004 振り仰げばカエル、その声はカエル?
自分以外誰もいないはずの部屋の中に、突如現れた声の主を振り仰いだ私は……震えそうになる身体と声を必死に抑えて尋ねた。
「――あなた、誰?」
恐怖や警戒心よりも、驚きが勝る。
『美しい』ということは、『力』を持つことなのだと…識った。
圧倒的な存在感と神々しいと思うほどの気品に圧倒される。
今まで見たどんな人よりも、整った容貌の…美少年と美青年の境目にいる、美しい人。
スラリと背が高く、線は細め。
女性にも見えるけど、男性としか思えないのは、どこか硬質な雰囲気がするせいかもしれない。
蜂蜜色の長い髪は光を内包しているように輝き、白磁の肌を無造作に覆っている。
長い睫毛に縁取られた深い青色の瞳には、どこかこちらの反応を楽しんでいるような色が浮かんでいた。
華やかな微笑みを浮かべている口元には、長く骨ばった指が当てられていて、まるで噴出すのを堪えているようにも見える。
彼の白い詰め襟の服には、様々な意匠の小さなブローチ(?)と金糸の総が飾られていた。
魔法のように現れた男…と…考えた瞬間、嫌な予感が頭をよぎった。
そう、いつだって嫌な予感は、大抵当たっている。
私はできるだけ冷たい口調で、再び同じことを尋ねた。
「――どちら様でしょうか?」
彼は私の質問に目を瞠る。
「葵、俺のことがわからないのか?
トイ・プードルの姿でなくても、声は同じだろう?」
返ってきた言葉は、私の嫌な予感が的中したことを証明していた。
ああ、嫌な予感が当たってしまった。
できれば、外れていて欲しかったのに…。
「――さっきは自分から俺を抱き寄せたりして…すごく積極的だったのに、急につれなくなったな」
からかうような含みを帯びた台詞を聞いて、カっと頭に血が上る。頬が熱い。
「…っ!
そ れ は、あなたが犬の姿だったからです。
…っていうか、いきなり消えたと思ったら、なんで人の姿に?」
「一族を代表して正式に謝罪をするには、正装で臨まねばならないと思ってな」
「は?」
「だから、葵の祖先に対する仕打ちに対して…」
ごちゃごちゃと理由を述べ続ける金髪碧眼男の言葉は、私の耳を素通りしていく。
もともと親類縁者や親友の兄のお陰(?)で美形慣れしているから、最初の衝撃を乗り越えれば平常心で応対できる。
『隊長! こいつ天然ですかね? それとも全部計算ですかね?!』
『…さぁ、どうだろうなぁ。 やんごとないご身分の方の思考は、一般市民には理解できんよ』
『どっちだとしても、腹立たしいことには変わりないんですけどね!』
『……まぁ、気持ちはわかる。 よくわかるぞ。 だが落ち着け、体力も攻撃力もあちらが上だろう』
『負ける戦だとわかっていても、ここは闘うところでは!? 偉い人にはそれがわからんとです!』
『…まぁ、待て待て。最後に笑っている者が勝ちなのだ。 勝ちを焦ってはいかん』
脳内会議で『不戦』が決定したので、私は口撃を諦めた。
でも怒りは収まらなくて、相手を睨みつける。
美形だからって、容赦なんてしてあげないんだから。
「葵…犬の姿ではない俺のことは、嫌いか?」
わんこの姿のときと同じように、小首を傾げて尋ねてくる。
でも、ふわもこの姿ではないので、私の心は全然ときめかない。
「…葵…?」
わんこの姿のままだったら、きゅーんきゅーんと鳴いているような声音で、私の顔を覗き込んでくる。
延々といたぶる趣味はないから、私はストレートに謝罪を要求した。
「――まず、きちんと謝って」
「…?」
「ちゃんと『着替えてくる』とか、言ってくれれば良かったのに。
あなたのことも、あの話も、全部夢だったのかと思いながら、部屋の中を一生懸命探したんだよ?
