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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第三章 脱却少女
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本当の告白

 有村が自分といて自由でいられると言うのなら、草間は彼といると前向きになる。

 揶揄い半分の落合は愛されている女の自信などと言い、その都度草間は必死に否定してしまうが、照れ隠しなのは彼女自身が誰より良く知っていること。

 大切にしてくれているのがわかる。特別扱いされているのも、ひしひしと感じる。ホラと見せられるわけじゃなく、いつもすぐそばにあるみたいに。

 教室で、みんなの中で、彼がさり気なく与えてくれる優しさに日ごと満たされていく内に少し余裕が出来た草間は視野も若干広がりつつあって、実はあの辛口な久保が褒めてくれたくらいだったりする。自信がなくて飲み込んでいたのを口に出すよう心掛けているだけだとしても、出せるようになったのが草間にとっては大きな一歩だ。

 多少は察しも良くなってきた気がするし、主語がなくてもわかるんだという気分で柔らかくなった笑みを湛え、「それで、どうかな」と控えめに伺う有村へ向け草間は勿論と声を跳ねさせたあと、「これからもよろしくお願いします」とはにかんで見せる。

「よかったぁ」

 しかしまだ見様見真似の未熟な代物だから、一歩近付いて草間の手を取る有村の伏し目がちで揺れる睫毛の意味までは見当もつかない。

 彼は「でも」と切り出し、笑みを消した美しい顔に儚さを纏った。それでもやっぱり怖いくらいに整った繊細な顔立ちだ。思わず見入ってしまうし、見入ったくせに照れ臭くなる。堪らず頬が熱を持ってしまうほどに。

 有村は戸惑う草間の手を引き上げ、触れてはいないが、形としては従者が姫君の甲にキスをするような角度で僅かに首を垂れた。そんな姿が、やはり様になる。

「今日の一日で全てを知ってもらうには時間も足りないだろうから、これから共に過ごすうちに気に障ることがあれば、正直に話してくれるかい? 直せるものなら改めるし、根本的な問題ならどうか、その時は迷わず僕を捨てて欲しい」

「捨てるなんて、そんな……」

「そうすると言って欲しいんだ。君を泣かせた、僕へのペナルティだと思って」

「あ、有村くんが……そう、言うなら……ないと思うけど、わかりました」

「ありがとう。でも、僕は君が好きだからね。そうならないように頑張るという話さ」

 だからそう身構えないでと有村は語尾を軽くしたが、聞こえた声は妙に頭の中まで響くようで、草間は無邪気に喜べなかった。

 改めて好きだと告げられたのは、心臓が痛いくらいに嬉しかったのだけれど。果たして彼ほどの人が頑張ると言ってくれるだけの価値が、自分にあるのかと迷いもして。卑屈ではなく、これはもっと率直な疑問。

 身体を起こし顔を上げた有村があの大好きな仕草で、降りてしまうと頬にかかる長い前髪を横に流してくれるのは相変わらずドキドキするし、嬉しい。でも彼にとっては他愛のないことなのだろうから、その温度差と言うか、悔やんでも仕方がない経験値の違いと言うか、そういうものが有村の目に退屈に見えなければいいけど、とか。

「それと、もうひとつ約束を。僕はもう二度と浅ましい気持ちで君に触れない。今度こそ、怖がらせるようなことはしないから」

 そう告げてどこに触れるでもなく離れて行く指先をほんの少し寂しく思うのが、恥ずかしいと言うか。

 頬っぺたくらいだったら撫でてくれてもいいのにな、とか。前に頭を撫でてくれたの、つい唸っちゃったけど結構嬉しかったんだけどな、とか。

 もう少し言うと、草間はそろそろ有村の手の感触が心地良いを越えて、たまに気持ちいいと思うようになっていたりもして。これも浅ましいのかなと思ったら、居た堪れずに舌が渇いた。

