011 編入試験、開始
篠宮家の玄関で、恒例行事(?)となっている『鞠子おばさまの熱烈歓迎 (抱きしめられ・頭を撫でられ・褒め殺しにされる)』を受けてから、試験会場となる貴志おじさまの書斎へ案内してもらう。
遼兄さんと玄関の前で別れてご機嫌だったアルフレインは、私と同じく鞠子おばさまの熱烈な歓迎を受けた後、籠の中でぐったりと丸くなっていた。
[ ……なんなんだ、この女の有無を言わさぬ勢いとパワーは… ]
[ 鞠子おばさまは、可愛いものが大好きな人だから ]
私は苦笑しながら、言い添える。
[ 悪い人じゃないんだけど、ね ]
鞠子おばさまに案内していただいたお礼を言って、私はドアをノックした。
中からの応答を確認してから、書斎のドアを開けて一礼する。
部屋の中に招き入れられた私は、鞄と籠を床に置いてから、先に到着していた青陵学院の先生らしき二人に向けてお辞儀をした。
「――はじめまして、七瀬葵と申します。
本日はお忙しい中、ありがとうございます。
祖母が無理を申したそうで……ご迷惑をおかけしますが、よろしく御願いいたします」
初対面の大人の男性を前に緊張しながら挨拶をして……顔をあげた。
ソファに腰掛けたままの人は、ライトグレーのスーツを着ている。
銀縁眼鏡の奥の瞳は、冷ややかな光を湛えて私を見ていた。
ソファから立ち上がって私を迎えてくれた人は、眼鏡の人とは真逆な笑顔を浮かべている。
ワイシャツにネクタイ…と…白衣を着ていた。
この人は理科の先生か保健医さんかな?
…と思った瞬間、拍手をされた。
「――綺麗なお辞儀でした。
流石は聖ラファエラ学園の生徒さんですね」
「ありがとうございます」
拍手されるほどのことはしていないんだけどなぁ…。
内心、ちょっと退きつつ、曖昧な笑顔を浮かべておく。
「申し遅れました。僕は、鏡恭一郎。
青陵学院の教師で、理科を教えています。
こちらで大人気なく仏頂面を晒しているのは、氷川清司。
同じく青陵学院で数学の教師をやってます」
「…かがみきょういちろう先生と、ひかわきよし先生ですね」
私が忘れないように復唱すると、銀縁眼鏡のひかわ先生が不機嫌そうな口調で言った。
「――教師の下の名前まで覚える必要はない」
「えー?
漢字でフルネームをしっかり覚えてもらったほうがいいじゃないですか。
平仮名で記憶されちゃうと、氷川先生のかっこよさが目減りしますよ?
…笑いはとれるかもしれませんけどね」
ひょっとしてそっちが狙いですかー? …なんて言いながら、かがみ先生はにこにこ笑っている。
ひかわ先生にものすごい目で睨まれているのに、全然気にしている様子がない。
「――氷川の『ひ』は氷、『かわ』は三本線の川。『きよし』は清らかに…司ると書く」
「僕の『かがみ』は、姿を映す鏡。
『きょういち』は…恭しいとか恭順の恭に、数字の一だよ」
渋々と氷川先生が説明した後、鏡先生も漢字を教えてくれた。
「ご丁寧にありがとうございます」
お礼を言いつつ、私の名前の漢字を説明する必要があるのか気になって、鏡先生に視線を向ける。
私の目線に気がついた鏡先生が、苦笑しながら教えてくれた。
「僕らは君の名前だけじゃなく、幼稚舎から初等部…それに中等部の通知表のコピーも頂いているから、大丈夫」
「……そんなもの、いつの間に…」
思わずこぼれた私の呟きに、氷川先生が答えてくれた。
「お前に青陵の編入試験を受けさせたいという話は、去年の秋から打診されていたんだ。
こちらとしては、今年の3月頃までに済ませて欲しかったんだが、どうしても事情があって…孫が十四歳の誕生日を迎えるまでは、青陵に転校させる話すらできないから、直前まで待って欲しいと。
挙句の果てに、孫は人様に注目されることが苦手な箱入り娘だから、人目につかないよう特例で篠宮家で試験を受けさせろとか……どこまでずうずうしいんだ、あの婆。
うちの爺さんも爺さんだ。
昔のネタで脅された途端、ほいほいと許可を出しやがって…」
「…。」
いろいろと迷惑かけられて、お腹立ちなんですね。
よくわかります。
ええ、孫の私も常日頃からいろいろと…(遠い目)
でも、大人として、生徒 (になるかもしれない私) の前で不機嫌丸出しなのもどうかと思います。
それにしても、おばあちゃんに『昔のネタ』で脅されたって、どういうことなんだろう?
