母旅~大久保コリアンタウン2
第16章
大久保のコリアンタウンを母とぶらぶら歩く。
こんな日が来るとは思わなかった。
国籍やそれにまつわる食をはじめとする文化について、母との間では言わないことになっていた。
それが、無言のうちの約束事だった。
自分が朝鮮人であることを朝鮮人の母が産んだのだから自明の理となってるはずだが、私はそのことを恨みに恨んでいた時期があった。
そして何よりも誰よりも母の前では朝鮮人であることをを口にできなかったし、なぜか隠していた。
それが私が50代を目の前にして、今回の事があり、成り行きでこうして2人、コリアンタウンを歩いている。
大きな食材やさんを見つけて入ろと言って何気なく入った。
私にとって懐かしい食べ物が一杯あった。
母は豆の乗った韓国のお餅シルトックのパックを
「こんなものまで売ってるや?」
と言って懐かしそうに欲しそうに手に取った。
「買やあいいがね。」と私が言うと。
「一周してから。」とパックを元に戻した。小さな切れが4つで値段は540円。
「黄色いのもあるがね。」私が指さすと
「ふーん。これは何が違うだね・・・・ああカボチャが入っとるんだわ」
私は「懐かしい。」と言った。
店内をぐるりと回る。
「昔はよう作ったがね。」遠くを見るような目で母は色んな食品を手に取ったが買わなかった。
なぜか大きいカニが冷凍したものまであり。
「なんでカニがあるんだろうね、面白いね。」と言うと。
「あれだがね、ハンメエが好きだった、醤油でつけたからーいやつ。」
「ケジャンか!」
こうやって既製品で出回っているものも、母の嫁時代には全部母がこしらえていたのだ。
店を出て歩いてると
「懐かしいけど、お母さんああゆうものにいい思い出が無いだに。」ぽつりと母が言った。
母は長男の嫁としてこき使われにこき使われた思い出が蘇って来たのだろう。
しばらく街をぶらついていると、母はなぜかバッグ屋さんで足を停める。
「なんか欲しい物あるん?」と訊くと、小さくて軽いトートバッグが欲しいみたいだ。
「すぐに欲しいわけじゃないけどね。」
となぜか遠慮する。自分で買うのに・・・・
さっきの食事代もお母さんが出したくせに。
喫茶店でパッピンスか、コーヒーでもと思ったが甘いものは糖尿病の私には駄目だ。
道を若い男性4人組がチラシを配りながら歩いてくる。
韓流の歌手グループだろう。
チラシを受け取ると
「あの人達は何をするだに?」と訊いてくる。
「歌ったり踊ったりするに、その宣伝だに。」
「どこでするだに?」
「そういう劇場があるんだわ。興味あるん?」
「ないけど。」
何もかもが珍しいのだろう。それだけ世間から離れているんだ、独りぼっちなんだ。と思うと悲しくなった。
「帰るかや?」と訊くと「うん。」と言う。
電車に乗って、宿のある駅をめざす。