流れの先には
2015年、ミクロドロップ解散公演で上演したものを、小説風に書き起こした。台本を作るにあたり、出来るだけたくさんの役があり、全員で出演できるものをと考え作ったのだが、練習を進めていくうちに何人かが当日参加できないことがわかった。急遽二役、三役に作り変え、ばたばたと上演することになった。
雑踏の中を一人の男が、考え事をしながら歩いている。行きかう人々は迷惑そうに彼を避けながら早足で過ぎていくが、そのうち一人が肩をぶつけた。
「あ、ごめんなさい。」
ぺこりと頭を下げたものの、また何かブツブツとつぶやきながら歩き始めた。
「…と言う事は、あれは遠い記憶が思い起こされただけ。いやいや、あんなことなかったと思うなぁ。じゃあ…フィクション?あー、もやもやするなあ。」
立ち止まり頭を掻き毟る彼と、つい目があった。
「あ、もしもし。ちょっと、あなた。ええ、私のことを読んでいるあなたです。そう、どこから見てもうだつの上がらない絵にかいたようなダメダメサラリーマン風のあなたです。ちょっと話を聞いてもらえませんか?」
なんだと?それが人にものを頼もうとする態度か!面白くもない、こんな本、もう止めた。
「待って、まって、本を閉じないでください。怒らないで。そう見えると言っただけで、実際そうだとは言ってないでしょう。お願いだからちょっとだけ話を聞いてください。お、ね、が、い、…お願いだから!」
彼はいきなり土下座をした。そのまましばらく頭を下げていたが、そっと首を回し、上目づかいでこちらを見上げた。
『そうだな、この本を読み始めたのも何か縁あってのことだろう。短気を起こさずに、付き合ってみるか』。
そう思い直すと改めて文字に目を落とし、先へ進んだ。
「ありがとうございます。(よかった。こんな奴相手でも、もやもやをぶつけたらは少しはすっきりするかも)いー、いえこっちの話です。いやぁー素敵なお召しものですねぇ。高かったでしょう。え?…あ、すみません。いや、実はちょっとおかしな夢を見まして。いえ、おかしなといってもコメディーではありませんよ。不思議なという意味です。昔のことのような、未来のことのような…それは夏の田舎の様子でした。」
朝だというのに、ミーンミーン、ワシャワシャと蝉の声が響いている鎮守の森の南側、一件の古い民家が建っている。その先、やや下がったあたりには小さな沼地があり、壊れかけた手漕ぎのボートが浮かぶ。風はほとんど吹いておらず。勢いを増しつつある太陽は気温をぐんぐん上げ始めた。家庭菜園と言うには広すぎる庭の畑には、母に言われてどのトマトをちぎろうかと物色している姉と、隣のカボチャに水をやるように言われた事を忘れ遊びに興じる弟。二人の先にはトウモロコシの林が沼のすぐ近くまで広がり、その東側の生垣では青とピンクの朝顔が顔を隠し始めている。
「お姉ちゃん、ほら見て!」
ホースの先を指で押しつぶし、霧状になった水を空中にまきちらしながら弟が呼びかけた。
「えっ?うわぁ、きれいな虹ね!」
「ね、きれいでしょう。でもね、僕、お陽様の隣に作りたいんだけど、どうしてもできないんだ。」
太陽を背に少年が作り出した水のスクリーンには、不完全ではあるが虹の橋が浮かんでいる。
「そうね、お日様独りぼっちだもんね。でもね俊、虹さんはお日様と反対のほうにしかできないんだよ。」
「えっ、どうして?」
「虹はね、小さいお水さんに映ったお陽様なの。お水さんはお陽様に、あなたはこんなにきれいな色を持っているんですよって教えてあげてるんだよ。」
「ふーん、じゃあお陽様とお水さんはお友達なんだね。」
「そうよ。だからお水さんが雨になって畑に水をやっているときにお陽様は邪魔しないし、お陽様がお野菜に元気に育つようにいっぱい光っているとき、雨さんは降らないでしょ?」
「そうだね。そっかぁ、仲良しさんなのかぁ。」
小学校低学年であろうか、男の子は半分納得したような事を言いながらあちこちに水を飛ばして楽しんでいる。その様子を見ながら姉は、たわわに実ったトマトの中から甘そうなものを選び始めた。
「パパも来ればよかったのに。」
あわただしい都会を抜け出し、せめてひと時でも田舎のゆったりした時間の流れの中においてやりたい。その思いから毎年ここ母親の実家には家族四人で来ている。だが今年の夏休みは、残念ながら三人で来る事になった。ご多分にもれず父親の会社にも人員削減の波が押し寄せ、仕事量が増えたために休みが取れなかったのだ。
「仕方ないでしょ。パパ、皆のためにお仕事がんばってるんだから。」
本当のことを言えば、父親には来てほしかった。彼が帰宅するのは、早くても彼女が受験勉強の合間の夜食を食べる頃。夕食をさっさと済ませるとすぐに床に入るので、話をする時間もない。もちろんその時間には、父親大好きな弟は半べそをかいて眠っている。
「でも、ちょっとぐらい来れなかったのかな。」
新幹線の中では絵本を読みふけり、バスに乗り換えたら眠ってしまったこの子には、片道でさえ大変な道のりである事を理解できていない。
