009 出会いの分母を増やしましょう
――アルフレインはおばあちゃんに引き摺られて、私の部屋を出て行った。
また気絶して、可愛いわんこの姿に戻ればよかったのに……なんて考えながら、私はパジャマ姿のまま着替えを持って階下に降りる。
素早くシャワーを浴び、服を身に着けてから、髪の毛を乾かすためにバスタオルを被った。
髪の毛が痛まないように、ぽんぽんっとタオルを上から押付けるようにしてふいている途中、ふと洗面台の鏡に映った自分の姿に目を留める。
少し明るいこげ茶の髪色は、嫌いじゃない。
まだ生乾きの髪の毛を、ドライヤーの送風モードでゆっくりと乾かす。
私の髪の毛はサラサラしているけど、腰はなくて柔らかめ。
お母さんみたいな緩やかなウェーブじゃないけど、乾くと自然にふんわりまとまる毛先は、パーマがかかっているみたいだねってよく言われる。
たぶん、ご先祖の円さんは…それこそ日本人形のような、直毛でしっかりと腰のあるサラサラのストレートだったんだろうなぁ。
黒髪黒目の綺麗な和風美人を想像しつつ、大好きな幼馴染の髪の手触りを思い出しながら、私は再び鏡の中の自分の姿を見つめる。
紫色と藍色が混じっているような不思議な色合いの……紫紺の瞳。
おじいちゃん…ジョージの血が隔世遺伝で私に伝わった証。
ジョージの瞳は、私よりもっと明るいすみれ色だけど。
私の瞳の色は建物の中にいるときはあまり目立たないけど、外で太陽の光の下で見るとはっきりと違いがわかる。
綺麗な色だと思う。
でも……そのせいで、注目を浴びるのは好きじゃない。
通りすがりの人にじろじろ見られたり、顔を覗き込まれたりすると、酷く憂鬱になる。
私は自分の両頬を叩いて、どんよりしそうになった気持ちを立て直そうとした。
バシン!
「……っ! (痛い…)」
闘魂注入は痛すぎました。
髪の毛をきちんと乾かした後、玄関の靴とキーケースをチェックしてお母さんが外出していることを確認してから、ダイニングキッチンに移動した。
私の家は古い日本家屋だけど、水周りなどは洋風にリフォームされていている。
おばあちゃんお手製の朝食をゆっくり食べてから、自分が使った食器を洗って片付ける。
今日がお休みの日で良かった~…なんてしみじみしつつ、日本茶を淹れる準備をした。
湯冷ましの容器と茶碗に熱湯を入れ、お湯を冷ましている間に急須とお茶の葉を準備する。
ほどよく冷めたお湯を急須に注ぎ、しばらく待ってから温めておいた茶碗にお茶を淹れた。
私はお盆に三人分のお茶をのせて、おばあちゃんの書斎へ向う。
ダイニングで食事をしていたとき、二人の気配がまったく感じられなかったから、ダイニングに近い居間ではないはず。
お茶をこぼさないように気をつけながら、板張りの廊下兼縁側をゆっくり歩く。
おばあちゃんの書斎の手前で、部屋の中から声がかけられた。
「――葵かい? お入り」
「…はい、失礼します」
書斎の前で立ち止まってお盆を置き、正座して左手で少しだけ襖を開けてから、右手にかえる。
和室でのお作法を思い出しながら、部屋の中に入って……驚いた。
おばあちゃんの正面の席…上座にちんまりと座っているのは、こげ茶のトイ・プードルだったから。
「…え? さっきは…人間の姿のままだったよね?」
あの後、おばあちゃんにまた殴られて気絶したの?
