さようなら幕末、ようこそ明治(7) 長岡戦争、会津戦争に参戦!命を救う旅、会津藩家老、西郷頼母の愛する母、妻、娘たち、そして白虎隊隊士たちの命を救う!
この物語は、もしもこの時にこういうことになったらという、史実とは全く異なるフィクションとして書かれています。
そのことを理解したうえで、お読みください。
歴史改変シナリオ
俺なら会津戦争をこう終わらせる!
西園寺公望は実際に会津戦争に参戦し、実際に銃弾や砲弾が飛び交う戦場において、自ら鉄砲を撃って戦っている。
ここからは会議の議事録のような文章が続きます。
その日の軍議で公望は、
「お待ちください。江戸が無血開城になったのであれば、長岡や会津も、無血開城でよろしいのでは?
これ以上戦う必要はございません。」
これに対して、またも岩倉が、
「ここで奥羽越諸藩連合の中心的存在の、長岡と会津を叩かねば、あとあと禍根が残ることになる!」
それに対して公望。
「ですが、それでは、まるで新政府軍による、旧幕府軍に対する残党狩りのような形になってしまいます。
それでは、旧幕府の残党、奥羽越諸藩連合を、一つ残らず、一人残らず、全滅させるまで、戦いは終わらぬということに…。」
「残党狩りだと!?黙れ!必要であればそうする。
きやつらは最後の一兵まで戦うと言っておる!
ならばこちらも、最後の一兵にいたるまで、叩くのみ!」
岩倉具視、ここで見る限りでは、冷酷非情な策略家のような印象だが、戦場ともなれば、誰しも冷酷非情にならざるをえない。
結局、長岡戦争、会津戦争を止められず、新政府軍、長岡、会津、いずれも戦の準備を整える。
二本松少年隊や、白虎隊なども結成され、あとは迫り来る新政府軍を迎え撃つのみ。
そこに、ヘリコプターに乗って、なんと拡声器で、降伏を呼び掛けた者がいた。
それが公望だった。いや、そもそもこんなヘリコプターと、拡声器をどこから持ってきたんだ?という話。
「会津藩と、長岡藩の者たちに告ぐ!
将軍慶喜殿は既に江戸の城を明け渡し、降伏した!
これ以上の戦は無意味だ!薬もある、食べたいもの、欲しいものなんでもある!
だから武器を捨てて投降するように!」
声高に戦をやめることを主張したが、戦をやめる意志など毛頭ない。
それにしても、ライト兄弟が人類最初の飛行機を発明するのが、1903年のこと。
1868年のこの時代の35年後の話。そこにヘリコプターを飛ばした公望。
驚いたのは、会津藩の者たち。
「なんだあの物体は!」「空飛ぶ乗り物か!?」
「とにかく、撃て!撃て!」
バン!バン!バン!
「のわっち!」
会津の軍はヘリコプターに向けて銃を撃つ。
とにかく容赦なく撃ってくるもの。明らかに撃ち落としてしまえといった感じで、ここは撤退せざるをえなかった。
さらに、新政府軍は会津と長岡に使者を送ったが、その使者は斬り殺されてしまう。
「使者の首を斬れ!これが我々の返事だ!」
結局、戦いは始まってしまう。戦いを避けることができなかった場合は、どうするか。
歴史改変といいながら、実際にはほぼほぼ史実通りの展開のままやり過ごし、結局のところ、この程度のところを改変したところで、本来の史実の流れにはさほど影響を与えないレベルにとどまっていた。
新政府軍の部隊が各地に配備される。公望はまず、長岡の方に配属となっていた。
長岡戦争では、公望は、河井継之助と刀を交える。
「拙者は長岡藩士の河井継之助だ!」
「それがしは西園寺公望と申す、公家じゃ。そしてこの方面軍の参謀じゃ。」
「公家だと!?ふん!お主らのように、何不自由なく育ってきた公家の、しかも若輩者などに、下級武士の困窮した生活、そのような生活を送る下級武士たちの気持ちなど、わかるまい。
これ以上は話しても無駄なようだ。相手をしよう。」
河井継之助は素早い身のこなしで公望に攻撃をしかける。
公望も、それに応じるように、軽やかな身のこなしで攻撃を防ぐ。かわしていく。
カキン!キン!ヒュッ!シュッ!
「もらった!」
「……!」
そして一瞬のすきをついて、河井継之助をみねうちにする。
バシッ!ダシッ!
