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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第三章 脱却少女
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最強の味方

 夏休み最初のイベントでありながら、開始早々二手に分かれることになった遊園地での一幕。

 絶叫系制覇を掲げて乗り出した落合たち四人に取り残される形でベンチにかける草間はいま、飲み物を買いに出掛けた有村が戻って来るまで絶賛待機中だ。

 久保の幼馴染みであり、これまで最も苦手にしていた男子、藤堂圭一郎とふたりきりで。

 そんな数ヶ月前までは考えてもみなかった、実のところつい先程まで気まずいに決まっていると思っていたシチュエーションで、草間の頬は緩みっぱなしだった。

「要はまぁ所謂天才肌ってのなんだろうが、有村を見てるとちょくちょく気持ち悪いヤツだと、つくづく思ったりはする」

 そこが面白いんだけどな、と続く藤堂とふたり、有村の時に奇行とも取れる行動を含めて、尽きることない話題に花を咲かせていたからだ。

 わざわざ苦手なものに何度も手を出してみたり、今日は平気なんじゃないかとか、本当に不可能なのか自分で確かめないと気が済まなかったり。

 猫が見てる物が気になると路肩の塀に登り、スクッと立ち上がったかと思えばそのまま走り出して唐突に飛び降りる。そんな話が出た時には、藤堂は哀愁たっぷりに「引き過ぎて時々怖いんだ」と言い、草間は眉をキリリとさせて「飛び降りるのはやめて欲しいよね!」と、七夕祭りのジャングルジムを思い出し語気を強めたりした。そういう話が出ること、出ること。

 わかる、が口癖になってしまうくらい頷いて笑い続ける草間の前では、藤堂もまた同意が得られて舌が軽くなっていたのかもしれない。

「そうだな。例えば……お前、知ってるか? アイツが中間と期末で落した点の話」

「知らない。合計点しか張り出されないし……でも、確か十点くらいだったよね?」

「それ、半分は数学なんだけどな」

「意外……有村くん、数学なんて特に得意そうなのに」

「得意なんだよ、寧ろ得意過ぎるんだ。全問暗算な上に引くほど速いからな」

「えっ! 暗算? 公式使うのも?」

「そうだ、気色悪いだろ? だから途中式がねぇって減点されて、羽賀に呼び出し食らってよ。今度それやったらカンニング扱いするって言われて、途中式の書き方練習してるんだぜ」

「練習?」

「わけがわからないだろ? 頭の中では出来るのに、どう書けばいいのかわからないんだと。勝手に計算が終わってるとか言うんだぜ。ゾッとした。それ聞いた時は」

「どういうことだろう……私に教えてくれた時はちゃんと公式にはめて教えてくれたけど……あ、でも、そう言えば前に黒板の問題解く時、いきなり答えだけ書いたことあったね。羽賀先生に注意されて、書き直して」

「あれは鈴木の丸写しだったんだけどな。戻る途中で見て」

「鈴木くん、さすがのフォロー……」

「まったくだ」

「ふふっ」

 話してみると藤堂は実に気さくで、口調こそ少々突き放す風に尻切れるが話し辛い人ではなかった。相変わらずのすまし顔で黙っていた方が気がラクだなどと言うから気を遣ってくれているのだろうけれど、話すのが好きではないというのは少し違うのではないかと草間は思う。

 なにせ有村に言わせれば、藤堂は結構お喋りな方らしいのだ。本当にそうなんだなと今までの印象を改めていた矢先に藤堂がふとしたわざとらしい咳払いは、笑い過ぎた草間の目に彼なりの照れ隠しに見えた。つい色々と話し込んでしまった草間と同様に、喋り過ぎたとでも思っていたら面白い。

 草間は今や揃えた膝を藤堂寄りに向けていて、気まずさなど欠片もなかった。だからそろそろ藤堂の指定した時間を迎え有村が戻って来る頃だと思うと、ごく自然に彼にしか聞けない事柄を口にしていた。

