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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第三章 脱却少女
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私の好きな魔法使い

 自分が誰かの役に立つだなんて、そんな烏滸がましい勘違いはしない。

 それでも身体は本能的に動いてしまい、草間は何度も繰り返してしまう。

「えっと、お名前は? 今日は誰と一緒に来たのかな……」

「えーん!」

「お母さんかな? それとも、お父さんかなぁ……」

「えーん!」

「どこではぐれちゃたか、わからないかなぁ……」

「ママァー!」

 悲しそうに泣いている子供を見ると、反射的に爪先が地面を蹴ってしまうのだ。毎度この調子でことごとく、火に油を注ぐだけになってしまうのだけれど。

 声をかける前よりも明らかに音量を増した泣き声を全身に浴びて目を閉じた草間は、どうしていつもこうなってしまうのに駆けつけたい衝動を抑えられないのだろうと、つい数分前の自分を憎む。

 ひとりぼっちの小さな子供を放っておけなかった。その気持ちはきっと悔やむことがない。悪いことはしていないはずだ。気が付いたのに、放置しておくよりはマシなはず。

 しかし草間がこの手の事柄で成果を残せた例はなく、出来ることと言ったら届いているかも不確かな声をかけ続けることくらい。

「ママ? ママと来たの?」

「ママぁ! パパぁ!」

「うん。だからね、ママとパパを探してあげるから……そうだ、どこまでは一緒にいた? 遊んでて遠くに来ちゃったの?」

「うわーん!」

 少女がぶら提げているぬいぐるみでさえ、手を繋いであげるくらい出来るのに、と。無力な自分を恥じながら。

 だから草間がうんざりとするのは大きくなるばかりの泣き声にではなく、気持ちに追い付かない不甲斐なさや、学ばない自身の性格。笑顔になれば可愛いであろう少女の顔を真っ赤にしてしまった罪悪感と、繰り返す失敗のあとには決まってする反省や後悔をちっとも活かせない至らなさに、押し潰されそうになるからだ。

 誰か助けてと泣いている子供に何かしてあげたい一心だったはずが、気が付けば心の中で自分も一緒に『誰か』を待っている。その事実が、深く胸に突き刺さる。

「パパぁ! ママぁ!」

 可愛らしいフリルたっぷりのワンピースに、ピカピカの靴。この子はきっと、とても愛されている子だ。今日だって両親と一緒に出掛ける楽しい一日だったはずで、迷子になったのは極々些細な、不運なアクシデント。

 駆けつけたのが自分でなければ。もっと何かしてあげられる人が来てくれたら。最悪の一日になるには、まだ早いはずなのに。

 独り善がりの自己満足に走った結果を前に、草間の視野は徐々に狭くなっていった。

 いつもこうだ。出来ないくせに手を出して、困るとすぐに他人を頼ろうとする。通りかかる誰かを、きっと助けに来てくれる落合と久保を待ち侘びて、被害者みたいな顔をする。

 初めからアテにしていたわけじゃないなんて、今更言えないと思った。こんな風だから、人に頼るのが得意だろうなんて嫌味を言われて、何も言い返せないのだ。全部、その通りだから。

 情けない。情けない。

 もう、消えたい。

「――――顔を上げて、草間さん。ヒーローは胸を張らないと」

 その時だ。ついには俯いてしまった草間の耳に低く入る穏やかな声が囁かれ、それと同じ温かな手が軽く肩先に触れた。

「とても悲しそうだね、小さなプリンセス。君のお友達が助けてほしいって、君と同じくらい泣いてるんだ。僕になにか出来ることはないかな」

 ふと顔を上げた草間の目に映るのは、涙に暮れる少女の前に差し出された一輪の赤い花と、茎の先から白い腕を伝って辿る視線の先でゆったりと微笑むあの綺麗な横顔。

 プリンセスと呼びかけたそのままに、まるで絵本の中でお姫様にかしづく王子様のように、どこまでも優しく語りかける有村がいた。

 ひっきりなしに泣き喚く音響破壊兵器みたいになった少女の声など、痛くも痒くもないという面持ちで。

 草間は思わず瞬きも忘れ、突如として現れた救世主に見入ってしまった。少女の声に比べれば有村の声は随分と小さかったのに、何故かはっきりと耳に届くような、そんな気がしたからだ。

 彼の声だけが全く別の角度から、若しくは別の次元から放たれたみたいだった。この声だけを聴いて、と。そう流れ込んで来るような。

 不思議で仕方なかったけれど、もっと不思議なことにその響きには心地良さしかなかった。そっと肩に毛布を掛けてもらったようだ、と言うと草間の受けた感覚に近かったかもしれない。