『急に迫られると冷めるんだけど、引かれると欲しくないわけって物足りなくなるのは女のサガよね』

 いつか恋愛話のついでで物憂げに頬杖をついた久保が零した台詞が、ふと蘇って来たり。

 そうしたら。

『でも自分から行くんじゃアレだしねぇ。言えそうなタイミングは逃すべからず、って感じ?』

 などと相槌を打っていた落合の言葉まで思い出してしまって、草間の喉が『キュッ』とイルカの鳴き声みたいな音を漏らした。

 もしかして、そのタイミングって今なんじゃないの。思うや否や包まれた有村の手の中で、草間の指がピクリと跳ねる。

「あっ、あの……っ」

「うん?」

 勇んで口を開いたら堰を切ったみたいに、草間は大層視線を彷徨わせながら思いの丈を打ち明けた。

 とは言えやはり挙動不審だったのには変わりなく、チラリと仰いだ有村が心配そうにしていると尋常ではない気まずさが込み上げて来る。

「あの、わたし……その、あ、有村くんがイヤで、逃げたわけではない……と、思います。たぶん」

「キスをされそうになったからでしょう?」

「そっ! そう、なんだけどっ。でも、あの、いま考えたら、怖かったっていうのは、ちょっと違ったのかなって、思って」

「……ビックリしてしまったのかな」

「そう! たぶん。ビックリして、それで。だから……その……」

 絶対になにがなんでも二度としないと言われると、ちょっと寂しい。なんて。

 結局、草間が言えるはずもなく、切り出した告白も尻つぼみになる。

「……ふふっ」

 するとすっかり項垂れた耳に、クスクスと笑う優しい声が飛び込んで来た。

 伝わったのではと期待するほど口に出せた気がしなかったけれど、上目遣いに見上げた有村はゆったりと目を細めていて、口角を上げた薄引きの淡い色に草間は一瞬だけ気を散らせる。なんというか、やけにセクシーに見えた。

 きっと落合が面白がって、姫様は全くエロさを匂わせない分むしろ性的だ、とか言ったからだ。単に体型がえっちだ、とも言っていた。細腰が、とか、指の長い手の形が、とか。

 今なら草間にも少し、落合の指す入口くらいは見えた気がした。だからこそ、激しく気まずい。ちょっとだけ寂しいなと思っただけだったのに。なにもその横たわる三日月型に触れられなかったのを残念がったわけでもないのに。

 自分と有村には幼稚園児と成熟した大人くらいの差があるに違いないと、草間は何とも言えない面持ちで地面を見つめた。その遣る瀬無ささえ有村はどこか楽し気に眺めているのだもの。開く唇を目で追うなど、到底無理。

「わかった。それじゃぁ、こうしよう。僕はこれから君が嫌でない程度のスキンシップを欠かさないようにする。そうしているうちに君が慣れて、試してみようかなと思えたら教えてくれるかい?」

「ためす?」

「そう。今はまだ身構えてしまうでしょう?」

 動揺しきりの視線を他所に、佇まいだけでなく大人びた彼は特に気に病むでもない様子で、「男性や、触れ合うことに」と静かに紡いだ。有村はとうに知っていたのだ。草間が異性や『そういうこと』に対して、人一倍臆病なことを。

 気付かない方がおかしいくらいだったと笑うから、草間は更に項垂れて申し訳なく唇を噛む。

「ごめんなさい。露骨で……」

「構わないさ。そればかり期待されるより、ずっといい。苦手にしているのにそばにいてくれるから、とても嬉しかったんだよ?」

「それは、有村くんだから……」

「ホラね。そうやって君は僕を温めてくれる。この心地良さは筆舌には尽くし難いものだよ。こんなに綺麗な君を汚してしまうのが僕なら、きっと一生後悔した」

 それでも足りないくらいだと言った有村は今度こそ寄せた手の甲に唇をあて、二度目でも一度目より強い衝撃を受けて大きく肩を跳ねさせる草間を見やり、「嫌かい?」と尋ねて来る。

 嫌などでは、勿論ない。ただすごく恥ずかしいと正直に告げた草間の体温は急上昇して、脳天から湯気が出てしまいそうだった。

 ついさっきまで底抜けに可愛いだけだったくせに。突然出来過ぎた王子様の風格を纏った有村へ向け茹った頭の片隅でそのくらいの毒は吐けたから、最初より多少は慣れてきたのかもしれないけれど、草間はやはりこの芸術品と呼ぶべき美貌に弱い。

 様相として従順を誓う騎士のように首を垂れた有村は、そのまま指先に息もかかる距離で温い夜風に髪を揺らした。可愛くて格好良くて、王子様でお姫様で騎士までお手の物。そんな彼に傅いてもらった自分は一体に何になれるのだろうと、草間は肌という肌を赤く色付かせながら、ほんの少しの期待をする。

「僕はね、草間さん。君とでなければ出来ないことがしたいんだ。だから誰に倣う必要もないと思っているし、正直こうして一緒にいられるだけで満足だから、僕たちに丁度良い速度で親しくなっていけたら、それでいい」

「ゆっくり?」

「そうだよ。君と、僕のことだ。僕たちに合った形を、一緒に探していこう?」

 付き合ってくれるかい、と声を落とした有村は、草間に合わせた手探りだけでなく、まるで告白のやり直しをしているみたいに真剣な眼差しを注いだ。

 きっとそうだと草間は思ったから、同じくらい真剣に「はい」としっかり頷いて返したのだけれど、なんとなく従った予感が正解だったと感じる不思議な自信が湧いて来て、ふと重ねた視線を逸らせなくなる。

 聞こえる声も指先から伝わる体温もいつかの夕暮れをなぞるようで、けれど何度も思い返した記憶の中とは温かさが違うように感じた。前に好きだと言ってくれた時は舞い上がり過ぎて碌に見られなかったのは事実だが、あの時の有村はもっと甘ったるくて、でも今ほどしっかりと目が合っている気はしなかったから。

