蛤御門(はまぐりごもん)の変~公望(きんもち)失神…!
西園寺卿が見てきた幕末の時代…。
ついに睦仁親王=後の明治天皇の身辺警護を任された公望だったが、それからまもなくして、もうさっそく、重大な事態が訪れたのだった。
年号は文久から元治へと変わり、その元治元年の、6月5日には池田屋事件が発生し、新撰組によって多くの勤王の志士たちが斬られた。
その際、桂小五郎は命からがら逃げ延びたが、これにより明治維新は2年遅れたといわれる。
しかし、2年ほど遅れたとしても、それももはや、気休めでしかなかった。
そして、それからほどなくして、その事件は起こる。
元治元年の7月19日、世に言う禁門の変、蛤御門の変と呼ばれる事件が起こる。
「大変だーっ!一大事にございます!長州藩の軍勢が、御所に向かって、攻めてきました!」
長州藩の軍勢が、何を思ったか、京の都まで、攻めてきたという。
「長州軍は禁門、またの名を蛤御門ともいう、その蛤御門から、御所に向けて進撃するつもりだ!
蛤御門を突破されたら、御所は攻め落とされたも同じことだ!
いいか、なんとしてでも、蛤御門を死守するのだ!よいな!」
蛤御門の前には、薩摩、会津、それと徳川慶喜の率いる軍勢が、既に配備され、長州軍を迎え撃つ準備を整えていた。
一方で、公望は睦仁の身辺警護のため、御所にて待機。ということだったが、外の様子も気になり、外を見渡せる位置から、様子をうかがおうと、隙間からのぞきこむような感じで見ていた。
「あれが長州軍か…。あれは…、間違いない、イギリスから取り寄せた、最新式の大砲と鉄砲だ。」
その長州軍のいでたちを見て、公望たちは驚きを隠せなかった。
戦のやり方が、大きく変化したということを感じた。
昔、源平の合戦や、戦国時代の桶狭間の戦いや、関ヶ原の戦いのような戦いが行われていた時代には、鎧兜に身を包んだ武将たちが、刀、槍、弓矢などで戦っていた。あっても火縄銃程度だった。
それが今や、最新式の大砲や鉄砲で戦うような時代になった。
これから時代が進めば、さらに戦のやり方が変わっていく、そういう時代がまもなく到来するということを感じとっていた公望だった。
最新式の銃を携え、最新式の大砲を並べて、西洋風の軍服を着て戦うのが、これからの戦い方だと、示しているかのような長州軍のいでたち。
長州軍は大砲を撃つ準備、構えに入る。
「撃てーっ!」
ドーン!ドーン!
大砲の弾を撃つ瞬間、轟音が響きわたる。そしてそれは絶え間なく続く。
バーン!ドガーン!ズガガーン!
弾が命中すると、爆音と爆風の衝撃。
そこにあるもの全てを吹っ飛ばすような、砲弾の威力。
その後には、火の手があがる。煙もあがる。
その頃睦仁と公望はどうしていたのかというと、
「爆発の衝撃で気を失っております!」
「睦仁様、しっかり、睦仁様!」
正確には、大砲を撃つ時の轟音と、着弾する時の轟音に驚いて、気を失ってしまったのだ。もちろん、気絶しているだけで、命に別状はない。
「公望は!?身辺警護役の公望は何をしている!?」
すると、なんと公望もまた、大砲の轟音に驚いて気絶してしまっていた。
「公望…!」
公望が気絶してしまったことに気がついたその警護役の彦麻呂が、公望をたたき起こす。
「公望!公望!起きろ!しっかりせぬか!そなたは警護役なるぞ!」
彦麻呂にたたき起こされ、ようやく気がついた公望。
「彦麻呂殿…。すみません。不覚にも大砲の轟音に驚き、気絶してしまいもうした。」
公望の役割はあくまでも睦仁親王=後の明治天皇の側で護衛をすること。
公望は身辺警護の任務に戻ることに。
やがてこの禁門の変の戦況は、徳川慶喜率いる幕府軍と、長州軍の抜刀隊との白兵戦となる。
公望も、この状況を肌で感じて、気が気ではない。
「公望も戦場にて、刀を振るい、戦いたいのう。」
「何を申す!相手は長州軍の抜刀隊、いずれおとらぬ刀の使い手が集う精鋭部隊じゃ!
そなたの刀の腕で、かなうような相手ではない。」
彦麻呂らにたしなめられ、公望はしぶしぶ思いとどまる。
「かたじけない、公望たちがいてくれるだけで、この睦仁は安心じゃ。」
「いえいえ、めっそうもございません。情けないことにこの公望、大砲の音を聞いただけで失神してしまったのですから…。」
「それはおたがいさまじゃ。公望よ。」
それから戦況は、徳川慶喜率いる軍勢が、がんばって、長州軍の抜刀隊を撃退すると、そこから薩摩、会津の軍勢も攻勢に転じる。
この時は、薩摩と会津は手を組んで事にあたっていた。
こうして長州軍はこの戦いでは敗退を喫し、禁門の変、またの名を蛤御門の変と呼ばれるこの戦いは、ひとまず幕をおろした。
後の時代、語り部の爺やが語る。この語り部の爺やは、長らく西園寺卿の身の回りの世話をして、たいそうかわいがってもらい、それなりの生活もさせてもらっていたという。
「この戦いの後、西園寺卿は、あの徳川慶喜公とあいさつを交わしたのであります。」
「ねえねえ、語り部のおじいさま、続きはー?」
禁門の変の戦いが終わり、公望は徳川慶喜とあいさつを交わしていた。
「徳川慶喜様ですね!それがしは睦仁親王様の身辺警護役をつとめる、西園寺公望と申す者にございます!」
「いかにも、わしが徳川慶喜じゃ。
そなたが西園寺公望と申す者か。覚えておくぞ。」
徳川幕府最後の将軍と、直に対面した瞬間だった。
さて今日はもう疲れた。ひとまず休むとするか…。




