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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第三章 脱却少女
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インタビュー&レスポンス

「これは……なに?」

 昼食を取りがてら入ったファミリーレストランのボックス席で隣り合い、窓際にかける草間はそっと、食器の下げられたテーブルの上に一枚の紙を置いた。

「アンケート、でしょうか」

 B5サイズに箇条書きされた質問の数々を見て、有村が長い睫毛を瞬かせる。

 昨夜電話を切ってから考えを纏めるつもりで書き出したものが、いつの間にかアンケート用紙に成り果てていた。多分、有村に訊いてみたかったことをひとつかふたつ書いたら止まらなくなって、気付けば最後の行まで埋め尽くしていた自分が、草間は今更だいぶ怖い。

「僕を知ろうとしてくれたのかな」

「そう……なんだけど、さすがに引くよね、こんなの」

 自分ですら怖いもの、出された方はそれ以上だと思い片付けようとした草間を止めた有村は「見せて」と言って、手の中の紙を浚って行く。

「好きな映画に、好きな言葉、か。草間さんは真面目だねぇ。飛ばしちゃうのもあるかもしれないけど、いいよ。このアンケート、お答えします」

「……実は、それ二枚目……」

「そんなに書き出してくれたの? すごいね。さすが」

 さすがなのは、これでも動じない有村の方だ。いや、内心は気持ち悪く思っているかも知れないが、それでも微笑んでくれる彼はやっぱり対応が大人。

 答えてくれるというなら是非にと、草間は次いでペンを取り出した。アンケートだから、書く物がないと始まらない。そう考えていたのだけれど、テーブルの上を滑らせたペンを一瞥した有村は持っていた紙ごと押し返して来たので、見上げた顔が迷子みたいになる。

「なに泣きそうな顔してるの」

「だって」

「答えないとは言ってないでしょう? ただ、ふたりでいるのに読んで書いてで済ませるつもり? どうせならアンケートじゃなくて、インタビューにしてよ」

「いんたびゅー?」

「そう。読んで書くなら飛ばしてしまう質問も、君が訊くなら答えるかもよ?」

 どうする、と、あの大きくて綺麗な瞳が覗き込んで来る。そういう視線に草間は滅法弱くて、返事はしどろもどろの了承になった。

 冷静に考えてみれば、自分が考えた質問に答えている間中ただ待っているのも、中々気まずい気がしたし。



 有村について気になることを考えた時、まず浮かんだのは確認だった。

 元いちファンである草間の持つ情報は誕生日や血液型のように間違っているかもしれないので、今更聞けないことも含めてせっかくだから正確な情報に上書きしたいと思ったのだ。

 なので有村に見せた方ではない一枚目は、まるでただのプロフィール。

「じゃぁ、ひとつめ」

「デデン!」

「そういうの要らないです」

「ごめん。ごめん」

「お、お名前は……」

「えっ、そこから?」

「いや、あの……えっと……由来、とかあるのかなって」

「由来、気になるかい?」

「知ってることは、掘り下げてようかな、って」

「なるほど。そういうの何問くらいある?」

「二十問、くらい」

「二十問! わかった。ちょっと驚いたけど、もう大丈夫。由来ね。由来――」

 今日も窓の外は炎天下。清々しい青空に恵まれた爽やかな日に、こうしてふたりきりの質問大会が幕を上げた。

 長丁場を覚悟して、お互いに並々注いだドリンクを傍らに置きながら。

「僕の名前は祖父が付けてくれたものでね。由来は確か強い子になるように、だったかな。生まれた時は小さくて。洸の字は瞳の色が似てるからと、祖母から一文字貰ったんだ」

「そうなんだ。じゃぁ、次――」

「あ、結構サラッと行くね?」

「たくさんあるから……」

「そういうキッチリしてるとこ、嫌いじゃないよ」

 靴のサイズは二十六半。服は大体Mサイズで、物によってはSサイズでも着れ、逆にあまりゆとりのある服は好きではないらしい。窮屈なのは好きじゃないはずなのに、ちょっと意外だ。

