第11話 女王の謝罪
ルソル王国の王城。悪魔の指輪を封印した例の地下室の扉の前まで、アデル達は到着した。その場にいるのは、エリザベート女王とその護衛の兵士二人、そして、アデルとその護衛のジローだけだ。
時と止める魔法を解除した後、エリザベート女王はアデルに悪魔の指輪を引き渡すべく、王城に来たのだった。指輪の引き渡しは秘密裏に行うため、城門の前でエリザベート女王は二人の護衛のみを残して、残りの親衛隊を解散させている。
ちなみに、余談ではあるが、エリザベート女王が護衛につけた二人の兵士は、20年前の事件の真相を知っていた。彼らは、20年前の事件で、ジルと共に地下室に駆けつけた衛兵であり、唯一エリザベート女王と秘密を共有する者らであった。彼らは、殺されかけていたエリザベート女王を救ったという話になっており、彼女の親衛隊の隊長と副隊長を務めるまでに出世していた。そして、長年エリザベート女王を支え続け、影ながら憲兵になったジローを見守り、時にはそれとなく助けてきたのであった。
アデル達一向は、まるで粛然と何かの儀式に向かうかのように、ただ黙って地下室の前まで歩いてきた。両者ともまだお互いに油断できないという緊張感と、これまでの出来事について気持ちの整理が出来ていないことから、言葉を交わす気になれなかったのだった。
「では、開けます」
緊張感に満ちた様子でエリザベート女王は、白銀の鍵を取り出し、地下室の扉を開ける。
地下室の奥に、もう一つ扉があり、そこには淡い光を放ち回転し続ける魔法陣が描かれていた。その扉にエリザベート女王が手を触れると、扉は一度強く輝いた後、勝手に開いていく。過去の映像で見た通りの、王家の血統を持つ者にしか開けられない魔法の扉だ。
そして、やはり過去の映像で見た通り、二つ目の扉の奥には小さな台座と、そこに置かれた小さな指輪があった。一切汚れの無い白銀の表面に、細かく複雑な文様が刻まれた、その神秘的な指輪こそが、例の悪魔の指輪。
「あれが、悪魔の力を宿してある指輪です」
エリザベート女王は、二度と見たくなかったその指輪の前で、顔をしかめる。
「へえ。これがね」
アデルが、エリザベート女王の前に遠慮なく出てきて、軽々しく指輪を手に取る。
「あっ、ちょっと!? 危ないですよ!」
軽率なアデルの行動に、エリザベート女王は驚く。彼女は、その指輪の危険性を身をもって知っている。
しかし、アデルは、驚き戸惑うエリザベート女王を意に介さず、その指輪に対して怪訝そうに眉をひそめ、手のひらに乗せて観察している。そして、何を思ったのか、指輪を摘み上げ、それを自分の指に嵌める。
「貴女、何を!?」
エリザベート女王は、アデルから飛び退く。背後に付き添っている、ジロー達護衛が身構える。
その指輪を嵌めればどうなったか、彼女は憶えている。故に、顔面蒼白になり、悪夢の再来に恐怖した。
「……ねえ、これ」
ところが、アデルはエリザベート女王達に飄然と振り返る。
「何も起きないわよ」
そして、彼女はつまらなそうに、指輪を外した。
「貴女! どういうつもりですか!? その指輪は!」
「だから、何も起きないんだってば。落ち着きなさいよ」
興奮した様子で声を荒げるエリザベート女王に対して、アデルは冷静になるよう促す。確かに、アデルの言う通り、指輪によって何も起きていない。
「これ、何も入ってないわよ」
「へ? どういうことですか……?」
「もう悪魔の力が消滅しているわ」
エリザベート女王は、その言葉が理解できなかった。アデルは頗る冷めた口調で、説明を続ける。
「この指輪、そもそも悪魔の力を封印して保管するものじゃないみたいね。悪魔の力を閉じ込めて、その力を徐々に浄化していくマジックアイテムよ。この指輪に悪魔の力を封じ込めたのがかなり古い時代の話らしいから、あなたが20年前にこの指輪を嵌めた時には既に悪魔の力がかなりすり減っていて、そして、馬鹿やった時に全部使い切ったみたいね。もう、この指輪からは、一切悪魔の気配がないわ」
「そうなんですか……」
「あーあ。こんなの要らないわ」
その時エリザベート女王は、気付いた。
「で、では! 取引の方はどうなりますか!?」
アデルの要望に適う物でなかった以上、取引内容の実現が気掛かりとなる。アデル側の約束の履行についてエリザベート女王は心配し、その事を不安交じりに尋ねる。
「大丈夫よ、こちら側の約束は守るわ。私とジロー、ちゃんとこの国から出ていくわ」
アデルの答えに、エリザベート女王は安堵する。
「全く、とんだ期待外れだったわ」
アデルは指輪を台座に戻し、大きく溜息を吐く。
「これは、ねえ、アデル、君の日頃の行いが悪__」
