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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第三章 脱却少女
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正統派と反則級

「うっわ、暑いなんてもんじゃないね。速攻で干乾びそうだわ」

 七月最後の火曜日はこの夏数回目の猛暑日で、燦々と降り注ぐ太陽を手で遮った落合の首筋には早くも汗が滲んでいた。

 一時間ほど揺られた電車も冷房は弱めだったが、改札を出てみると天国だったと零したのは久保で、その通りだと肩を落とした草間もまた吹き出す汗を拭ったハンカチを手放せずにいる。こんな雲ひとつない快晴で元気なのは、そこら中で鳴いている蝉くらいなものだ。

 今朝見た天気予報では、今年は例年以上の酷暑になるらしい。

「鈴木たちはもう着いてるって言うし、そこのコンビニ寄って冷たいの差し入れてあげない? アイス食べてもいいくらいの暑さだよ、コレ」

 時間は集合時間である午前十時の十分前。気温はこれから更に上がると言うから、通り過ぎる自動販売機などに出された『こまめな水分補給を』のポップ広告がやけに目につき、三人は差し掛かったコンビニで寄り道をして行くことにした。

「あれ? その水って姫様? ジュースでなく?」

「あ。うん」

 自分用の紅茶とミネラルウォーターのペットボトルを取り出した草間は、心底意外そうな顔をする落合へ向け「有村くんは結構、お水ばっかり飲んでるよ」と答える。

 そうなのだ。草間も少し前まで有村には珈琲かジュースと思っていたのだけれど、彼は珈琲なら無糖派、ジュースも本来はあまり飲まないらしい。甘い物ばかり食べているけれど、飲み物だけは甘いとゴクゴク飲めないのだそうだ。

 もうすっかり慣れてしまっていたが、改めて考えるとやっぱり少し面白い。

「意外。姫様って常に糖分取ってるカブトムシみたいな人かと思ってた」

「そんなことないよ。辛い物も好きみたいで、よく食べてる」

「……へぇ」

 空調の涼しい風で溜め込んだ熱を癒すこと。草間は恐らくそちらに気を取られ過ぎていた。

 含みのある物言いに隣りで炭酸飲料を取り出す落合へと視線を移すと、大きかったはずの丸い目は半分以下の薄目。獲物を見つけたハンター。例えるならそんなスイッチを入れた眼差しを受け、思わず「なに?」と返してしまう草間の冷静な部分はその返しが墓穴を掘るだけなのも、これから落合が言って寄越すことも大体は理解している。

 なので、充分な薄目からニヤリと笑った落合を前に、草間の頬は早くも再びの熱を燻らせた。

「いーやー? あたしはただの友達だから、ジュースか珈琲飲んでるのしか見たことないなぁって。なんだ。仁恵もちゃんと彼女してるじゃーん」

「な……ッ!」

 そして予想通りに揶揄われ、破裂。草間の首から上は一瞬で駅に降り立った時以上に真っ赤だ。

 そんなつもりじゃなかったのに。声が出たならそう言いたいのであろう草間の口は無駄に開閉するだけで、張り付いた息が喉の奥で乾いた咳になったりする。

 すると落合は更に気をよくして意地悪気に口角をつり上げた。仲良きことは素晴らしき哉。それは勿論として、やはり草間より揶揄い甲斐のある相手もそうはいない。

「照れない、照れない。彼氏さんの好み把握おつ! やっぱ毎日メールと電話を欠かさないカップルは違いますな!」

「やめてよ、キミちゃん! 毎日なんかじゃ……」

「じゃぁ今朝来たメールの前はいつよ?」

「……昨日の、寝る前」

「毎日じゃん!」

「たっ、たまたまだよ!」

「じゃぁ、その前は?」

「………朝、起きた時」

「おはようとおやすみ、欠かさず!」

「もう! キミちゃん!」

「ほぅ?」

「キミちゃん!」

 繰り返される「ほぅ」や「へぇ」と「キミちゃん」の応酬を聞きながら、またやってると呆れる久保は、飲料ペットボトルが並ぶ開閉式のガラス扉をパタリと閉めた。落合の揶揄い好きは今に始まったことではないけれど、特にここ二週間ほどはずっとこの調子だ。

