008 痴漢にかける情けはありません
アルフレインは私の質問にさらりと答えた。
「――俺はずっと葵を見守ってきたから」
「…え?」
「『守り役』は、七瀬の直系の女子が産れた時に任命されるものだが、俺はお前が美雪の胎内にいるときから…ずっと見守っていた。
俺以上に優秀な弟子はいなかったから、次の『守り役』になるのは自分だとわかっていたし……前々から興味があったんだ」
「…?」
「長期間の任務というデメリットはあるが……普通なら滅多に許可が下りない『界渡り』ができる上に、七瀬の女性に関わった者は皆、良い方向に大きく成長して帰ってくる…という話を、いろんな奴から繰り返し聞かされていて……実際にアズライトの変貌を目の当たりにしてからは、尚更『守り役』をやってみたくなった」
「お母さんの『守り役』は、そんなに変わったの?」
「ああ。別人になったと言っても過言ではないくらいにな。
魔法の研究にしか興味がないひきこもりで、極度の人嫌いだったんだが…美雪の『守り役』の任を終えて帰ってきた後は、人当たりが柔らかくなっていたし…なにより魔力の質量と精度が桁違いに向上した」
「それって…」
「アズライトの言動の変化は、『守り役』として美雪と深く関わり、人と接することを学んだのだと思う。
能力の変化については、まず間違いなく…『クインティアの祝福』を受けた結果だ」
私はアルフレインの言葉を聞きながら、昨夜の話を思い出す。
…互いの心の繋がりを力に変えて、たった一人だけ…大切な人の魔力の容量と威力を飛躍的に伸ばすことができる力。
それは魔法使いたちの世界では……魔法を使う人たちには、どう映るんだろう?
「――『クインティアの祝福』を利用しよう、と言い出す人はいなかったの?」
わたしの問いに、アルフレインは苦々しい表情で頷く。
「居たよ。
そいつがこちらの世界にクインティアの末裔が生きていると公表した、三人目の『守り役』。
師の通っていた学院の後輩だった男だ。
……奴は選民思想が強くて…七聖王家の力をより強めるために…と主張したらしいが、祖父と他家の当主たちは反対した」
「…どうして?」
「そもそも『クインティアの祝福』は、力づくで手に入るものではないんだ。
力で支配し、捕らえたとしても、得られない。
クインティアの力を受け継ぐ者との間に、心の繋がりや、強い絆、真摯な想いが無ければ生まれない。
七聖王家の昔の過ち…クインティア一族を抹殺したのは、手に入れることができないなら、滅ぼしてしまうしかないと…愚かな結論に達したせいだ。
三人目の『守り役』本人も、己が守護した乙女の信頼を最後まで得ることができず、『クインティアの祝福』を受けられないまま、任務を終えることになった」
「…。」
それは、まぁ…自分を利用しようとする人のことを、信頼しろってほうが無理だよね。
そんなことを考えていて、ふと新たな疑問がわいてきた。
「アルフレインのお祖父さん…レディオスさんも、円さんから『クインティアの祝福』を受けたの?」
「ああ、そうだ」
「――あなた以外の6人の『守り役』の中で、いままでに祝福を受けられた人は何人いるの?」
私の問いに、アルフレインはふっと小さく笑う。
たったそれだけの動作で、再び周囲に甘やかな雰囲気を作り出した。
「…葵は本当に賢いな。
目の付け所がいいし、勘も鋭い」
「…。」
スルーします。
とりあえずスルーで、気がつかなかったフリ。
そこのムダメン、無駄に色気を垂れ流してないで、さっさと答えてください。
「祖父の妹、ファリス。
祖父の息子であり、俺の父のセルディス。
祖父の甥、アズライル。
……この三人だけだ」
「…ということは、レディオスさんの血筋の人だけってことだよね。
自分の身内にだけ祝福を得る機会を与えていてずるいって…他の人たちから責められたりしないの?」
「――葵、その質問に答える前に、俺からもひとつ訊きたいんだが…」
アルフレインを取り巻く空気が、急に変わった。
彼の声も、少し低くなっている気がする。
「…なに?」
不穏な気配に腰がひけそうになりながら、私はまっすぐにアルフレインの瞳を見つめる。
猛獣に弱気なところをみせてはいかんのです!
先に目を逸らしたほうが負けなのです!