男の子は畝と畝の間に土で堤防を作り始めた。美味しそうなトマトを見つけ首を傾げた拍子に、姉のかぶっていた麦わら帽子が蔓に引っかかって脱げた。帽子を拾ってかぶりなおしながら朝顔で埋め尽くされた生垣の方を眺めると、だいぶ昇った太陽が真っ青な空に輝き目が痛いほどだ。
「お姉ちゃん、お池ができたよ。」
その声に振り向くと、畝と畝の間を土でふさぎ水を貯め、母親に作ってもらった葉っぱの船に息を吹きかけ遊んでいる。小さな波は、畝に当たると土を一欠け飲み込んだ。その先で小さなアリたちがせわしなく動き回っている。好きな時に食事ができる人間と違い、彼らは始終食料を探し蓄えていなければならない。生きていくためには、休まず働き続けなければならないのだ。その様を見て、姉はふと父親の事を思った。と同時に、ここでゆっくりできることに感謝した。
「あっ、壊れちゃった。」
あちらこちらと飛びまわり船に息をかけているうち、水を止めていた土を蹴飛ばしてしまったようだ。立ち上がった男の子の足元から水が流れ出していた。
「お船が…」
小さな葉っぱの船はその流れに乗って、やがて視界から消えた。
「見えなくなっちゃったよお。なくなっちゃった…」
悲しそうに流れの先を見ていた男の子は、しゃがんでべそをかき始めた。
「俊、泣かないの。お母さんに頼んでまた作ってもらおう?」
優しく声をかけたが、ついにしゃくりあげ始めた。
「分かった。じゃあ、お姉ちゃんと一緒にお船を捜しに行こう。きっと見つかるわよ。」
「ほんとに見つかる?」
手のひらでごしごしと涙を拭き、姉を見上げて男の子は尋ねた。
「大丈夫、必ず見つけてあげる。さあ、立って。冒険に出発するわよ!」
そう言うと弟の腕をとって立ち上がらせ、流れを追ってトウモロコシの林の中へと走りこんでいった。
「そうはおっしゃっても大佐、我々はたった今前線から戻ったばかりで…」
少佐の意見など聞く耳を持たぬとでも言いたげに、大佐は言葉を続けた。
「君ら以外、誰に頼めるというのだ?それとも、非戦闘員しかいない食料調達隊に、敵は襲ってこないから安心して行けと言えるとでも?」
精一杯強がってはいるものの、少佐を見上げながら話す姿からは威厳を感じられない。しかし現役時代は、勇猛な戦士として近隣諸国では恐れられていた…らしい。
「それは…」
チラッと送った視線の先には、将軍が腕組みをして立っている。左ほほに刀キズがあるこちらの壮年兵は、その大柄の体躯とともに威圧的な雰囲気を醸し出している。背にまとった緋色のマントがよく似合う。
大佐が、ツッと寄ってきて耳打ちした。
「将軍も直々来られているんだ。ここは私の顔を立ててくれんか?」
「しかし…」
と、将軍がギロリと少佐を見つめ、口を開いた。
「では、よろしく頼んだぞ。」
そう言うと、大股で足早に出て行った。
「頼んだぞ!」
捨てるように言葉を残して、大佐は将軍のあとを追った。
「くそっ、いったい俺たちをなんだと思ってるんだ!」
「聞こえますよ。」
慌てて声をかけたのは、常に少佐に従い彼を補佐する大尉。湿地の入り口で瀕死だった少佐を見つけ、ここに運び込んできたのは彼だ。
「かまうもんか。言いたい事だけ言って、『後はよろしく』?ついさっき西のやつらを追っ払って帰ったばかりだというのに、また出かけろだと?いったいどういう神経してるんだ!兵たちに休みを与えんと身が持たんぞ!」
「そう言う人なんですよ、大佐は。ああやって上官の居る前では偉そうにしているものの、実は何もできない。長く実戦から遠ざかっているもんだから、すっかり平和ボケしちゃって。少佐はまだ日が浅いんでよくお分かりではないかもしれませんが。」
「いや、初めて会ったときからこいつはひと癖ある奴だと感じていたよ。保身ばかりを考え、部下の痛みを分からない野郎だってね。自分は城の中で平穏に過ごし、俺たちを顎でこき使いやがる。前線に出た事があるのなら、俺たちがどんな思いをしているのかわかるはずだ。何時殺されるかと怯えながら戦い、死んだ仲間の亡骸さえ拾ってやれない。彼らの死を悲しむ余裕すらないんだ。」
「私も同じ思いではあります。しかし悔しいのですが、大佐は本隊である近衛隊の隊長として女王をお護りするという重要な役目があります。分隊である我々が動かなければ、こちらの領土を虎視眈々と狙っている周りの部族に攻め滅ぼされてしまいます。」
「こんな不公平な事があってたまるか!」
右手に握っていた両の手袋を床に叩きつけ、少佐は叫んだ。
「俺なら平等に働き休める国を作って見せる。いや、戦争なんてしなくて済む社会にして見せる。」
怒りと興奮は冷めず、肩で荒い息をつきながら叫んだ。
「ご機嫌いかが?って愚問だわね。頭から湯気が出てるわよ。」
入口から顔だけ覗かせ声をかけてきたのは、大きな青い瞳がくるくる動く女性。波打つ金髪を後ろで一つにまとめた彼女は、女王の妹である姫君。明るい性格で、城の中の学校で子供たちに生活に関する色々な知識を与えている。少佐がこの城に運び込まれた時看病し、将軍に召し抱えてくれるように頼んでもくれた。
