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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第二章 発条少年
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後悔と不安の重さ

「自分じゃダメだとか思ってるんだろ。草間にしようとしたことを、後悔してる以上に」

 身も心も鉛のように重い帰り道。あまり気を落とすなよと肩を叩いた鈴木と山本のふたりと別れ、藤堂がそう口にしたのは、彼の家を過ぎ有無を言わさず向かう有村の家までの道のりの途中だった。

 夜の帳の閑静な住宅街に、ひどく落ち着いた声が低く響く。

「一回しくじったくらいで投げ出したら承知しねぇぞ」

「慰めてよ」

「ふざけるな」

 草間のことは任せてくれと落合が言った。今にも殴りかかりそうな久保を、必死に止めながら。

 いっそ殴ってくれればよかった。それくらいのことをした自覚はある。もう、彼女に合わせる顔がない。

「赤み、だいぶ引いて来たな」

「君にも手間を取らせたね」

「まったくだ。おかしな呪文なんざ使わせるんじゃねぇよ。手ぶらのやつに手放せ、だぞ。俺は痛い中坊か。横っ面殴られた程度で頭ン中どっか飛ばしやがって。あの先生とやらは、俺だって好かねぇからな」

「仕事熱心なだけで、悪い人ではないよ」

「良い人でもなけりゃ同じだ。いけ好かねぇ。なら、悪人と一緒だ」

「そうかい」

 傷付けた草間だけでなく、こうして並ぶ藤堂を含め全員を裏切ったようなものだ。何もかもを台無しにした。その上リリーにまで逃げて、最低だと言う以外何の言葉も出て来ない。

 あんなにも深く沈んだのは、外に出てから初めてだった。引き上げてくれた藤堂にも、本来ならお詫びのしようがない。彼は到底、謝らせてはくれないだろうけれど。

 それならせめて思い切り無様に腫れて、とことこんまで惨めになれば多少は気も軽くなったかもしれないが、それも逃げなら、このままでいいと有村は思う。

「草間だって興味がないわけじゃない。あいつは恋愛小説マニアだし、ちょっと羨ましくなっただけだ。きっと」

「はは。今日は君がエスパーみたいだ」

「知ってるだけだ。草間に何もなかったら、お前は何もしなかった。性欲云々は今でも話半分だけどな。お手々繋いで一緒にいれば楽しくて充分なんだってのは、見てりゃぁわかる」

 鈴木も落合も、いつもはふざけてやり過ごす山本まで、似たようなことを口にした。草間は空気の読めないところがあるから、と。頭ごなしに非難されないくらいに信頼してくれていたのだと知ったら尚更、有村は肩身が狭かった。

 何様のつもりだったのだろう。出来損ないのくせをして、くれてやるという気分だったのだ。求められたくないと願うあまり、求められてしまったと感じた瞬間、考えるより先に疑問の種を捨てた。恥ずかしいやつだ。とても。

 素直な草間は今夜を振り返り後悔に苛まれるかもしれないけれど、その必要は微塵もない。悪いのは全て、醜い恐れを勝手に抱き、いいように振り回されて、あんなにも無色透明な彼女を信じ切れなかった有村自身なのだから、彼女は手を上げて良かったのだ。

 そうするべきだった。例え藤堂が言うように切っ掛けが草間でも、彼女に非は一切ない。自らの身を守っただけだ。誰より汚らわしいケダモノから。彼女は正しい。どこまでも。

「別れるとか言うなよ」

「お付き合いしてたのかも微妙だけどね」

「お前が振ったら、他に誰が食えるんだよ。草間の岩盤クッキー」

「ここ二回くらいはそうでもないよ」

「『カントリーマアム』くらいにならんと食えたもんじゃねぇぞ」

「手作りなら地味にハイレベルだ」

「だから、そのくらいのおまけがねぇと草間とは付き合えないって言ってる。お前くらいだ。あれを可愛いと思えるのは」

「可愛いじゃないか、何事にも一生懸命で」

「一生懸命なら全部許せるってわけでもないだろ。努力は認めるが、そもそも草間のやってることは多少申し訳なさそうに、私は人見知りだからって他人に甘えてるだけだ。大目に見るにも限度があるし、いきなり泣かれりゃ普通は引く。相手しきれねぇよ」