「黙れ、帽子野郎」
メメが言葉を言い切る前に、アデルは彼を強く握り締めた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
「じゃあ、さっさと出ていくわよ、ジロー」
アデルは、闇色のローブを翻して、ジローを引き連れて地下室を出ていこうとする。
目的だったマジックアイテムが期待外れの物だった以上、これ以上ルソル王国に留まる理由はない。エリザベート女王との約定通り、厄介者はさっさと立ち去ることにする。
「待ってください、ジロー」
だが、背を向けて立ち去ろうとするジローを、エリザベート女王は呼び止める。彼は立ち止まり、振り返る。
「どうしたのですか、エリザベート様」
「もう、これが貴方とお話できる最後の機会ですから、少し良いですか」
アデルの屋敷での騒動からから今に至るまで、二人は会話を交わして来なかった。そして、彼女の言うように、ジローが国外へ退去するため、今が二人が会話できる最後の機会だった。
このまま何も話すことなくお別れすることはできない。彼女には、訊かなければならないことがあった。
ジローは時間を取らせて貰う許可を求めるべく、アデルの顔をちらりと覗いた。彼女は、迷惑そうな顔をしながらも、頷いて許可を出した。
「で、何でしょう。私に話したいことがあるのですか?」
「このようなことになって、私は大変残念に思っています。しかし、どうか理解してもらいたいのです、女王として王政を守るため、私は貴方をこうするしかないのだと。……本当は、何も知らないまま、貴方と……、いえ、すいません……」
エリザベート女王は、首を振り、言いかけた言葉を押し留める。
「……分かっています、陛下。もう私はこの国にはいられない。いてはいけない。私には我慢しきれる自信がないのです。父上が守ったものを、きっと、めちゃくちゃにしてしまうかもしれない……」
ジローは、表情を曇らせながらも、そのように理解を示すような言葉を口にする。不服な思いを抱え、それを必死に抑え付けようとしている彼の胸中が、見て取れる。
そして、エリザベート女王は、震えた口で、最も尋ねたかった質問する。
「貴方は、私を恨んでいますか? 貴方を、いえ、国民を欺き続け、貴方に惨めな思いをさせ続けたこの私を」
ジローは、返答に詰まる。苦い表情をした顔を背け、しばし言葉を整理するための沈黙を置き、口を開く。
「全て、仕方なかったことです。20年前のあの事件は、思慮分別の付かない子どもが起こしたもの。不運な事故だったのですよ」
「しかし、私は真実を隠し、そして、貴方を苦しませ続けました。私が真実を暴露すれば、あなたは、もっと素晴らしい生き方が出来ていたのに。私が、それを奪った」
「……貴女が奪ったのではありません。違うんです。……これは全て、この国を思った父上が示した道です。私は、それを受け止め、耐え抜く使命があったんです。そして、貴女も、父上に言われた通りに、真実を隠しながら、立派な女王になる使命があった。……だから、私達は、ただ、歩むべき道を歩んできただけです。お互い、こうするしかなかった」
俯いて訥々と返答するジローは、まるで自分の思いから必死に離れるようにして、言葉を並べているようだった。自分の言葉で、自分を納得させようと努めているようにも見えた。長い付き合いのエリザベート女王には、彼が自身の気持ちで苦しんでいる様子が分かった。
ジローが、建前で述べたエリザベート女王への理解は、正論だった。少なくとも、彼は、自身の述べたことに、誤りはないと思っている。しかし、人間は、正論の上で生きるのではなく、あくまで、感情の上で生きるものだ。彼が今までの生涯で受けてきた苦痛のことに思いを巡らせば、その正論を感情的に受け入れることは、容易ではなかった。
苦しそうに返答したジロー対して、エリザベート女王は思いつめた顔で何か言おうして口を開きかけるが、頭を振り、口を噤む。
すると突然、彼女は、自身が被っていた王冠を取り、それを地面に置いた。
「今までごめんなさい、ジロー」
そして、彼女は冷たい床に、膝と手をつき、深々と頭を下げる。
ジローは驚き、慌てる。彼女の行為は、一国の女王が軽々しく行ってよいものではない。
「エリザベート様!? そんな……!」
「私は罪深い女です。__あの日から、ずっと、私は罪の意識の中で生きてきました。貴方は知らなかったでしょうね。貴方を見るたび、貴方とお話するたび、私は、罪悪感でどうにかなりそうだったのですよ。そして、貴方に気を遣うことで、勝手ながら、少しでも罪を贖っている気分になりたかったのです。けれど……、それでは駄目だったのです!