 いそいそと書き込む草間に「因みに、着衣の好みで言うと靴下が嫌い」と付け足した有村は靴も好きではなくて、出来るなら一日中裸足でいたいのだとか。

「でもサンダルはもっと好きじゃないから、靴を履くなら靴下が必須で。ジレンマだね」

「拘り?」

「と、言うより、身に着ける物は少ないほどいいね。だから普段は鞄も持たないでしょう?」

「そう言えば。あれ、でも有村くんは結構色々出すよね、お菓子とか。どこにしまってるの? ポケット?」

「さぁ、どこでしょう」

「鈴木くんは四次元ポケットが付いてるって言ってたけど」

「じゃぁ、そういうことで」

 手品が得意な人だしな。曖昧にされる質問の大体はそう思うことにして、草間は次々に項目を埋めていく。なにも全てに完全な答えを貰えなくても構わないのだ。全部で四十問近くあるから、半分も埋まれば、それで充分。

 一枚目の半分が過ぎても有村は快く答えてくれたし、始めてみると思いの外、草間もこの時間を純粋に楽しめた。ノートに書き込んだだけ有村に詳しくなっていく気がする。十問目が過ぎ、二十問目が過ぎ、徐々に調子を上げて行く草間の根底にあったのは、やはりどうにも拭えないファン心理。

 だから(したた)めた時には様子を見て飛ばすつもりで加えた項目まで流れでうっかり尋ねてしまい、焦って顔を上げた草間は一拍置いて「この世の終わりみたいな顔しないの」と笑われ、肩を窄めた。

「そんなに訊きづらそうにする?」

「だって」

 草間が訊いたのは有村の家族構成についてだった。それ自体は大したことのない質問だろうけれど、これはあくまできっかけなのだ。

 話し上手な落合でもなし、以前迂闊に踏み込んで懲りたのを、草間は未だ忘れていない。

「もしかして、随分前に僕が実家を出てるのを内緒にしてるって言ったから?」

「うん……」

「そっか。その時も言ったと思うけど、別に気まずいわけじゃないから。えっと、家族構成だよね。両親のみで、兄弟はいません」

 相変わらず歯切れよく答えてくれるが、有村がその手の話題をさり気なく避けるのを知っている草間の表情は曇ったまま。

 楽しい話だけしたかったのだ。気まずくならない話だけを。だったらなんで書いたんだと、草間は昨晩の半分寝ていた自分を責めた。

「ごめんね、有村くん。こういう話は、あんまりしたくないよね」

「そんなんじゃないって。ホラ、顔上げて?」

「でも……」

「じゃぁ正直に言うね。僕が家庭の話をしないのは、話したくないんじゃなくて話せることが少ないからだよ」

「そうなの?」

 なんで、と草間の視線が尋ねる。それを受け取る有村は控えめな笑みで、両親は仕事に熱心だったからあまり一緒に過ごした記憶がないのだと、言い終えた時にその笑みを少しだけ大きくした。

「部屋に籠ってばかりいたから、のんちゃんたちみたいに楽しい話題もなくて。つまらないだろうし、話して妙に気を遣わせてしまうのもね?」

「そっか」

「それに、もし本当に仲違いしてるなら、泊まり掛けがどうのって最初から断ってると思わない?」

「あ……」

「仲が悪いわけじゃない。ただ――」

「……ただ?」

「――いや。そう言えば最近どうしてるのか知らないし、仲が良いとも言えないかなって、ちょっと思っただけ。元気にしてるのかなー」

 そのひと言で電話もしていないのだと感じた草間は、先程とは異なる暗さで俯いたあと、顔を上げてたどたどしく口角を上げた。誰にだってあまり話したくないことくらいはある。隠していたいほどでもなく、ただ口にしたくないことが。

