明治初期の新宿で果たし合い!
ここから先の話は、全く史実通りではなく、むしろ作者のオリジナルの創作です。
あらかじめご了承の上で、お読みください。
明治初期の新宿。
そこは、現代の高層ビル群が建ち並ぶ光景とは異なり、田畑や森林、原野が広がり、キツネ、タヌキ、シカやイノシシ、さらにはカワウソまで住んでいるという、未開の地だった。
その、明治初期の新宿では、果たし合いと称した斬り合いが日々行われていた。
公望は公家でありながらも、公家の作法を嫌い、武家のようないで立ちをすることが、しばしばあった。
「江戸、東京といっても、板橋とか、内藤新宿のあたりは、建物なんかもそれほど多くはないようだ。」
このあたりにも大名家の江戸藩邸などがあったが、明治以降になると住む人もいなくなり、屋敷は荒れ放題。
そんな人里離れたところに目をつけて、無法者たちが縄張りを築くようになる。
現代の高層ビルや商業地域、ショッピングモールなどが建ち並び、
また、歌舞伎町などは、今や歓楽街となっているような光景からは、
とても想像がつかないような、うっそうとした森や、原野が広がる、未開の地だった。
新宿だけでなく、中野より向こう側や、武蔵野、そしてなんと今の渋谷のあたりも、
当時は農村や森林や原野といった風景が広がる地域だった。
そんな地域を縄張りとし、ゆくゆくは明治新政府の転覆を企てるような輩もいた。
その輩こそ、『志々尾一派』、そしてその『志々尾一派』を率いるのが、
志々尾一雄、またの名を、志々尾以蔵ともいった。
東京 西園寺邸
その日、公望は、東京の西園寺邸にいた。その時間は特にすることもなく、くつろいでいた。
そこに、報告係からの報告が入る。
「公望様。『志々尾一派』なる者どもから書状が届いております。
これは、『果たし状』と書いてあります。」
「果たし状だと!?」
公望と志々尾一派には、面識は無かったのだが、要するに明治新政府の要人と名がつけば、誰でもよかったということなのか…。
「果たし合いの場所は新宿だな。」
「いけません!公望様は明治新政府の幹部候補生として、将来を嘱望されているお方。
それに、あの志々尾一派なる者たちは、その悪行たるや、とどまるところを知らず、
略奪や殺戮、放火など、やつらの通った後には、死体が山と積まれると聞きます。」
「だからこそ、明治新政府の将来を担う者として、そのような連中をのさばらせておくわけにはいかないのでな。」
「公望様…。それならば、お供を連れて行かれてはいかがでしょう。
我々もお供いたしましょう。いつでも助太刀いたしますぞ!」
「うむ、そうか…。」
そして、公望と供の者たちは、志々尾一派が待ち構える、新宿の荒れ野へと向かった。志々尾一派は、どうやらこのあたりを根城にしているらしい。
「おーい!来てやったぞ!志々尾一派!出てこい!」
そして志々尾一派が姿を現すが、
「これは、思ったより人数が多いな。
50人か、いやそれ以上かな、100人近くか…。
やつらまるで軍隊だな。
これはまるで戦だ。戦をしようという構えだ。」
「しかし、たとえ人数が多くとも、大将の志々尾一雄こと、またの名を志々尾以蔵というやつを倒せばよいのだ。」
「しかしなぜ、志々尾一雄と、志々尾以蔵と、二つの名を名乗っておるのだ!?」
「一雄は本名、以蔵の方は、かの有名な『人斬り以蔵』からとっているんだそうだ。」
そんな話をしているうちに、大将の志々尾一雄こと、志々尾以蔵が姿を現した。
「お前が、明治新政府において、将来を嘱望されているという、西園寺公望か。
なんでも、公家のくせに、武家のように刀を携えていると聞いたぞ。」
公望は志々尾に話しかける。
「お前たちはなにゆえこのようなことをしておるのだ!?
そして、なにゆえ私に、果たし状を送り付け、果たし合いを申し込んだのだ!?」
公望の問いかけに志々尾は、
「なぜだあ!?お前のその剣の腕を見ておきたかったのさ。
そうだ、一ついい話をしよう。
あの幕末の動乱、徳川幕府の権威が失墜し、混乱へと向かっていったあの時期。
その混乱に乗じて、徳川にとってかわろうとする、我らのような者たちにとっては、この幕末の動乱というのは、まさに好都合だった。
なにしろ応仁の乱、戦国の世以来の動乱の時代だ!
ところがいざ蓋を開けてみると、動乱はおさまり、明治政府なんてものができちまったというわけだ。」
「……。」