 二週間ほど前と言えば、丁度草間と有村が例の仲直りをした頃だった。有村が振る舞いを改めたらしいことといい、あの週末に何かあったのは確かだったけれど、その何かが気になる久保たちに草間は未だ詳細を明かしていない。

 ただ、あれ以降の草間は度々有村を『可愛い』と表現することが増え、ようやく憧れの王子様が生身の人間に見えて来たようではあった。この中で一足先に恋愛を知った久保からすれば、まだ落合が言うほど『彼女』である自分を自覚出来ていない風でもあったのだけれど。

 なので最近は久保も少し、有村に同情的になることがあった。苦労すればいいと思う反面、彼が本当に噂通りの恋愛上級者ならさぞもどかしいだろうと思うところもあり。

 先日の鈴木の言い分が確かなら、草間の為にふたりの恋愛は長く続くに越したことはないし。

「ホラ、遊んでないで早く行くわよ? 予定通りに着いたのに、ここで遅れて文句言われるんじゃ癪だわ」

「おやぁ? セコムも水? 珈琲でないの?」

「うるさい」

「なぜに!」

「わっ、私まとめて買って来るね!」

 七本のペットボトルを抱えて走り去る背中を見つめながら、やっぱり初恋はままならないものだ、と久保は静かに溜め息を吐いた。

 そうして店を出た三人が向かうのは、ぞろぞろと大勢が向かう先、待ち合わせ場所にしている遊園地の入口である。

 駅のホームで鈴木と連絡を取った落合は『着けばすぐにわかる』と言われたらしいが、向かいながら目印を探す三人の目にこれだと思うものは中々見つからない。あって大きな時計台がひとつだけだ。

 待ち合わせにはもってこいであろうそこには既に人が密集しており、不安に駆られた草間が「見つかるかな」と呟いたのが早いか、突然に足を止めた久保が「あれって」と指差したのが早いか、前方を注視していた落合はごった返す混雑の中に少々毛色の違うひと塊を見つけた。

「なんか、見覚えのあるよーな、ないよーな……」

 入場口前は広場になっていて、スペースとしてはまま広い。

 遠巻きにはひと塊に見えていた集団も近付くにつれて幾つかのグループに分かれているのが識別出来るようになり、その内のひとつにして最も大きな塊がどうやらただの混雑ではなく、人だかりのような雰囲気を放っている。

「遊園地のマスコットがお出迎えしてるのかな」

「ちょっと。嫌よ、私」

「いやぁ、さすがにアレは」

「写真とか撮ってるのかな」

「撮りたくなるのが真ん中にいるのかも?」

「ねぇ、嫌よ。本当に。連絡してよ」

「してどうなんのさ。行くよ、とりあえず」

「そんなに可愛いのかな」

「仁恵、一応手を繋いでおきましょうか」

「うん。でも、なんで?」

「なんでも」

 更に近付いて行けば携帯電話を翳す人たちが見え、「やっぱりお出迎えじゃない?」と目を輝かせる草間以外は、そのもはや馴染みすらある女性たちの横顔にいよいよと諦めの色を濃くした。

 なるほど確かにすぐわかるわけだ。ざっと数えて二十人から三十人。もっと遠くからの視線を合わせれば、その倍近くのハート形の目が見つめる先の想像がつかないほど、落合も久保も鈍くはない。

 寧ろこれで気付かないのは草間くらいだと落合が溜め息を吐いた、丁度その折。三人は真っ直ぐ向かった人だかりを二層ほど掻い潜り、頭ひとつ飛び出す真っ黒な短髪と隣りで揺れる栗色の髪を捉えた。

