002 ご先祖さまと魔法使いの恋
お互いに黙って見つめあったままでは、埒が明かない。
私は今聞いたことをいったん思考の外に追いやって、目の前のふわもこなトイ・プードルを抱き上げた。
「…おい、何をしている?」
「スイッチとか、ジッパーみたいなものが付いてるのかなぁ…と。
知的好奇心が疼くの」
私はそう答えつつ、わんこを撫で回す。
…嘘です。
ごめんなさい。
本当は単に触りたいだけです。
ふわふわもこもこの毛並みは柔らかくて、手触りが最高だった。
わんこはオニキスのようなつぶらな瞳で、私を見上げる。
「くすぐったいから止めろ」
「…あなたに触っちゃだめなの?」
「だめじゃないけど、今は話が先だろ?」
「聞かずにこのままスルーしたいんだけど、だめ?」
「――『喋る犬』である俺のことは怖がらずに触れられるのに、魔法少女はダメなのか?」
ぬいぐるみのような、ふわもこのトイ・プードルの表情はよくわからない。
だけど、その声音から『苦笑い』しているような印象を受けた。
「私、今日で14歳になったんだよ?
この年で『今日からあなたは魔法が使える、魔法少女です』って言われても……喜ぶのは、幼稚園とか小学校低学年ぐらいの、もっとちいさい子じゃない?
ずいぶん昔のことだからあんまりよく覚えてないけど、私がTVアニメで見たことのある魔法少女は、魔法のステッキで華麗に変身! …はいいけど、元の服は何処に収納されたの? とか、衣装がふわふわひらひらの丈の短いドレスみたいなやつで、ソレは激しい活動には向いてないんじゃない? とか、いろいろとツッコミ処が満載だった気がするよ」
「――葵はちっちゃい頃から、現実主義者だったからな」
なんでそんなことを知っているのか…とは訊かずに、私は話を続ける。
「子供心にも、ソレおかしいよね…とか…いちいちツッコミを入れたくなることが多くて、見ていてすっごく疲れたし……そんなものに自分がなったって言われても困る。
迷惑だし面倒そうだから、期間限定なんて言わずに、今すぐ終了でいいよ?」
あなたとさよならしなくちゃいけないのは、ちょっと残念だけどね……って付け足して言うと、わんこは小首をちょこんっと傾げて言った。
「――葵の言い分はよく理解できるし、俺としてもその方が楽なんだが…『魔法が使える状態』を解除するためには、条件があるんだ」
「条件?」
「『好きな人と、想いが通じ合う』まで、葵は期間限定で魔法が使える。
それが解除の発動条件。
誰かと両思いになれたら、葵は魔法少女ではなくなる」
「……なにそれ? 私の恋が成就する日まで、強制?
私、好きな人いないよ?
…そもそも魔法なんて私には必要ないし、そんなこと言われても困る」
「葵にとって迷惑なのは、よくわかる。
でも、それが俺の師匠とお前の先祖が交わした『約束』なんだ」
わんこは私を慰めるように、私の手に自分の頭をすり寄せた。
ふわもこの毛並みが私の肌に優しく触れる。
一方的にいやだいやだと言い続けている自分が、なんだかだだをこねている子供みたいに思えてきた。
かといって、喜んで受け入れることもできなくて、私は話の矛先を変える。
「――私のご先祖さまが、望んだことなの?」
「…ああ、そうだよ。葵より七代前の、七瀬の当主が望んだことだ」
「七代前って…江戸時代?
当主の代替わりをどこで判断するのかわからないけど、一代を四十年と考えると……三百年くらい前?」
私の言葉に、わんこは頷く。
「今から304年前、1707年の冬に富士山の噴火が起きた。
師匠は噴火のエネルギーを少しでも抑えようとして、大怪我を負った。
異世界に現出する際には、その国の民の姿に見えるように容姿も服装も幻術でカモフラージュするものなんだが…瀕死の重傷で、それらの術も解けてしまい、故郷に助けを求めようにも魔力が枯渇していて叶わず……と、本当に絶体絶命の危機だったそうだ」
異世界、という言葉があまりにも普通に語られた。
もしもし、お犬さま?
それひとつだけでも世界びっくり仰天な出来事ではないですかね?
別途詳細な説明を求ム…と言いたかったけど、実際にこと細かに語られるとそれはそれで面倒くさい気もしたので、私は別口から攻めてみることにした。
「セーレン・ティーアって…地名じゃなくて、あなたの世界の名前なの?