 怖いのはもうおしまいだよ。もう大丈夫だよ。そう言われた気がした。有村の口から出た言葉ではない何かから。

 それは多分、悲しみに埋め尽くされた少女にとっても等しかったのだろう。彼女はしゃくり上げる合間に、「ともだち?」と初めてママとパパ以外の言葉を口にした。その顔は草間と同じく、少し不思議そうだ。

「そうだよ。君と手を繋いでいる、この素敵なお友達さ。その子が君が困ってるから誰か助けてって。お名前はなんて言うんだろう?」

 何度か草間も味わったことのある、控えめに出て来てごらんと促されるような温かな音程と口振りに引き摺られ、クッキーだよ、と涙声が言う。

 有村はその名前を繰り返し、頑張ったクッキーと君にご挨拶がしたいと申し出た。

「可愛いお顔が真っ赤だよ、プリンセス。そんなに泣いていたら僕まで悲しくなってしまう。ねぇ、どうか目を開けて? 君にいいものを見せてあげる」

「……いいもの?」

「うん。きっと気に入ってくれるはずだよ」

 ゆっくりと瞼を上げた少女は途端に、ビクリと大きく肩を跳ねさせた。まず視界に入ったのは差し出された花だっただろう。だから彼女の瞳は肩が跳ねたあとに、時間差で大きく見開いた。

 多少は見慣れているはずの草間でも息を飲む、それまで通り過ぎるだけだった人たちもチラホラと足を止める、少女もきっとそんな絵に描いたような王子様を気取る有村に目を奪われたのだ。

「見ていて」

 なのに彼はそんな外野に目もくれず、真っ直ぐに少女だけを見つめている。

 世界にたったふたりだけのような眼差しを向け、擦って赤くなった目許や頬の涙を拭ってやった有村は、その流れで差し出した花をサッと一振り。

「……うわぁっ!」

 ひと呼吸置いて込み上げた感嘆の声にも、小さくクスリと笑うだけ。ビックリしたかい、と微笑む彼の手には、花の代わりに棒付きのキャンディーがひとつ。

 同じく至近距離で見ていた草間も驚愕に声を出しそうになったが、それだけは口に手を当てなんとか堪えた。邪魔をしてどうするという、せめてもの意地だ。

「どうしてっ?」

「僕が魔法使いだからさ。これは、君にあげる」

 スカートから僅かに離れた小さな手にキャンディーを握らせ、有村はパタリと泣き止んだ少女の頭をさも愛おし気に撫でる。何度も、何度も。それもまた口に出してはいないのに、細い髪を梳く彼の指先は『よく頑張ったね』と少女を褒めているようだった。

「気に入ってもらえたかな?」

「うん!」

 有村にバトンタッチしてから、ものの数分。一瞬と言ってもいいくらいの短い時間で起きた出来事を魔法と呼ぶのは、あながち間違いでもない。

 ついさっきまであんなにも泣いていたのに。あんなにも悲しんでいたのに。

 再び「プリンセス」と呼びかける有村を見上げた少女は、呆気に取られる草間の前でキャンディーとぬいぐるみのクッキーを抱き締め、ただ愛らしく微笑んでいた。

「わたし、おひめさまじゃないよ?」

 すると有村は大層驚いたという顔をして見せて、だって素敵なドレスを着ているからなどと、強く握り締めて皺のついた裾を払ってやる。どこまでも自然に、当たり前のように。

 草間も知る穏やかさはそのままに、多少大袈裟に振る舞うのは恐らく子供向けの愛嬌だ。

「そうか、それは困ったな。お姫様じゃないなら、なんて呼べばいいだろう?」

「わたし、あかね」

「あかねちゃん?」

「うん。ふるみやあかね、っていうの」

「そっか、ふるみやあかねちゃんか。可愛いお名前だね。よく似合ってる」

「おにいちゃんは?」

「僕はね、洸太って言うんだ」

 でもこれは人間のふりをしている時の名前でね、とまだ魔法使いのふりを大真面目な顔でする有村を笑い、あかねと名乗ったその子は、ママに似ている人がいたから後ろから近付いて驚かそうと思ったの、とはぐれてしまった理由を頼りない声で打ち明けてきた。

 そうしたらあかねちゃんが驚いちゃったんだね、と有村が言う。ビックリしちゃったね、と。でも気持ちはわかると微笑んでまた汗の滲む髪を梳けば、少女はしょんぼりから立ち直り、パパとママに会ったらごめんなさいをしようねと促す有村に元気よく「うん!」と弾ける笑顔を向けたのだ。仲の良い兄妹みたいな雰囲気で。

