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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第三章 脱却少女
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空まで届く

「本当にね! 酷いと思うの! いつもだよ、いっつも! 絵里ちゃんはなんだかんだ言って私が本当に嫌なことはしなくていいって言ってくれるけど、キミちゃんはいっつも上手いこと言って言い包めるの!」

「確かに、落合さんは口が立つからねぇ」

 その口車にまんまと乗せられる自分のことは棚に上げ、草間は捕まえ損ねた落合へ向かう憤りの矛先を斜めに、頬を膨らし不満を垂れる。

 だって初めての遊園地デート、らしきものなのに、有村の前で大泣きして悲鳴を上げまくる情けない姿を晒すなんてあんまりだ。晒したのは草間自身なのだけれど、それも今は棚の上。

「本当に怖かったんだからぁ!」

「そうだね。草間さんはよく頑張ったよ。えらい、えらい。でもそろそろ機嫌を直して、僕との賭けに集中して欲しいなぁ。これ以上放っておかれたら、さすがに拗ねてしまいそうだよ?」

 怒った顔も可愛いけどね。そう言ってゆったりと微笑む有村に「飴でもお食べ」と小さな包みを握らされると草間はみるみる照れ臭くなり、やりきれなさの残党は口の中で濁しながら早速貰った袋の封を切る。

 えらい、とか、可愛い、とか。さらりと言ってしまう有村くんだって、本当はすごくズルいと思ってるんだから、とは丸め込まれ体質な草間の精一杯の負け惜しみ。

「あ、これパイン味? 珍しいね」

「前に草間さんから貰ったのが美味しくて、偶然見つけたから買っちゃった。またオススメがあったら教えてね」

「うん……」

 でも、そんなズルさに浮かれて、飴ひとつでまんまと機嫌を取られてしまう私。

 なんて単純なんだろうとしんみりしつつ、ようやく進行方向を向いた草間はそろそろ乗り込み口へ上がるスロープへと差し掛かる頃で、列の前方に残るはあと六組ほど。順番を待っているのは、パークの入口を潜る前からその姿を覗かせていた大観覧車だ。

「有村くんは、観覧車も初めて?」

「うん。あのゴンドラ、近くて見ると思ったより小さいね。中は蒸れてしまわないのかい?」

「最近のは一個ずつクーラーがついてたり、小さい扇風機が……あ」

 揃ってゆっくり回るゴンドラを眺めていたら、草間はふと藤堂の言葉を思い出して有村を見やった。確か通気口があって空気が通るゴンドラもあった気はするが、間違いなく窓は開かない。

「どうかした?」

「あ、あの……快適には乗れると思うんだけど、ゴンドラの中はその……狭い密室かも」

「……藤堂から聞いたのかな」

「うん……ごめんなさい」

 咄嗟に口から出た謝罪が何を指すのか自分でもよくわからなかった草間を有村は軽く笑い、ふたりで何の話をしてるんだい、ともっと軽く茶化した。

 そうして向けられる爽やかな微笑みに草間の眉が元に戻ると、またひとつ客を乗せたゴンドラが出発を切る。残るはあと四組。賭けの勝敗も間もなくだ。

「いや、謝ることではないよ。心配してくれてありがとう。でも多分平気なんじゃないかな。確かに狭い所は苦手なんだけどね、用があって自分で入れば困るってほどでもなくて」

「そうなの?」

「好んでは入らないけどね。全部ダメなら僕はトイレにも入れなくなってしまう。と、言うか普通に入ってたでしょ? シアター系のとか、さっきのホラーハウスも僕からすれば狭い密室」

「あ。そっか」

「要は気分の問題なんだよね。その点、君が一緒なら退屈するわけがないから、安心」

「な……ッ」

「ところで、僕はもう賭けの勝敗に気付いているわけなんだけど」

「えっ! あっ、赤?」

「そうみたいだねぇ。残念、引き分けだ。と、言うことで勝者の草間さん? なんなりとご希望をどうぞ」

「じゃ、じゃぁ――」

 バランスが悪くなるかもしれないけど、隣同士で座りたいです。

 そう消え入りそうな声色で願った草間を有村はまた心底おかしそうに笑い、ふたりもまた赤いゴンドラで短い空の旅へと繰り出した。



 有村がスタッフから聞いた通りこの観覧車は夜景の頃がオススメで、丁度良い時間になるとよりデートスポットらしく進む速度が遅くなる。

「うわぁっ、綺麗な夕日! 沈んでいくのがあんなにはっきり見えるの、久々!」

「ホントだ。ちょっと早かったかなって思ってたけど、これはこれでベストだったかな」

 遠出した甲斐もあり、それほど高くないビルに沈みゆく夕日を眺めながら、昇っているものわからないほどゆっくりと高度を上げるゴンドラの中、草間はガラス張りの手前についた細い手摺りを握り締め、素直に感嘆の声を漏らした。