「姫君!ど、どうしてこんなところへ?」
「あなたの大きな声、お城中に響き渡っているわよ。子供たちだって、すっかり怯えてしまったじゃない。いったいどうしてくれるの?」
「すみません、けしてそんなつもりでは…」
しばらく少佐を睨みつけていたが、ふっとほほを緩ませた。
「ふふ、まあいいわ。どうせまたあの二人に何か言われたのね?やり方が手ぬるいとか、言われた事だけやればいいとか。」
「ええ、まあそんなところです。」
「言ったでしょ、正義感が強いのはいいけれどそれだけじゃあここで生きていけないって。時には長いものに巻かれる事もしなきゃ。」
「はあ、しかし自分は不器用なので、そのような生き方はどうも…」
「まあ、あなたのそのまじめさに私は惹かれているのかもしれないけど。」
「恐れ入ります。」
「ところで少佐、先日相談を受けた件、本気なの?」
「もちろんです。部族の存続のためにも子供たちのためにも、このままではいけないんです。」
彼女はゆっくりと部屋の中を考えながら歩いていたが、やがて立ち止り少佐のほうをくるりと向き直ると答えた。
「わかったわ。やりましょう。」
「本当ですか!ありがとうございます。」
「但し条件があるわ。決して子供達を危険にさらさない事。もし少しでも子供たちが怖がるような事があったら、即刻私は降りるから。」
「まさか、そんな目には合わせません。我々の未来を担う彼らに何かあったら大変です。」
「その言葉、しっかり覚えておきなさいよ。」
「もちろんです。お任せください。」
「じゃ、よろしく頼んだわよ。」
少佐に微笑みかけると、鼻歌とともに彼女は出ていった。
「どこかできいたセリフだな。」
すっかり落ち着きを取り戻した少佐は、そう言った後しばらく考え込んだ。
「これで準備は整った。あとは実行に移すのみ。しかし、本当にこれは正しいことなのか?姫君の言う、変な正義感にこだわっているだけじゃないのか?罪もない多くの民を巻き添えにして、大儀だなんだと騒いだ挙句失敗し後悔することになるんじゃないか?」
葛藤している様を見て何か声を掛けたかったが、大尉には言葉が見つからなかった。
「大尉、不審な奴らを連行してまいりました。」
その声のほうを見ると、警備にあたっている軍曹が見知らぬ二人を連れていた。
「なんだその連中は?どこで見つけた。」
「はい、北門の先、枯れ川の中を隠れるようにして歩いておりました。」
一人は体格こそいいが、まだ若い女性。もう一人は見るからにひ弱そうな少年だった。
「お前らは何者だ。なぜそのような場所にいた。」
「それが、何が何だか…気が付いたらあの枯れた川底だったんです。流れにのまれて流されたような気もするんですが、はっきりとは…」
「気が付いたらあそこにいましただと?ふざけるな。そんな馬鹿げた話しを私が信じるとでも思うか?」
しばらく女の目をのぞきこんでいたが、ふっと笑い目をそらすとつぶやいた。
「経験不足だな。嘘を言うならもっとうまく言え、スパイと怪しまれないようにな。」
「違います、わたしたちはけしてスパイなんかじゃ…」
あくまで白を切るつもりらしい。大尉とのやり取りを聞いていた少佐が口を開いた。
「じゃあ、何故あんなところにいたのか説明してみろ。」
「だから、気が付いたら…」
「いい加減にしろ!だれがそんなたわごとを信じる。お前らは北の部族のスパイだろ。この間前線基地をぶっ潰してやったんで、その復讐戦のための偵察に来たって訳だ。違うか?」
「スパイなんかじゃないって言ってるだろ、このわからずや!」
声を荒げ少佐に食いついたのは、女と一緒に捕らえられた少年。
「ほう、威勢のいい坊主だ。」
「俺は坊主じゃない、兵士だ。」
その言葉に、少佐と大尉は顔を見合わせ噴き出した。
「何がおかしい!」
「いやいや、これは失礼。ではその“兵士”殿は、なぜあんなところをお歩きになっていたのですかな?」
「それは…」
大尉の言葉に強い口調で答えかけたが、女に遮られた。
「ほんとうに、気が付いたらあそこに…」
「まだ言うか。軍曹!」
「はっ。」
「こいつらを監獄に放り込んでおけ。」
「かしこまりました。」
命じられた軍曹は二人を手荒く入口に向けると、外に押し出した。
「いや、待て。途中でおかしなことをするやもしれん。俺も付いて行く。先を歩け。」
作戦会議室は城に入ってすぐの広間を右手に折れたところにある。有事の際には士官十名ほどで戦略を練り、すぐに出撃できる。兵員の内五十名ほどが士官と下士官、残りの約千名が兵卒で普段は城の中で働いている。監獄は、広間を横切り食料倉庫へと続く回廊の前を通った先にある。もし二人が複雑に張り巡らされた回廊の中に逃げ込みでもしたら、彼らを探し出すのは容易なことではない。
捕虜二人の動きに注意を払いながら広間を抜けたとき、細かな振動を感じた。
「ん?」
今までに経験した事のない、細かな揺れだ。
「これは…?」
捕虜の女は、何かを思い出すかのように聞こえて来る音に耳を傾けた。と、バリバリというような地響きが遠くから聞こえ始めた。
「何事だ?」