 ここまで来れば、草間でもさすがにわかる。

「えっ? え?」

「やっぱり」

「ね、ねぇ、あれって、有村く――」

「そうよ。ちょっと、もう窮屈で嫌だわ。君佳がしないなら、私が電話でこっちに呼び出すから」

「頼んます」  

「えっ? なんで? えっ」

「……もしもし、藤堂? 着いたんだけど、この人だかり何? 抜けた所にいるから、出て来てちょうだい」

「仁恵は覚えてないかもだけど、前にお祭り行った時もこうだったんだよね」

「え、だって、有村くんと待ち合わせしても、こんな風には……!」

「すぐ来るわ」

「ふたり揃うとヤバいって本当だったんだなぁ。あとで鈴木に謝んないと」

「うそぉ……」

 うんざりとした溜め息で全身から『嫌だ』を放つ久保と、悟りを開いた顔の落合と。

 その真ん中で慄く草間の目の前に広がるのは、さながら学園モノの少女漫画で良く見る王子様の初登場シーン。横並びで颯爽と風を切る有村と藤堂が進むにつれて人垣が裂けて道が出来、そこかしこから悲鳴みたいな黄色い声が沸き起こる。

 こちらだと呼ぶ久保に応えて藤堂が腕を上げれば『キャー!』。挨拶がてらに笑みを浮かべた有村が小さく手を振れば、一層大きな割れんばかりの『キャー!』が飛ぶ。

「待ってたのって、あの子たちじゃない? 向こうの三人。あの中に彼女とかいるのかなぁ」

「友達だっていいよ! あんな美形がふたりもとか、羨ましいにも程がある!」

「どっち派?」

「正統派プラス高身長はど真ん中だけど、左の子がヤバい。スタイル良過ぎじゃん? 脚長いし、顔ちっちゃいし。あんな綺麗な顔した男がこの世にいるんじゃ、アタシたち女でいる価値ないって!」

「わかるー!」

 校内でのふたりの人気ぶりは未だ衰え知らず、とは言え、今日がはじめましての人たちだらけのそれは毎朝登校時に起こる騒ぎの比ではない。

 気が遠くなりそうな草間の横で「どこの出待ちだ」と呟いた落合などは、もう憤るのも面倒になっているくらいだ。

「やっぱ騒がれ慣れてんね、あのふたり。て、ゆーか、どうしてあんなしれっと周り無視出来んの? わからん。モテ慣れとか、ホントわからん」

「仁恵、息して」

「……むり……」

 愛想が悪い分ひっそりとファンを増やしていただけの藤堂にしろ滅多にお目にかかれないレベルの見栄えの良さにも関わらず、彼を基準とするなら正真正銘の規格外を見せつける有村に草間の視線は囚われていた。

 相変わらずの細身のパンツに腕捲りのシャツというシンプルな出で立ちでも十二分に華があるし、カッコイイで止まる藤堂と違って有村にはそこに綺麗が付いて回る。そんな人は滅多にお目にかかれないのではなく、一生の内で出会えるかどうかだ。

 わかっている気になっていたし、この状況自体も多少見慣れていたはずが、こうして色めき立つ人々を目の当たりにすれば、草間の指先はピリピリと冷たく痺れた。

 騒ぎ立てる人たちを有村が無視するのは、相手をすると余計に収拾がつかなくなるから。そのくらいに習慣化している彼はいい。けれど、真っ直ぐ向かって来られる草間はそうではないのだ。

 みなさんがお探しの僕の相手はこの子ですよとでも言うように、間もなく草間の正面で足を止めた有村は、口許を覆って震える手を取り「会いたかったよ」などととびきり甘い声を響かせる。

 そんなのは、もう。

「ありむらくん、こわい」

「えっ! 僕なんかした?」

 霞みがかる目を伏せた草間の耳には、慌てふためく有村の問いかけと、その後ろから物悲しく放たれた、「悪いけど、慣れてくれ」という存在感皆無の鈴木の声が微かに聞こえた。

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