――こちらの…異なる世界の自然災害に介入してきたのは、ひょっとして…噴火がそちらの世界にも影響するから?」
「うん、その通り。葵は賢いな」
わんこは、目を輝かせてしっぽを振っている。
うわ~、かわいい! 撫で回したい!!
私は両手がむずむずするのを、ぐっと堪えた。
「異なる世界といっても、位相が近い場合、互いに影響を及ぼすんだ。
普段はいろんな規制があるけれど、大災害の発生時は規制が大幅に緩和され、自然エネルギーを操れる力を持つ者の『界渡り』も許される。
師匠は当時まだ駆け出しの新米だったけれど、潜在能力の高さを買われて参加した」
ふむふむ?
大きい自然災害のときは、自分の世界にも被害が及ぶから、それを抑えるために通常より緩い規制にして、力のある魔法使いを異世界に送り込んだ…ってことか。
「当時のこの国では、黒髪黒目の容貌を持つ者だけが『人間』で、それ以外は人ではなく…悪鬼妖魔の類『鬼』だと認識されていたから、師匠は人里に下りて助けを求めることもできなくて、深い森の中で一人で死を待っていたときに、円が師匠を見つけた」
「…その子が、私のご先祖さま?」
「そう。七瀬円は当時まだ5つの子供で、金髪碧眼の者に対する先入観が少なかった。薬種問屋の跡取り娘で薬の知識があり、好奇心旺盛で、人懐っこい円は、森で見つけた怪我人を放っておけず毎日看病に通った。
円の適切な処置によって、師匠は動けるまで回復したが、瀕死の重要を負ったことにより、体内の魔術回路が断絶されていて、異なる世界へ飛ぶ『界渡り』のような大きな魔法は使えない状態だった」
「…。」
わんこの語る、ご先祖さまと新米魔法使いさんの話を聞いていて、ふと思う。
傷ついた男性を助けた少女。
物語のストーリーとして考えるなら、次は恋愛ロマンス?
「――師匠は魔術回路を体内に再構築する間、幻術で黒髪黒目の日本人に扮して、円の家に住み込みで働かせてもらい、仮の居場所を得ることができた。そうして7年後…自分の世界へ帰るための準備が総て整った時、円に『何か恩返しをさせて欲しい』と申し出た」
「…。(あれ、ロマンスは?)」
「円は、自分も連れて行って欲しいと…お嫁さんにして欲しいと言ったらしいが、それは『界渡り』が許された魔導士にも絶対に許されないことだったんだ」
「(ロマンスきたー!)
…異世界に渡れるのに、異世界の人との結婚は禁じられてたの?
どうしてダメなの?」
「優秀な魔導士を輩出する家系は、一子相伝の特殊な魔術回路を継承してゆくんだ。
異世界人と交われば、その魔術回路が壊れてしまうらしい。
だから、異世界人との婚姻は禁じられていた。
…二人がどんなに想いあっていても、ダメだったんだ」
「…それで、どうしてこんな『恩返し』になっちゃってるの?」
両想いでも結ばれることのなかった二人は気の毒だと思うけど、子孫の迷惑も考えて欲しかったです。
私の問いに、わんこはふぃっと視線を横にずらした。
「――円が…」
「ご先祖さまが?」
「私の恋心を、7年分の想いを、貴方は打ち捨てて一人で故郷へ帰るの!? ……と、激怒したらしい」
「…。(ご先祖さまも、強気な女だったんだ~)」
「貴方が私の夫になれないというのなら、私が貴方を忘れることができるまで、貴方と同じくらい私を愛してくれる人が現れるまで、傍にいて欲しい…と、泣きながら頼まれて…」
「……その通りにしちゃったんだ?」
「そう」
「…甘いね、その魔法使いさんは」
「そうだな」
うぅ…甘いお菓子を食べ過ぎたような気分がしてきた。
「円のソレが、命を救ってもらった『恩返し』としてカウントされ、7年間師匠に居場所と仕事を与えてくれた『恩返し』として、七瀬の直系の女子七人に円と同じ権利が受け継がれることになったんだ」
…え、そんな理由?!
「……恩返し、大盤振る舞いすぎじゃない?」
「…確かに、俺もそう思うが…じじぃ…じゃなかった、師匠は自分の懐に入れた奴には激甘でな」
「…そう…なんだ?」
「そうなんだよ」
ふぅ。
私たちは同時に乾いたため息をついた。