さようなら幕末、ようこそ明治(3) 龍馬暗殺を阻止せよ!
この物語は、もしもこの時にこういうことになったらという、史実とは全く異なるフィクションとして書かれています。
そのことを理解したうえで、お読みください。
大政奉還が行われ、徳川慶喜は、事実上政権を朝廷に返上した。しかしこれは、本当の意味での降伏ではなく、明治新政府とは異なる形での体制を築くことを目指した、最後の一手だった。
これでもう、攘夷も公武合体もなくなり、あとは倒幕=幕府を倒すか、佐幕=幕府を守るか、そのどちらかだけとなった。
公望はどちらかというと倒幕の方、それも武力による倒幕を積極的に主張していた岩倉具視の推挙を受けていた。
が、いつかは自分がその立場に立って、政策を実行していきたいということは、その頃から考えていた。
そんなさなか、時はまさに、その年の11月15日を迎えようとしていた。
11月15日…。それは坂本龍馬が生まれた日でもあり、慶応3年のその日は、坂本龍馬が暗殺された日でもあった。
公望は、坂本龍馬暗殺を阻止することを画策。ここから史実無視の歴史改変が始まる。
「今度こそ実行する!誰がなんと言おうと、この流れは止められない!」
そしてその大任を、友麻呂に命じた。「わかりもうした。必ずや、やり遂げてみせましょう。」
「頼んだぞ。友麻呂。」
こうして龍馬暗殺阻止の大任は友麻呂が実行役となる。自分はその報告を聞くだけ。
公望は語った。
「友麻呂ならきっとうまくやってくれると信じておる。自分がやるよりも、うまくいくと思う。」
黒幕という立場はある意味、自らは表に出ないで実行役にやらせる。
実行役が成果を上げれば実行役の成果にもなる一方、それを教唆した自分の手柄にもなる。つまり、実行役も教唆役も得をするというもの。
考えようによっては、自らは努力をしないで成功できる、究極の手段かもしれない。もっとも実行役としてこき使われる方は、たまったものではなく、教唆役を追い落とすことを考えないとも限らない。
公望の命を受けた友麻呂は、坂本龍馬暗殺の現場となる、近江屋に到着。
時刻を確認すると、まだだいぶ時間はある。よかった、間に合った…。
友麻呂は坂本龍馬を近江屋から退避させるため、単身近江屋に乗り込む。
坂本龍馬の他に、中岡慎太郎もいた。
「あのー。すみません。私は西園寺卿の使いの者で、友麻呂と申します。」
「何!?西園寺卿とな!?」
「その西園寺卿の使いの者が、いかなる理由でここに!?」
「実はですね…。ここにもうまもなく、お二人のお命を狙う者たちがやってくるのですよ。
ですから、西園寺卿は格別のはからいで、お二人をかくまいたいとおっしゃっているもので…。」
そこに、その殺し屋と思われる者たちが現れる。
「……!」
「何…!?」
坂本龍馬と中岡慎太郎は驚きの表情を見せるが、「ささ、あの者たちが、お二人のお命を狙う者どもです。
一刻も早く、お逃げください!」
「わかった、そうしよう。中岡、共に逃げるぞ!」
「かたじけない、友麻呂とやら。さあ龍馬、行くぞ!」
そして殺し屋たちが踏み込む前に、坂本龍馬と中岡慎太郎、それと友麻呂は、まんまと近江屋から逃げ失せてしまうのだった。
そして殺し屋たちが踏み込んだ時には、部屋の中は、もぬけのカラだった。
「しまった!もぬけのカラだ!」
「龍馬を逃した!いったい誰が…!」
そして坂本龍馬と中岡慎太郎、友麻呂の3人は、西園寺邸へと逃げ込んだ。
「ここが西園寺邸か、しかしなぜ、ここの主が我らを助けるのだ?」
「わしもそれが不思議でならない。」
そこに公望が現れる。
「やあ、龍馬殿に、中岡殿。私は西園寺公望と申します。この西園寺家の、跡取り息子といったところですかな?」
本来ならこの日、暗殺されていたはずの坂本龍馬と、中岡慎太郎をかくまうことになった。
それだけではなく、行く先々で、史実無視の歴史改変を行っていく手はずだった。
そこに龍馬たちを追って、例の殺し屋たちが西園寺邸にまでやってきた。
「まずい、奴らが来る!お二人は隠れてくだされ!」
公望は二人を屋敷の奥に連れ込む。
そこに、例の殺し屋たちがやってきた。そして尋ねた。
「おい!このあたりに、坂本龍馬と、中岡慎太郎は来ていないか!?」
「坂本龍馬にございますか?
さあ、坂本龍馬などという者は知りませぬ。そのような者は、こちらには来ておりませぬ。」
公望はとぼけた顔して答えるが、殺し屋たちは無理やり踏み込もうとする。
「さてはお主、あの二人をかくまっているのではあるまいな!?」
無理やり踏み込もうとする殺し屋たちだったが、「無礼者めが!ここをどこと心得る!由緒正しき、西園寺家の屋敷なるぞ!」
公望はついに啖呵を切った。その気迫に押されて、殺し屋たちも、しぶしぶあきらめざるをえなかった。
「さあ、これでもう、大丈夫にございます。」
「かたじけない!西園寺公望殿と、いいましたな。」
「今晩はひとまずこの屋敷に泊めていただき、明朝にはここを経ちまする。」
そして坂本龍馬と、中岡慎太郎は、西園寺家の屋敷で一晩寝泊まりしてから、明朝には京の都を出立し、神戸の港から船に乗って、外国へと旅立っていった。
坂本龍馬には事が済んだら、海外に旅立ち、気ままに海外生活を満喫したいという願望があったようだ。
その夢を、こうしてかなえることができたのだった。
一方で、明治新政府の参与などになるつもりは、毛頭なかったという。
ただ自由奔放に、気ままに過ごしたかったのだ。
「うらやましいのう…。あのように自由奔放に、気ままに過ごせたらどんなによいか…。」
公望も、つぶやいていた。