不思議に思いながら…おばあちゃんとわんこの前にお茶を出して、私もおばあちゃんの隣に座る。
おばあちゃんは私の淹れたお茶を一口飲んで味を褒めてくれた後、さらりと答えを口にした。
「――昨日蔵の中から、おえんさんの娘…おたえさんが使っていたっていう、首輪を探し出しておいたんだよ。
まさかこんなに早く必要になるとは思ってもいなかったけどね。
コレがあのセルディスの息子かと思うと、真逆すぎて笑いがとまらないが……葵に何かあってからじゃ遅い」
「…首輪?」
言われて見れば、確かにアルフレインの首には、金色の艶消しされた鎖がかけられていた。
「おたえさんの『守り役』は、レディオスの学友で…魔法使いとしては優秀だけど、女にだらしがない人だったらしいよ。
おえんさんが、こんなケダモノを可愛い一人娘と四六時中一緒にしておくなんてとんでもない…って怒ったら、レディオスが詫び状と一緒にこの首輪を送ってきたんだって話さ」
「…。」
「この首輪は、伸縮自在で…誰でも『守り役』に装着することができるけど……葵、お前にしか外せない。
この首輪を外さなければ、絶対に人の姿には戻れないからね。
無理矢理接吻をされたとしても、変身は解けない」
「そんな便利なもの、あったんだ」
例えるなら、漫画で見た犬耳ツンデレ少年の首輪みたいなもの?
あれは確か体罰もセットになってたから、こっちのほうがずっと平和的なアイテムなのかもしれない。
「普通の『守り役』なら、自分が加護を与える乙女とはいえ…適切な距離を置いて接し、みだらに触れたりしないから、こんなものは必要ないんだけど……この駄犬には相応な処置だよ」
「「…。」」
アルフレインはわんこの姿だけど…しょんぼりと肩を落としているみたいだった。
ちょっと可哀想な気がするけど、本当に反省しているのかなぁ?
「――葵、お前にも不満や不安がたくさんあると思うけど、おえんさんやレディオスを恨んだところで、何か変わるってことでもない。
…なら、七瀬の女らしく、ここはひとつ腹をくくっておくれ」
「はい」
おばあちゃんの歯切れのいい話し方に、私の背筋がしゃんっと伸びる。
…うん、そうだよね。
辞退も途中リタイアもできないのなら、やるしかない。
そして、どうせやらなければならないことなら、嫌々やるんじゃなくて、少しでも楽しめたらいいな。
「…よし、いい返事だ」
おばあちゃんは満足げな笑顔で私の頭を撫でる。
「あたしと美雪は…ちいさな頃から周りの人間にちやほやされた分、同じくらい嫉妬や妬みの被害をうけてきたから、葵が少しでも傷ついたり悩むことが少ないように…と…女子校に入れてしまったけど、間違いだったかもしれないねぇ」
「…?」
「クインティアの血筋には、魅了の力も宿っている…って話、聞いただろ?」
「うん」
「あまり強くない力だとはいえ、最初のとっかかりというか…初対面での印象には大いに影響するんだよ」
おばあちゃんの口調が揺らぐ。
「…そんな力が自分にあると知ってしまったら、どうしても疑ってしまう。
自分自身に好感を持ってもらえているのか、それとも『魅了の力』が影響しているのか…ってね」
「…ああ、そうか。それで…」
私はふと、昨日の夜のお母さんの話を思い出す。
しつこいくらいに、ちゃんと気持ちが伴っていることを主張していた。
「相手の本当の気持ちだけじゃなくて、自分の気持ちも疑ってしまうことも…あった?」
「…相手に好きだと言ってもらえるから、自分も好感を持っているだけなんじゃないか…と…思い悩むことはあったね」
「…。」
「女子校ではなく共学に通わせておけば、いろいろと…恋も、もめごとも、いくつか体験できていた筈なのに…。
後悔先に立たずとは、まさにこのことだね」
悔やむ言葉を口にしながら謝るおばあちゃんの姿は、いつもよりずっとちいさく見えた。
謝られても、どうしていいかわからない。
悪意があってしたことではないと、ちゃんと私にもわかっている。
私はあわてておばあちゃんに…謝らないでほしい、顔をあげてほしいとお願いした。
ゆっくりと顔をあげたおばあちゃんの顔には、きびしい表情が浮かんでいた。
「――葵、転校しなさい」
「…え?」
「慣れ親しんだ学校からいきなり転校しろっていうのは酷な話だけど、このまま女子校にいても出会える異性の数はたかが知れてる。
聖ラファエラ学園から、青陵学院へ転校して…たくさんの人と出会い、好きな人を見つけなさい」
「青陵?
