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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第三章 脱却少女
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友達じゃないから

「まだ見たことがない有村くん、かぁ……」

 予想外のオーバーリアクションを目の当たりにしてから、草間はふとした瞬間に物思いに耽る回数が増えた。

「可愛かったなぁ、しゃがんじゃう有村くん。ああいうの、もっと見たいな……」

 近頃の草間の中の比率では、有村はだいぶ『可愛い』寄りだ。勿論、彼はただ立っているだけで絵になる格好良い男の子なのだけれど、仕草や言動の端々に垣間見える可愛らしさがここのところやけに目につく、ような気がする。

 相変わらず照れ臭くて死んでしまいそうになる台詞はしょっちゅう言って寄越すし、抱きしめていいかと訊かれる度に心臓は破裂しかける。それでも最近は、その中にすら若干の可愛らしさを感じた。落合が言うに、草間の警戒心はポンコツになってしまったらしい。

 いや、彼が素敵な男の子だというのはわかっているし、忘れてもいない。デート中に可愛い雑貨で一緒に盛り上がっている時でさえ、草間は別に有村を女の子みたいだとは露程にも思っていないのだ。

 ただ、やっぱり男の子だな、と感じる回数が減っているだけで。

「だからさ、最近の仁恵はちょっと姫様に甘え過ぎじゃないかって話。未だにハグすら許可制なわけでしょ? 待たせてる立場なんだから、その辺の自覚、もうちょい持ちなよ」

 着信で中座していた落合が向かいの席へ戻って来て、話の続きと深めの溜め息を吐く。

「確かに姫様は男臭くないって言うか、可愛いトコあるのわかるし、一緒にいて楽しいならそれでいいんだろうけどさ。気は遣わせてんじゃないのかねぇ。仁恵にとって姫様は友達じゃなくて彼氏さんなんだって、仁恵はたまに忘れてんじゃないかって思うよ、あたし」

 それだって、別に忘れてるわけじゃないけど。

 言い返す代わりに視線を落としたテーブルの上で、アイスティーの中の氷がカランと鳴った。



 落合の言いたいことは、わかる気がした。

 図書館でゆったりと寛いだり、カフェで美味しい紅茶を飲みながら会話を楽しんだり、そうやってふたりで過ごす時間は本当に穏やかで、心地良くて、でもそれだけで満足なのは自分だけなんじゃないかとは、一度考えてから常々、要所要所で思ってはいる。

 近くにいると温かくて優しくて、たまに無邪気で、そういうところが可愛くて、そんな有村が草間は好きだ。以前とは比べ物にもならないほど自然に振る舞えるようになったと思うし、もしかしたら今は落合たちより話し易いかもしれないくらい仲良くなれたな、とも思う。

「……でも、それってなんか本当に、友達と変わらない気がして来た……」

 いや、友達と変わらないというか、恋人らしくない、ということなのだろう。落合の言い分や、草間自身でも引っかかるこのモヤモヤの正体は。

 有村といるのは純粋にとても楽しいし、嬉しい。でも正直なところ、抱きしめた流れで頬を撫でられ、うっとりと覗き込んで来るような有村はまだ得意とは言い難くて、物思いに耽る草間の口はこれでもかと深いへの字を描いた。勿論、嫌ではないのだ。照れ臭くて恥ずかしいのが相変わらずだっただけで。

 互いにアルバイトへ向かうのに出た店先での分かれしな、落合はそういう有村だって有村だと言った。当たり前のことだけれど、投げられた瞬間に胸が苦しくなったのは、草間に痛いところを突かれた自覚があったから。

「有村くんはきっと私がすぐはずかしんじゃいそうになるから、大丈夫な方を多めにしてくれてるんだよね……」

 気遣い屋の彼なら、有り得るというよりそう考えるのが適切だろうとも思う。

 そうでなければ、おかしな話だ。今でも顔を見れば、綺麗だ、カッコイイと心の底から思うのに、あの大きな目を見ながら会話が出来るなんて我ながらに普通じゃない。多少慣れたからだとしても、だ。

「このまま甘えてていいのかなぁ……良くないよ……けど、言えないよぉ……」

 恋人っぽい触れ方をされるのがもう大丈夫か、そうでないかと問われたら、まだ大丈夫ではない。でも、そもそも嫌だと思った例がない。要は慣れないから、何度だって羞恥心に負けてしまうわけだ。

 だとすると、このままでは永遠に大丈夫になる日など来ないのかもしれないと草間は気付いた。有村に抱きしめられると、ちゃんと嬉しいのに、だ。抱きしめたいと言われて何回か断ってしまった時だって、単に人目があって恥ずかしかっただけで、誰もいなければ別に。