 他人に気を遣わせてしまうからという理由は特に、草間には馴染み深いものだった。地元の人間なら顔や下の名前や当時の素行について知っている人も少なくない、奔放な姉のこと。あの人を見下す冷たい視線を思い出したら、草間も少しだけ彼女が今頃どうしているのかを考えたりした。相変わらずなはずだ。姉はきっと自分を持て囃してくれる男性がそばにいないと死んでしまう。

 訊き返した思わせぶりを突ける口でもなかった草間は一枚目に残った十問程度の質問を捨て、二枚目のアンケート用紙に手を伸ばした。

 その時ふと、最後の一問だけが草間の視界でこれだけはとアピールしたのだ。

「あの、最後に一個だけ、有村くんが小さい頃のこと訊いてもいい?」

「いいよ」

「あのね――子供の頃に夢中になってたことって、何がある?」

 幼い頃の草間には、落合や久保と親しくなるまで友人がいなかった。家にいると姉の声が気になって、静かに過ごせてひとりでいてもおかしくない場所を求めて図書館に籠ってばかりいた子供の頃、それについて話題に出来ることは半分夢の中でもそれくらいしかなかった。

 誰かと何かをして遊ぶのが好きだったと返って来ても、そこで終われる。掘り返したくないのは自分も同じだと、質問を投げてから草間は気付いた。多分、ふたりにこの手の話題は向いていない。

「夢中になってたこと、か……」

 そうと草間に知らせる、ここへ来て初めて即答しなかった有村は物憂げに頬杖を着き、悩む仕草で窓の外を眺めた。

 色素の薄さがそう見せるのか、大き過ぎる瞳がレンズのように見えるからか、瞬きの少ない有村の目は見える景色よりずっと遠くを眺めているみたいだ。草間がそう感じるのは、これが二回目。初めてふたりきりで食事をした時に見た一回目には確か怖いと思った気がするが、今回は何を思うこともなく続く言葉を待つ。

「――――絵を、描いていたかな」

 充分な間を取ってそう答えた有村は、ガラス細工みたいに綺麗だった。

「絵を?」

「うん」

「あ。そう言えば、有村くんはケチャップで絵を描くのも上手だったよね!」

「――あんなのは絵じゃない」

 綺麗過ぎるほどだった。浮かれた草間をぴしゃりと跳ね退けた有村は久々に人間離れした美しさを纏い、一回の瞬きのあと、視線を手前へ戻してそれを解く。

「見たままを描くのが好きだったんだ。だから、ああやって縁取るだけの絵は、もっと大きくなってから覚えた落書きかな。気に入ってもらえて嬉しかったけど。草間さんはまだ、あのウサギを待ち受け画面しているの?」

「う、うん。お気に入りだから……」

 また描いて欲しいと言うと、有村はニッコリ微笑んだ。そうしてアンケートの一枚目が終了したのだ。なんとなくの気まずさを微かに残して。

「二枚目は好きな物尽くしだっけ。こっちのが時間かかるかも、簡単なのだといいなぁ」

「よくあるのしか思いつかなかったよ。最初は、好きな映画をお願いします。怖い映画以外で」

「うわ。一問目から難題なんだけど」

「え、そう?」

「人が死なない映画なんてあったかな」

「やっぱり映画と本は残酷好きじゃない」

 僕は平和主義だよ、と、昨晩と同じことを言った有村が昨日の電話越しでも同じように両手で顔を覆っていたら面白いのに。

 草間は手にしたペンの先をクルクルと回しながら、「ひとつもないの?」と悪戯っ子みたいに笑った。



 途中でおやつ休憩を挟みつつ全問終わってみれば、窓の外は太陽が猛威を振るう暑い盛りを過ぎていた。時間は夕方の四時過ぎ。アルバイト先へ向かうには少し早いが、草間は鞄にノートをしまいがてら今日の礼を有村に告げる。