「これって…えっ、大変!早く、早く門を閉じて!」
しばらく考えていた捕虜の女性が、何かを思い出し叫んだ。
「だまれ!勝手な事を言うな!なんでお前なんぞに命令されなきゃなん。どうせどさくさにまぎれて逃げるつもりだろう。」
「そんなんじゃない!とにかく城門を閉めて内側から固めないと大変な事になる。」
「だれがスパイのお前らの言う事など聞くか。」
「急いで!このまま開けていたら、私たちだけじゃなく皆が被害にあってしまう。」
「ふざけた事を。いったい何が起こるってんだ?」
「水よ。ものすごい量の水が襲ってくる。今すぐに入り口をすべて閉じて、内側からも補強しないと。」
「何を利いた風なことを。」
次第に地響きは大きくなり、振動も身体を揺らすほどになった。
「お願いだから私を信じて。今すぐやらないと、あなたはたくさんの人たちを犠牲にすることになる。」
「何故お前にそれが分かる?」
「はっきりとじゃないけど、記憶の奥底からなんとも言えない恐怖が湧きおこってきて、それとともに心が叫ぶの。逃げろ、って。」
「死にたくないだけの出まかせじゃないんだな?」
「命乞いなんかしてる場合じゃないの。もし出まかせだったら、どんな拷問を受けても構わない。たとえあなたに殺されたって。」
地響きは耳をつんざくほどになり、揺れは立っていられないほど強くなった。
「わかった。今回は信じよう。だが今の言葉、忘れるなよ。」
そう言うと作戦会議室の裏側にある兵舎へと急いだ。
「緊急事態!大至急城門とその他の扉をすべて閉めて内側を固めろ!」
その声に二十人ほどの兵士が飛びだし、すぐさま分厚い城門を閉め内側に大急ぎで土のうを重ね補強した。その間に数名が城のあちこちに駆けて行き、扉という扉、窓という窓すべてを閉じた。城全体に鐘が響き渡り、怒号が飛び交った。とそこへ、水が轟音を立てて外門に打ち寄せた。あっという間に扉は壊され、そのまま水は城門に襲いかかった。その勢いに、扉は大きな音を立ててきしんだ。
「なんなんだこの水圧は!こんなこと初めてだぞ。」
水は扉だけでなく城壁全体にのしかかった。その重さに耐えきれず、壁にひび割れが走る。
「急いで押さえるんだ!少しでも穴が開いたらおしまいだぞ!」
兵士たちは手にした盾を壁に押し付け、全体重をかけて水の圧力と戦った。しかしついに一か所、兵士が吹き飛ばされたと思った途端水が勢いよく流れ込んできた。
「回廊の扉を閉めて食料を守れ!」
その声に数人の兵士が回廊の扉を閉めに走った。しかし水はちょうど扉に打ち付けていて、動かすことができない。すると捕虜の女が流れ込んできた太い枝を扉の取っ手に通し、その逆の端をてこの原理で押して動かし始めた。少年もあとに続いた。
「勝手な事を!」
指揮を執っていた少佐も、急いで扉を押す中に入った。
やっと駆けつけた兵士も加わり、少しずつ動き出した扉はやっとのことで閉まり、大急ぎでその前を土のうで固めた。
次に女は、水が打ち付けている場所に土のうを積み始めた。強い水の流れで壁が次第に削られていたのだ。
「もっと土のうを持って来て!」
女の語気に押された兵士たちはリレー式に土のうを運び、骨組みが見え始めた壁の前を厚く覆った。
「いったいこれだけの量の水、どこから来たんだ。」
次は水を止めなければならない。少佐は兵士たちに盾で壁を押さえこませ、タイミングを計りながら少しずつ土のうで前を固めていった。数十個の土のうを積み上げ、なんとか水の浸入は収まった。
どれくらい時間が経っただろうか。地響きは聞こえなくなり、それに伴って水の勢いも収まってきた。次は、城内に腰まで溜まった水の処理だ。作戦室の地下には備品類を収めている倉庫があり、そこから外の湿地帯へと続く抜け穴がある。万が一に備えた脱出口なのだが、いまだかつて使われたことはない。
「そこの三人、俺について来い!」
少佐は作戦室まで進み壁に掛けてある斧をとり、地下への扉を兵士らと共に破り始めた。場内に満ちた水の圧力の助けもあり扉は大した苦労もなく破ることができ、勢いのついた流れは抜け穴の扉を容易に押し破った。城内の水は見る間に作戦室から備品庫を抜け外へと流れ出て行った。
「とりあえずは片付いたか。」
斧を持ったまま戻ってきた少佐は、広間にいた兵士らにほほ笑んだ。
「少佐、被害は極めて軽微です。早めに扉を閉めたおかげで、食料もそれほど流されてはおりません。玉座も近衛隊が固めたおかげで、まったく濡れることなく無事です。」
駆け寄ってきた大尉がそう告げると、あたりにいた兵士は大きく歓声をあげた。彼らにねぎらいの言葉をかけると、少佐はくずれるように座り込んだ。
「みんな無事で何よりだ。しかしいったい何でこんな事が起こったんだ。」
穴を塞いでいる土のうの隙間から噴き出していた水は、既に完全に止まっている。どうやら外の水も引いたようだ。
「お前の言う事を聞いてよかった。さもなければここのみんなは流され、女王の命さえもどうなっていたか分からない。礼を言っておこう。」
ゆっくりと立ち上がった少佐は、捕虜の女の肩をたたいた。
