしい異名を、気に入っているようには見えなかった。
「それよりも、どうでしょう、貴女の魔法で、ゴブリン達を殲滅することは出来ますか?」
「うーん……、まあ、出来なくはないけれど……」
アデルは、返答を渋る。イーディア女王との取引に快諾出来ない理由は二つあった。
まずは、依頼の困難さだ。アデルは、自身の魔法を万能だとか、何でも願いを叶えることができるとか豪語しているが、実際のところ、それは誇張に過ぎない。彼女の魔法にも限界は存在する。
10万を超えるゴブリンを殲滅するとなれば、確実に依頼を達成するためには、1回の魔法では、極めて困難だった。少なくとも2回、場合によっては3回分の魔法を使い果たさなくては、依頼を到底達成出来そうにない。
そして、次に気になるのが、ゴブリンからの恨みだ。『赤リボンのアデル』が、ゴブリンの殲滅を行ったと話が広まれば、アデルはゴブリンという種族から恨みを向けられることになる。
アデルは、特定の種族や民族から恨みを買うのを、極力避けるようにしていた。種族・民族の恨みは、地域と時代を跨いで、際限なく広がる。魔法の行使回数に不自由があるアデルにとって、上手く世を渡り、旅を続けていくために、そのような不特定多数者から恨みを避けることは重要だった。
現に、アデルは既に、いくつかの種族や民族から恨みを持たれ、それなりに迷惑している。
とりわけ、ゴブリンは、恨み深く、野蛮で残忍な種族と聞く。恨みを向けられたくない種族筆頭と言えよう。
ちなみに、間違っても、アデルはゴブリンに対して、慈悲などを持ち合わせているわけでない。
「何か問題があるのですか?」
「まあ、そうね……、でも、出来なくはないから……」
イーディア女王の問いに、アデルは、歯切れ悪く答える。
正直、気が進まない依頼内容だが、報酬であるエルフの秘宝や秘術が魅力的だ。
「アデル、ちょっと待った方が良いと思うよ」
その時、アデルの頭上から、少年の声が掛かる。喋る魔法の帽子のメメの声だった。
「え、どうしたの、メメ?」
「いいから、少し考えてから決断した方が良いよ」
「……」
メメは、喋れるだけでなく、他者の心を読み取る能力を持っている。メメは、その能力を活かして、アデルの取引の交渉に色々助言をしてくれるのだ。
そのメメが、“待て”と言っている。理由は説明していないが、今回の交渉において何か重要なことを読み取ったのだろう。
「どうされましたか……?」
イーディア女王が尋ねてくる。
「その、ちょっと時間をくれないかしら?」
「時間? それは、どのくらい?」
「うーん。3日ね」
「3日ですか……」
「ゴブリンを国ごと殲滅するとなると、流石の私も万全の状態でないとね。言ったかもしれないけど、私は呪いで魔法の行使が制限されているの。ご理解頂けるかしら?」
アデルの魔法の行使回数が回復するのは、3日後の夜12時を回った時点だ。今週はまだ一度も魔法を使っていないが、ゴブリンを殲滅するにしても、3日後に魔法を使い果たして、その直後に行使回数が全回復する方が、アデルには都合が良い。
したがって、依頼実行の期限を3日後に延ばす必要性が、無くはない。ただし、本当の意図としては、メメの忠告が気になったため、検討の時間を出来るだけ取りたいからだ。
「状況は緊迫しているため、こちらとしては、直ちに実行して貰いたいところですが……」
イーディア女王は、ちらりとリアリスの顔を伺う。リアリスは、その視線に気づいて、頷く。アデルの要求に応えても良い、と許可を出したようだった。
「良いでしょう。3日間の時間を与えます」
イーディア女王は、改めて自分の口から、そのように告げた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
依頼の実行までの3日間、アデルは、王城で過ごすことになった。イーディア女王からは、城の一室を与えられた。
エルフのメイドに案内された部屋には、ベッドとタンス、そして小さな円テーブルが置かれている。そして、テーブルの上には気前が良いことにワインボトルが差し出されていた。
「おっ、ワイン! 良いわね、エルフのワインって、どんな味かしら」
アデルは、さっそくワインボトルの栓を開け、豪快にもボトルから直接飲んでいく。
「……美味しい!」
「やれやれ」
「そのいけ好かないセリフやめろ。気に障る」
どこか癪に障るメメの言葉に、アデルは片手でメメを強く握り締める。
「少し落ち着いて飲んだら? ほら、グラスだって用意されているし」