「あの、もし、あればなんだけど。有村くんといて気を付けた方がいいこととか、ある?」

 自分がされることではなく、知ってさえいれば協力出来ること。

 以前聞いた人前で食事をするのが苦手だというのを例に出して他にもあるのか尋ねると、藤堂は少し悩んだように視線を空へ投げ、「そうだな」と低く呟いた。

 少し、ずるいかなとは思ったのだ。有村は草間が尋ねれば何でも答えてくれたから。

 でも、なんとなく聞き辛かった。その気持ちを藤堂は汲んでくれたようだった。

「ザックリ言うと、窮屈を感じさせないこと、かな」

「窮屈?」

「アイツは基本、開放的でいたいんだよな。空間で言うと、ドアを閉めないとか。気分的にもそうで、だからこう広々と伸び伸びやらせてやってくれ。お前が大変にならない範囲内で。そうしたら特に問題はない」

「閉所恐怖症、みたいな? あ、だからいつも教室の窓を開けてるのかな」

「いや、あれは単に暇なんだ。アイツは一回読めば教科書くらい丸暗記するから、授業なんて退屈なんだろ」

「やっぱり……」

「けど家でも窓は全開だから、狭い密室が嫌いだとは言うが、教室も窮屈なのかもしれん」

 窮屈が嫌い。それは「そっか」と返した草間にもわかる気がした。囚われたくない感じ、そういうところが有村にはある。

 しかし伸び伸びしたい有村の苦手が空間にまで及ぶとすると、ふと思いつくものがひとつ。

「あれ? でも私、前に一緒に映画館に行ったよ? あそこも、言ったら密室だよね。有村くんは普通にしてたと思うけど」

「ああ、あれな。あれは俺も聞いた時は驚いた。なんでもお前のリアクションに気を取られてたらいつの間にか終わってたそうだが――」

「えっ」

「でかしたぞ、草間」

「なにがだろうっ?」

 次はもう少し狭いスクリーンも試させてやってくれ。そう言われた時には、草間は顔を両手で覆い隠し、天を仰いで声にならない悲鳴を上げていた。

 確かあの時も近いことを指摘されて恥ずかしくなったのだが、それが苦手を克服するくらいだったと知ると今更ながらに消えたくなる。そんなにも動いていたのだろうか。いや、それで有村が映画も楽しめたのなら結果的には良かったのだけれども。

 訊いて良かったのか、訊かない方が幸せだったのか狼狽を極める草間をクスリと笑い、藤堂は「少なくとも、俺はよくやってくれたと思ったぞ」と、有村が例の余所行きを捨てたことも合わせて『でかした』と言って寄越した。

「アイツはあれで妙に偏屈でな。自分で一回ダメだと思ったもんは、そう簡単に改めない。大したもんだ。いいぞ、草間。その調子だ」

「無理です……」

「何を言ってる。自信を持て」

「持てません……っ!」

 だって、うっかりしてしまうだけで特に何もしていないのだもの。でかした、なんてとんでもない。

 もうやめてと言うつもりで指の隙間から視線を投げると、草間は藤堂が湛える全くの無表情に一瞬だけ睫毛を揺らした。

 これまで怖い怖いと思って、碌にその顔を見ていなかったのかもしれない。毎年の文化祭で決まる校内一の美男子の称号『ミスター譲葉』を昨年度手にした王者、遡れば小学生の頃から腹立たしいほどよくモテると久保が零していた藤堂は確かに有村とはまた異なる種類の端正な顔立ちをしていて、冷静になればこちらも相当に見栄えの良い美男。草間はそれに今更、唐突に気付いてしまったわけだ。

 なんだか普通に楽しく話してしまったけれど、これはこれで大変なことなのでは、とか。

 意識してしまったら急に恥ずかしくなって、熱を持つ耳の先が一層の羞恥心を煽った、その時。

「――なにしてるの、ねぇ」

 直視するのも気まずくて指の隙間を閉じかけた草間の限られた視界で、俳優系と言われて久しい男前がガクンと揺れた。

「そんなつまらなそうな目付きで草間さんを見ないで」

「生まれつきだ」

「嘘だ。さっちゃんを見る時は、もっとデレデレしてる」

「一緒にするな」

「やれば出来るでしょ、ってこと!」

 身体から持っていかれて頭があとについて行くほど急激に、藤堂は両方の肩を掴まれ、これでもかと激しく前後に揺さぶられ出したのだ。無論、そんな無体を働くのは問答無用で今年の人気一位を掻っ攫うのであろう、いつの間にやら戻って来た有村である。

