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公望(きんもち)、江戸へ…!まずは江戸への道…!

西園寺公望(さいおんじ・きんもち)は、ついに江戸に旅立つことになった。

「それでは、公望(きんもち)様、参りましょうか。」

「しかし、この身なりは何だ!?町人たちというのは、このような身なりをしておるというのか!?」

さすがに公家の格好のままでは、また襲撃される恐れもあるということで、今回はお忍びの旅ということで、町人の格好をして、江戸へと旅立つことになった。


京の都をたち、そこから南下すると、道が二つにわかれていた。

公望(きんもち)に限らず公家たちは、1日の大半を御所の中、あるいは京の都の中で過ごしていたので、遠出の経験は少なかった。江戸までの道のりなど初めてのこと。

さらに言えば、そもそも京の都から外に出ることなど、ほとんどなかったのだった。

さてこの最初の二つの分かれ道、どちらに向かおうかと考えていると、道案内をしてくれる者に、偶然出くわした。

「ここから、こちらの方向に向かうと、大阪から、紀州和歌山への道。

紀州和歌山は、かの有名な八代将軍、徳川吉宗公を輩出(はいしゅつ)したところでも有名です。」

その道案内の者は、佐吉といった。佐吉はさらに案内をしてくれた。

「そして、こちら側へ向かえば、尾張名古屋への道となります。

尾張名古屋は今でこそ、尾張徳川家の支配地となっておりますが、その昔は、尾張の織田信長様が清洲城を拠点として、天下統一にのり出した地にございます。」

江戸へ向かうには、こちらの尾張名古屋を通らなければならない。

公望(きんもち)たちは、尾張名古屋へと向かう道へと、足を進めていった。




高速バスや、新幹線でもあれば、京都から江戸までなんてひとっとびで行けるのだが、ここはやはり徒歩で行くしかない。

まして今の時期は、幕末の動乱が次第に激しさを増す時期。いつ命をとられるかもわからない。

しかし、この際だから、徒歩で行って、じっくりと道沿いの景色など見ながら、江戸までの道中を歩んでいこう、などと、公望(きんもち)は考えていた。

「やはり江戸まで行くとなると、何日もかかるな…。」

旅の間の食料や、途中でその食料を買うための食料代、宿代などの金銭も、確保していかないと。

とりあえず、尾張名古屋を目指し、名古屋で一泊してから、その先へと向かうことにする。

そして名古屋にたどり着いた。ここからはひたすら東海道を東へ、東へと、進んでいけば、やがて江戸へと到着するということ。

東海道五十三次を京都を起点に江戸までたどっていくという道のりだ。


そして今夜の宿を探して泊まることにしたのだが、そこの宿で働いていた娘が、実にかわいい娘だったと、公望(きんもち)は言っていた。


ちなみにこの娘の名は、お初というそうだ。


「あの娘、かわいいな。この公望(きんもち)の嫁にしたいものだ。」


公望(きんもち)様…。公望(きんもち)様は、無類の女好きですからなあ…。」


供の者たちも、あきれ顔だった。


公望(きんもち)はここで言っていたとおり、無類の女好きで、正妻と呼べる配偶者はおらず、妾を何人もつくっていたという。



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