「はいはい、そうね。……で、メメ」
アデルは、グラスにワインを注ぎつつ、メメに尋ねる。
「あなた、さっきの交渉中、何で待つように言ったの?」
「他にも交渉の余地があると思ったからだよ」
「具体的には?」
「イーディア女王、実は、ゴブリンの殲滅を望んでいないよ」
「……それは、変な話ね。……じゃあ、何であんな依頼出したのよ?」
と言うものの、アデルも、イーディア女王の様子に違和感を覚えていた。
「詳しい事情は分からないけど、どうも、あの最高補佐官の男の意向に従っているみたいだね。ほら、リアリスって名前の」
「ああ、確かに、そう言われれば、そんな感じだったわ」
先ほどの交渉のやり取りを思い出してみると、メメの言葉には頷けるものがあった。
「でも、どうして……? 女王より最高補佐官の立場が上ってことなの?」
「そこが良く分からないところなんだよね。脅されている、って感じでもないし。あくまで、自分の意思で動いているって感じなんだよね」
アデルは、眉を曲げる。
「あなた、他人の心が読めるんでしょう。もっとはっきり見ておきなさいよ」
「複雑で曖昧なのが心ってやつだよ。僕の能力では、心の表面部分しか読み取れないから、どうしても分かりづらい」
「やれやれ」
「やれやれって、アデル……、気に障るんだけど……」
メメは、溜息を吐きたい気分だった。
「とにかく、イーディア女王が、実はゴブリンの殲滅を望んでいないって知れただけでも十分有力な情報じゃないか。君としても、ゴブリンを敵に回すようなことをしたくないだろう?」
メメは、アデルが特定の種族や民族から恨みを買うのを避けていることを承知していた。そして、彼としても、その方針には賛成だった。
「だから、依頼を変えてもうように説得するんだ。僕も協力するよ」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
アデルがまず赴いた先は、王城にある図書室だった。
それなりの広さのある部屋に、本棚が整然と並べられ、本棚には様々な分野の、様々な種類の本が、古い物から比較的新しい物まで、びっしりと敷き詰められている。
室内は、陽光が入らないようにカーテンが閉め切られているのに明るい。部屋の天井には、等間隔で魔石がはめ込まれており、その魔石が光を放ち、図書室に明るさを齎している。エルフの光の魔法だった。
アデルは、入り口に座っていた司書らしきエルフに閲覧の許可を貰うと、目的の本を探して、本棚の間を縫って歩いて行く。
「何を探しているの、アデル?」
「歴史書よ。この国の過去のことが知りたくて。特に、あの女王様に関係した」
「それだったら、魔法を使ってみれば? 前にも、魔法で他人の過去を見たことがあったじゃないか」
「……そういえば、そんなこともあったわね。まあ、でも、魔法がもったいないし、出来る限り自分で調べてみるわよ」
アデルは、歴史書が置かれた棚の前で立ち止まる。
「それにしても、気になるのよね、“串刺し女王”って異名に。あの女王様が、あんなことするようには見えないから」
北の町の人間達から、イーディア女王のことは色々聞いていた。“串刺し女王”と、彼女が呼ばれるようになった所以も。
「メメはどう思う?」
「僕も同感だよ」
「あれ、捏造だったり」
「うーん……。君が、イーディア女王の前で“串刺し女王”と言った時、彼女の心を読んでいたけど……、事実自体を否定する感じではなかった」
イーディア女王が、“串刺し女王”と呼ばれるようになったのは、約50年前の出来事がきっかけだった。それは、当時ゴブリンのロブ王国と戦争状態にあったフィール王国が、捕虜にしていた数百匹を串刺しにして、西の平原に並べたというものだ。
串刺しにされたゴブリンは、身体の至る所に惨たらしい傷跡があり、苦悶に満ちた表情でその死体を晒していた。そして、そのような身の毛もよだつ所業は、イーディア女王が指示したものだった。
イーディア女王のその所業は、ゴブリン達だけでなく、同胞のエルフや、北の人間達にも話が広まり、震撼させた。そうして、いつしか彼女は、“串刺し女王”の名で呼ばれるようになったのだった。
「ただ、やっぱり、何か事情があるように思えるよ」
「その事情を掴めば、あの女王様に付け入る隙ができるかしら?」
「さあ……」
アデルは、本棚にある本に手を伸ばした。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




