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ついに江戸へ!まずは幕末期の各藩の動向から…!

西園寺公望(さいおんじ・きんもち)の一行は、ついに江戸にたどり着いた。

「やったぞ!ついに江戸だ!江戸だ!」

江戸に着くなり、公望きんもちは喜び勇んで駆け出した。

「さて、どうやら江戸に着きましたね。

残念ながらこの佐吉は、ここでお別れです。これから家族のもとに帰ります。

あなたがたと旅をすることができて、本当によかった…。

気が向いたら、いつか、うちにも遊びに来てくださいませ。」

佐吉とはここでお別れ。その後、幕末の動乱が激しさを増し、容易に会いにいくことはできなくなってしまったのだった。




江戸は「将軍様のおひざもと」といわれてきたが、この時代になると、その「おひざもと」が揺らいでいた。

そんな中で、江戸までやってきたのだった。

この頃はまだ、倒幕派ではなくあくまでも尊皇攘夷派と呼ばれていた薩長土肥をはじめとする雄藩だったが、その雄藩の動きは、この江戸にも逐一伝えられていた。

いや、江戸だけでなく、全国でも薩長土肥の雄藩連合の動向を気にしていた。

公望は江戸に到着するなり、そんな人々の噂話を耳にした。

「今や、落ち目の幕府を凌ぐ勢いで、雄藩連合の力が増している。

そのうち幕府にとってかわるのではないか?」

「薩摩、長州、土佐、肥前といったら、いずれも西国の、外様の藩だ。

西国の藩などはこの雄藩連合に同調する動きを見せてもおかしくない。」「一方で、どっちつかずの藩もまだ多くあるらしい。

ただ、会津藩や、長岡藩などは、はっきりと幕府側につくことを表明しているらしい。

あとは、土佐藩の山内容堂(やまのうち・ようどう)豊信(とよしげ)様などは、雄藩連合の一つ、土佐藩の藩主ではあるが、この人は幕府寄りだ。」


土佐藩の山内容堂、豊信…。


土佐藩といえばあの南国土佐だろうが、藩士たちは攘夷派、倒幕派が多いというが、そこの殿様の山内容堂はなぜかそれらの攘夷派の藩士たちを、取り締まることに力を入れているらしいとのこと。


グウーッ…!


またまた、江戸についたとたんに腹が減ってきた。さて、江戸の名物料理といえば、果たして何なんだろう…。

「へい!らっしゃい!

江戸前寿司は、いかがかな?お客さん。」


粋のいい寿司屋のおやじさんが、かけ声をあげて、客引きをしているようだ。

「のう、江戸前寿司というのを、食してみたくなったのう。」

そして公望は、江戸前寿司の店に入り、たらふく寿司をごちそうになったのだった。

京都の公家が、江戸前の握り寿司に舌鼓(したつづみ)というオチとなる。

ちなみにこの日は、ウニ、大海老(おおえび)、マグロ、中トロ、大トロを注文して、ほおばった。



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