「しかし機敏な動きだったな。どこであんな奇抜な方法を覚えたんだ?」
「それもよくわからない。とにかく必死で、気が付いたら扉を押していたの。」
「やれやれ、ホントに何も覚えていないのか。いずれにしてもお互い命拾いしたってわけだ。なあ、坊主。」
「だから、俺は坊主じゃない!兵士だ。」
「ははは!そうだったな。体に似合わず威勢がいい奴だ。お前の弟か?」
「ええ、一応。」
「一応も何もないだろう。恐ろしいくらいの気迫で睨むなんざ、姉さん譲りだ。」
「私はそんな目で睨んでなんかいません。」
「そうか?『私を信じて』と言った時の眼力には鳥肌が立ったけどな。」
「だからそれは…」
「ははは。まあいい。お陰でこうやって冗談を言えるんだからな。」
そうこう話している間に、壊れた壁と傷ついた壁は兵士たちによって補修されていた。
「どうだ、外に出てみるか?」
「ええ。怖いけど、どうなっているか見てみたい。」
「気丈な奴だ。おい、扉を開けろ。大尉、お前も付いて来い。」
「はっ。」
ちょうどその頃、将軍と大佐が玉座での報告を終えて回廊を歩いていた。
「奴には困ったものです。」
「少佐のことか?確かにいちいち君に歯向かっているようだな。」
「私を嫌ってのことだけならよいのですが、なにか良からぬ事を企んでいるようです。」
「ああ、そのことなら私の耳にも入っている。」
「でしたら、早いとこ尻尾を捕まえて処分しないと、後々面倒なことになりますよ。」
「ふっ、心配するな、もう手は打ってある。そろそろ始まっている頃だ。」
「えっ?」
少佐の声に兵士たちが扉を開けると、冷えた空気が勢いよく流れ込んできた。と同時に強い日差しが目を差し、思わず全員が目を閉じた。少しずつ薄目を開け、ゆっくりと外に踏み出していった。
「うっ!こいつは…。」
真っ先に明るさに目がなれた大尉は、外の景色を見るなり二の句を継げなかった。
外門は流され、城壁も方々壊れている。城の周りの植物はすべて流され、あちこちに大きな岩がごろごろと転がっていた。その向こう、日が沈む方向にあった丘はすっかり姿を消していた。
「草も木も、そして戦闘で死んでいったやつらの躯も、すべて流されちまった。ひょっとすると西の奴らは何もできず水にのまれてしまったかもな。いったい俺たちのやった事って何なんだ。」
今朝の戦闘は壮絶を極めた。冷徹残虐でその名を轟かせている西の部族は、周辺の部族を次々に攻め落とし殺戮し食料を奪い勢力を拡大してきた。しかし北の部族との間では、何度か戦闘があったものの決着が着かず長いことにらみ合いが続いている。前線では兵糧が足りなくなってきているらしい。食料に不自由することなく平和に暮らしていると言う南の部族を攻めれば一挙に問題は解決するのだが、その居城は難攻不落の砦として知られている。そこで彼らが狙いを定めたのがここ。少し足を延ばせば食糧の調達もさほど難しい事はなく、水場も近い。しかも高台に位置し後ろは絶壁に守られ、天然の要塞と言える。この地を手に入れれば、北の部族を攻めるのが容易になるだろう。だからこそ、彼らは執拗に攻めてくる。それを出来るだけ城から離れて迎撃してきた。この一週間で、彼らとの戦闘は三度。部族を守るためとはいえ、戦闘に明け暮れる日々。はたしていつになったら静かに暮らせるのだろうか。
「女、お前何のために生きている?」
「私?生きる目的ですか?」
「何か心に決めたものに向かって、生きているんじゃないのか?」
「それって生きる目的ってことですよね。さあ、何でしょう。今のところははっきりしたものはありませんが、これから先見つかるような気がします。いえ、自分で見つけていくような。」
「そうか。自分の思い通りに決められたら良いな。」
まぶしい日差しをさえぎっていた手を下ろし、目を閉じて天を仰いだ。〝自分の生き様を自分で決める〟。まさに少佐が今悩んでいることだ。上官の命に従い、自分の生きる道、夢に向かう道を閉ざされるのなら、果たして自分は生きていく価値があるのだろうかと。
「なあ、坊主。」
「何度言わせる!俺は〝兵士〟だ!」
その声に振り向かず少佐は続けた。
「お前の夢は何だ?」
「夢?」
「ああ、こういう風になりたい、とか、こんなことがしたいとかでも構わん。」
「俺はもっと強くなって、だれにも負けない戦士になる。」
そうきっぱり言い放つと、姉のほうを見た。
「お姉ちゃんを守るんだ。」
そう言われた姉は優しく弟の頭をなでると少佐の横に立った。
「少佐の夢は何なんです?さっきのお言葉からすると、今のお仕事にご不満がおありのようですが。」
水が流れて行った左手、南側の湿地帯の中のまばらな水面に太陽が反射し、きらきらと美しく輝いていた。
「あの湿地は、この城の後ろにある壁を越えたあたりまでずっと続いているらしい。そこには南の部族が住んでいて、浮島に城を築き誰とも争うことなく穏やかに暮らしているとか。それを見てきたものは誰もいないので本当かどうかわからないが、俺はそんな争いのない暮らしをみんなにさせたいんだ。食い物のために殺し殺され、いつ襲われるのかと怯えながら生きていくなんてまっぴらだ。争いで自分の部族だけを守っていくのではなく、周りの部族と話し合い手を結び、お互いに足りないもの余ったものを融通しあい助け合って生きていくことだってできるはずだ。」
