お互いさま
待ち合わせまでに時間のあった男子組が用意していたチケットを手に入場ゲートを潜って間もなく、自称切込み隊長の落合は言葉少なに「いつもああなの?」と問いかけた。
投げた先は隣りを歩く鈴木で、既に疲労の色を覗かせる彼の手には疑っていたお詫びとしてネタで選んだ方でなく、よくよく見知った方の炭酸飲料が提げられている。
「モテてーモテてーうるせー町田じゃねぇけど、夏だーつってみんな浮かれてんだろ」
いつもなのかと問われれば、答えは『イエス』。それでも今日はまた一段と酷かったと溜め息を吐く鈴木は、首を回してコキリと可哀想な音を立てた。
「なんつーか有村のガードが緩いんだよな、最近。素でいる宣言してからこっち警戒心が薄いって言うか、なんかもう色々全開で」
「全開とな?」
「外面とかどーでもよくなったんだか、俺らの前でも一応気ぃ使ってたんだか、夏休み入ってから宇宙人に磨きかかってんだよ。委員長の所為だぞ。何でも受け入れちまうから……」
「うん?」
「ん? あ、そーか。お前ら、なんだかんだ言って外でアイツ見るのまだ二回目か。だったら早めに慣れろよ。イチイチ反応してっと疲れ――」
言いかけた鈴木を遮り、ふと話題の人物を振り返った落合は「うぉっ!」と逞しい声を上げた。だから言わんこっちゃない。目を細めた鈴木の表情はそんな風で、溜め息ついでに炭酸飲料のキャップを捻る。
「ちょっ、ちょい鈴木! 姫様がなんか、しなくていい目立とうアピールしてるんだけど!」
「なんか気になるモンでもあったんだろ。気にすんな。気が済めばやめる」
「気になるわ! 一段高いトコに上るとか小学生か! って、跳ねたよ! 足場こんなだよ、こんな! 一センチくらい!」
「アイツ体幹鬼だからな。多分ダッシュ出来るぞ、一センチもありゃぁ」
「危ないから降りろって……セコム。どうなってんの! おたくの藤有!」
「だからぁ、イチイチ反応すんなよ面倒クセー。あれが通常だ。慣れろ!」
「慣れるかい!」
しかしながら、小学生男子の定番の如く通路脇に置かれた花壇の縁を平然と歩く有村に、既に慣れてしまった女がひとりいる。汚い物を見る目を向ける久保に、弱々しい苦笑いを零した草間だ。
つい先程の困惑もどこへやら、いい加減にしろと藤堂に平手打ちを食らう有村こそ彼らしいとでもいう顔で、叩かれても全く揺れない身体がピタリと止まると「わかった?」とだけ投げて視線を仰ぐ。
「見えたけど、やっぱりわからないな。なんだろ、あれ。アザラシ? オタマジャクシかな。白い着ぐるみ……なんか、気持ち悪い顔とフォルム」
「気持ち悪いの? キモかわ、とかじゃなくて?」
「全然。単に気持ち悪い。ちょっと待ってね……ホラ」
「うわぁ……」
軽やかにひょいっと飛び降りた有村は、前方の人だかりを写した携帯電話のディスプレイを草間に見せる。そこには確かに短い尻尾のような棘を付けた白い球体じみた物が、何とも言えない表情で愛想を振り撒く姿があった。
「ちょっと怖いね。目が」
「気味が悪いよね。これを良しとした人の感性を疑う。アートならまだしも」
「子供は泣くかも」
「僕も泣きそう」
「私も……ああ、見れば見るほど怖い」
「写真、撮りに行く?」
「いいや……夢に出そうだし」
「だね。やめておこう」
「うん」
咎めるでもなく眉を困らせたままで「ありがと」と告げる草間を見て、落合はあんぐりと口を開けるばかり。あれで実はルールに厳しい草間がどうやら、自分の知らない間に次のステージへ進んだらしい。
いや、進んでしまった、なのかも。だがしかし、とりあえず。落合は気を取り直して、開いたパーク案内の地図を手に有村を呼んだ。
今日の提案者は落合だった。なので彼女は案内役を買って出るつもりでいるのだ。多少の予想外はさておき、今はまずどこから回るのかに専念するのが先である。
「姫様はさぁ、遊園地に来たらこれは絶対ってのはあるのー?」
「そうだなぁ。あれには乗りたいな、観覧車。あとはぁ――」
こうやって口に人差し指を当ててほわほわしてると、ただの超絶可愛い子なんだけどな。
残念系美男子、やっぱりちょっと美味しい。そう思いつつ、その美味しい餌にすっかり気を取られている草間はもっと好都合と、落合は情報の少ない鈴木に乗った体で彼女がネックのメインアトラクションからスタートすることにした。
