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走る男

作者: 乱隆

 狭いような広いような、ただ漠然と落ち着かない部屋だった。

 通されたのは応接室で、その場所は決して散らかってはいない。しかしながら圧迫感を感じさせるのは、物が多いからなのだろうか。

 奥にしつらえてある応接セットから部屋の入り口へと視線を移すと、簡素な作りのラックには一定しない大きさの本をいっぱいに、壁の一面には書き殴ったような字のメモが整然と並んでいる。

 見上げると神棚があり、床には積み上げてある本の上にあれは仏壇だろうかが置いてあった。

 しばらく、この雑然とした部屋のレイアウトに目を奪われていたが、こういうものだろうと腹をくくる。

 そして向かいに縁なしの眼鏡をかけた大柄な男が座り、目の前の東南アジア風のテーブルに湯呑に入れられたコーヒーが置かれたところで、僕は追々話を進めた。

 ・・・・・・・。

「ふんふん、なるほど・・・それで?」

 僕の前の男が引き続き話を聞こうと相づちを打っていた。僕は言葉を続ける。

「えぇ、その、気を失ったかと思うと、その一瞬後には汗だくで息を切らしてるんです」

「ふん・・・」

 応接椅子の向かいに座った壮年の、いささかぽっちゃりとした感じを受ける男性はそこまで聞くと、そのまま深く革張りのソファーにもたれかけた。

「それは、きみ・・・」

 その男性の答えを聞くより先にあわてて口を挟む。

「まるで全力疾走でもした感じで・・」



『走る男』



「まるで全力疾走でもした感じで・・」

 僕はすでにその後にくる言葉に期待しなかった。何処へ行ってもただの呼吸困難の発作系統の病気に落ち着くのだ。ここならば違う答えを聞けるかとも思ったのに対し彼の答えはやはりというべきか、悪い意味で期待を裏切らなかった。

「まず、病院に行くのが先決ではないのかね?」

 僕は先ほど目の前の男性がした動作同様、どっかりと合革のソファーに腰を落とした。

 知り合いの紹介で来たもののその知り合いには文句を言おうと考え始めていた。

「じゃあ、いいです・・」

「まぁ、そう結論をあせらないで、こんな所まで来ると云うことは一通り意見を聞いてきたんだろう?つまり、その態度からすると、皆、先程の答えで似たり寄ったりだったわけだ。狭苦しい研究室に住む貧乏学者でもそこらのクリニックとは違う目線の意見は聞いて損はないはずだろう?」

「はぁ、・・・さすが」

 その先を飲み込む、さすがに「客観的にご覧になる」というのは、間接的に侮辱している。

「さすが心理学者ととでも云うのかな?はは、心理学はそこまで教えてくれないさ、何事も行動と実証が大事なのだ。これは私自身の経験と勘からの言葉だよ」

「経験と・・勘ですか。はぁ」

 経験というからには、それなりに実績があるのだろうか、あまり客を招く風ではない部屋をみると大丈夫か?と感じる。

「まぁ、勘なんてものも経験の産物だがね・・と、何の話だったかな?」

「汗だくで記憶が・・」

「ああ、そうだった、そうだった」

 思い出すように目をつぶると先ほどしていた内容を思い出しているのかぶつぶつと言い始める。手持ちぶたさもあってか、僕はどうとでもしてくれと口をつぐんでいた。

 そして、しばらく静寂が続く中、気づくと男は眼鏡ごしに真剣な目を向けていたが、視線が合うと人好きがしそうな笑顔になった。

 予想外な表情になんだか心の中を見透かされたみたいで思わず視線を外す。

 壁際にはヘルスメーターが立てかけてあったり、万歩計がおいてあったり、そこかしこにダイエット器具がおいてあったりした。それを見ながら徐々に落ち着く。

 彼は手元の鉛筆を起用に片手で回しながら眼鏡の奥からこちらをのぞき込んでいた。

「すると、なにかね、この大学の研究室に来た理由は心因的なものからくる発作のようなものではないかというわけだ。」

 そうですね、と頷く。

「記憶がとぎれる時間は?」

「それが、・・・その、ないんです」

 手元で回っていた鉛筆が止まる。

「記憶がなくなるのはよーく解った。それで、時間は?」

「ですから、ゼロです」

 目の前の中年男はさらに深く沈み込むように椅子に座ると、天井に目線を移した。

「あー、それは主観かな、それとも実時間?」

 再び鉛筆は回っている。

「実時間です」

 きっぱりとそういったからだろうか、少々沈黙が続く。額にしわを寄せた表情はすこしコミカルに見えて愛嬌を感じさせた。

「んー、それはなにかそう判断することがあったということですね」

「ええ、いきなりどこで起こるかわからないので偶然ですが、人前ではほとんど起こったことがなくて、ちょうど携帯で友人と電話していた時に起きたんですが、自分が気を失っていた時間を聞いたところ、ゼロだそうで」

