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名古屋を出発し、駿河、遠江を経て、小田原、鎌倉、横浜、そして江戸への道のりを何で行く…?

公望(きんもち)はその夜は名古屋に宿泊。

あくる日の朝、尾張名古屋をあとにし、次なる目的地に向かおうとしていたが、この調子だと、何日かかるかもわからない。

「もっと早く、江戸まで行ける方法はないものかな…。」

もっと早く行きたいのはやまやまだが、それはたぶん魔法でも使わない限り、無理だろう。

そこで、公望は思いついた。魔法でいろんな乗り物を呼び出して、それに乗っていく。

「ほいっ!」

公望は魔法を使ったつもりなのか…。すると、目の前には、西洋風の馬車が現れた。

さらに言えば、公望が腰に携えている武器は、刀ではなく、西洋のサーベルだ。

「西洋にもいろいろな種類の刀剣があるが、日本の刀に最も近い形状の剣といえるのが、このサーベルという剣だ。」

そして公望は、魔法で呼び出した西洋風の馬車に乗り込み、そして馬を走らせる。

「それっ!走れっ!」

馬車は勢いよく走る。どんどん加速していく。速い速い。

あっという間に尾張から三河、さらに駿河、遠江にさしかかり、その旅の途中に公望は、かの徳川家康公が築城させたという、駿府城に立ち寄った。

「これがかの徳川家康公の居城として建てられた、駿府城か…。」

公望は言った。すると、供の者としてついてきていた、友麻呂(ともまろ)もまた、改めて駿府城の偉容の前に感銘を受け、こう言った。

「なんとまあ、すばらしい城を建てたものですな。江戸の天守といい、この駿府城といい、まことに、天下人の居城にふさわしい。」

しかし、いつまでもここで見いっている暇はなかった。一刻も早く、江戸までの旅を急がねば。

「それっ!超高速だ!」

公望(きんもち)は馬車を走らせ、駿府城をあとにし、先を急ぐ。




そして、走るも走ったり、公望は、熱海(あたみ)にたどり着く。

熱海(あたみ)からなら、伊豆半島を南に下っていけば、伊東(いとう)、そして港が開かれたばかりの下田(しもだ)に向かう道だが、立ち寄っている時間があれば行きたいものだが…。




熱海(あたみ)で一泊。町の人々は、その初めて見る西洋風の馬車を、物珍しそうに見ていた。

「これはすごい!これが西洋で走っている馬車か!」

西洋でもアジアでも馬車はずっと昔から、当たり前のように走っていたが、日本で実際に馬車が走り始めたのは明治以降になってから。

しかも、その後わずか数十年くらいで、自動車が登場し、普及するようになったため、実際には、日本ではわずか数十年くらいしか、公道で馬車が走ることがなかったという。

公望(きんもち)たち一行は熱海(あたみ)の宿にて、旅の疲れを癒していた。

「ふう…。この調子だと、江戸まであと何日かな…。さて、次は相模の国に入って、小田原、鎌倉、横浜と進んでいくのか…。」

道案内の佐吉、供の者としてついてきた友麻呂も、旅の疲れを癒すため、この日は宿でぐっすりと眠ることに。




あくる日の朝、またもや馬車を走らせる公望たち。

そしていよいよ、かつての後北条氏の居城だった、小田原の城下町にたどり着く。

ここではなぜか友麻呂が説明を行う。

「この小田原はかつて、後北条氏の祖、北条早雲が築き上げた城として、知られています。

後北条氏が5代で滅亡した後、江戸の世になってからは、稲葉正勝の居城となり、そして現在に至ったのであります。

北条早雲の活躍をきっかけにして、戦国の世は幕を開け、戦国大名たちの群雄割拠(ぐんゆうかっきょ)の時代に突入していったのです。」

友麻呂の説明を聞いて公望はこう言い返す。

「なるほどな…。しかしな…。なんだかなあ…。

戦国ものが戦国オールスターで来るなら、幕末も幕末オールスターでいくくらいの気概がないとな…。」

なぜか戦国ものへの対抗心を燃やしていた公望であった。




小田原を発ち、次に向かうは、源頼朝が鎌倉幕府を開いた、鎌倉であった。

ここでもまた友麻呂が説明を行う。ひとつ咳払いをした友麻呂。

「オッホン…。」

なぜかその説明に、道案内の佐吉も感銘を受け、聞き入る。

「いやあ、あんたがたと共に旅ができてよかったよ。

実はあっしの実家は江戸なんで。江戸に着いたら、実家に帰らせてもらいますぜ。」

佐吉とは江戸に着いたらそこで別れるという約束になった。

そして友麻呂の説明が始まる。

「この鎌倉は、源頼朝が鎌倉幕府を開いたことで知られます。

つまりこの鎌倉は、今に続く武家政権の始まりの地。我ら公家は、かつては貴族と呼ばれていたのが、その後長きにわたり、御所の中に押し込められ、活躍の場はほとんどなかったのであります。」

いつのまにやら歴史の旅になっていた。公望もそれに対して、

承久(じょうきゅう)の乱の後鳥羽上皇(ごとばじょうこう)、鎌倉倒幕から南北朝の戦いにかけては後醍醐(ごだいご)帝と、武家にとってかわるチャンスは何度もあった。

しかし、その後室町、戦国、江戸と、そのチャンスすらなくなり、現在の状況に至ったのだ。」


公望はあくまでもこの主張を曲げない。

それからまもなく、次は横浜へ向かう道を確認していた。

小田原から、鎌倉、横浜、江戸へと向かう道は、ちょうど箱根駅伝のコースと重なる。

「この調子だと、一両日中には江戸にたどり着けるな。」

そして次はいよいよ横浜へ。鎌倉から大船へ向かい、その道をひたすら北上していけば横浜、そして江戸だ。



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