第8話 和宮(かずのみや)と篤姫(あつひめ) そしてその後の展開
江戸城で和宮を待ち受けていたのは、天璋院篤姫と、和宮の旦那となる、第14代将軍の家茂だった。
「ようこそ、江戸城へ。私が天璋院篤姫にございます。」
篤姫はもともと、薩摩藩から先代の13代将軍家定のもとに嫁いできたが、家定亡き後は天璋院と名乗っていた。
「お初にお目にかかります。和宮にございます。」
「余が、家茂じゃ。これから末永く、共に過ごそう。
とはいっても、このようなご時世じゃ。いつ何時、どのような困難が待ち受けているやも知れぬが、共に乗り越えていこうではないか。」
家茂はこう言った。当初は政略結婚だったこの2人だが、やがて愛し合うようになる。
しかし、それもこの激動の時代の中で、つかの間で終わってしまうということを、この時はまだ、ここにいる誰一人として、思ってはいなかった。
そんなさなか、井伊大老にかわって、筆頭老中になっていたのが、安藤信正だった。
この安藤信正を中心に、公武合体と称して、和宮と家茂の政略結婚を推し進め、その結果、悪化しつつあった幕府と朝廷の関係の融和に役立つものと、考えていた。
「これでひとまずは、朝廷と争わないで済むようになる。和宮様と家茂様は年も近いし、仲良くしていただけることだろう。」
安藤信正はこのように言っていた。井伊大老が暗殺されたことで不穏な空気がただよっていたが、どうにかとりなすことに成功したと思っていた。
しかし、この公武合体を旗印とした政略結婚は、やはり各方面から反発があった。
そして、年号が文久と改まり、改元の儀が行われた。
その2年目にあたる文久2年1月15日、現在の暦で表記すると、1862年2月13日、坂下門から入り、江戸城に登城しようとしていたところを、水戸の浪士たちに襲撃される。
坂下門に入ろうとしたところか、それとも坂下門から出てきたところか、それはどちらでもよいが、とにかく、これが有名な、「坂下門外の変」という、老中襲撃事件だった。
水戸の浪士たちは次々とお供の者たちを斬り殺していった。桜田門外の変の時は逃げる者たちまで殺されたというが、この時も、多くのお供の侍たちや従者たちが犠牲となった。
そして、水戸の浪士たちは安藤信正の籠めがけて、刀を向ける。
「老中、安藤信正、覚悟!」
水戸の浪士たちは老中安藤信正が出てきたところを斬りかかる。老中安藤信正は全くなすすべもなく、背を向け逃げようとするが、
「お主たち、何の目的でこのような狼藉を…。」
水戸の浪士は逃げようとする安藤信正を追いかけ回し、そして背中に向けて刀を降り下ろし、斬りつけた。
ズガッッ!
「ぐううっ…!」
安藤信正は一命はとりとめたが、背中から斬られたということで、とがめられた。
そしてこの知らせは、家茂たちのところにも、伝えられる。
「何!?安藤が!?」
「はっ…、一命はとりとめましたが、背中に傷を負ったということで…。」
「背中から斬られただと!腰抜けが!老中の職を罷免する!」
武士にとって背中から斬られるということは、命を惜しんで逃げ出したと受け取られ、腰抜けの烙印を押されてしまう、罷免は当然、切腹にも相当すると、考えられていたのだった。
その知らせはまたたく間に江戸の市中にも伝えられる。
「井伊大老に続いて筆頭老中の安藤信正様が、今度は坂下門外にて襲撃されたと!?」
市中でもたちまち噂になっていた。
「幕府のお偉いさんが、相次いでこのようなことになるなんて、幕府の権威も地に落ちたな。」
「しかもその安藤信正ってのは、背中から斬られて逃げ出したっていうからなあ。
それでも武士かっ!ってとがめられるのも当然。
もう幕府にはこんな腰抜けしかいないんだなと。
だけどこれで本当に幕府がつぶれるようなことになったら、その後はいったいどうなっちまうんだ?」
さらに江戸市中の噂話は続いていく。近所のおばさんや、町娘たちも、興味津々(きょうみしんしん)で聞いていた。そして話をしていた。
「やっぱり、朝廷の許可をとらないで、あんな変な不平等条約を結んだり、
公武合体なんて言って、皇女の和宮様と家茂様を無理矢理結婚させたりして、
それで、いよいよ下級の武士たちも生活が苦しくなってきて、それで反発とかあって、
そうした下級の武士たちが、尊皇攘夷の思想に染まって、あんな事件とかを起こしたりするんだよなあ…。」
近所のおっさんがここまで話したのに続いて、今度は近所のおばさんが話す。
「私はね、和宮様がかわいそうに思えて…。
だって、許嫁の相手も決まっていたというのに、それを無理矢理江戸に連れてこられて、好きでもない相手と政略結婚させられて…。」近所のおばさんは和宮に同情していたのだった。
この事件によって幕府の権威は失墜した。
こうして幕府の力が失われていく一方、薩摩、長州、土佐、肥前といった、いわゆる雄藩と呼ばれる外様の西国の藩が、力を伸ばしてきたのだった。
一方、幕府の方は、井伊大老によって追放されていた者たちが次々と要職に復帰。
福井藩主の松平慶永や、また、一橋慶喜=徳川慶喜などが中心となって、幕府の体制をかためた。