今朝の大佐の言葉を思い出し、またあの忌々しさがこみ上げてきた。
「でもそのことを上の人たちは分かろうとしない、と。当然でしょうね、戦いを仕掛けてくる以上、話し合うという選択肢を放棄しているんだから。」
そんなこともわからないのか、と見下されたように感じ腹が立った。
「放棄はしていない、けして。やつらとて好んで戦をしているわけではないだろう。お互いに尊重し合えば心を開き、何が不満なのかがわかって来る。こちらが好戦的な態度を見せるから、相手も臨戦態勢で臨んで来るんだ。そうじゃなくてお互いの不満点、疑問点を話し合いで一つ一つ解決していけばすべて収まるはず。」
そこまで一気に話すと、少佐は大きく息を吸い込んだ。
「共存は絶対に可能だ。」
少佐を見ていた姉は言葉を聞き終わると一歩踏み出し、あたりを眺めながらつぶやいた。
「お説だけはご立派ね。」
「何だと?」
「だってそうでしょう。言うだけなら誰にだってできるわ。自分の考えが正しいとお思いなら、上の方を説得したらいかがです?」
「貴様、何も知らないくせに無礼だろ!」
女につかみかかろうとする大尉を抑えて、少佐は答えた。
「やったさ。だが頭の固いロートルは、俺の話を聞こうともしない。奴等は、戦いこそ唯一の解決方法だと信じ込んでるんだ。」
「そう…じゃあ、ご自分の思いを形にするしかないですね。」
振り向きざまこちらを見た彼女の視線に、胸の内を見透かされているようでドキッとした。大尉は、まさか、と言う表情で女を見つめている。
「さあ、今のうちに逃げだそうかな。」
意地悪そうに笑みを浮かべ、姉は弟の顔についた土を拭った。
「い、いや、逃げると言っても、どこにいくつもりだ?」
「ふふ、冗談ですよ。まだお役にたてる事があるかもしれませんし、さっきのお礼もまだいただいていませんから。」
そういって無邪気に笑うと、弟の手をとり荒野へと歩き出した。
殺し殺されて争いの絶えない世界。その対極にある、共に手を携えて平穏に暮らしていく世界。現実である前者を自分の思い描く後者へといつか替えてやると決めていた。その気持ちが、あの捕虜の言葉で強まった。一番の後ろ盾となる姫君も、今朝直々にご自分の意志を伝えに来てくださった。しかも都合のいい事に、食料調達隊の警護を命じられている。これほど条件がそろったら、迷う事はあるまい。行動を起こすなら今だ。
「大尉!」
「はっ。」
「姫君に、食料隊の出発に合わせて行動を起こすから至急準備していただくよう伝えてくれ。それと、調達隊の出発準備を急がせてくれ。」
「承知しました!」
笑みを浮かべてきっちり敬礼すると、姫君の部屋へと走った。
捕虜の二人は、落ちていた木片を互いに蹴り合いながら楽しそうに笑っている。
「おーい、二人とも戻ってきてくれ。」
少佐の声に姉は振り向き、少佐のもとへと歩き始めた。
少年は蹴っていた木片を拾い上げ遠くに投げ捨てると、姉の後を追いかけてきた。
「どうかしたんですか?」
「君の言葉に背中を押されたよ。」
「え?」
「話しの分からないやつらに行動で示すことにした。」
「そう。決心なさったのね。」
「ああ。そこで訊きたい事がある。食料隊とともに北に向かうのだが、君らを見つけたあたりに、新しい城を築けるような場所はなかったか?」
「その辺りには広い場所はなかったと思うわ。でももっと北、北の部族の土地を廻り込んだあたりの高い大地の麓なら、開けているし城を造るのにはいい場所だと思う。」
「ここから見えるあの台地か…大人はともかく、子供たちにとってはかなりな距離だ。出来るだけ遠くまで進んで休みを取りながら行くか。となれば一刻も早く出発せねばならんな。」
「少佐、ご指示通り食料調達隊の準備を急がせました。大尉以下、警護の兵士たちも全員整列しております。」
息せき切ってやってきたのは、先ほど捕虜二人を監獄に先導していた軍曹だった。砦の南門をみると、調達隊と警護隊が整列している。
「了解した。ご苦労だが、大尉に子供達に長旅の覚悟をさせるよう言ってくれ。もちろん姫君にもだ。俺たちもすぐ行く。」
「承知いたしました。」
軍曹は踵を返し、南門へと走っていった。
「俺たち…ってことは、私たちも行くんですか?」
姉は弟の肩を抱いていぶかしげに訊いた。
「悪いが、そうしてもらえないか。さっきのようにまた君の機転に助けられる事があるかもしれない。」
「そう言っていただけるのはありがたいのですが、足手まといになりませんか?」
「いや、逆に、連れていく子供たちに言葉をかけてもらえるとありがたい。途中でへばったりする子もいるだろうから。」
「わかりました。お役にたてるのであれば。」
「そうと決まればすぐに出発しよう。日が暮れる前に、できるだけここから離れておきたい。」