和くんが通っている…名門進学校だよね?」
それまで黙って私たちの話を聞いていたアルフレインが口を挟む。
「その学校は優秀な者たちが集うところなのか?
それと、かずくんというのは誰だ?」
「関東の三大名門私立校のひとつさ。
『東の青陵、西の百蘭、中央の華・聖ラファエラ』ってね。
青陵は学力重視の進学校で共学、百蘭はスポーツと学問の両立を目指す男子校、聖ラファエラは良家の子女だけを入学させるお嬢様学校」
「和くんっていうのは、篠宮和輝…私の再従兄妹。
和くんのお父さんの貴志さんと、私のお母さんが従兄妹なの」
学校のことについてはおばあちゃん、和くんのことについては私が答えた。
「――おばあちゃん、青陵なんて…レベル高すぎて無理だよ。
近くの公立中学校じゃ駄目なの?」
「なぁに言ってるんだい。
去年、聖ラファエラで学年トップだったと美雪から聞いてるよ」
「それは、真が一年の二学期の終わりに海外へ留学しちゃったから、繰上げで一位になっただけ。
私の成績が伸びたわけじゃないもの。
初等部では六年間ずっと、真がトップで、私はずっと…がんばっても二位しかとれなかったんだよ?
私…そんなに優秀じゃないし」
真は、聖ラファエラに入園してからずっと仲の良かった幼馴染。
張り合う気さえ起きないほど…綺麗で頭のいい子だった。
おまけに性格も良くて、何事にも物怖じしない度胸もあった。
元華族のお嬢様で、誰よりも気高く、賢く、美しかった真。
……一緒にいると何度も自分の欠点に気がついて恥ずかしく思った。
本当の天才という人たちを身近に知っているだけに、自分が成績優秀だなんて自惚れられない。
私は自分の器を見誤って天狗になるほど、愚かでもない。
「それに、編入試験って…入学試験よりも難しいんでしょ?
無理だよ、絶対。
どうして青陵なの?
仮に編入試験に合格したとしても…家から遠いし、通学が大変だし…」
なんとかこの話を止めようと必死になる私に、おばあちゃんはあっさり言った。
「どうせなら、一番いい学校を狙うのが当然だろう?
いい学校には、将来有望な生徒が集っている筈だしね。
可愛い孫娘が未来の恋人候補と出会う場としては、理想的だ。
…葵は自己評価が低いようだけど…その真って子がどんなに優秀でも、お前が優秀じゃないって話にはならないよ。
生まれつきの天才じゃなくても、努力して勉強して良い成績を残せたなら、それはお前の実力で……まがい物なんかじゃない」
「…でも、おばあちゃん」
「――お黙り。
『でも』は、言い訳を始める言葉だろう?
あたしの孫には、そんな言葉を使い慣れて欲しくない。
無理だといって初めから諦めるより、まず編入試験を受けておいで。
急いで支度をおし」
「……支度って…?」
「出かける支度だよ。
青陵の理事長に、昨夜電話で話して了解をもらっている。
特別に編入試験は教師の立会いの下、篠宮の家で行うって話になっているからね」
「今日、これから?!
しかも、和くんの家で?」
「篠宮家は代々、青陵の理事を務めてるからね。
特例で…って、ねじこんだんだよ」
「特例…」
展開が早すぎて呆然とする私に、おばあちゃんはニヤリと人の悪い笑みを見せた。
「…まぁ、あたしが理事長の若い頃の弱みを握っているのも、大きいかもしれないけどねぇ。
葵は学校に編入試験を受けにいくほうがよかったかい?