この遊園地のウリは、上級者好みから幼い子供も楽しめる可愛らしい物まで揃う種類豊富なジェットコースターと、映画コラボの期間限定お化け屋敷。後者は最後のお楽しみにとっておくとして、それと同じかそれ以上に草間が苦手な絶叫系アトラクション、これだけは遊園地に来たのなら外せない。
一応、三つある中でも一番最初に出来たシンプルな物を落合は選んだ。それでも草間の反応は気の毒なほど凄惨で、列の最後尾へ向かう落合のシャツの裾を掴み無言のまま顔を横へふるふる。
まるで死神に背後を取られたみたいな顔をする草間に、落合は用意していた魔法の言葉を囁いた。
「別に乗らなくてもいいけど、初ジェットコースターでウッキウキな姫様、見たくない?」
「うっ」
ファン一号、ここにあり。見たことがない有村に目がない草間は落合の思惑通り、既に長蛇を成していた列に並ぶ間終始緊張した面持ちではいたものの、いよいよ順番が回って来るという時になってもついぞ『やめる』とは言い出さなかった。
だって、気になるんだもん。口の中をカラカラにする草間にあるのは、それだけ。
初めてのことをする時の有村くん、キラキラして可愛いんだもん。だから乗ると決めたけれど、鈴木山本ペア、落合久保ペアに次いで先頭から三列目の待機列に立ち、草間は実際にも気持ち的にも崖っぷちのようなラインの手前で隣りに並ぶ有村をおずおずと振り返ってみる。
その視線があまり噛み合わないのは、スタッフからの指示で有村が眼鏡を外していたからだ。歩いて数歩の簡易的なロッカーへ行くのも藤堂がついでに代わるくらいだったので、彼の視力の悪さは本物らしい。
目が合ったかなと思った瞬間、有村は大きな目をこれでもかと細めた。
「ごめん。よく見えないんだけど、草間さん今すっごく緊張してますって顔してる?」
「……うん」
「でも、乗るんだ?」
「うん……」
「じゃぁ今から手でも繋いでおく? ちょっとはマシになるかも」
「うん」
「それか僕が躓いてしまわないように手を引いてくれない? 大役だよ?」
「なに、それ」
「だって本当に見えなくて、ある意味すっごく怖いんだもん」
「次だからじゃなくて?」
「こけてカッコ悪いところを見せそうで、それどころじゃないよね」
「なに言ってるの、もう」
多少人相を悪くしても爽やかさの残る有村を笑い、繋いだ手をギュッと握られたら、単純な草間はやっとまともな深呼吸が出来た。
ここまで来てやっぱりやめると言う気はないが、生きた心地はやはりしない。草間の指先は知らず知らずの内に、有村が握るより強い力で彼の手を握り返していた。そうでもしていないと足が勝手に、今にも逃げ出してしまいそうだったのだ。
それから数秒と経たずに順番が回って来た草間には、慌ただしいスタッフのチェックも、送り出すブザーも、出だしの大きな揺れも、空しか見えない最初の登りも、全部がひどく残酷に見えた。小説を読んでいて『死刑台へ向かうような』と表現される時、彼女が思い出すのは大体この瞬間だ。
遊びに来て、どうして怖い思いをしないといけないのだろう。楽しい時間に、どうして悲鳴を上げたがるのだろう。そうした数々の疑問の果てにこんなものを考え出した人とは決して友達になれないと結論付けた草間を捉まえて、前方に座る鈴木が「死にそうな顔してる」と笑ったのだか、心配してくれたのだか。
どちらにせよ事実、死にそうな気分ではあって、草間はただただ命の綱である安全バーを握り締める。よく考えればわかることだった。意地を張って無理をしても、草間に隣りを見る余裕などない。
そう、隣りだ。
「ねぇ、草間さん」
半分ほど登った頃だっただろうか。ふと声をかけられて、草間はそこにも頼りになる人が居たのを思い出した。彼がくれるのは、なにもときめきだけじゃない。
いつも勇気をくれる人。だから、きっと今も。
沸いた期待は草間の気分と、肩の緊張を僅かに和らげた。なのに。
「これ、ぼんやりしてても案外怖いんだけどさ。今って下はどんな感じ? 結構上がって来たよねぇ。地上何階くらいかな」
彼はこともあろうにそんな台詞を、選りにも選って真顔で告げたのだ。
見られるわけがないとも言えないくらいに怖過ぎて、口を開いたら即座に魂が抜けそうな草間の前で。
「風は気持ち良いけど、色々考えちゃうとちょっと気持ち悪くなるね」
「ちょっ、なんで今そんなこと言うの!」
「これ築何年くらいだろう。揺れるねぇ、かなり」
「なんでそういうことを! いま! 言うの!」
「思ったから」
「思っても言わないで!」