 辺り一面が眩しいほどのオレンジ色に染まっていた。一番最初に乗ったジェットコースターも、気まずく乗ったメリーゴーランドも照らされてキラキラと輝き、ライトアップが始まる前だからこその景色に、つい解けるような溜め息も零れる。

「このまま丁度良く、夜景の最初も見れたりしないかな……」

「ははっ。それはちょっと贅沢かもねぇ。でもこれだけゆっくりなら、どっちでもない空は見れるかも」

「どっちでもない?」

「夕日が沈んだ直後。まだ明るさは残る頃に、一瞬だけ夜に成りきらない時間がある。おやすみの前に、お疲れさまを言い合うような隙間がね。上の方から夜を連れて徐々に降りて来る藍色の空は幕間のようで、僕は結構その時間が好きなんだ」

「目の前が青っぽくなる時?」

「そうそう、ブルーモーメントなんて呼ばれたりするね。お天気だった日の証拠」

「どっちでもない時間……」

「経過の話だから、厳密に夕暮れとも夜とも言えないだけだよ? 僕が勝手に思ってるだけね」

「藍色……そっか……」

「聞いてる? 時間に隙間とかないからね?」  

 草間は食い入るように空を眺め、上の方に見える微かな暗がりを心待ちにした。夕日が沈むのを早くと願ったのは初めてだ。有村が好きだと言うなら、早くその幕間が見たい。

 そうしてしばらく視線を上げていた草間はそこに薄い月の形を捉え、バトンタッチの最中を見つけた気分になった。本当だ。昼間と夜と、どっちとも取れない空が同時にある。

 生まれてから十七年、空は結構見ているつもりでいたが草間はそれに気付いたのも初めてで、有村と話していればもっと色々な初めてに出会えるのではと思った途端、急に楽しく過ごせていなかった時間が惜しくなった。

「あの、さっきはごめんね? なんか、つい愚痴を……」

 座り直しがてら膝を正面へ向けて、草間はやっとチラリと一瞬だけ有村を見た。

「ううん。草間さんの気持ちはわかる気がするし、僕もホラ、どちらかと言えば構われる方だから。趣旨が読めないと散々だよね。僕もよくやる。藤堂に」

「藤堂くんも聞いてくれる?」

「最初だけね。ちょっと聞いて、あとは大体うるさいとか。あれ、僕が悪かったのかな? って悩むくらい凄んだりするよ。あの声で」

「迫力あるもんね」

「いやにね」

 そういえば気付いた時には藤堂はあの低い声だったと言うと、有村は真顔で「アレはきっと生まれつきなんだよ」などと残念そうに吐き捨てるから、草間は迫力満点の幼稚園児を思い描いてひとしきり笑った。その頃から背は高かったと聞くし、それではあまりにも可愛げがない。

「みさきちゃんはあんなに可愛いのにね。藤堂はちょっと可愛げを分けて貰えばいいんだ。すぐ睨むしさ。たまには、今日はお泊りしてってくれるの? うれしいな! とか言えばいいのに。お膝乗っていい? とか。乗られても困るけど」

「やめて有村くん。藤堂くんが見れなくなる……!」

 自分より細身の有村の膝に大人しく乗る仏頂面の藤堂は、一瞬思い浮かべるだけで脇腹が震えた。悪いよとは言いつつ草間の肩は揺れ続け、ついには「僕は乗ってもいいと思ってる」と追い打ちをかける有村を突き飛ばして前屈みになる。

 なにせ想像や妄想はお手の物。少しの種でも草間の脳内では勝手に面白可笑しく展開してしまうというのに、あれほど仲のいい友人のイメージを無遠慮にひたすら叩き落としていく有村の追撃は、彼らしくもなく容赦がない。

「出そうと思えば出るんだから猫撫で声も……いや、それは考えただけで寒気がするな」

「やめて! ほんとうに!」

「て、言うか藤堂はもう軽くおじさんが入ってる気がするんだよね。若々しさがないし、なんでいっつもちょっと疲れた感出してるんだろ。寝起きなんか特に酷いよ? 冬眠明けの熊かと思うよ。朝からよく食べるし」