聖ラファエラの制服を着てあちらに出向いたら、注目を浴びることになるのは間違いないよ?」
「……和くんの家でいいです…」
私はがっくりとうな垂れながら答えた。
そう、聖ラファエラの制服を着て外を出歩くのは…ものすごく注目を浴びることになるのだ。
生徒の通学は、ほぼ全員が自家用車で、公共の交通機関を使うなんてことはまずありえない。
知名度の高さ故なのか、制服のデザインから聖ラファエラの生徒だと見破られると……絶滅危惧種か珍獣並に、じろじろと見られることになる。
それは、絶対に嫌だった。
おばあちゃんは私の返事に何度も頷いて、急き立てる。
「さぁさ、あたしの話はこれで終わりだよ。
葵は、早く支度をしなさい。
水澤を呼んでおくから、篠宮の家まで車で送ってもらいな」
「――はい」
ここまで話が決まっていては、編入試験の辞退はできそうにない。
私は覚悟を決めて、おばあちゃんの書斎から退出し、自分の部屋へ戻った。
何を着ていけばいいのか迷って、結局、聖ラファエラの制服に決めた。
学生の身分では、制服が正装だと思うし。
…出会いが少なければ、恋をする可能性も少ない。
誰かと両想いになるまで、私はずっと『魔法少女』のままで…『守り役』と一緒にいなければいけない。
レディオスさんにどういった理由で敵がいるのかわからないけど、私が狙われる危険も無い訳じゃないみたいだから…早く終わることを願う、おばあちゃんたちの気持ちもよくわかるけど…でも…。
「――だめ」
泣き言と不安しか浮かんでこない自分の思考を、声に出して止める。
幼稚舎から九年間通った学校を変わるのは……正直、とても怖い。
いつも一緒にいた幼馴染と別れて、一人きりで別の学校に転校しなくちゃいけないなんて……嫌だ。
ずっと続いていた『日常』が変わってしまうのは、すごく不安。
だけど……私のいままでの『日常』は、昨日の夜に終ってしまったから。
もう、どんなに願っても、戻れないなら…あとは進むしかない。
『隊長~、編入試験に落ちても、別にいいですよね~?』
『…うん? まぁ、手を抜かずに試験を受けて、その結果が不合格ならば問題はないだろう』
『ですよね~? やるだけやってみて駄目だったらしょうがないですよね~?』
『…なんだなんだ、今日はやけにゆるい感じじゃないか。珍しい。』
『いっつも気を張ってたら、ぶちっと切れちゃいますよ~。人生出たとこ勝負です~』
脳内会議でも、開き直ってゆるい路線で行くことが決まった。
気持ちを切り替えて、鏡の前で身だしなみの最終チェックする。
「……よし!」
私は筆記用具を入れた学生鞄を手に取って、勢いよく部屋のドアを開けた。
玄関では、おばあちゃんが籠を持って私を待っていてくれた。
「コレは一応葵のお守りだからね、一緒に持っておいき」
「…。」
籠の中から、こげ茶のトイ・プードルが頭だけちょこんっと外に出している。
つぶらな瞳で私を見上げているもふもふの姿は、文句なしに可愛い。ものすごく可愛い。
だけどコレの中身がアレなんだとわかっている今、手を出しちゃいけない気が…。
なかなか受取ろうとしない私に、おばあちゃんは強引に籠を押し付けた。
「はいはい、さっさと持つ。
小型犬の仔犬なんだから重くないし、ちゃんと首輪がついてるから大丈夫だよ」
「…。」
あ、そうか。
首輪がついてるから、もう昨日の夜とか、今朝みたいなことは起きないんだよね。
私は右手に籠をかかえ、左手に鞄を持って玄関の外に留めてある車へ向かう。
車のドアを開けて待っていてくれた人は…。
「遼兄さん?」
意外な人の登場にびっくりしている私に、遼兄さんは微笑みながら促した。
「――お久しぶりです、葵お嬢様。
…どうぞ乗ってください」
「…あ、はい」
車の後部座席に乗ると、遼兄さんが静かにドアを閉めてくれる。
私は窓を開けて、おばあちゃんに挨拶した。
「おばあちゃん、いってきます」
「ああ、いっておいで」
遼兄さんの運転する車は、篠宮家へ向けて静かに走り出した。