「だからやっぱり手を繋いでてくれない? 怖い」
「私だってこわ――イヤァァァァアアッ!」
降りてから聞いた話では、有村は草間を意図的に煽り戦闘力を引き出そうとしたのだという。
怒った草間さんは相当強い、などと余計な本心まで聞く羽目になった草間は「そういう気遣いは要らないです」と返すのが精一杯で、突風に乱れた髪もそのままにガックリと項垂れる。
忘れてた。そう言えば、そうやって目的達成まで斜めから近道する人だった。
思い出すのは先日の水族館や、その後の諸々。有村は稀に気つけのように、こちらのモチベーションを上げるか振り切らせる為に、一度思い切り落としにかかることがある。
大抵は実際にそれが一番の近道で、あとになれば有り難かったと思えるのだけれど、身に降りかかったこの瞬間だけは全く以て有り難くない。
有り難くないから、して欲しいことを、何故か誇らしげに胸を張る有村にはっきりと伝えなくてはなるまいと勇み、上げた草間の視線は半ば睨むような角度になる。
「でも声を出したら黙ってるより気が晴れたでしょ?」
「そういう問題ではないです! ああいう時は、怖がってる時は、安心出来そうなことを、どうか!」
「そっか、それもそうだよね。間違えちゃったな。ごめんね?」
「んーっ」
「ごめんね?」
「ううっ」
なのに、痛くも痒くもないというこの態度だ。
コテリと首を傾げる上目遣い。そういう可愛い顔をすれば許されると思って、とどれだけ苦々しく胸の内で毒吐こうと結局草間の目は正直に喜んでしまうのであって、その憂さを晴らしたのはここまでの一連を眺めていた藤堂が唐突に振り下ろした拳だった。
「痛ッ! なにするの。君、まさか人の頭をグーで? 信じられない!」
「うるせぇ。もう一発殴られたくなけりゃわけのわからんことを言ってないで、俺と草間に飲み物のひとつも買って来い。落合たちと合流するまでにまだ二時間はあるんだ。少し休んで草間が動けるようになったら、俺たちも動くぞ」
「なにその藪から棒な命令口調!」
「俺は珈琲が飲みたい。蓋付きのだと尚良い。草間は紅茶だな? 十五分以内に買って、戻って来い」
「僕は君の小間使いじゃ――」
「買って、戻って来い」
「もう! 僕をそんな風に扱うのは君くらいなものだよ!」
「そうか、そいつは光栄、痛み入る。いいから早く行けって」
「行くけど! 僕がいないからって草間さんを困らせたら、珈琲の缶でぶつからね! 角が当たるかもしれないからね!」
「わかった、わかった」
「藤堂なんか嫌いになるんだからね! ちょっとだけだけどね!」
「はい、はい」
絶対だからねと念押しして駆けて行く有村を見送るのもそこそこにベンチへとかけた藤堂は、間にもうひとり座れそうな隙間を挟み反対側のひじ掛けを抱え込んだ草間を見やる。
もたれているのだか、しがみ付いているのだか。ジェットコースターを降りて気分が悪くなった草間の介抱に名乗り出た彼ら以外の四人は今頃、残る二つのジェットコースターを制覇すべく次の列に並んでいるはずで、やり場のない草間を慰めてやれるのはここにいる藤堂ただひとり。
「生きてるか?」
「……なんとか……」
チラと見た三白眼は数回瞬けどやはり迫力満点であったが、お疲れと言って労ってくれる気遣いが、草間の胸にじんわり染みた。
そうして微妙な沈黙を落とした草間と藤堂はこれまで長く顔見知りの間柄であったものの、思い返すとふたりきりになるのはあの夏祭り以来の四度目になる。
過去の三回がそうであったように、少しばかり気まずそうに額を掻いた藤堂は草間より多少はあるコミュニケーション能力でもって、ぶっきら棒に「悪かった」と口火を切った。
「あのあんぽんたんは今日、妙に浮かれてやがるんだ。これからは俺も目を光らせておくから、さっきのは許してやってくれるか」
あのバカは遊園地が嬉しくてはしゃいでんだ。有村を小間使いにするとの同様に、彼を平気でバカと呼ぶのも久保以外では藤堂くらいなもので、見上げた先で目が合った草間はついクスリと吹き出してしまった。
本当に、彼らふたりは特別仲が良い。ふたりでいるとどちらも自然体に見えるというか、変に気を遣った関係でないのがよくわかる。藤堂が保護者と呼ばれたり、有村が嫁と呼ばれたり、どちらにせよ彼らの仲は近親者みたいに親密だ。
それを羨む気持ちはまだ燻っていて、草間は藤堂といると少しだけソワソワした。有村を挟んで、親友と、恋人。互いの立ち位置はそう遠くないようにも思えたのだけれど、如何せん藤堂に対しては苦手意識が根深過ぎた。