 その一部始終を一番近くで見ていた草間は、ただただ信じられない思いでいっぱいになっていた。

 毎度、本当に手を焼いた。持っている手段は全部出し尽し、それでも精々泣き止ませてから移動させるのが唯一の成功例で、まして笑わせるなど考えた例もない。

 なのに彼は意とも容易くやって退けてしまった。魔法と言うなら、この状況こそが草間にとって余程それらしい。他人に入り込むのが上手い人だとは知っていたが、よもやこれほどだったとは。

 軽い足取りで歩き出した少女は有村と繋いだ手を揺すりながら、楽し気におしゃべりをする。今日はママのお買い物に来て、これから遊びに行くのだそうだ。行き先は彼女のお気に入りだというボール遊びが出来たりトランポリンがある場所で、お兄ちゃんは大きいから入れないと言われた有村は拗ねたように口を尖らせた。

「大きいお兄ちゃんだって遊びたいなー」

「でもダメー! 七さいまでしかあそべないの!」

「えー、ずるいー」

「まほうで七さいになったらあそんであげる!」

「僕は飴しか出せない魔法使いだから」

「へっぽこだ!」

「練習中なの」

「へっぽこ!」

 迷子の女の子は実に愛らしく、ケラケラとよく笑う子だった。

 無邪気で、はつらつとしていて。可愛い顔して意地悪だと頬を突いた有村の言う通り、本当に可愛い横顔を見つめていたら、草間は何故か自分の胸まで温かくなるのを感じた。

 見つめ合っておしゃべりをするふたりのあとに続き、後ろ姿を眺めているだけで緩んでしまう頬が隠せない。驚いたのは、そこに自分の無力さを恥じた卑屈が欠片もなかったこと。繰り返した無鉄砲を反省してはいたが気分は妙に晴れやかで、前方を行く魔法使いがまた一層素敵に見えた顔が熱い。

「あ! ママだ!」

 夢でも見ているみたいに足を動かしていた草間の前で、不意に少女が駆け出して行く。有村の手を離れ、はぐれた場所で久保や藤堂たちと待っていた母親の元へと。

 間もなく見つかったと知らせに行った落合と一緒に父親も戻って来て、三人は無事に再会出来た。

「ご迷惑をおかけして、すみません。この子ったらちょろちょろと動き回ってしまって、人も多いし、中々見つからなくて」

「いえ。無事で何よりです。ママとパパに会えてよかったね、あかねちゃん」

「うん!」

「もうはぐれちゃダメだよ!」

「わかった! おねえちゃんたちも、まほうつかいなの?」

「魔法使い?」

「魔法使いは僕だけだよー」

「そっか!」

「なんのこっちゃ?」

「さぁ?」

 申し訳さなそうに頭を下げる両親の真ん中で、バイバイと大きく手を振る女の子。満面の笑みで言って寄越す「ありがとう!」が、お姉ちゃんたちのひとりである自分にも向けられていると小突かれて、草間もだいぶ後方から遅れて手を振った。

「……すごい」

 三人の姿が見えなくなって柔く閉じた手を下ろした草間は、気が付くとそう呟いていた。

 誰に投げ掛けたのでもない独り言だ。だから終わった終わったと口々に安堵を漏らす面々には聞こえなくて、届いたのはすぐ傍らに立っていた有村にだけ。

 でも誰かに向けるのならそれは間違いなく有村に宛てるべきもので、草間は嬉々として凄腕の魔法使いを仰いだ。

「すごいね、有村くん! 私、迷子の子がお母さんに会う前に笑ったの、はじめて見た! コツとかあるのっ? 本当に、魔法みたいだった!」

 込み上げた興奮もそのままに「ありがとう!」と声を弾ませてから、草間は向かい合う有村がきょとんとした大きな目を瞬かせたことも、それを遠巻きに見ていた他の視線にも気が付き、慌てて口許を隠す。

 そうだ。喜んでいる場合じゃない。彼にも、みんなにも迷惑をかけたのに。ごめんなさいも、言っていないのに。

 しまった。つい、うっかり。そう書いてあるような顔をして困惑気な目を泳がせれば、誰よりも先にニヤリと口角をつり上げた落合が黙って見逃してくれるはずもない。

「ひーとーえー」

「きっ、キミちゃん!」

「なーに、嬉しそうな顔しとるんじゃぁー!」

「ひゃぁっ!」

 彼女は足早に近付いて来るなり首に背後から片腕を回して抱き着くと、もう片方の手で真っ赤に熟れた頬をこれでもかと突き回した。

 ごめんなさいと叫んでも、時すでに遅し。巻き付く腕をタップして「許して!」と涙目になってもお構いなしで、落合はニヤニヤと笑いながら「調子のいいヤツめー!」と突いた人差し指をグリグリする。