みねうちなので死ぬことはないし、致命傷にもならない。河井継之助はいったんはうずくまるが、すぐに立ち上がった。
「お主…。なぜとどめをささなかった…?」
実際の結果では、河井継之助はここでの戦闘で受けた傷がもとで戦死してしまうということになっていたが、公望はあえてとどめをささずに、生かしておいた。
この程度の歴史改変でも、それが積み上がると大変なことになるかもしれない。しかし、それでも あえて彼らの命を救った。
「俺は河井継之助。そなたは?」
「西園寺公望だ。さっき言ったであろう。」
「そうだったな…。」
ほんの少し前まで、お互いがどのような人生を歩んできたかも知らなかった者たち同士が知り合っていく。それもまた人生というものの醍醐味だ。
楽しくなければ人生じゃない!というのもわからなくもない。
長岡戦争も新政府軍の圧勝だった。しかし、この河井継之助のほかにも命を救われた者たちがいたという。
そしていよいよ会津戦争。公望は長岡戦争の勝利を見届けた後、その足で会津へと向かう。
会津藩の方面軍の総司令官となっていたのは土佐藩出身の板垣退助だった。
新政府軍と会津藩では武器の性能が違う。会津藩の銃は、火縄銃よりはいくらかマシといった程度のシロモノだった。
それもあって、ここでもやはり、新政府軍の圧勝ペースだった。
公望は会津の城下町に入る。そこでとある父子に出会う。
「もし…?そなたたちは?」
「会津藩家老、西郷頼母。こちらは嫡男の頼吉=仮名だ。」
会津藩にも、西郷という名の、家老がいるのか…。
注意書 西郷頼母の家族の名は、西郷頼母以外は全て実名ではなく仮名です。
また、白虎隊隊士の名も、飯沼貞吉以外は全て実名ではなく仮名です。
聞くところによると、他の家族は頼母らが逃亡するのを助けるために、屋敷に残り足止めをするという。
公望たちは頼母の屋敷へと向かった。
そこではまさに、西郷頼母の家族たちが、自刃しようとしていた。
しかもこの家族、頼母と嫡男以外は全員女という。
西郷頼母の家族
母 おつう
妻 おりん
娘たち
長女 浩
次女 松
三女 安
四女 竹
五女《末娘》 うめ子
それと嫡男の頼吉=仮名。
なお、この話はフィクションなので、
家族のそれぞれの名前はこの物語の中の名前であり、実際の名前とは異なります。
「まてまてまてーい!」
公望は声を荒げて、自刃するのを止めようとする。実際の結果では、この女ばかりの家族は、頼母と嫡男を残して、全員自刃してしまうことになっていた。
まだ幼い娘たちも含めて、全員…。これが実際の結果だった。
「そなたはもしや官軍の…!」
「おお、いかにも官軍の者だが。」
「薩長のけだものめ!それ以上近寄ると、本当にこの短刀を喉元に突き刺すぞ!」
「まて!まて!それがしは薩摩の者でも長州の者でもない!
しかしのう、なにゆえ幼子まで犠牲にする必要があるのか!」
その時であった。五女のうめ子が、公望に近づき、話しかけてきた。
「待って…。おばばさま、母さま、この人の話を聞いてあげて…。」
それを見た公望は、
「さようか、それならば…。
それがしは西園寺公望と申す者だが、年は、白虎隊の隊士たちより少し上くらいで、そうそう変わらぬ。」
それを聞いて、ようやく自刃するのを思いとどまることにした、西郷頼母の家族の女たち。中でも娘たちは、本当は自刃することにはためらいがあったという。戦の犠牲になるのはいつも、子供などの弱い立場の者たちだということは、公望もわかっていたことだった。
また、うめ子が公望に話す。
「薩長の兵たちは、まるでけだもののように、女を手ごめにすると、会津の偉い人たちから聞かされておりました。
ですがあなたさまはそうした人たちとは違うようですね。」
会津戦争においては、薩長の軍が、残虐行為をはたらいていたという話。
略奪、殺戮…。しかしその中でも、女を手ごめにするような不貞の輩もいたという。
だから、頼母の家族の女たちが自刃しようとしたのは、そうした不貞の輩どもに、手ごめにされると思うと不憫で、
あるいは目の前で他の家族が、姉妹たちが、手ごめにされる姿を見せられる、それがトラウマになってしまうと思うと不憫だと思って、娘たちをも道連れにして、自刃しようとしたのだという。
公望はまさにそこに止めに入ったということになる。
それにしてもこの五女のうめ子というのは、まだ幼子の、末娘なのに、受け答えははきはきとしている。
この子は将来、大物になったりして…。
と、公望は感心していた。
その時、西郷頼母が屋敷の中に。
「頼母!?」
「ああ、あなた…。」
「やはり、そなたたちを置いて、自分だけ逃げることなどできぬ。ともに参ろう。どこまでもにげよう。」
「はい、あなた…。」
「頼母…。よいのかそれで…?」
「お父上様…!」
こうして、会津藩家老、西郷頼母の、母と、妻と、娘たちの家族7人の命を救った公望は、またもやどや顔をした。
こういう歴史改変もあるのだよ、といわんばかりのどや顔。
しかし、本当に命を救わねばならない者たちが、まだいた。それは飯盛山の、白虎隊隊士20人、その中には、飯沼貞吉もいた。
「飯盛山へ向かうぞ!」
その足で飯盛山へと向かう。
そこではまさに、追い詰められた白虎隊隊士20人が、自刃しようとしていた。だが公望はここでも止めに入る。
「まてまてまてーい!」
公望は今度は、白虎隊隊士たちの自刃を止めることを思いついた。