「有村くんもこれからバイト?」

「ううん。今日は食材の買い出しと、ついでに書店へ寄って帰るつもり。草間さんに着いて行って、接客して貰おうかな」

「えっ!」

「いや。そんな絶望した顔されるとさすがにショックなんだけど」

 アルバイト前に会った日は、草間の勤め先の前でさようならをするのが定番だ。彼もアルバイト先へ向かうなら少しだけ遠回りになるのだが、それでも必ず有村は草間を送る。

 今日もまたその流れで会計を済ませ店を出ようとした時に草間はハタと気が付き、ドアに手を掛けた有村を振り返らせた。足を止めてしまった手前白状すると、草間は最近仕事中も軽くメイクを施すことにしていて、熱中してしまった質問大会の最後に笑い過ぎて崩れたはずのそれを少しばかり手直ししたかったのだ。

「ごめん、気が利かなくて。いいよ。僕は出た所で待ってるから、しっかり可愛さを倍増させておいで」

「またそういうことを言う」

「本心だから」

「すぐ済むから、ちょっとだけ行って来るね。ごめんね!」

 普段は着替えてから事務所でする化粧直しに、近くにいたスタッフにひと言声かけてから、草間は店内奥の手洗い場へと駆け込んだ。

 鞄からポーチを取り出し、ふと口を吐く溜め息。丸いだけの目許を大きく見せるひと筆も描き足す鼻筋も必要ない有村からすれば草間のメイクなど取るに足らないだろうに、彼はいつもこのささやかな努力を手放しで褒める。

「もう。ホント、有村くんは恥ずかしいことばっかり言うんだから」

 ひとりきりなのを確かめてから毒吐いてみても正面の鏡で確認するまでもなく草間の頬は真っ赤なわけで、勤務中は絶対に有村が訪れることのない書店でもその努力を続けるのは、そこにも同じように褒めてくれた人たちが何人がいるから。

 草間に洒落っ気が出ると、可愛くなると、どうやら彼氏である有村が素敵な人だと知ってもらえるらしい。どう繋がってそうなるのかはわからなかったが、可愛くなったと言われるよりいい恋をしていると言われるのが嬉しくて、草間は口を緩めながらファンデーションのパクトを開いた。

 メイクを直し、髪に櫛を通して、最後に手を洗い濡れたハンカチとポーチを鞄にしまうまで、かかった時間は大体三分ほどだっただろうか。出入り口へ向かう途中で先程断りを入れたスタッフに会釈をし、草間はドアを押し開けて外へ出る。待たせているのが有村でなくても、草間は急ぐ口だ。

 ふたりが入った店はコンビニの上にあった。真ん中で一度折れる階段は少々滑りやすく、急ぎながらも草間はいつも通りに手摺りを掴む。

 スニーカーの底がパタパタと数回の音を鳴らした。

「――そう。そういうことなら、諦めるわ」

 まだ見えない一階の道路の方からそんな声が聞こえたのは、小さな踊り場へ出る二段上でのことだった。

「また碌に寝てませんって顔して。身体、大事にしなさいよ? じゃぁね」

 タン、タン、タン。

 速度は落ちても足は止めずにいた草間が一階へ下りると、そこには有村がひとり立っていた。

「うん。可愛さ三割増し」

「いま、誰かと話してた?」

 顔見知りが通ったんだと答えた有村越しに真っ直ぐ続く歩道を覗くと、耳にした穏やかな声で話しそうな、細くて高いヒールを履いた大人の女の人が何人か見えた。

「有村くん、また寝不足してるの? 最近暑くて寝付けない?」

「ちょっとね、大したことないよ」

「本当に?」

「うん。ホラ、遅刻しちゃうよ? 早く行こう?」

「あっ、うん」

 小さなバッグを肩から提げている人。腰まである長い髪を揺らしている人。スタイルがよくわかるぴったりとした膝上のタイトスカートがカッコイイ人。

 その内の誰かなのか、それ以外の人なのか。どの人が知り合いだったのかなと一瞬だけ考えた草間は多分、その人の声しか聞こえなかったのが少しだけ気になったのだ。

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