「後から大佐たちが追いかけて来て、攻撃してくることはありませんか?」
「ん、大佐?いや、心配することはない。もしそうなったら、返り討ちにしてやるさ。こっちの兵力は全体の半分以上。しかも相手は平和ボケしたロートルだ。負けるはずがない。」
整列した隊に近づくと、少佐は先頭にいる大尉の横に捕虜二人を並ばせた。
「いよいよですね。」
「ああ、こんなおかしなところからやっと抜け出せる。」
「新しい城を造り、姫君を奉り理想国家をつくる。夢のようです。」
「いや、重要なのはそのあとだ。周辺の部族と話し合い、互いの領地、食料に手を出さないという盟約を取り付けねばならない。それができて初めて俺の思い描く社会が出来上がる。」
そう言うと、整列している部隊のほうに向き直った。
「聞けぃ!これから食料の調達に出発する。我々分隊が警護をするが、決して気を抜くことなく進むように。」
「オー!」
「では、出発!」
少佐は大尉の前に立って歩き始めた。調査隊・警護隊合わせて千人近くが、一列になって進み始めた。先ほど自分が決意を立てた場所が見えてきた。ここをみんなが抜ければ、新しい世界が開ける。そう思うと知らずに頬が緩んできた。
とその時、近衛兵の一団が行く手を阻んだ。
「道を開けろ!」
少佐は叫んだが、誰も動こうとしない。
「大佐から聞いているだろう!将軍の命により出陣するのだ。さっさとそこをどけ!」
やはり誰も動こうとはしなかった。
「将軍の命に従う我々を邪魔するか。ならばこちらも!」
少佐が剣に手をかけると、近衛兵達はさっと迎撃体制に広がった。
「確かに食料調達隊を警護するよう指示はしたが、それにしては出発を急ぐんだな。」
その声に振りかえると、将軍がこちらへ近づいてきていた。
「将軍 」
「それに、警護にしては兵が多すぎるんじゃないか?」
「そ、それは、今朝の件があるからです。やつらが反撃の準備をできないうちに出発し、万が一襲ってきても簡単に打ち負かせるよう余裕を持って隊を編成したからです。」
「ああ、そうなのか。いや、今朝は本当に苦労をかけたな。だが調達隊の中に子供が混じっているのはなぜだ?まさか、子供にまで調達を手伝わせる気ではあるまい?君が好きな姫君が知ったら、さぞやお怒りになるだろう。」
「子供たちを連れていくのは、社会勉強として早い時期に城の外を経験させてはどうかという私の提案を受け入れてくださったからです。」
「ほう、面白い発想だ。では本当にそれをお許しになったのかどうか、ご本人に伺うことにしよう。おい!」
その声に、大佐が後ろ手に縛られた姫君を連れて列の後方から現れた。
「姫君!」
「少佐、ごめんなさい。」
あちこちから「姫様!」という子供たちの声が聞こえた。
「将軍、いったいどういうおつもりですか!」
「おつもりも何も、見たまんまさ。姫君は囚われの身になった。さて、正直に答えてもらおう。一体君はこれだけの兵を率いてどこに行こうとしていたのだね?そして、その目的は何だ?君の返答次第では美しい姫君の顔に傷が刻まれることになる。」
「貴様、何を勝手な!」
「〝貴様〟とは上官に対する言葉とも思えんな。まあいい、それは許してやろう。さあ、私の質問に答えてもらおうか。何をするつもりだった。」
「だから、お命じになったように警護として同行しているだけです。」
「あくまで白を切るつもりなら、わたしから話そう。お前は組織の駒の一つであるという〝分〟をわきまえず、現実から目をそむけ馬鹿げた理想の社会を造るため謀反を起こそうと画策した。この事は将軍もご存じの事だ。」
多くの兵士の前で、悪事を暴いたのは自分であると言いたげなパフォーマンスだ。そうでもしなければこの男、〝大佐〟という肩書に潰されてしまおう。
「私はそのようなことは…」
「まだ言うか!」
うんざりだという口調で将軍が叫んだ。と、その後ろで大佐が姫君の縄を解き、城のほうに押し出す。ちらりと少佐を見た姫君の口が、『ごめんなさい』と動いたように見えた。
「誰にも気づかれずに、事を成し遂げられるとでも思っていたのかね?残念だが君の正義感あふれる言葉は、この年寄りの耳にさえも届いていたんだよ。なぁに、正義感を持つのが悪いと言っているわけじゃない。問題はその中身だ。姫君に拾われここで暮らし始めた以上、我々の考えに従ってもらわにゃあいかん。それができないというのなら、致し方ないことだ。不満危険分子として排除するしかない。」
「だったら、私だけを殺せば済んだことだ。戦闘にまぎれてでも、何とでも殺すチャンスはあったはず。」
「確かにお前だけを殺すのであれば簡単なことだ。しかし個人をただ排除しただけでは、同様に謀反を企む輩がまた出てこんとも限らん。そういう気にさせないためには、謀反人がどうなるかを知らしめておく必要がある。これは、部族の平穏を願う女王の思いを実現すべく、私に課せられた責務なのだよ。」
「それで今なのか…しかし、ことを起こそうと決めたのはついさっきだ。どうやって貴様は知った!」
将軍の口元がニヤッと笑った。
「ご苦労だった、もうこちらへ戻ってきていいぞ。」