「…あの…氷川先生は、私の祖母をご存知なんですか?」
恐る恐る問いかけてみると、答えは鏡先生から返ってきた。
「ご存知もなにも。
冴子先生は、コイツの主治医だったんだよ。小さい頃の話だけどね」
「…そうだったんですか」
「うん、そうなんだ。
コイツ、小さい頃は病弱でさ~。
しょっちゅう高い熱を出して寝込んでいてね。
冴子先生には診療時間外に診てもらったり、いろいろと世話になってたから、今でも先生には頭あがらないんだよ」
「…。」
ちらっと氷川先生の様子を窺うと、一瞬目が合う。
でもすぐに顔を逸らされた。
「――そういえば、冴子先生の旦那さんが、篠宮家の人だっていう話を聞いたんだけど…?」
鏡先生の言葉に、私は頷く。
「はい。
私の祖父は、篠宮家当主の双子の弟なんです。
医師としても、篠宮家で暮らすほうが病院に近くて都合がいいから…と、祖父の暮らしの場は今でもこちらで、七瀬には月に何度か遊びににくるくらいです」
「へぇ、そうなんだ」
感心したような口調で相槌を打つ鏡先生に、氷川先生が冷たい一瞥を投げて言った。
「…俺はそんな話には興味がない。
そろそろ仕事をさせてくれないか?」
私個人が嫌われている…というよりは……極力七瀬とは関わりたくないって感じなのかな?
まぁ……変に気を遣われて、贔屓されるよりはずっといい。
無理矢理にでもプラス思考!
空元気もいい元気!
心の中で自分を励ましながら、自分の腕時計を確認する。
時刻は九時十八分。
「――先生方は何時に着いたんですか?」
「九時五分頃だな」
氷川先生の即答に、このひとA型かなぁ…なんてふと思う。
「着いた早々申し訳ないけど、試験開始は9時半でいいかな?」
鏡先生の言葉に、私はこくんと頷く。
「試験時間は、各教科共通で45分。
国語、数学、英語、社会、理科の順に行う。
休憩時間は15分、昼食の休憩は1時間。
…昼休憩は、数学の後と英語の後、どっちがいい?」
淡々とした氷川先生の説明の最後に質問があって、ちょっと首を傾げる。
どっちでもいいんだけど、そう言うとかえって迷惑かなぁ…。
「…先生方に差し障りがなければ、英語の後でお願いします」
迷いつつ答えると、鏡先生が笑った。
「僕らは交代で休憩をとれるから、そんなに気を遣ってくれなくても大丈夫だよ」
「……ありがとうございます」
鏡先生の言葉に頭を下げてお礼を言うと、すごく驚いた顔でじっと見つめられた。
「…?」
氷川先生も同じような顔をして、私のことを見ている。
「あの、何か?」
「ああ、ごめんね。今の笑顔とお礼…素だよね?
……いや、ちょっと…というか、かなり冴子先生と違うタイプなんだなって」
「…おばあちゃんと…ですか?」
鏡先生の言葉に、私は首を傾げる。
「七瀬の女は皆とても美しく非常に賢いが、我がままで人に傅かれるのを当然だと思っている…っていうのが、通説だからな」
氷川先生から、ため息交じりの補足が入った。
「…そうなんですか? 初耳です」
ああ…でも、おばあちゃんや美鈴叔母さんになら、当てはまるかも。
医者と女優って職業の違いはあっても、二人とも『女王様』タイプだしね。
モデルをやっている従姉は我がままじゃないけど、信奉者がたくさんいるからなぁ…。
「――いや、本当にごめん。
コイツが言った『通説』だっていうのは、相手にされなかった男達の下馬評だから、気にしないでね」
「……試験前に生徒の心を乱すようなことを言うのは、確かに教師としてどうかと思うな」
「うわ、汚いな。
ここで反撃に出てくるるわけ?」
「お前が失敗ったことを、指摘しただけだが?」
「冴子先生と全然似てなくて、すっごく可愛いなー…って思っただけで、他意はないって!」
「……お前、更に自分で墓穴を掘ってどうする?」
「…?!」
二人でものすごく盛り上がっていて私が口を挟む隙もないので、鞄と籠を持って一人で貴志おじさまの机の前に移動した。
飴色の木目が美しい机の上に鞄を乗せ、籠は足元に置いた。
籠の蓋の隙間から、こげ茶のトイ・プードルが顔を出す。
[ ――葵、緊張してるのか? ]
[ …うん、ちょっとね。
聖ラファエラの先生はみんな女性だったから、よく知らない男の人と話すのに慣れてないし……これから試験もあるし… ]
私は苦笑いしながらわんこの頭にそっと手を伸ばして、ふわふわの毛を撫でる。
そうやっていると、少しだけ落ち着いてきた。
見咎められる前にわんこから手を放して椅子にきちんと座り、鞄の中から筆記用具を取り出す。
準備を整えてから改めて腕時計を確認すると、九時二十七分。
視線を上げると、じゃれあい(?)が終った鏡先生が部屋から退出し、氷川先生が黒いアタッシュケースから書類を取り出しているところだった。
きっと、あれが編入試験の問題用紙だ。
氷川先生がゆっくりと机の前に立ち、問題が書かれていない面を表にして机に置く。
「試験監督として、俺と鏡先生が交代でこの部屋に残る。
試験の始まりと終わりの合図は口頭で知らせる。
合図があったら、すぐに筆記用具を置くこと。
……何か質問は?」
「ありません」
私は短く答えて、時計の秒針の音に耳を澄ます。
カチカチカチカチ。
規則正しい音に耳を傾けていると、余計なことが頭の中から抜け落ちてゆく。
今私がやるべきことは、編入試験の問題と向き合うこと。
「……はじめ!」
氷川先生の合図とほぼ同時に、問題用紙をめくった。
ピンっと張り詰めた空気の中、第一問目の問題に目を走らせる。
――瞬く間に前半の編入試験(国語・数学・英語)を終えて、私は遅いお昼の休憩に入った。




