母旅~お説教
第14章
・あんたはわがままで甘いところがある
・元木さんはずるいところがあるから気を付けやあ
・結婚は承諾したし、亡きお父さんがサインしたけど、離婚は隠されてたし今も承諾してない
・何度もあんたのしりぬぐいで上京したけど、年も年だから今回が最後だと思やあ
などの話を聞いている。
「なんか、知りたいこと聞きたいことあったら聞きゃあ。」
と母が言うので
「お母さん、子ども嫌いなの?」
と聞いてみる
私は母は子ども嫌いなのに、嫁として無理矢理子どもを産んだと思っていた。
そうでなければ、あんなに厳しくしたり、ひどくいらだって叩いたりしないだろう。
母は一拍おいてから
「子どもは好きだに、でもあんたたちを育てとったときハンメエ(おばあさん、私からしたら曾祖母)が寝付いてねぇ。紙おむつも無い時代に寝た切りの、言葉のわからんハンメエ見ながらあんたたち3人育てるのに睡眠不足で青くなってたに。あまりのお母さんの様子のおかしさに病院の先生がハンメエの入院を勧めたけど外聞が悪いって言って入院はお父さんの家族が許さんかったに」
息をついで
「ごめんね、ほんとにあんたをもっとゆっくりおっぱいをあげたり、抱きしめたり、かわいがって育てりゃあ良かった。ごめんね。」
母はそういうとハアーとため息をついた。
私は胸が一杯になり、目が潤んだ。
46になる私は、今でこそそうでもないが、母を恨んで恨んできた。
アダルトチルドレンという言葉を知った時「私の事だ。」とそう思った。
若いころ母に酷い酷い言葉を沢山沢山ぶつけた。
精神病院に入院して、医師に母からされたことを羅列して怒った。
でも、こうして目の前に居るちいさな人を今はもう責める気持ちが無いのに気づいた。
突然東京から電話があって、その日のうちに何も食べずに駆けつけて。
私と一緒に怒ってくれる。
そんな人、この世に2人と居ない。
そのことが今頃になってやっと分かった。
お母さん・・・
何かを、きっと母を許した瞬間に。
泣いてしまいそうになったので
「お母さん、どっかいきたいとこあるに?」と聞いてみた。
「あんたのマンションを見に行きたいに。」えっ?と思った。
離婚の時に母が頭金を出して、元木さんが今もローンを払い続けている川崎の私のマンションが母は、心配なのだ。
「お母さんごめん。まだ自分の家に戻れる気持ちじゃないんだわ。」というと
「わかったに。」
と言ってくれた。
「なんか食べたいものあるに?」と言うと。
「ビビンパが食べたいに。」と母は言った。
そうだ。ここは東京だ。
「お母さん、大久保っていう町があるに、そこはコリアンタウンって言って韓国人街だに、そこに行こうよ」
「そうかね、そのなんちゃらタウンに行こうかね。」
母はシャワーを浴びて、2段ベッドの母が上と私が下で眠った。