その声に、とっさに少佐は大尉を睨んだ。
「お前、まさか…」
「私ではありません!誤解です!」
何かが大尉の中で切れ、思いが浮かんだ。『そうか、所詮は…』
「内輪もめかね?良くないねぇ、同士を疑っては。ヘンな疑いが広がる前に、出て来たまえ。」
促されて列から出てきたのは、あの捕虜の姉弟だった。
「君たち 」
「紹介しよう、私の孫だ。二人ともいいこだろう?君も気に入ってくれていたようだな。」
「…なんてこった。」
少佐はがっくりと膝を落とし、近衛兵に取り押さえられた。
「お前たちが見つかるのがあんまり遅いんで、心配したぞ。」
「ごめんなさい。急に大雨が降リ始めたと思ったら、水かさが見る間に増えて歩けなくなったの。仕方なく雨宿りしてたら、思いのほか時間が経ってしまって。」
「そうか、それは大変だったな。だが、お前たちのおかげでこいつを処分することができる。部族の平和が守られたというわけだ。」
「すべて芝居だったのか。不覚だ。なぜ疑い続けなかった…将軍、私が処分されるのは甘んじて受けよう。しかし約束してくれ。決して姫君を殺さないと。」
「もちろんだ。ここでそんな事をしたら、子供たちが大きくなって私を殺すいい口実になる。それに、姉上である女王にもすべてを話さなくてはいけなくなる。慈悲深い方であるから、お前を処刑せず追放で許してやれとおっしゃるだろう。それでは見せしめにはならん。」
そう言うと将軍は自らの剣を抜いた。
「せめてもの情けに、私がお前の首をはねてやろう。」
近衛兵になされるまま、少佐は上体を倒した。それを見た姉は弟の目をふさぎ、自らも目を閉じた。
「さらばだ。」
「しゅ~ん、かすみ~!」
真昼の強い日差しを手で遮りながら、母親は子供たちを探した。
「いったいどこに行ったのかしら。俊~、佳澄~!」
「おかあさーん。」
トウモロコシの林の中から男の子が飛び出してきた。そのあとから、麦わら帽子を押さえながら姉が姿を現した。
「ふたりともどこにいってたの、心配したわよ!」
「おかあさん、ごめんね。あのね、お母さんが作ってくれたお船を捜してたの。そしたらお水があそこのおっきな木のとこのお池まで流れてって、そこでアリさんがいっぱいいるのをみつけたの。黒いのと茶色いの。」
母親は男の子の頭についたトウモロコシのひげを取り除きながら、いちいち、「うん、うん、」と頷いた
「そう。アリさんたち一緒に遊んでたのかな?ふたりとも、大冒険してきたのね。でも、遊んだ後はちゃんとお水を止めとかないと。ほら、こっちのありさん流されてるじゃない。」
見るとホースから流れた水がそこらに広がり、たまたま通りかかったであろうアリを飲み込んで流していた。
「あ、アリさんごめんなさい。」
男の子はそのアリをつまみあげると、畝の上にそっと乗せてやった。
「さ、おばあちゃんがおっきなスイカ切ってくれたから、みんなで食べよ!」
「わーい、やったぁ!お姉ちゃん、早く早く!お家まで競走だよ!」
「ちょっと俊、待って!」
先に駆け出した弟の後を、姉は笑いながら追いかけた。太陽はますます輝きを増し、母親は目を細めながら二人を目で追った。
「ほんとにいい子たち。」
誰に言うともなくつぶやいた母親は、額の汗を手の甲で拭うと母屋へと歩き始めた。
「といった夢だったんですよ。不思議な話でしょう?いやぁ、でもありがとうございました。あなたにお話ししているうちに、どうやら頭の中で創りだしたファンタジーだったと言う気がしてきました。長々とお引き留めして済みませんでした。」
一方的に話しまくり、終わったと思ったら『気が済みましたのでお引き取り下さい。』だと?まったく自分勝手な奴だ。まあ、結構おもしろいおとぎ話だったから、大目に見てやるとするか。さあ、先に進もう。
「それにしても来ないなぁ。」
誰かと待ち合わせでもしているのか、あたりを気にしている。
「ごめんなさい、お待たせ!」
走り寄ってきたのは、良家のお嬢様と言った雰囲気の女性。胸を軽く押さえ、息を整えながらそう謝っている。
「いえそれほど待ってはいないのですが、心配してました。何かあったんですか?」
「ごめんなさい。出かけるときに限って色々問題が起きて。」
「そういうもんですね。で、片付いたんですか?」
「ええ、子供の方は。でも、もう片方はちょっと…」
「ああ、そうでしたな。確かに困ったもんです。まあ、私にお任せください、善処いたします。」
「そんな事より、今日はどんなおいしいものをごちそうしていただけるんです?前回はお肉だったから…今日は花の蜜がいいわね。あ、贅沢は言わないわ。お任せします。」
「かしこまりました。」
恭しく頭を下げそういった後、周りをうかがうようにして小声で娘に話しかけた。
「奴には気づかれなかったでしょうな、姫君?」
「もちろんよ。いつも通り抜かりはないわ。さあ、早く行きましょう、将軍!」
にっこり笑ってそう言うと、男の腕を取り二人、いや二匹は雑踏の中へと消えていった。歩き出す寸前、雄がふっと薄笑いしたように見えたのは気のせいか。
了