「仲良しなのにどうしてそういうことを!」

「仲良しだから言えるんだよ」

 地上十数メートルの空中で、ゴンドラが少し揺れた。

 同時に緩んでいた頬を少しだけ下ろした草間を有村はクスリと笑い、それまでの目が座りきった面持ちからいつもの穏やかな笑顔に切り替えると、どこまでも楽し気にはにかんで見せた。

 ゴンドラの外に見える雲のように、ふわふわと。彼特有の異性らしさをあまり感じさせない柔らかさで、夢を見ているみたいに、ゆらゆらと。

「機会があれば、草間さんにも見せたいくらい。寝起きの藤堂は本当に熊みたいでね。大きな身体で布団の中をモゾモゾするのが、なんだか可愛くてさ」

 困っちゃうね、と全く以て微塵も困っていない様子で満面の笑みを浮かべる有村に、草間は心底驚いていたし、そのままの表情で目と口をポカンとさせた。

 何に驚くと言えば勿論、こともあろうに有村が、あの大柄で強面の藤堂を可愛いと言って退けたことに、だ。それこそ逆なら何度も聞いたし、実際に有村は可愛らしいことをするけれど、そこだけは逆転が有り得ると露程にも思っていなかったから。

 だから草間は思わず「かわいいの?」と、疑問と驚愕の間みたいな声を上げた。

「可愛いよ? ああ、でも見た目じゃなくてね。普段人殺しみたいな顔してる藤堂がそういう無防備を晒して、仕方がないなぁって思わず笑っちゃいそうなことをするのが可愛いって話。本当だよ?」

「……普段とのギャップが、ってこと?」

「そうだね。見たらイメージ変わると思うなぁ。きっと彼がもっと好きになるよ。あー、あの藤堂くんもやたら大きいだけの子供なんだなーって、親近感が湧くかも」

「……本気でオススメしてる?」

「もちろん! そうでなければ全部、ただの悪口じゃない」

 僕は彼が大切で、大好きなのにね。仕上げのように言い放つ有村の声がどこまでも優しくて、けれどその中にも胸の奥を押されるような強さがあり、草間はふと言葉を飲んだ。

 とても不思議な感覚だったのだ。有村はただ藤堂の話をしているのに、それが届く耳から先のどこかで別のものに変わっていくような。声色と表情、そして彼の纏う雰囲気みたいなものが、紡がれる言葉とは違う場所を向いているような。

 今までに感じたことのないざわつきを覚える胸をそっと押さえ、草間は変わらず微笑む有村を見やる。

「おかしなことを言うけど……有村くんはいま、藤堂くんの話をしてる、よね?」

「そうだよ。僕の大切なクマさんの話をしてる。そう聞こえない?」

「うん……なんでかな」

「なんでだろうね。僕が草間さんに藤堂をオススメしたくて、藤堂に嬉しくないことを言っているからかもね。僕には可愛く見えてしょうがないんだけどなぁ。さっきの怖がり過ぎてた草間さんも、可愛くてしょうがなかったよ」

 趣味が悪いと思う、と言った。怖がっていたのが可愛いなんて嬉しくなくて。すると有村は声を上げて笑った。そうしたら急に草間の頭の中に落合の顔が浮かんで来て、もっと胸がざわついた。ついさっき全く同じことを彼女に対して思っていて、口にも出してしまっていた気がして。

 なんだろう、これ。

 昂るまま散々に零した愚痴を、落合の悪口だと叱られたとは思わなかった。そう怒ってやるなと、窘められている気分でもなかった。

 強いて言うなら、目の前をトントンと軽くノックされて、足元を指差されるような、そんな気分。有村はひと言も、落合の名前など出してはいないのに。

 なんだろう、これ。

「そろそろ頂上が近付いて来たねぇ。やっぱりここまで来ると見晴らしがいい。それにホラ、丁度良い時間だったみたいだ」

 感傷に耽る草間は見てごらんと促され、再び横を向いて有村が指差す景色へと視線を投げる。

 遠く見えるビルの隙間に沈んでいく夕日はもうすぐ消えてしまいそうで、周りの明るさは上空から迫って来る暗くなり始めの空に包まれていくよう。刻々と一日が終わる、その瞬間を目の当たりにした草間は、それを素直に綺麗だと思った。