 お帰りを言える隙もなく慌てふためく草間の傍ら、ベンチの中程に出来た藤堂との隙間には、彼女の好きなペットボトルのアイスティーと、スクリューキャップ式の缶コーヒーがひとつずつ。

 有村は横から見てもわかるくらいに元より大きな目を更に見開き、引き寄せれば頭突きでもするのかと思うほど近くまで迫り、押した時には藤堂の背中を背もたれに軽くぶつけた。

 繰り返し、繰り返し。ガックン、ガックン、と。藤堂の短い黒髪もよそぎ、頭は首からもげてしまいそう。

「やめろ。酔う」

「困らせないでって言ったよねぇ」

「困らせてない」

「そうは見えなかったんだけど?」

 草間は正直なところ有村が急に現れたことよりその行動に面食らっていて、つい仲裁に入るのを忘れた。彼にも物理的な攻撃に出る時があるのかと驚いたのだ。

 ただ、少々語気を強めたように思う有村の声は、以前橋本から助けてくれた時に聞いた冷たい物とはまた別の響きをしていた。吐き捨てる風でもないし、威圧感も然程ない。でも苛立っているみたいだとは伝わって来る、不思議な声色だ。

 つまるところ、怒っている気はするが全く怖くなかった。なんというか、子供が駄々を捏ねているようなと表現した方が近いかもしれない。

「困ってないよな。草間」

「うっ、うん。困ってない。全然」

「怖い声で誘導しないで。そういうところがね、君にはあるよ」

「揺らすな。首が痛ぇ」

「幼児じゃないから大丈夫。反省してよ、ねぇ」

「だから何もしてねぇって……気持ち悪ぃ」

「速くしたっていいんだよ?」

「それは勘弁……グェ」

 助けを求める藤堂が全く以て彼らしくない呻き声を上げると、草間はいよいよ大事になってしまった気がして有村を制止するよう両方の掌を突き出した。

 本当は腕でも掴んで止めたら早いのだろうが、未だ自分から手を伸ばすのに無意識でないとかなりの勇気がいる。焦る気持ちは行動ではなく、音量として草間の口から飛び出した。

「あっ、有村くん! 本当になんでもないから、それ以上したら、藤堂くんの首がもげちゃう……!」

「アルミ製か何かならね」

「もげなくても痛めるから! そのくらいで……て、言うか、私がただ勝手に騒いだだけだから!」

「勝手に?」

「そう! 藤堂くんは何も……ただ普通に楽しく話してただけで!」

「楽しく、か。うん。それは良いことだね。草間さんが気楽に過ごせるようになるのは嬉しいよ」

「でしょう? だから藤堂くんは何も悪くなくて、気を遣ってくれて、ありがとうなくらいで! だから放して! もう、やめてあげて!」

「うーん」

「有村くん!」

「そうねぇ……」

「オイ! お前、いい加減にしろ!」

 勢いを失っていく口振りと前後に揺らす速度は比例せず、もう我慢の限界だとばかりに怒号を上げた藤堂は掴みかかる腕を振り払うでもなく、そこだけ一足先に平常時に戻っていた有村の顔面を片手で鷲掴んだ。

「キャッ――!」

 この光景、何度見ても度肝を抜かれる。怒りに任せた藤堂の手が大きいのか、単に有村の顔が小さいのか。眼鏡を額の上まで擦り上げられた有村の顔は、その大凡が余裕ですっぽり掌の中。

