第7話 皇女和宮と公望
この話は史実をもとにしたフィクションとして書かれております。
皇女和宮。
皇女和宮は1846年生まれで、公望よりも3歳だけ年上。
公望から見れば姉のような存在、一方、睦仁親王は弟のような存在で、よく遊び相手にもなっていたという。
そんな中、「公武合体」と称して、将軍、家茂に和宮を嫁がせ、この政略結婚によって、朝廷と幕府の関係の融和を図ろうという話が、もちあがっていた。
そんな中、和宮と、公望と、睦仁の3人は、密かに御所を抜け出し、都の外の、山並みが近くに見える、とある農村までお忍びで来ていた。
どうやら御所を抜け出す手引きをしたのは公望らしいとのことだった。
「和宮様ー!睦仁様ー!公望様ー!」
お付きの女たち、さらには男たちもほうぼうを探しまわるが、見つからない。
「ああ、困りましたわ。お三方はいったいどちらに…。」
その頃、和宮、睦仁、公望の3人は、農村の家々や、田畑が見渡せる原っぱに寝っころがり、それから座り込んだ。
「まったくよお!公武合体だか何だか知らんが、こんな政略結婚なんて、好きでもないような相手と無理矢理結婚させられるなんて、そんなこと、勝手に決めやがって…!」
まず第一声を発したのは公望だった。
実際に公望と和宮の間に直接の交流があったのかどうかは知らない。
ただ当時、皇室の人たちや公家の人たちは、主に京の都の御所の中で生活を共にしていたため、顔を見かけたことくらいは、あったのではないか。
「公家には公家の、武家には武家の、しきたりがある。それはわかっておる。
ただな、いつまでも公家だの武家だの、幕府だの攘夷派だのといって争っているうちに、そのうち本当に、この日本が西洋の列強の領土にされてしまって、日本がどこの国だかわからないような、わけのわからない国にされてしまうのが、目に見えておるから、それを何とかしたいとは、誰もが思っておるところなのだが…。
ただ、この政略結婚という手段は、いかがなものなのかと…。」
公望がそこまで話したところで、和宮が、
「公望や。本当はこの姉様に、どこにも行ってほしくない、ずっと公望や、睦仁の側にいてほしいと思ったから、だからこのような、御所を抜け出すようなことをしたのですね。」
和宮がそこまで話した後は、続いて睦仁が話す。
「私は、睦仁は、次の帝になるなどと、周囲からはやしたてられておるが、
私はまだこのとおり、幼い。それゆえ、実のところは、飾りもののようなものであろう。
実権を握るのは、岩倉や、その息のかかった公家たちであろう。
そう思うと、なにやらむなしくなってしまってな…。」
睦仁=後の明治天皇はこう言った。
さらに公望が言った。
「ああ…。いっそのこと、面倒なことは何もかも放り出して、このままこの3人で、この農村で農業でもやりながら、気ままに暮らしてみたいな…。」
堅苦しいしきたりの中にいる、身分の高い者ほど、実は意外と、一般庶民の生活に憧れていたりするもの。
もちろん、身分や地位に固執する者たちもいるが、少なくともこの時のこの3人は、そう思っていたそうな。
やがて、真ん中に和宮、左右に公望と睦仁が、3人そろって並び、やがて、公望と睦仁が和宮の体に寄り添うような形で、気がついたら黄昏時を迎えていた。
そして、その夜のうちに、誰にも気づかれないようにして、いつの間にか帰宅していたという。
公望はその時、忍び足のスキルを使っていたというが…。
「ただいまー!」
「ただいま戻りもうした。」
「ただいま戻りもうしました。」
「和宮様!睦仁様!公望様!いつのまにお戻りで?いったい今までどちらに…?」
お付きの者たちは、まるでキツネにでもつままれたような気分になっていた。
それからまもなく、和宮は、14代将軍、家茂に嫁ぐため、嫁入り行列とともに、江戸へと旅立っていった。
「姉様ー!姉様ー!」
公望と睦仁は、和宮の嫁入り行列に向けて、いつまでも、いつまでも、呼びかけていた…。
公望と和宮が出会ったのは、それきりだった。
ただ、公望は当時から、和宮の兄である孝明天皇の側近として仕えていた経緯から、もしかしたら和宮とも、このような関係があった可能性があると、一説にはそう言われている。
その後、2人は、幕府側と討幕軍とに分かれ、否応なく幕末の戦いの渦に巻き込まれていくことになっていく…。
公武合体推進派には、公望の父の徳大寺公純もいたという。
その推進派の中でも、徳大寺公純は、朝廷側の中心的存在といってもいいほど熱心に推し進めたという。
一方の幕府側の中心的存在となっていたのは、井伊大老亡き後、老中となっていた安藤信正だったが、この公武合体は各方面から反発を受け、安藤信正は後に坂下門外の変で襲撃されることになってしまうのだった。
一方、皇女和宮の嫁入り行列は、京の都を出立した後、伊勢から尾張、三河を経由して、駿河、遠江、相模と進んでいた。
「和宮様、こちらは日の本一の山、富士山にございます。」
「あれが富士の山なのでございますか…。」
相模に入ると、今度は小田原に入る。
「こちらが小田原城にございます。
戦国時代に、北条早雲を祖とする、後北条氏が築城し、
その後江戸の初期には稲葉正勝の居城になった由にございます。」
「あれが小田原城、さようであったか…。」
皇女和宮の嫁入り行列は、小田原から、さらに鎌倉、横浜へと入り、ついに江戸にたどり着くのだった。
そして、江戸でも、この皇女和宮の嫁入り行列を一目見ようとする、大勢の人々が出迎えた。
「あれが皇女和宮様の嫁入り行列で…。
いや、噂通りの、絢爛豪華な行列ですな。」
そして嫁入り行列は、いよいよ江戸城へと向かっていく。