探り探りの距離感はそのまま草間の視線に表れ、躊躇いがちに俯くのを藤堂はじっと見ていた。持ち前の鋭い眼光は仕方がないとして、ただただ、じっと。
「別に、怒ってはないの。ただ……」
「アイツはそんな気ねぇって顔して他人を振り回すからな。理解は出来るが腑に落ちねぇ気持ちは、俺にもわかる」
「藤堂くんも?」
「ああ」
全く困ったもんだ、と溜め息交じりに吐き捨てるのを聞き再びに視線を戻した先では、藤堂が本当にうんざりした風に目を座らせていた。ここに有村がいれば、人を十人くらい殺して来たような顔、とでも言いそうな面持ちだ。
そのくせ疲労困憊という様子で瞼を揉んだりするものだから、体格の良さ故の迫力と相まって、今だけは育児に悩む父親みたいに見えた。
「こっちの苦労も知らないですぐにどっか行きやがるし、迷惑はかけてないからいいでしょう、とかほざきやがる。そういうもんじゃねぇって言っても、そんなもんはわからんと、こうだ。アイツには協調性ってもんがない。ソレと付き合ってるお前に言うのはなんだが、苦労は多いだろう。言いたいことはちゃんと言えよ。アイツに我慢しても甲斐はないからな」
「我慢?」
「ああ。アレは無自覚に気ままだから付き合うのは骨が折れるし、やれば他人に合わせられる分、腹が立つこともある」
「骨が……」
言われるままに暫し考えてみるが、草間にはこれといって思い当たる節がなく、特にはしていないと答えた。
その時の藤堂の意外性に満ちた顔と言ったらなかった。信じられないものを見る目で見られて、草間は何かおかしかっただろうかと瞬きを二回。
「……本当に?」
「うん」
「お前、やっぱり変わってるな」
「えっ、やっぱり?」
「付き合いきれるか、とか、思ったこともないのか」
「うん……変、かな」
「変だな。張り倒したくならねぇか。屁理屈捏ねたかと思えば、ガキみたいに感覚で動きやがってよ」
「まぁ、独特だなって思うことはあるけどね。たまにね?」
「すごいな、お前」
「え?」
「大したもんだ」
「な、なにがだろう?」
心底わからないという風に小首を傾げながら、「お前は多分、趣味が悪い」と言われた草間は藤堂を見つめ、もう一度短く笑う。
「なんだ」
「ううん。ごめんなさい」
「謝るなら言え。なにがおかしい」
「えっと……」
「なんだ」
一度おかしいと思ってしまうと、恫喝とも取れそうな藤堂の低い声も草間の緩む口許を直せなかった。
だって。
「そういう藤堂くんも、有村くんと仲が良いのになぁ、って」
それを言うなら、きっとお互い様というやつだ。
すると遠巻きの悲鳴が沸いて消えて行くくらいの間、見つめ合っていたふたりには沈黙が訪れ、どちらからともなく「ふっ」と声が漏れた。
「そうだな。けど、俺は自覚がある」
「趣味が悪い自覚?」
「ああ。アイツといると面倒が増える。だが、退屈するよりはいい」
片方の口尻を上げる皮肉めいた笑みを湛え、「お前もそうか」と問われて「うん」と答えたのを機に、ふたりは堪えきれずに笑い出した。
藤堂は顔の向きを正面へ変え、草間は口許を手で隠しながら。ふっ、ふふっ、と、追いかけっこのように。
「有村は、見てて飽きない」
「うん」
「わからんヤツだが聞き分けは良いし、素直だ」
「うん」
「なにか見つけてはしゃいだり、可愛いところもある」
「うんっ」
そうしてもう一度向き合った時、草間は恐らく知り合ってから初めて真っ直ぐに、本当の意味で藤堂の目を見た。
髪色と同じく、殆ど黒に見える瞳。それ自体は、思っていたほど怖くない。
「なぁ草間。お前が俺を苦手にしてるのは知ってるが、物好き同士、お前さえ良けりゃ、これからはもう少し仲良くやっていかないか?」
寧ろまだおかしさの残る中では威圧感があると勝手に怯えていた大きな身体も、低い声も心強く思え、草間は勿論その提案に乗る。
「藤堂くんがそう言ってくれるなら、こちらこそよろしくお願いします」
「ん。手始めに、お互いそろそろ普通に座らないか? このベンチは一応ふたり掛けだ。実を言うと、今かなり狭い」
「そうだね」
小柄な草間はともかく、同じくらい端に寄る藤堂は確かにひどく窮屈そうだ。
抱きかかえていた肘置きから離れた草間と、座り直して背もたれに寄り掛かった藤堂はその間隔を数センチに寄せ、互いに吐いたひと呼吸を置いてまた静かに肩を揺らし合った。