本当はもっと早く、こうしたかった。貴方に、私の罪深さを知って欲しかった。そして、どうか、許して欲しかった……、こんな、馬鹿なおてんば娘のことを……」
エリザベート女王は、額を冷たい床に押し続ける。
エリザベート女王は、その心まで、冷徹な統治者にはなることは出来なかった。彼女は、統治者として、合理的で、正しい選択をしてきた。少なくとも、彼女は、自分のしてきた選択に誤りはないと確信している。しかし、彼女の感情は、必ずしも、自身の正しい選択に付いてこれてはいなかったのだった。
エリザベート女王は、頭を下げたまま動かない。
「顔を上げてください! 貴女は女王陛下なのですから、私のような者には……!
それに、謝る必要などないのです。それどころか、私は貴女に助けられてきました。どうしようもなく窮屈で憂鬱な世界の中、貴女が一言私に話しかけてくれるだけで、私がどれだけ救われてきたことか。__私は、貴女を……、その……」
ジローは、言葉を続けるのを躊躇する。決別する今に至って、自身の思いを口にするべきかどうか、迷っていた。
一方、エリザベート女王は、やはり、頭を下げ続けている。永遠にそうしているつもりなのか、と思わせるくらいに、ただ静かに、頭を下げ続けているのだった。
すると、突然、二人の様子を黙って見ていたアデルは、
「はい、感動的、感動的」
感情の籠らない様子で、いい加減に手をパチパチと叩く。
「じゃあ、行くわよ、ジロー。これ以上その女の自己満足に付き合ってらんないわ。勝手に罪の意識を感じさせて、勝手にやらせておけば良いのよ。
__女王様も大変ね、今にならないと謝れないなんて。もっと、早くに済ませて置けば良いものを」
アデルのその言葉は、エリザベート女王を道義的に非難するつもりで言った皮肉ではなかった。彼女は、人の道義だとか、倫理といった類のものには微塵も興味がない。ただ単に、彼女は、二人の下らない茶番に、時間を取られることに嫌気がさしただけであった。
そもそも、アデルからしてみれば、エリザベート女王の罪の意識について少しも共感できなかった。それこそ、先ほどジローの建前で述べられたように、エリザベート女王は、王政のため、すべきことをしていたに過ぎない。だから、罪の意識を感じ、謝罪をするのは馬鹿らしい、と、そのように思うのだった。
しかし、エリザベート女王は、アデルの見放すようなその言葉が、自分を道義的に非難しているものだと勘違いした。彼女は、面を上げないまま、唇を噛みしめる。
「……確かに、これは、自分の罪の意識を少しでも軽くするための、ただの自己満足なだけかもしれません。……そして、情けない限りです、こんな状況に追い込まれて、こんな場所でないと、まともに謝罪をすることも適わないなんて……。きっと、貴女が現れなければ、私はずっと、ジローにこうすることもなかったでしょう……」
アデルは、その言葉を無視して、ジローの背中を叩き、立ち去ることを促す。ジローは、何か言いかけたが、アデルから冷たい表情を向けられ、口を閉ざす。
ジローは、心残りがありながらも、アデルと一緒にエリザベート女王に背を向けた。
「__だから、貴女には感謝しています、『赤リボンのアデル』」
エリザベート女王は、頭を下げたまま、部屋を立ち去っていくアデル達に向けて、そう呟くのだった。
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