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横浜の波止場から、江戸に向けて…!

西園寺公望(さいおんじ・きんもち)の一行は、ついに横浜にたどり着いた。

もともとはこの当時の横浜は、わびしい漁村に過ぎなかった。

それが、ペリーが浦賀沖に来航し、港を開いてからは、見違えるように発展した。

「おお!ついに横浜にたどり着いたぞ!」

「ついに横浜ですな。しかし、もともとはわびしい漁村だったところが、港を開いてからはこのように発展するとは…。」

そこにはまさに西洋に建っているような建物が建ち並び、まるで本当に、西洋に来たかのような錯覚を覚えるような町並みとなっていた。


時は1862年。文久年間。西園寺卿は当時14歳にして、京の都を抜け出し、お忍びで江戸への道のりを旅していた。

その途中、名古屋、駿府、小田原、鎌倉を経由して、横浜に来ていた。


そこはまさに西洋人が多く集まる町だった。

ひとくちに西洋人といっても、様々な国の人たちがいる。

中でも幕末の頃、一番多かったのが、イギリス人だった。

他にも、ドイツ人、フランス人、ポルトガル人、アメリカ人、そしてオランダ人なども来ていた。

「この西洋人たちと話がしたい。オランダ語なら多少は話せる。」

公望(きんもち)はオランダ語で、イギリス人たちに話しかけてみた。ところが…!

オランダ語で、イギリス人に話しかけてみても、まるで通じない。

「だめだな…。言葉がまるで通じない…。」

あとで聞いてわかったことだが、イギリス人や、アメリカ人は英語、イングリッシュという言葉を使うそうだ。

フランス人はフランス語、ドイツ人はドイツ語と、国によって言葉が違うのだという。だから、国によって、話す言語を変えていかなければならない。

ちなみに、公望たちが学んでいたオランダ語は、オランダ人には通じるが、他の国の人たちには、それぞれの国の言葉でないと通じないという。

「まったくなんなのだ!それぞれの国の言葉を、また一から勉強し直さなければならないというのか!

あーあ!めんどくさいなー!

いっそのこと世界中の国の人々が、みんな同じ言語で話せるようになれば、意志疎通も楽々はかれると思うのだがな、そうもいくまいか…。はあ…。」

公望は途方に暮れながら、とぼとぼと、横浜の町中を歩いていた。すると、さすがに腹がへってきたようで、


グウーッ!


「あー、さすがに腹が減ってきたな…。」

「ここは西洋の食事でも、いただきましょうか。」

「といって、食事のメニューとかも、英語とかいう言葉で表記されているのでは…!

間違って変なものとか、注文してしまったりとか、しないかな…。」

そう言いながらおそるおそる、西洋料理の店に入っていった。

「いらっしゃいませ。私は日本語ペラペラです。

メニューの表記も日本語で書かれてあります。」

なんだ、日本語話せるのか、それにメニューの表記も日本語か、よかった、ほっとしたと、公望は思っていた。

「それでは、こちらの、ビーフステーキでもいただきましょうか。」

ビーフステーキを注文した公望。しかしまだほとんどの日本人は、西洋料理など食べ慣れていなかった。

外国から西洋文化は入ってきてはいたものの、まだ一部の地域だけで、多くの日本人は、まだこの幕末頃の時代には、開国前と変わらぬ生活水準、文化水準だったという。


そうこうしているうちに、ビーフステーキが焼き上がったようだ。

「これがビーフステーキというのか!

これは牛の肉を焼いて調理したものであるのか。

西洋人はこのような食事を普段からしておるのか。」

それだけ、当時の日本人は西洋人のことを知らず、また西洋人も、日本人のことを知らずにいたという時代。

「うん!うまい!実にうまいぞ!これが西洋の、ビーフステーキという料理なのか。」

「他にもビーフカレーなどの料理もあります。」「なんと、ビーフカレーという料理もあるのか!

それならそのビーフカレーというのをいただこう!」

公望はビーフステーキをほおばりながら、同時にビーフカレーも注文した。


そしてこの店では、西洋をはじめとする世界の情勢も聞き出すことができた。

アメリカでは黒人奴隷の解放をめぐって、アメリカという国が南北に分裂し、南北戦争という戦いが始まっていたという。

一方、ドイツはまだ、プロイセンという国が中心になって、統一国家をつくろうという機運が高まっていた。

さらに、イタリアでは1861年、イタリア王国がイタリア半島を統一し、こちらは一足早く統一国家を建設したという。

「せやから、日本もがんばって、その流れに追いついて行かへんとな。」




そして夜は、横浜のホテルで、西洋式のベッドで眠る。もちろん、トイレも、洗面台も西洋式だった。

それを思うと、尊皇攘夷などと称して外国人を打ち払え、西洋文化など打ち払え、などとほざいているような連中のことを考えてみると、無性に腹が立ってくる公望(きんもち)こと、西園寺卿だった。

西園寺卿は早くから西洋の文化を受け入れ、西洋の法律や制度はもとより、西洋の食事や衣服、礼儀作法などの西洋文化もまた、積極的に受け入れていこうと考えていたのだった。


「さあ!いよいよ明日は江戸だ!江戸にはいったいどんなものが待ち受けていることやら…。」


公望(きんもち)こと、西園寺卿は、そのまま西洋のベッドで、深い眠りにつく…。


そして明くる日、いよいよ公望(きんもち)たちは江戸へと旅立っていったのだった。目指す江戸はもうすぐだ!



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