第10話 罪の意識
エリザベート女王は、20年前のあの事件から、ずっと罪の意識に苛まれてきた。妹イザベルの死と、英雄ジルの犠牲が、常に彼女の胸の中に纏わり付いていた。いくら年月が経とうと、罪の意識が消えることはなかった。
そして、今から10年ほど前、エリザベート女王は、初めてジルの息子ジローに出会った。それは、ルソル王国で開催された武闘大会の時の事だった。
ルソル王国では、4年に一度、武闘大会が行われ、身分や職業に関係なく自身の腕に覚えのある猛者たちが、国中から闘技場に集結する。
多くの国民が熱狂的に観戦するその大会で、その年は、特に注目される人物がいた。まだ二十歳も言っていないような少年ながら、精悍な顔つきと逞しい体格を持ち、その力強さを象徴するように額に目立つ傷跡がある、突如現れた無名の新人。その新人は、圧倒的な強さで次々と他の出場者を制し、トーナメントを勝ち進めて行き、国中の話題の人物となった。
その少年の名は、ジロー。まだその正体が知られていない彼は、武闘大会の決勝戦まで勝ち抜き、いわゆる国民的スターというものになりかけていた。
しかし、決勝戦の前日、ジローが、あの極悪人ジルの息子である事が発覚してしまう。それは、彼が名を偽らなかったこと、何よりその顔立ちが非常に父親に似ていたことが原因だった。
それまで、世間から隠れて生きてきた極悪人の息子が、武闘大会という国の一大イベントに登場したことで、大変な騒動になった。
騒乱の中、それでも決勝戦は開かれた。闘技場は、観客席から飛ぶジローへの罵倒の叫びで埋め尽くされていた。
国民の記憶の中には、今だに悲惨なあの悪魔の指輪の事件が鮮明に残っている。その事件の犯人である極悪人ジルの息子が、恥知らずにも、武闘大会の決勝戦という華やかな舞台に上がっていることに、国民が怒らないはずがなかった。
その日、エリザベート女王は闘技場に来ており、女王専用の特等席から、初めてそこで闘技場に立つジローの姿を見た。その姿に、彼女は眩暈を覚えた。古い傷口から赤々と血が迸るような気分であった。罪の意識の苦しさから、彼を直視することが憚られた。
自分が、無事女王になれた一方で、彼はいかに惨めに生きてきたのか。本来ならば、自分が負うはずだった罪のせいで。
エリザベート女王の様子を心配した親衛隊の一人が、王城に戻られてお休みになられるように提言したが、彼女はそれを断った。罪の意識から逃げてはいけないと、思ったのだ。自分の罪の存在を確認させられるジローの姿から目を逸らしてはいけないと思った。彼女は、口を結んで、彼の試合をじっと見つめた。
試合は、観客のジローに対する罵声を裏切るようにして、彼の圧勝で終わった。彼の勝利と共に、観客席からの罵声やら怒号がより一層高まり、四方八方から彼に目掛けて物が投げ込まれた。闘技場内に配置されていた憲兵達が、観客を宥めるも勢いは収まらず、闘技場は混乱に包まれた。
本来であるなら、表彰式が開かれ、優勝者は、女王から直々に懸賞を授与することになっており、エリザベート女王はそのために足を運んだわけだが、闘技場の混乱状態を理由に表彰式は中止となった。彼女は、直接ジローと対面する必要が無くなった。しかし、彼女は、彼に直接会わなければならないと思った。
エリザベート女王は、親衛隊に対して、ジローを闘技場の裏側に呼び寄せるよう命じた。人目の付かない場所で、落ち着いて彼と話しをしたいと思ったのだ。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆
そして、人払いがされた闘技場の裏側で、親衛隊を周りに囲んだエリザベート女王は、ジローを待つ。しばらくして、親衛隊の者が、彼女の目の前にジローを連れてくる。
エリザベート女王は、頭が一瞬、真っ白になる。そして、
「初めまして、ジロー」
緊張を胸の奥に隠し、穏やかな笑顔を努めて、彼女はジローに挨拶をする。ジローは、畏れ多いといわんばかりに、慌てて膝をつき、頭を下げる。
「頭を上げて、楽にしてくださって結構です」
「は、はあ……」
明らかに慣れてない様子のジローは頭を上げ、立ち上がる。
「今日の試合見事でした。貴方程の強き戦士がこの国にいたとは、驚きです」
「その……、あの……、畏れ多い言葉です」
「まるで、貴方の父上のようでした」
「え……、父上ですか……」
エリザベート女王は、口が滑ったと思った。ジルのことについては、触れない方が良かったかもしれない。少なくとも、こんな初対面の段階では。
「ええ、有名ですよね。かつてルソル王国の大英雄と呼ばれたジル、そして__」
「極悪人ジル……ですか。あの悪魔の指輪の事件を起こした」
