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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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私の意味と彼の意味

「痛いなぁ、もう」

 鈴木に散々いじられたあと、出入り口を塞いでいたという理由で戻って来た藤堂にまで思い切り腕を捻られるという粛清を受けた有村は、席に着くなりポケットから取り出したチョコレートを口の中に放り込んだ。

「だ、大丈夫?」

 鞄を横に掛けるのを待って草間がそっと声を掛けると、有村は一応笑って「大丈夫だよ」とは答えたものの、その表情はホームルームの前にも関わらず疲労困憊という様子で、さすがに覇気がない。

「鏡、使う?」

「ん? なんで?」

「髪の毛、うしろ、跳ねちゃってる、から」

「あーそうかぁ。いや、いいや。適当で」

 そう言って無造作にわしゃわしゃと髪を手櫛で梳いた有村が「こんなんでどう」と訊くので、草間は座ったまま首を伸ばして見える範囲を入念に眺め、大丈夫そうだと頷いた。

 柔らかそうな癖のないストレートの、襟足がうなじにかかるナチュラルショート。長めのサイドはそのままだったり、耳にかけていたりで、前髪は真っ直ぐに下ろすと鼻の頭を少し超える。

 それを最後に正面からかき上げて、ふわりと落ち着くのが見慣れた有村の横顔だ。涼し気で、物静か。シャツもネクタイも直したあとだから余計に、珍しく騒いだりしたのも今となっては嘘のよう。いつも通りだ。大体は。

 予鈴のあとの教室もまた有村と同じく、すっかりと落ち着きを取り戻している。

 席の近い者同士で話している声はまだ幾つか聞こえてくるが、どれも騒がしいほどではないし、大半は草間のように一時限目の教科書を机に、静かに担任が来るのを待っていた。そんな中で未だ平常通りといかないのは、草間の胸の内だけだったかもしれない。

 ふと、考えてしまうのだ。彼はさっき、何と答えたのだろうか、とか。

 さっきの、とは、廊下で上級生がしつこく問い質していた『明日のこと』だ。慌ただしくではあったが有村ははっきりと断っていたのだし、それでいいじゃないかと思う反面、その前になんと言って断ったのかな、と少しばかり気にかかる。

 単に用があると言ったのか。先約がある、とか。友達と遊びに行く、とか。

 もしかして、デートの約束があるとか、言ってくれたりしなかったかな、とか。

 その胸を占めるのは、そんなフワフワとしたざわめきと、考えるなり茹る頭に吹き荒れる否定の嵐だ。

 久保と落合がデートの体で話を進めるからそんな気がして来たけれど、それがやっぱりただの勘違いだったら、と、草間のネガティブが警鐘を鳴らす。

 彼にとっては、ただ遊びに行くだけかもしれない。放課後に藤堂たちと寄り道をするのと変わらないくらいのことだったら、友人を駆り出してまで身支度を整えようとしている自分は明らかに気合の入れ過ぎというやつだ。そんなのは恥ずかし過ぎて、目も当てられない。

 膝の上で手を握り、いからせた肩で隠れる首と一緒に気持ちまで沈んでいくから、草間はぎゅっと強く瞼を閉じた。気を抜くとずっと考え込んでしまっていて、今はもうそもそもデートってなんだろう、というとこにまで戻って来てしまった塩梅だ。なんだろう、デートって。何をどうしたらデートなのだろう。もうなんだか頭が痛くなって来た。

 ひとり勝手に思い巡らせて、舞い上がって、最後には目の奥もじんわり痛くなっきて。 

 それで、やっぱり明日は行かない方がいいのかもしれないとスタート地点より戻って来てしまったところで、草間はその肩を小さく叩かれ我に返った。

「草間さん、ちょっといい?」

 窓の方から聞こえる耳触りのいい声は、如何なる時でも無視は出来ない彼の声。そんな条件反射さえ、今はとても複雑だ。

「はいっ!」

 困惑や躊躇いはそっちのけで勢いよく顔を向けると、思ったよりも近くにあった有村の顔が驚いたように目を見開いた。

 しかしそんなのはごく一瞬のことで、代わりに草間がビクリと身体を引く頃には、またいつもの淡々とした眼差しがそこにある。有村は昨日のように通路に足を放り出して椅子に浅く腰掛けており、今度は飴でも頬張ったのかゆったりと口を動かしながら、正面から草間を見つめていた。