 短い悲鳴で済んだのは、草間としては耐えた方だった。昔ちょっとだけ観てトラウマになっているエイリアンの寄生シーンみたいで、心臓はバクバク。

「やめろって言ってるだろうが!」

「痛い痛い! ミシッて言ってる!」

「腹が立ったならまだしも、治まったんなら何故やめない! なんとなく人を揺するな!」

「頬骨割れる! 指食い込んでるから!」

「お前の勘違いだったんだろうが! だったら、ごめんなさいは!」

「ごめんなさい!」

「よし! わかりゃぁいい」

 解放された有村の顔は見事に真っ赤。耳のそばには指の跡もついているし、これは本当に痛そうだ。

 砕けるかと思ったと言ってしゃがみ込んだ有村を見やり、草間は勿論心配もしていたのだけれど、不遜に腕を組む藤堂との対比でつい口角の行き先が上と下で迷ってしまう。

「……なんで笑ってるの」

「だって」

 友達というより怖いお父さんと子供みたいだったから、なんて言えるはずがない。

 草間は隠しきれなくなったおかしさで肩を揺らし、仲良しだねと言葉を濁した。有村にしろ藤堂にしろ、ふたりで居る時の雰囲気はやはり独特だ。

 少し前には羨んだその光景が惜しげもなく晒されると自分もその一端になれたようで、草間は堪えても開いてしまう口許を軟く握った右手で隠す。

「ふたり共、なんだか楽しそうで。見てたら私も、ちょっと楽しくなってきちゃった」

「草間さん……」

「…………ッ」

「痛ッ! なんでぶつの」

「うるせぇ」

「なに。なんだって言うのさ! 今日の君、ちょっと変だよ」

「お前にだけは言われたかない」

「どういうことかな!」

「ふふっ」

 本当は、だいぶ嬉しい。でも草間は照れ隠しに『ちょっと』を付けて、普段は大人びたふたりがじゃれ合うのを可愛いと思ったことはそっと胸の奥で温める。こういう時間をもらえるなら、置いてけぼりも無理した甲斐もあったかもしれない。

 そうしていよいよ取り止めがなくなった頃に、今度は有村がコホンとひとつ咳を払った。

 彼は知らないから仕方がないが、そのあとでやや気まずそうにするのまでつい先程の藤堂をなぞるよう。草間の頬は緩みっぱなしで、チラと合った有村の視線が少し拗ねたような色を滲ませ、すぐに逸らされてしまうのをまた可愛いと思った。本人には勿論、内緒だ。

 藤堂に腹や腕を散々に叩かれて乱れたシャツの裾を払いながら、そういう時の有村はいつもより少々語尾が素っ気ない。そんな案外と照れ屋なところが、ここ最近見つけた草間のお気に入りだったりする。

 炎天下のお遣いに、彼は園内を半周以上したらしい。

「途中で落合さんたちに会ったんだけど、やっぱりどこも混んでるらしくて、集合は一時くらいにして欲しいって。お昼は一緒に食べようってさ。草間さんがもう大丈夫なら、僕たちも移動しない?」

「そうだな。ずっとここにいてもしょうがないし。どうだ、草間。動けそうか」

「うん、大丈夫。でも、ふたりはいいの? そういうの乗らなくて」

「うん」

「別に」

 そんなに楽しくなかったから。興味ない。と、重なる声を聞いたらもう我慢が出来ず、揃って涼し気な面持ちでいるふたりの前で、草間はクスクスと笑い出した。

「それじゃぁ、もうちょっと付き合ってくれると嬉しいです」

「もちろん」

「ん」

「草間さんが楽しめるのは何かなぁ」

「草間は何なら乗れるんだ」

「ちょっと」

「なんだよ。お前が被せて来るんだろうが」

「……ふふっ」

 どこもかしこも正反対なのに、どことなく似た雰囲気を持っていたりする。だとすれば誰より有村の扱いを心得ている藤堂は、草間にとってこの上なく頼りになる味方のはずだ。

 ふたりきりになりたがる有村とそれを受け入れようとする藤堂を慌てて取り成すひと悶着があったが、「出来れば三人で」と提案する草間にふたりは折れて、約三十分ぶりに園内散策へと繰り出した。

 右手に絶世の美人、左手に正統派のハンサムと、その間に挟まる自身のアンバランス具合に、草間は歩き出して早々に胸をソワソワ、ヒリヒリさせる羽目になったわけなのだが。

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