(from 『サーカスの猛獣使い心得集』)
「お前は、誰の心配をして…その質問を思い浮かべたんだ?」
「…?」
「俺の身を案じてくれたのか? それとも、俺以外の誰かを心配しているのか?」
「……?」
「葵が俺以外の誰かのことを考えて言ったのなら……妬けるな、と思って」
その発言は、臨戦態勢で臨んでいた私の意気込みを木っ端微塵に砕いてくれた。
いやいやいや、アナタおかしいから。
今の会話の流れで、いったいどこがどうなって、そんな色ボケな発想に?
どう答えればうまく受け流せるのか…と、私が一瞬言葉に詰まった隙に距離を詰められた。
少しでも離れたくて後ろへ下がると、背中が壁にあたる。
アルフレインは私の肩の上辺りの壁に両手をついて、接近を止めた。
後ろには壁、両脇には彼の腕があって…閉じ込められた。
逃げ場が、ない。
圧迫感に耐えながら抗議しようと顔を上げて、後悔した。
憂いを帯びた美しい青の瞳を見た瞬間、冷静に考えることができなくなる。
「――葵、答えは?」
「…そ、それは…」
『た、たたたた、たいちょー!? ど、どどどどどうしましょう?』
『…なんだなんだ、落ち着きたまえ。君はいつも落ち着きがないね』
『落ち着いてられませんよ! どっちの答えにも地雷が埋まってるじゃないですか!』
『……まぁ、そうだよねぇ (ずずっと渋茶をすする)』
『奴のことを心配してたって言ったら、もっと桃色オーラを出されちまうじゃないですか!』
『……確かに、そうなるだろうねぇ (羊羹をつまむ)』
『他の人のことを考えてたっていったら、拗ねてもっと絡まれそうじゃないですか!』
『……ああ、ものすごくうっとおしいだろうねぇ (もぐもぐと咀嚼する)』
『どっちも嫌だぁあぁああああああ!! …って隊長他人事みたいに酷いです!』
私が答え倦ねていると、彼は右手を壁から離して、私の髪の毛に触れた。
彼の長い指が私の髪の毛をさらさらと梳く。
「――円の髪は、絹糸のように艶やかで触り心地がとても良かった…と…じじぃから何度も聞かされていたが、葵の髪の毛も触り心地がいいな」
下手に機嫌を損ねると、何をされるかわからない。
自分の生存本能に従って、当たり障りのない返答を返す。
「そ、ソウデスカ…?」
「冴子の髪質とは、全然似ていないようだが」
「……お母さんの髪の毛はジョージに似て、ふわふわの天然パーマだから」
「ジョージ?」
「譲二は、おじいちゃんの名前。
おじいちゃんって呼ばれると老け込んだ気がするから、名前を外人さんっぽく呼んでくれってお願いされてるの。
妻のおばあちゃんはジョージにとって最愛の女神で、娘と孫娘は可愛い恋人なんだって」
……そういえばあの祖父も、謎の思考回路の持ち主だ。
月に数回しか逢わないから、あんまり意識したことがないけど…『通い婚』を実践しちゃっている辺りも、世間一般の常識に拘らない自由人だと思う。
「面白そうな人だな」
「…。」
変人は変人の言動を好ましく感じるのか。
これで話を逸らすことができれば、地雷回答を言わずに済むかもしれない…と…私は祖父の話を続けた。
「ジョージは、英国人と日本人のハーフなの。
お父さんが英国人のお医者様で、お母さんが日本人の看護婦さん。
ひいおじいちゃんは大学の講師として日本に招かれて来日したんだけど、ひいおばあちゃんと結婚したから、大学を辞めた後は日本で開業して……その病院は、ジョージの双子のお兄さんが継いだの」
「ひょっとして、学生時代の冴子とも関わりがあるのか?」
「うん、当たり。
おばあちゃんの恩師が、ひいおじいちゃん。
昔は医学部は男子生徒ばかりで、女子学生を受け入れる体制は全然整っていなかったらしくて…いろいろと風当たりが強かったのを、ひいおじいちゃんとジョージがいつも庇ってくれたらしいよ」
アルフレインにジョージとおばあちゃんの話しながら、不思議に思った。
お祖父さんのレディオスさんからはいろいろと聞いているみたいなのに、お父さんのセルディスさんの話は聞いていないのか…と。
「セルディスさんは、私のおばあちゃんの『守り役』だったんだよね?