「明日なんだけどさ。お昼過ぎくらいでどうかな。俺まだあんまりこの辺詳しくなくて、お店とかよくわからないから待ち合わせは駅前とかでもいい?」

 コク、コク。

 その距離に慣れなくて、草間は首を縦に振るのが精一杯。

「じゃ、決まりね」

 ニコ。

 なのに有村は碌にそちらを見ようともしない草間など気にも留めない様子で、目を細めて爽やかに笑った。

 その笑顔の美しいこと。女性のように艶やかでいて、弱々しくはない絶妙のバランス。背後の窓から差す日差しも手伝っていっそ神々しいほどに眩しいそれを見て、『行かない方が』などと思っていた数秒前の自分が、草間の中で騒ぎ出した。

 どうするんだ、これは本当に、本当だぞ。

 なんと言って断ったにせよ、明日が有村にとってどんなものであるにせよ、彼と出掛けるというのは凄いことなのではないかという今更ながらの思いが、沸々とその胸に込み上げてくる。

 それに追い打ちをかけるのは、先程小耳に挟んだクラスメイトたちの会話だ。

『諦めるから、一回だけキスを』

『形振り構っていられないじゃない』

 そんな風に強請られる人が、自分のような冴えない女を相手にこうも優しく微笑みかけている、この事実。

 信じられないような、あっちゃいけないことのような。

 そうやって湧き上がる不安の種にまた遠くへ行きそうになる草間を、有村の「それでさ」という優しい声が引き留める。見ればその手には携帯電話が握られていて、表情はと言えば至って控えめ。

「見つけるつもりでいるけど、待たせちゃうと悪いから。草間さんの番号、教えてくれる?」

 それ、断る人とかいるの、なんて。

 困惑の最中でもふと思うほど、眉を下げる有村は不安気とも取れるくらいに下手に構える。

「メールって、あんまり得意じゃなくて」

 僅かに顎を引く上目遣い。それをされると、草間は弱い。

 魔法にかかったようなとでも言うのか、有村の色素の薄い瞳が少し翳ると吸い込まれて、心と体が離れてしまう気さえする。

 不安もなにもどうでもよくなって、ただ応えなくてはいけないような、そんな浮遊感に飲み込まれて、気付いた時には草間もまた携帯電話を取り出していた。



「起立! 気を付け! 礼! おはようございまーす!」

 それからすぐあとにやって来た担任が教壇に立ち、出席簿を開いた頃、草間の手の中で携帯電話が震えて切れた。

 まだ浮ついたような気分のまま確認した知らない番号に隣りを見れば、椅子の背もたれに身体を預けて正面を向いたまま、口の端を上げた有村と目が合う。

「――会田」

「はーい」

「有村」

「はい」

「飯田――」

 返事の間、静かに笑って、そっと目を逸らす。

 栗色が揺れる横顔を向けられ、草間の視線はそのまま、その下の口元に捉えられてしまった。

 みんながおかしなことを言うからだ。

 彼もキスをしたりはするのだろうか、などとつい過ってしまったのがいけない。倣うように正面を向いたって、草間の目はその端に、たまに動く口元ばかりを映していた。

 ――見ちゃう! 見ちゃうよぉっ!

 疎い所為だと久保は言うが、草間は有村に対して男性特有のいやらしさというものを感じたことがない。例えば他の男子と下世話な話をしていたとしても、彼だけは下品にならないし生々しくもならない、そんなイメージを持っていた。

 けれど考えてもみれば、有村ような人がそれこそ何の経験も無い方が不自然だ。恋人がいたこともあるだろうし、もしかすれば今だって、そういう仲の人がいるのかもしれない。

 カラン。

 何度目かの往復の後、横にすっと線を引いたような形のいい有村の唇から、飴玉を遊ばせる舌先がチラと覗いて草間は思わず絶句した。

 ――どうしよう……どうしよう……!

 だけどもし、彼にそういう相手がいなかったら。もしも明日がデートで正解だったとしたら。

 頭に巡る幾つもの『もしも』や『でも』にきつく握り締めた草間の手の中で、有村の番号を残した携帯電話がミシミシと苦し気な悲鳴を上げていた。

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