「キレー……」

「でしょう? 逢魔が時とも言うけれど、このくらいの空に何か思うのは今も昔も変わらないのかな」

「あっ、逢魔が時って言うね。そっか、このくらいの頃のことだったんだ。私、勝手に深夜かと」

「丑三つ時と混ざってる?」

「あ……」

「でも、まぁ似たようなものじゃない? 暗くなったらおうちへ帰って、さっさと寝ましょうってね。夜なんて、用もないのに起きてたら碌なことがない」

「碌な、こと……」

「しかしまぁ、こんなに鮮やかな藍色は久々に見たなぁ。最後に素敵な景色も満喫出来たし、今日も一日楽しかった。草間さんはどう?」

「うん。楽しかった。すっごく」

「また来たいね」

「うん!」

 怖い思いはしたけれど、口に出してみれば本当に今日も最高に楽しい一日だったと草間は綻ぶ。まだ夏は始まったばかりなのに、暑さにかまけて何個アイスを食べたんだろうとか、そんなことまでが良い思い出になるばかり。

 同じ景色を眺めつつ、多少の引っ掛かりを覚えて盗み見た寝不足が常の有村が「ここを選んでくれた落合さんにも感謝しなくちゃなぁ」とどこまでも軽やかに呟くと、草間はつられてそれにも大きく頷いた。彼女がここを選んだのは絶対にこの景色の為ではなかったけれど、そんなことを言うのはただの意地悪だ。

 色々あったけれど、最終的にはとても楽しかった。きっと、本当はそれだけでいいのだ。

 だから。

「私、降りたらキミちゃんと仲直りする」

「え。喧嘩してたの?」

「そうじゃないけど」

「だよね」

 仲直りというよりは、自分も今日は楽しかったとお礼を言おうと決めた草間の前で、有村が徐に「うーん」と大きく伸びをした。

 上げた手が天井に届いてしまいそうで、そのまま「次はいよいよ海水浴かプールかな」と気怠げな口振りで話す有村を見上げた草間は、そう言えば訊こうと思っていた、と、どちらへ行きたいかを尋ねてみた。

 三人で雑誌を開いていた時には、落合は両方行けばいいと言っていて、久保はどっちかだけでいいと意見が分かれたのだ。草間は内心両方でもいいなと思っていたのけれど、長い長いと思っていた夏休みもそろそろカレンダー一枚に収まってしまうし、予定を立てるなら泳ぐ以外にもしたいことはたくさんある。

 それに草間はどうせ海にしろプールにしろ、荷物番が関の山だし。

「どっちかぁ。どっちでもいいな。けど、選ぶなら海かな。行ったことないし」

「そうなんだ。海水浴場は混むもんね」

「いや、季節に関係なく海には一度も。って言ってもどうせ僕は入らないから、海でもプールでも、草間さんたちのいい方で」

「入らないの? なんで?」

「水に入るのが好きじゃないから」

「……もしかして、有村くんもカナヅチ?」

「も、ってことは、草間さんも水に浸かりたくないタイプ?」

「うん。全然泳げなくて」

「なるほど。それなら海にしよう。コンクリートより、砂浜の方が楽しそう」

「待ってる場所で選ぶなんて」

「笑ってる場合じゃないよ、草間さん。僕は待ち惚けをしになんて行かないよ? そういう場所で水に入らなくても楽しめるって証明するという、密かな野望がね?」

「野望って……っ」

「だから笑い事じゃないんだって。遊びは平等じゃないと。水に入るかどうかで不利があるのは納得出来ない」

「やめてもう……そんな真顔で……っ」

「笑ってないでちゃんと聞いてよ。草間さんが味方って知って、僕はいま水を得た魚のような……あ」

「やめて、ホントに……っ」

 有村くんはカナヅチ。だけど頑なに泳げないとは言いたくないらしい。

 電車が少し苦手な以外は万能な彼の初めて知る不得手と意外な見栄の張りように笑いが止まらず、草間は今年こそただの荷物番で終わらなそうな予感に胸を躍らせる。

 どこへ行っても、何をしても。

 今までさして得意でも特別でもなかったことすらきっと、どんなことも全力で楽しもうとする彼が隣りにいるだけで、全く表情を変えてしまうはずだ。

 頂上を過ぎ、ゆっくり降りる観覧車。そこから眺める景色みたいに最高の思い出が、これからもたくさん増えていく。有村とふたりで、若しくは七人で作る、楽しい夏の一ページ。それがたくさん積み重なって、いつか立派な一冊の本になる。

 空想で満足していた自分が本当に息衝く、鮮やかな物語。

 そんな期待に夢も希望も膨らませて、草間の想いはまだまだ空高く、どこまでも舞い上がっていくのだった。

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