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さようなら幕末、ようこそ明治(4) 若き日の西園寺の有名エピソード、そして鳥羽・伏見の戦いから戊辰戦争の開戦!

坂本龍馬と中岡慎太郎が暗殺されることなく、海外へと旅立っていってから、まもなくのこと…。


慶応3年も、間もなく暮れようとしていた。


岩倉具視らの一派はあくまでも武力倒幕を主張。

若輩の公望(きんもち)にはなにゆえそこまでして武力倒幕にこだわったのかについては真意を図りかねるところだったが、いざ武力倒幕ということになると、公望(きんもち)ら若輩の者たちが、戦場の最前線で戦わされることになることは、もう既にわかっていたこと。


「これでもし、旧幕府軍と、明治新政府軍が戦うことになったら、生きて戻れぬかもしれないということ。」


そして慶応3年は暮れていき、慶応4年を迎えたが、改元により明治元年と改められた。

ついに明治の世を迎えたが、それは同時に戊辰戦争の開戦を告げる号砲でもあった。


公望(きんもち)はいつもの公家の装束ではなく、新政府軍の軍服姿となっていた。

西洋のサーベルと、新政府軍の歩兵部隊が所持しているのと同じ、銃剣を装備していた。


「どや、これが新政府軍がこたびの戦用(いくさよう)に考案した、西洋風の軍服じゃ。」

公望(きんもち)様、案外お似合いでございますなあ。」


そして公望(きんもち)は、自軍の部隊が待機している待機所に向かった。


待機所では、部隊長をたった今から決めるという。

「果たして部隊長は誰になるのやら…。」

そしてこんな噂話をする者たちも。

「果たして本当にこちら側についてよかったのか?

幕府側につくという手もあったが。」

「どちらでもよい!戦いを有利に進められる方ならな。

まあ、この戦いは、十中八九、新政府軍が勝つとみたからのう。」

このように、いかにも金で雇われたようなゴロツキ兵もいたが、新政府軍の大半は、薩長などの雄藩の兵だ。


そこに公望は到着したが、

「作戦参謀殿!」

「作戦参謀!?」

公望は作戦参謀として、出迎えを受けた。


公望の役割は実戦で戦うことではなく、背後から軍を率いて、作戦の企画、立案を行い、あとはその通りに命令を下して、実際に戦うのは薩長の兵たち。作戦参謀は、ただそれを背後から見ているだけ、後ろに立って、実際に戦う兵たちに、指示を与えるという役割だった。


実はこの時の作戦参謀としての経験こそが、後の「桂園時代」や、「昭和の最後の元老」として、自らが先頭に立つよりも、背後から政治を動かしていくことで、そういった形でその辣腕(らつわん)を発揮していく、その後の長きにわたり政界の黒幕、重鎮、最長老として君臨していくその原点が、ここにあった。


しかしながら、今まで何不自由なく育ち、わがまま放題の、しかも若輩の、こんな奴が参謀だと!?

と、実際に戦わされる薩長の兵たちは、心の奥底では不満を抱いていた。


「まったくいい気なもんだ。こんなお公家様のバカ息子が、我らの作戦参謀とはな。」

「せいぜい威張らせとけ。どうせ飾り物の、神輿(みこし)として担ぎ上げるための擁立(ようりつ)なのだからな。」


それを聞いていた公望は、


「おい!何か申したか。何か文句でもあるのか。」


と一喝した。


「これはこれは、聞いておられましたか。いや、まことに失礼いたしました。」

「ささ、あなたさまは、作戦参謀殿ですから。

実戦の方は我々にお任せください。

なに、あなたさまは、ただ後ろに突っ立って、戦況を見て、必要な時は何なりと指示を与えてくだされば、それでよろしいのです。」


それを聞いて公望(きんもち)は、また腹が立った。

バカにしおって。飾り物の天皇に、飾り物の作戦参謀。いつだってそうだ。どうせ神輿(みこし)として担ぎ上げるのには、都合がいいからだろう。

腹の中で、そう思っていた。しかし一方で、別の考えもあった。


まあ、考えようによっては、神輿(みこし)として担ぎ上げられているというのは、それはそれで、気楽でいいのかもしれないな。


腹の中で、そう思っていた。


戊辰戦争の最初の戦い、鳥羽・伏見の戦いの開戦が迫る中、先ほどの薩長の兵たちが、

「そういえば、あの西園寺という参謀、御所の会議にて、あんなことを言ってたな…。」




それは御所での会議の最中。


鳥羽・伏見の戦いにおける薩長の兵の数は、わずか三千人ほど。兵の人数 においては、旧幕府側の方が、何倍もの兵力となっていた。

そこでこのようなことが言われた。

「この戦は、私戦として納めようではないか。」

私戦として納めるということは、つまり、この戦で薩長が負けたとしても、朝廷は一切責任を取らない、薩長が勝手にやったことと、まるで責任を丸投げするような発言があり、この会議に参加した者たちの間で大筋で合意すると思われた。

ところがそこに反対とする意見が出た。

その反対意見を口にしたのが、他ならぬ西園寺公望だった。

「私戦として納めることには断固反対にございます!

もしこれを私戦と見なすようなことがあれば、天下の大事をそのように扱ったとみなされ、朝廷は恥をかくことになるでしょう。そうなれば、朝廷に対する信用も失われます!」

この時の役職は、右近衛中将(う・このえ・ちゅうじょう)という役職、若干20歳にしてこの高い官職を授かっていたのも、やはり清華家と呼ばれる、公家の中でも名門の家柄ゆえか。

この小御所会議において、この名言を言い放った公望(きんもち)に対して、この会議を牛耳って(ぎゅうじって)いた岩倉具視(いわくら・ともみ)は、

「小僧能く見た!」

《こぞうよくみた!》

この言葉を言い放った。


公望(きんもち)は嬉しかったという。

かたや清華家(せいかけ)の1つに数えられる公家の名門の家柄。しかし年齢は若干20歳。

対して岩倉は、年齢はずっと上だが、家柄の方は、下級の公家の家から成り上がってきた、いわばたたき上げという、対称的な二人だった。

その岩倉から、「小僧能く見た!」と言われたことが、自らの素質を認めてもらえたということで、嬉しかったという。




そして戦場では、新政府軍、旧幕府軍ともにスタンバイ完了。

お互いに戦の始まりを告げる、号砲を撃ち合う。


ドーン!ドーン!


ここに、鳥羽・伏見の戦い、戊辰戦争の戦いの火ぶたが切って落とされたのだった。



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