……もう会えないのかと思って寂しかったし…」
ふわもこの毛をもっと撫でたかったから、と言葉にする前に抱き寄せられた。
背の高い彼の腕の中に、すっぽりと私の身体が納められてしまう。
「葵、心配をかけて…驚かせて…ごめん」
「ぃやっ、痛い! はなして」
ぎゅーぎゅー抱き締められて、苦しい。
彼の腕から逃れようとしたけれど、ビクともしない。
女の人に抱きしめられるとふわふわで気持ちいいのに、男の人の身体は硬いし骨があたるから、力の加減をしてくれないと本当に痛い。
「は な せ !」
怒気をこめて命令口調で言うと、やっと離してくれた。
強く私を拘束していた腕から脱出して、少し距離を置く。
猛獣を躾けるには弱気なところを見せてはいけない…と…どこかで読んだ。
確か『サーカスの猛獣使い心得集』という題名だった気がする。
自分の身の安全のためにも、ここはがんばって気丈に振舞ってみよう。
「自分の名前も名乗らずに、謝罪するつもりなの?」
私はつんっと顎をあげて、腰に手をあててみた。
上から目線で偉そうに…って、こんな感じ?
どうでしょう?
チラっと様子を窺えば、頬をほんのり染め、愛おしむような甘ったるい視線でこちらを見つめている。
……怖っ!! (逆効果!?)
思わず後ずさりしそうになった私の足元に跪くと、彼は流暢な口調で名乗りを上げた。
「俺の名は、アルフレイン・エル・サークリッド。
偉大なる魔導士レディオスの弟子にして、七聖王家に連なる者であり、次期聖王候補の一人。
七瀬葵の『守り役』の任を拝命し……お前を護る騎士であり、教え導く師として、今、ここにいる」
彼の熱を帯びているような視線と甘やかな声に囚われて、動けない。
「七聖王家の一員として、一族が犯した愚かな残虐行為を…心からお詫びする。
喪われた命は取り戻せないが、二度と同じ過ちを犯さぬ。
聖王家の継承権争いに、決して七瀬を…民を巻き込ないと誓う」
宝石のような深い青色の瞳から、目が逸らせない。
「――葵、どうか『許す』と言って欲しい」
蛇に睨まれて動けないカエルって、こんな感じ?
…なんて、頭のどこか冷静な部分で考えていた。
『…いかんいかん、顔が近いがや!』
『あー、そういえばそうっすねー。でもこのヒトに言っても無駄じゃないっすかー?』
『…そんなに近寄ったらいかんがね、やめやあ…って言わな!』
『んー、ほんじゃ、まぁ、実力行使で…』
脳内会議にて、名古屋弁のおばちゃんにチンピラ風の私は負けた。(どっちも私なのだけど)
おばちゃんに「男女七つにして席をおなじゅうせずって言うやろー?」等々、引き続き熱い声援を送られながら、ガっと右手を突き出して彼の額を押し返す。
「顔が、近すぎる」
端的に理由を述べて、彼の謎の気迫に呑まれないように、ぐっと目に力を入れた。
「――もっと離れて。
そんなに近寄らなくても、ちゃんと聞こえてるから」
「……。」
なんですか、なんなんですか、その不満そうな顔は。
理由を端的に400文字以内で述べよ、と言いたい。(言わないけど)
正座させて、日本人の奥ゆかしく礼儀正しい人付き合いについて勉強させたい。(全部他人任せで)
綺麗なヒトは、不機嫌な表情をしていても醜悪な顔にならないんだなぁ…なんて感心しつつ、数秒間は互いの力が拮抗していた。
ギギギギギと音がしそうなくらい睨みあう攻防の中、彼が一瞬その美貌に影を落としたことに目を奪われた瞬間、ふっ右手にかかっていた抵抗感が消えた。
…あ、れ?
相手が後ろへ後退したのだと気がついたけど、前へ前へと右手に力を込めていた私はそのまま前方へ倒れ……。
「――自分から俺の胸に飛び込んでくるなんて、大胆だな…葵は」
再び奴の腕の中に捕獲されてしまった。
「ちっ、ちがいます。
…っていうかあなたワザとやったでしょ!?」
「アルフレイン」
「…?」
「名前で呼んでくれないと、言うこと聞いてあげないよ?」
「なに、言って…」
「俺の名前…呼んで?
葵の声で、呼ばれてみたい」
耳元で囁かれる言葉、熱い吐息に、身体の芯がゾクゾクと震える。
や…やだ、足に力が入らなくなってきた。
混乱する頭と変調をきたす身体に私が泣きそうになったとき、バーンと音を立てて勢いよく部屋のドアが開かれた。