公望(きんもち)、2度までも浪士たちの襲撃を受ける!
公望が浪士たちの襲撃を受け、それを撃退してから、何日も経っていなかった頃。
公望はその日は、他の公家たちとともに出歩いていた。
ところが、またも頭巾をかぶった浪士たちの襲撃を受ける。
「な、なんじゃお前たちは!?」
「なんと、あの時の公家ではないか。たしか西園寺公望という。」
どうやらその中には、先日公望を襲撃し、この時に拳銃で持ち手のあたりを撃たれて、手傷を負った者もいるようだ。
「我ら公家は、帝に仕える身。
お主たちは尊皇攘夷派じゃな。
ならば、なにゆえそのお主たちが尊ぶべき、帝に仕える、我ら公家をつけ狙うのじゃ?」
1人の公家が、その頭巾の浪士たちに、そう告げる。
しかし浪士たちは、まるでそれをあざ笑うかのように、返答した。
「ふん、確かに我らは、尊皇攘夷派だ。
しかし帝はともかく、その取り巻きの、公家たちの中には、我らの考えに相反する者どももいるという。
その者たちを、我らが成敗してやろうと、いっているのだ。」
「ひいいいっ…!」
他の公家たちは怯えて、腰をぬかしている。しかし公望は1人、刀をぬいて応戦しようとする。
「何だ!?長らく御所の中に押し込められていたような、公家が刀を振るうというのか!?」
その一言に対して公望は、こう答えた。
「押し込められていたというか、長らく、あぐらをかいていたのではないのか!?」
公望は浪士たちだけでなく、公家たちにたいしても言い聞かせるように言った。
「長らく、あぐらをかいてきたから、約700有余年にわたる、武家の政権を許し、武家のいわれのない要求に対しても、その言いなりとなり、そのことに甘んじてきたのではないのか!?」
「そ、それは…。」
思えば、承久の乱、鎌倉幕府の倒幕を主導した、後醍醐帝の時代以来、長らく、武家の脅威に対し、何もできなかったというのが、今の今まで、続いてきたと、公望は主張したかったのだが、
「うるさい!黙れ!問答無用!かかれ!」
浪士たちは文字通り問答無用で斬りかかってきた。
このままではやられる、と思った矢先、突然、水色のような、青のような、特徴のある戦闘用の着物を着た一団が現れ、浪士たちに斬りかかる。
その一団の1人が、公望と公家たちにこの隙に逃げるように促した。
「ささ、ここは我らに任せて、あなた方は早くお逃げください。」
「かたじけない。それではお言葉に甘えて…。」
そしてその水色のような青のような着物の一団と浪士たちが斬りあっているさなかに、まんまと逃げのびるのだった。
「おお、公望よ。おかげで助かった。しかし、それにしても、あの浪士たちに突然斬りかかった、あちらの一団は、いったい何者なのか…。」
あの一団は…。そういえば、最近になって幕府が、攘夷派の浪士たちを取り締まるために、ひそかに「新撰組」なる組織を結成したという話を聞いた。
もしや、あの一団は、その新撰組なのか…。
そんなことを考えているうちに、公望は屋敷に帰還した。そして他の公家たちとはここで別れ、今夜はもう寝ることにした。
「公望様!ご無事でなによりです!」
屋敷に勤める者たちも、ほっとした様子だった。
そして翌日になって、公望は突然、江戸に向かうと言い出した。
「それがしは江戸に向かう!」
「いけません!ただでさえ、攘夷派の浪士たちがうろついているというのに…!」
「いや、それがしは思ったのだが、攘夷派《後の倒幕派》も、佐幕派も、お互いに一方的に相手の方が悪いと決めつけ、自分たちの主張こそが絶対に正しい、相手の方が一方的に悪いと、双方で言い合っているからのう。
国のためといいながら、実際にはどちらも自分たちの主義主張を推し通すことばかり考えておるような気がしてならないのじゃ。
せやから、それがしは今まさに、江戸へとおもむき、この国で何が起こっているのかを、見に参りたいのじゃ。」
公望の熱弁を聞いた供の者たちは、
「それならば、どうしても江戸に行くとおおせられるならば、我らはもう、公望様をお止めすることはあきらめまする。
そのかわり、たとえ地の果てまでも、公望様のお供をいたして、公望様をお守りいたしたいと存じます!」
これで話はまとまった。
実際に江戸に出立するのは、また翌日の早朝。この時間帯なら、ひそかに抜け出せる。
「さあ!行くぞ!江戸へ!この国の閉ざされた扉を開くように、我ら公家も、御所の外へと通じる扉を、今こそ開く時なのじゃ!」