 それに、そういう時の有村だって恰好良くて、素敵だなと思うし。単純な見惚れてしまう度合いとしては、そちらの方が多いかも、とか。

「でも、カッコイイが勝っちゃう時の有村くんはオーラがすごいからなぁ。色気が、むは、って。つらい……」

 それも、別に嫌なわけではないのだけれど。

「有村くんはもう、全然怖くないのになぁ……」

 恥ずかしいだけ。それ以外には何もない。

 男性へ向けて草間が常々抱いてしまう恐怖心は、既に欠片も。

 寧ろ触れ合う度に大切にされているのが伝わって来る気がして、それこそ久保や落合といった彼にとっての女友達と区別されている感じが、嬉しい気がしなくもない。七人で仲良くしていても自分だけは恋人で特別なのだと、言葉で言われるより、ずっと。

 私、だけ。恋人である自分だけが、特別。

「恋人にしか見せない顔、ってことなのかなぁ……あれ? なんか、そういう話を前に誰かとしたような」

 それとも雑誌で読んだのかな、と顎先に指を添えて小首を傾げた草間の背後で、その時ふと事務所のドアが開いた。

 ここは草間の勤める書店のスタッフルームを兼ねた事務所内。彼女は十分ほど前に勤務を終え、外したエプロンを鞄にしまったまま広いテーブルの片隅を陣取り、独り言を溢れさせている真っ最中だった。

「あらぁ、仁恵ちゃん。今日も忙しかったねぇ。お疲れさま」

「あっ、お疲れさまです」

 そうした逡巡をひとまず手放し、「これから休憩ですか?」と草間が問いかけたのは、つい二時間ほど前に出勤して来て、先程まで一緒に陳列作業を行っていた女性スタッフ。

 先日から草間が一部を任されている文芸コーナー全体を仕切るチーフで、彼女の本格始動は閉店後であることが殆どだ。

「ううん。明日のシフト、早番に替えてって言われちゃったから、今日はもう帰ろうかと思って」

「そうなんですか。大変ですね」

「うーん。まぁ、夏休みだからね。お子さんがいると、お母さんたちは用事がいっぱいなんだよー。こういうのは、お互い様だからぁ」

 ゆったりとした口調で話すその人は入店した当初に教育係として世話になって以降、仕事でもそれ以外でも草間にとっては久保と落合以外に唯一相談事の出来る、五つ年上の頼れる先輩。彼女のトレードマークは優し気な微笑みで、そうでない時に出会うことの方が滅多にない、温厚を絵に描いたような大人の女性だ。

 この瞬間にも彼女は微笑みを湛えていたし、後ろ手にエプロンを外して草間のいるテーブルへと向かいつつ、いそいそと立ち去ろうとする後輩の額を、ちょん、と突く時でさえニッコリと瞼を閉じていた。

「それでー? 仁恵ちゃんはどうして、困ったなーって顔をしてたんだろう?」

「……して、ました、か?」

「うん、してたー。眉間に皺を寄せて、難しそうな顔してたよぉ? どうかしたの? また困ったお客さんでもいたぁ?」

「あ、いえ。今日は、大丈夫でした。ちょっと、考え事してて」

「悩み事ぉ?」

「そんな、ところです……」

「そっかー。仁恵ちゃん、真面目だからぁ。私でよかったら、いつでも相談に乗るからね? ひとりで抱え込んじゃ、ダメだよ?」

 その虫も殺さぬ聖母の笑みに、草間は弱い。と、いうか、彼女を見たら、草間はこの胸のモヤモヤを他の誰にも打ち明けられない気がした。

 なにせ草間にあるのは大量に読み漁った恋愛小説の展開パターンと、落合や久保から聞く話が殆ど。現在進行形の、実際に自分の身に降りかかる色恋沙汰になど全く以て無知なのだ。

 少しだけヒントが欲しいと思った。このまま家に帰ってもまた悶々とするだけだし、一度くらいは有村を知らない人の意見も聞いてみたい気がして。

 だから草間はどんなことでも受け止めてくれる大きな心の持ち主である彼女の腕に、思い切って手を伸ばしてみた。

「堀北さん! あのっ、アドバイスして欲しいことがあります!」

「うん。なぁに?」

「こっ、恋人じゃないと見られない顔にも、あんまり恥ずかしくなく見られるのって、ありませんか!」

「こいびとぉ?」

 きょとんとした丸い目で首を傾げた堀北先輩の本の好みは、小説、コミックと併せてホラー系一筋。

 人は見かけによらない第一号の彼女は、あまりに必死な形相で願い出る草間の頭を軽く撫で、「それじゃぁ、ちょっとお茶でもしながら話そうかぁ」と、やはり優しく微笑んだ。

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