「……有村くんの目、やっぱりキレー……」

 覗き込んだ先に、自分だけが映っているのが見える大きな瞳。濁りなんてひとつもない透き通るグリーンと、朝焼けみたいな琥珀色。

 有村の持ち物の中で一番を挙げるなら、草間はこの目が何より好きだ。許されるのなら、ずっと見ていたいと願ってしまう。見ていると頭がぼうっとして、何も考えられなくなるけれど、それも含めて夢中になる。

 そうして惚けた不意を突き、有村は草間を見つめたままでうっとりと目を細めた。自分に向けられているというワンクッションを外して捉えれば、まるで仔猫や小さな子供を見るような、優しさの中に慈しみが混ざる眼差しだ。

 天使の次は女神みたいな雰囲気を纏い出したまた新しい有村のお出ましに草間の心は躍るばかりで、体温がまた一、二度上がったのか顔や耳が燃えるのかと思った。この上なんて、もう炭になるしかない。なのに、有村洸太に遠慮はない。

「ありがとう。君の瞳も素敵だよ。普通にしていても虹彩がすっかり見えてしまうところなんて、堪らないね」

「へっ? 虹彩?」

「黒目がちって言われないかい? 可愛い女の子の条件らしいよ。肌も白くて綺麗だし、頬のラインが丸みを帯びているのもいい。君は所謂、日本美人――」

「そんなっ」

「――の、原石って感じだ」

「原石……」

 なんだ、とは思えど、例え石ころだって美貌の君に言われるなら過ぎるくらいの褒め言葉。草間は一回炭になってから首と手を横に振るしか出来ない機械になって、そんなことはないと必死になって否定した。

 するとチラチラ伺い見る有村の表情が更に和らいだ気がした。僅かばかり顎を引き、緩やかに上がって行く口角がなんとも魅惑的だ。

「謙遜はよしなよ。元々艶やかだった髪も最近はより滑らかなようだし、今日しているような薄付きのメイクも品があって実にいい。努力しているのでは?」

「それは、あの……そうだけど。でも、そういうのは言葉にされると……」

「何故? 好きな子が美しくなるのを喜ばない男はいないし、輝きを増した女性に言葉を惜しむのは愚か者のすることだ」

「その辺で! もう……っ、もう!」

「ふふっ。照れてしまうかい? でも事実だからね。僕は君の内面に惹かれたけれど、外見だって格別可愛らしいと思っているんだよ? それが益々綺麗にもなっていくんだもの。君に見劣りしないよう、僕も気が抜けないな」

「ちょ、ちょっと! 有村くん!」

「そうやって真っ赤になるのがまた可愛くてね。見たくなって、つい意地悪を言ってしまう。君くらいだよ。僕にそんなことを思わせるのは」

「やめてってば! もう!」

 訂正だ。今日の有村も、やっぱり途方もなく甘ったるい。

 元々割に気障っぽいところがあるような気はしていたけれど、畳みかける有村のそれは草間が知っているものの二段階くらい上の破壊力で襲い掛かって来るよう。

 どうしてこう、そういう台詞をサラサラ口に出来るのか。それこそ彼の外見に似合わなくないから、追い打ちに追い打ちを重ねられると余計に苦しいところで。

 しかし草間は恐らく、その甘さが堪らないのだ。控えめに両腕を開き「抱きしめるのは嫌かい?」と問われると、良いも悪いも言えずに唸ってしまう。

「……ちょ、ちょっとだけな――」

「やった」

 最後まで聞いてよと投げた不満はぶつかった肩口に消え、耳のそばで大切な物は抱き締めるのが好きなんだと言われたら、引きつったはずの草間の口許は緩む他ない。

 大切って言われた。頭の中はそればかりで、ギュッと腕を回される王道のシチュエーションにもときめいてしまって、どうにも。

 とは言え草間の身体はどこもかしこもガチガチに強張っていたのだが、それでも思った通り、落合や久保とは違う異性らしい骨格を持つ有村自身や、伝わって来る彼の体温、すっぽりと包まれてしまう腕に込められる程良い力を怖いとは感じなかった。

 ただひたすらに恥ずかしくて、照れ臭くて。

 だけどとても温かくて、嬉しくて。

「大切にする。誰よりも、何よりも。だからどうか受け取って欲しい。君にだけ、僕の全てを」

 同じく草間の肩口で、嫌われてしまわなくてよかった、だなんて。心底ホッとしたように呟くのが独り言より小さく聞こえて来たりするものだから、草間は眉だけ困らせ「キザだね」と言い返してやった。

 ひどいよと返って来るのを笑ったら、何故だか自分と同じくらい速い鼓動もどこからともなく聞こえた気がしたし、今日は一日中楽しくて、火照り過ぎた頬に当たる風も本当に気持ちよくて。

「君が好きだ」

 草間は心から嬉しくて笑い、ちょっとだけ泣いた。

 零れる落ちるほどではない、目の縁に溜まるだけの涙。それに気付いた有村が年相応に慌てふためくところを草間が見るまで、あと数分。

 その時彼女は改めて彼に恋をするのだけれど、そうだと気付くのは過ぎたあと、もっと先の話だ。

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