お父さんから話を聞く機会は無かったの?」
「――親父はクソ真面目だからな。
家族に昔の想い人の話をぺらぺら話すような性格じゃないし……それに、こちらとは時間の早さが違う」
語られた言葉の意味に気がついて、ハッとする。
おばあちゃんやお母さんにとっては、とうに過ぎ去った青春時代のいい思い出になっていても、異世界の人たちにとっては、まだ『昔』とはいえない時間しか経っていないのだろう。
異なる世界の時の速さの違いは、きっと…想いが強い分だけ辛い。
たぶん、同じ時間を一緒に過ごしていたことが、嘘みたいな奇跡だと思うくらいに……違うんだろうな。
「…葵?」
名前を呼ばれて、ふっと我に返る。
アルフレインが不機嫌そうな表情でこちらを見下ろしていた。
「俺が目の前にいるのに、またどこかに意識を飛ばしていたな」
形の良い唇が、美しい弧を描いて笑みの形をつくる。
「こんなに近くに居ても忘れられてしまうなんて……俺はどうすればいいと思う?」
彼の美しく整った顔は間違いなく笑顔を浮かべているのに、目だけが笑っていない。
深い青の瞳に宿っている剣呑な光は、まるで獲物に止めを刺そうとする獣のようだった。
「ごめんなさい。
『守り人』さんたちの世界とは時間の流れが違うことを改めて考えていたら、いろいろと…」
下手な嘘や誤魔化しは、きっと逆効果になる。
そう判断した私は、考えていたことをそのまま口にした。
「――きっと、私たちが今こうして一緒にいることも…アルフレインの人生の中では、いつか『奇跡のような一瞬』になるんだね」
私の口からぽろりと出た台詞を聞いて、アルフレインは一瞬目を見開き……深いため息をついた。
…え、何、そのリアクション?
私なにか変なこと言ったかな?
きょとんっと首を傾げた私の頬に、アルフレインがそっと触れる。
「……ずっと、お前を見守ってきた」
「…。」
「そのうち、見ていることしかできない自分が…嫌になった」
「…?」
「葵が泣いていても、困っていても、怪我をしたときも、俺は駆けつけることができなかった。
誰よりも一番お前の傍にいて、慰めて、抱きしめて、俺の腕の中で甘やかして育てたかったのに」
「…。(え、ココ感動するところ? 全身に鳥肌立ってるけど…)」
「葵が十四歳になれば、『守り役』として傍に行ける。それだけが救いだった」
「…。(いやいやいや、他にやることいっぱいあったでしょ? ずっと私のストーキングしてただけじゃないよね? そんなわけないよね?)」
「――ようやく葵と同じ世界に来て…やっと触れ合えるようになったのに、お前は俺以外のことばかり考えて…」
頬に添えられていた手のひらが一瞬離れ、彼の指先が頬から首筋をすっと撫でた。
私の身体が、ぞくりと震える。
「実物の葵は…俺の思い通りにならないところには苛つくが…想像以上に可愛いな」
くすくすと笑いながら、今度は私の髪をひと房すくいあげて口づける。
「見た目はとてもあどけなく可愛らしいのに、なかなか賢くて、とても勘がよく、この俺でもすぐには口説き落とせそうにない。
……初でまだ誰の色にも染まっていないところも、すごく魅力的だ」
「…。(何気に遊び人発言? …狙われてるのか、からかわれてるのか、どっちだろう?)」
「葵のすべてを俺色に染めれば、いつも俺のことだけを考えてくれる?」
アルフレインの華やかな笑顔と穏やかな口調に、うっかり頷きそうになってあわてて首を振る。
その台詞の内容は……うっかりミスでした…で済まなそうな気配がぷんぷんする。
ってゆーか、俺色ってナンデスカ?
それって、痴漢宣言?
彼は返答に困っている私の退路を再び塞ぐ。
後ろは壁、両脇は腕で囲まれて、正面は敵本体。
「…葵、嫌だとはっきり言わないなら…俺はもう遠慮しないよ?」
獲物に喰らいつく前の肉食獣のような獰猛な笑顔を向けられて、私が硬直したとき……正義の鉄槌が下った。
「――朝っぱらから人の孫に手ぇ出してるんじゃないよ、この駄犬が!」
彼の背後から脳天に竹刀が叩きつけられ、ゴチン!! …と、素晴らしく鈍い音がしました。
おばあさま、ナイスなタイミングです。
助かりました。 (ぐっじょぶ!)