「ゼロ?、体にも影響があるのにゼロと言うことはないだろう、体感とそれほど違うものになるのかな?」

「それが、彼はまったく会話の途中でいきなり息切れし始めたので突然どうした?という感じでして。まあ、ゼロは大げさな時間であるとしても、少なくとも短い時間であることは確かでしょう」

「唐突に息を切らしていたと?」

「まあ、そうです。」

「主観では時間がたってると、それなりの時間は」

「記憶があいまいですが、そんなすぐに全力疾走したような感じにはならないでしょう?」

「その時間を催眠術のようなもので調べてほしいと」

「よくわかりましたね」

「まぁ、流れ的には、あと、こないだTVでやってたからなぁ」

 きっと同じ番組を見たに違いないと、卑下することもなくテレビ番組がいかにいい加減かと話をしだす。

 目の前の男はわざとらしく咳払いをした。

 さすがに気づいたようで話を戻し始めた。

「それにしても、その知人の彼は何か他にいっていなかったかね?」

「特には・・、あぁ、そういえば」

「そういえば?」

「超能力か奇跡じゃないかと、、冗談でしたが」

「ああ、奇跡というと水を酒にのあれかね、キリストかね?」

「浄土真宗ですが・・」

「私は日蓮さんだ」

「ああ、ホケキョウですが、うちの母方の旦那さんがそうでしてね。いやあれはなかなか興味深い教義ですね、なにしろ唱えれば・・」

「で?」

「ああ、僕は曹洞宗です」

 今度は変な沈黙があたりを包んだ。悪のりしすぎたようだ。

「暴れるかね、記憶をなくしたときは」

「さぁ・・・、でも気がつくと知らない場所に居たりしますね」

「ほぉ、そんな状況が・・、それ最近はどこにいたかね」

「ええ、小学生の頃ですが・・」

「ああ、あるねぇ、いつの間にか知らないところにいるって言うこと」

「あるでしょう、僕の場合は・・」

「いや、いい。言わなくていい。だいたい状況は飲み込めた。・・・で、準備はいいかね」

 彼はもしかすると気を楽にさせようとしたのだろうか、怒らずにここまでこちらの冗談につきあってくれるとは少々意外だった。しかし、つい状況に甘えてしまうのは悪い癖だ。

 彼はじっと答えを待っていた。興味はあるが期待はしていないといった表情だった。

「はあ、まあ、たぶん」

 我ながら随分と間の抜けた答えである。しかし向こうは納得したようで、ひとしきり頷くと、

「一度やってみたかったんだよ、こういうの」

 と、不穏当な発言が彼の口から飛び出した。

「大丈夫ですか?」

「私も学者だからな、まあ、実験だと思って気楽にしていればいい。」

 ますます不穏当な発言だったが、あまり気にとめないように努めた。

 彼は「まあ、リラックスしてください」と言い、私は言われるままにソファーに寝転がった。

「細いなぁ、君」

 あんたに比べたらね。と、我ながら不穏当な言葉を飲み込む。

 しかし、先ほどの彼の言葉と状況をよく考えてみると、私が女だとしたら、あるいは彼がその手の人ならば不穏当どころではすまない発言だ。

 幸いそういうわけでもないようで彼は本棚に向かい何かを探している。

 程なくして目当てのものを見つけたようで一冊の本を本棚から取りだしてきた。

「いやあ、わたしもダイエットしてるんだがね、なかなか痩せんのだよ。いいねぇ、瞬時に汗だくとは、何しろ元手がかからないところが良い」

 ダイエットの本だろうか?