ジローの言葉に鋭さが混じる。二人の間に緊張が走った。
「陛下、何故俺……、私をこのような場所にお呼びになったのですか?」
「貴方と、お話がしたかったからです」
「私の父上のことで、私を責めに来たのですか?」
「いえ、そうでは__」
「極悪人の息子が、図々しくも武闘大会で陛下の前に姿を出したことに、恥知らずと私を罵りに来たのですか?」
「違います!」
エリザベート女王は、思わず強い口調で、ジローの言葉を否定した。
「私は、貴方に、一切の恨みや嫌悪感を抱いておりません!」
「では、陛下は、私の父上についてどう思っているのですか? 陛下は、その……あの事件の被害者ですよね」
「貴方の父上は、確かに、許されざる極悪人です。__しかし、彼と貴方は、別でしょう。むしろ、貴方は、あの事件のせいで反逆者の家族として惨めに生きていくことになった被害者と言えます」
エリザベート女王は自己嫌悪する。あまりにも自然と、ジルのことを“許されざる極悪人”と罵ってしまった。それは、長年そのように振舞い、周囲を欺いてきたせいであった。
そして、彼女なりにジローに寄り添ったつもりの言葉だったが、ジローはむしろ、より表情を険しくしていった。やはり、ジルのことについて口を滑らしたのは間違いだった。
「私は、ただ貴方に称賛の言葉を送りたかったのですよ。信じてもらえませんか?」
「そのようなことは……」
エリザベート女王は、朗らかな笑顔をするよう努める。
「見惚れるほどでした、貴方の強さは。まだ私とそんなに変わらない歳なのに」
「いや、その……。ありがとう、ございます……」
その笑顔と称賛の言葉に、ジローは照れたようだった。それは年相応の少年の表情だった。
そういえば、エリザベート女王は、自分と同年代の男性とあまり接したことがなかった。彼女の表情に、自然な笑みが漏れた。
「ところで、今はどのような仕事はなされているのですか?」
「仕事ですか……、え……、その、傭兵……を」
「傭兵、ですか? 一体何の……」
「……」
ジローの目が泳いだ。
少し昔ならば、ルソル王国と周辺諸国との戦争があり、戦場で傭兵が活躍していたものだが、近年では平和状態が続いており、傭兵の出番は乏しいはずだ。そして、あまりにも分かり易く、ジローの言葉の歯切れが悪い。おそらく、彼はあまり人には言えないような仕事に就いているのだろう。
エリザベート女王は、決心する。
「ジロー、我が国の憲兵になりませんか?」
その提案に、ジローは驚く。
「憲兵!? この私が!?」
「そうです。貴方のような逸材を放っておくのは、我が国にとって大きな損失です」
「いえ、しかし……」
「他の人には文句は言わせません。女王陛下の私が、直々に貴方をルソル王国憲兵に推薦します」
「本気ですか?」
「本気です。もちろん、貴方が嫌なら、無理にとは言いませんが」
「私は嫌ではないですが……」
「なら決まりです」
憲兵として居場所を提供することが、エリザベート女王のせめてもの償いだった。
その後、エリザベート女王は、憲兵団の人事に直接介入し、ジローの入隊を働きかけた。その際、各方面から異論が出され、入隊を渋る動きもあったが、彼女は女王の権限と権威を振りかざしながら相当強引に推し進め、ついにはジローの憲兵団への入隊を実現した。
それからエリザベート女王は、王城で時折、憲兵の制服を身に着けたジローを見かける時があり、その度に彼に話しかけに行った。彼は困った顔をしながらも、決して嫌そうではなかった。ほんの数分、お互いの何気ない日常の事を話し合った。
彼女が、ジローに話かけるのは、彼に気遣ってのことだ。良かれと思って憲兵にしたが、彼の境遇が決して良いとはいえない。彼は何かと周囲と揉め事を起こし、虐めを受け、組織の中で孤立しているらしく、そう言った話は度々彼女の耳に入ってくる。もしかしたら、彼を無理やり憲兵にしたのは、彼にとって不幸なことだったのではないか。
エリザベート女王は、ある日ジローにそのことを尋ねた。本当に、憲兵になれて良かったのかと。
「もちろん、良かったと思っています。エリザベート様にはとても感謝しています」
真っすぐに、混じり気なく、ジローはそのように答えるのだった。彼は、正直者で、嘘が下手だ。だから、彼はエリザベート女王に遠慮してそのように言ったわけではないだろう。
そして、エリザベート女王は、それからもジローのことを気遣って彼に話かけに行く。しかし、もしかすると、彼女には、罪の意識とはまた違う、彼に対する他の特別な感情があったのかもしれない。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆ ☆