「私なんて役立たずだーって落ち込む、いつもの仁恵はどこいったー!」

「それはっ! そうだけどっ!」

 そんな風には言っても落合だって揶揄うばかりで、同じく近付いて来た久保にまで「心配させないでよね」と呆れ半分の笑みを向けられたら、草間はいよいよ照れ臭いだけで落ち込んでなどいられなくなった。

 もうダメだと思った時は情けない思いでいっぱいだったから、確かにとても調子のいいやつだ。でも今はとっても気分が良くて、有村があの子を笑わせた瞬間、胸の靄などすっかり晴れてしまったのだからしょうがない。

 同時にふたつの心を軽くした有村の方は藤堂に預けていたらしい鞄を受け取り、鈴木や山本に「胡散臭い」と小突かれつつ、早くも何かを頬張り口の中でコロコロと転がしながら、どこか他人事のようにあっけらかんとしているけれど。

「初の大成功だね! 仁恵!」

「うん!」

 そんな横顔に改めて何を言うのも難しそうなら、振り撒いた「ありがとう」も取って付けた響きになってしまい、草間は向けられる笑顔の真ん中で朗らかに綻ぶ。

 夜になったらベッドの上で、また失敗したと落ち込むかもしれない。でも、少なくとも今はそうじゃない。

 終わり良ければ。その思いに草間は生まれて初めて、素直に身を委ねることが出来た。だって、この大成功をもたらした彼と自分には、引き比べて落ち込める所へも行かないくらいの歴然とした差があるのだもの。だから草間は多分、もう笑うしかなかった。

 これでやっと水着を買いに行けると先頭を切る落合と久保に続く他の面々から僅かに遅れ、上がってしまう口角の直し方がわからなくなった草間がチラと見上げると、自分より楽しそうに笑っていた有村がもっと大きく笑って「カッコ良かったよ」と言ってくれたから、尚更。

「コツってほどじゃないけど、ビックリさせるのはひとつの手かな。違和感を持たせると言うか。きっかけとして、なんか変なこと言われたぞ、とかね」

「プリンセス?」

「その通り。ああいう時は視界も耳も狭くなってるからまず気を逸らして、とりあえず話を聞いてもらわないと。まぁいきなり魔法使いだなんて言ったら普通は不審がられるけど、僕には味方がいたしね」

「……うん?」

「君だよ。先に着いた君が真っ当な救世主だったから、その仲間っぽい僕は胡散臭い偽物の魔法使いでオーケーだった。中々のコンビネーションだったと思う。やっぱり僕らは気が合うね」

「そんなっ」

 照れ臭いのと、あともうひとつ、救世主にはなれなかった失敗を想って感じた少しの苦さと。そんなものを同時に抱えた草間の目の前で、有村は唐突に持ち上げた指先を一回、パチンと弾く。

 とても澄んだ、綺麗な音だった。指が長いからそんな音が出るのか、草間にはまずそこからして真似をするのは難しそう。下ろされる指先を追って戻した視線の先で目が合うと、有村は女の子を見つめていた時と似た優しい笑顔で大きな瞳を細くする。

「おつかれさま」

 そう言われて人差し指でノックされた肩に掛ける通学鞄の外ポケットには、棒付きのキャンディーが入っていた。

 イチゴ柄の、とっても可愛いパッケージのが、ひとつ。

「いつの間に!」

「魔法ですから」

「まだ続けるの、それっ」

 棒を掴んでポケットから飴を取り出し、思わずヘラリと笑ってしまったのを機に、草間は何故だかじわじわ込み上げて来るおかしさでケラケラ笑いが止まらなくなった。

 押さえようと思ってもヘラリ、と。やっと収まるかなと思うと有村がまた何か言って笑わせるから、いつまでも。

「あ、あのっ。ほ、他には?」

「ほか?」

「私、その、いつも子供に泣かれちゃって……他にもコツがあったらなって、思って」

「ああ、なるほど」

 今度はゆっくりやって見せるよと言って、有村は摘まんだキャンディーの棒を指先でくるくる回す。タネがわかれば誰にだって出来るらしいから、草間の視線は有村の顔と手を行ったり来たりした。

「堂々と振る舞うこと、かな」

 丁度真っ直ぐに見上げた顔は静かに微笑み、キャンディーは草間の方へ。 

「他人の不安は案外と毒だからね」

 ゆっくり近付いて来るキャンディーを、草間はただ見ていた。

「あっ。そういうこと」

「ね。単純でしょう?」

 ポケットに忍び込ませてから指を鳴らすだけのストロベリー味のキャンディーは、ビックリするくらい甘かった。

 甘過ぎて、ストロベリー味なのもわからないくらいだった。

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