「いや、その私はですね・・」

「失礼、失礼」

 さすがに半身を起こし抗議しようとしたところ、先に謝られてしまった。いまいちヒントのあわない会話だったが・・・、私はわざとらしくため息をついて再びゆっくりとソファーに体を預ける。

 本を片手の先生はなにやらふむふむと一人うなずく。

 そして、カーテンを閉めながら説明を始める。

「リラックスするための環境づくりを行っています。それと同時に・・」

 ポケットから取り出したのは使い古されたオイルライター。そして手慣れた手つきで火が灯される。

「この火に集中してもらうために、この部屋を暗くします。それと共に心の中で私がい言ったことを復唱しましょう」

 雰囲気に乗せられやすい人なのだろう、後半の口調は芝居がかっていた。

 頷くと部屋の電気を消した。

「いいですか、集中してください」

 いいですか、集中してください。

 ゆらりゆらりと闇の中で風もなく右左へと絶え間なく揺れる幻想的な炎が嫌が負うにも集中力を高めてゆく。

「あなたは、徐々に瞼が重くなる」

 あなたは、徐々に瞼が重くなるのを感じます。

オイルライターの炎が太くなり、細くなりしていた。

「そして、完全に」

 そして完全に目が閉じられます。

 ライターの炎が揺らめいている。

 もうあなたはあなたであってあなたでない。

 そう、あなたは発作が起きる直前のあなただ。

 そう、あなたはほっさがおきるちょくぜんのあなただ。

 わたしはもうすぐ記憶がとぎれるわたしだ。

 さあ、今どうしています。

「隣に友人がいる。そして私を見ている」

「なるほど、友人に頼んでどうなるか見てもらっていたのですね」

「そうです」

 じゃあ、もう少し時間が進みます。あなたの記憶がとぎれた瞬間のあなたになります。

 そして、あなたのきおくがとぎれたしゅんかんのあなたになります。

 わたしは記憶が途切れる瞬間をまたぎました、さあ、どうですか。


* + + *


 ・・・・。

「どうしましたか?」

 男は催眠術にかかっているはずの彼に何か反応があるか尋ねてみる。

「くぅるぅ・・しいぃ、息がぁ・・いぃきぃ、空気・・がぁ・・」

 スローモーションがかかっているようにゆっくりとしゃべる彼。

 ひゅー、

 盛大な音を出して息を吸い込んだ彼は徐々に体を動かそうとしていた。

 しかし随分とゆっくりとした動きだった。指先から順番に力が伝わっていくのがそれこそ筋肉の動きすら読みとれるほどのスローテンポな、そして全力を出して起きあがろうとしているのが解る。まるで全身が何かに押さえ込まれているような仕業である。

だらだらと汗を流し必死の形相で、もちろんその形相へもスローテンポに変化しながら、体を起こした彼は、そしてスローモーションを流しているように走り出した。


* * * *


「あー、つまりですね」

 やはり汗だくで現実へと戻った私に先生はゆっくりと話し始めた。

「解りましたか?」

「いや、はっきりとは・・。とりあえず、これは私の推測の域を出ないものとして聞いてほしい」

「推測ですか?」

 ええ、と答えた彼は明らかに険しい顔をしていた。十人に見せれば十人ともが彼が今している表情を険しい顔であると表現するような顔つきだった。

 そして、思い切ったように険しい顔をこちらにむき直すと、周りを気にしてこっちに耳を貸すように手招いた。

 中年男と顔をつきあわせるのもどうかと思いながら耳を貸すと、彼は小声でこう呟いた。

「宇宙というのはビックバン以降、エントロピーというものが増大し続けていてですね・・・」

 『・・・・・・』

「それではアインシュタインの物理法則の意味であるが、エネルギー、つまりここで言うところの速度が増大して質量が一定であった場合はどうなるか、ご存じかね」

 『・・・・・・・・・』

「あるいは、・・・ビーズでワープする超能力少女の話は・・いやいや、それはちょっと飛躍のしすぎか・・、うーんなるほど」

 『・・・・・・・・・・・・?』

「じゃあ、SFは好かね?」

 『・・・』

「・・・・・。」

 『・・・・・・・・・・・・・・・・・』

「なるほど」

 『・・?・・・。』

「むかしむかしある一人の漁師が浜を歩いていたところ、一匹の亀が子供達にいじめられておりました・・・」

「あの、、何が言いたいのでしょうか?奥歯に物が挟まるような言い方しないではっきり言ってください。自分は何かに追われていたんでしょうか?」

「そうですね、、、追われているとしたら、、、」

 眉間のしわが一層に深くなったが、ふと合点がいったように彼はこういった。


「実際に時間が追ってくると、あんな風になるんですかね」




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