「正直なんだよ。とても」

「だからお前が振ったら」

「そこに戻るのかい? オススメしたり、逃がしてやるとか言ってみたり、君は何がしたいのさ」

「状況が違うだろ。お前はもう、草間を草間として見てるじゃねぇか。お前しかいねぇよ。少なくとも、草間は多分そう思ってる」

 彼女にはもっと相応しい人がいる。それは今のところ有村の一番包み隠さぬ本心だったのだけれど、「なら、どんなヤツならいいんだ」と返されたら急には思いつかず、ふたりの間に妙な沈黙が流れた。

 確かに、どんな人なら、あんなにも純粋な彼女につり合うのだろう。興味津々の同級生たちは思春期を拗らせていたりするし、全て許容してくれる目上でも先が望めない草間の臆病に付き合うのは中々骨が折れるかもしれない。

 そうしてふと出来た有村の隙に藤堂は足を止め、これで草間とどうなるにしろ話し合えと切り出した。元よりそのつもりだと返事が来ても、どうせ切り出す有村が傾いている方に話は進む。今のままなら恐らくと言わず、別れる方に。

 藤堂はそうさせたくないのだと、向けられる真摯な目を見て有村は理解した。本当に、彼は何をどうしたいのだか。人間の小難しさが、ここにもひとつ。

「なんだか、君の思惑に踊らされてるだけって気がして来た」

「お前じゃあるまいし、俺にそんな芸当は出来ねぇよ」

「また何か教えてくれようとしてる? 人間味を身に着けるキーワードとか」

「別に。俺はただ放り出してもらいたくないだけだ」

「草間さんを?」

「草間とか、色々。誰だって好きなヤツは近くに置いておきたいモンだろ」

「僕が?」

「さぁ?」

「草間さん?」

「どうだろうな」

「まさか、君じゃないよね」

「だったらどうする」

「嘘でしょ」

 全く以て藤堂らしくないと思ったのだ。彼の性格を熟知するほど長い付き合いではないけれど、最後のひと言で目が合った瞬間に思わず吹き出してしまうくらいには、その言葉はあまりに藤堂らしくなかった。

 まして皮肉るでもなく真顔で言うなんて、全く、これっぽっちも有村が好きな藤堂らしくない。

 だから有村は堰を切ったままクスクスと笑い、肩を揺らした。

「なに。君、僕のことが好きなの」

「そうだ。お前もだろ? 相思相愛ってやつだな」

「バカじゃないの」

「で、そろそろ教えろ。リリーってなんだ」

「このタイミングで訊くかな」

「いいだろ、別に。なんだ。昔の女か」

「内緒」

「そいつも可愛かったのか?」

「可愛かったよ。とても」

「やっぱり女か。リリーってことは、外国人か」

「どうとでも」

「あだ名か」

「しつこいな」

 夜も更けた住宅街を抜け差し掛かった大通り沿いで、行き交う車のヘッドライトに照らされつつ、有村と藤堂は互いにしょうもないと笑い合う。

 そうなってしまえばあとはもう何を言っても軽口で、誘導はするなとか、悪者になろうとするなと話を戻す藤堂にも、有村は素直に頷いて返した。これからやっと本腰を入れられるのに諦めきれるのかと言われた時にだけ、首を横に振っただけで。

 もしも我儘が許されるのなら、やっと出会えたあの純粋を手放したいはずがない。けれど、心優しい草間は自分がそう願えば許してくれるだろうから、そういう誘導もしたくなかっただけで。だとすると有村に残された手段は、そう多くはなくて。

 有村は居心地悪く逸らした視線のついでに、草間には本当に何をされても嫌でないのだと打ち明けた。そして、草間がした何かを嬉しく思っても、どのくらい返せばいいのか見当もつかないのだと。

「今も、悪いことをしたとは思ってる。失礼なことをしたし、考えた。お詫びをしなきゃって。だけど、それだけだ。いつもの気持ち悪さがなくて。なんでかな。あの子といると時々ひどく息苦しいんだけど、嫌じゃなくてさ。たぶん、全部嬉しいんだ」

「顔を隠せって言うしな」

「そうだね。あれは中々斬新なアイディアだったな。僕からこの容姿を取ったら何も残らないのに」

「お前が言うと嫌味に聞こえなくて腹が立つな」

「本心だもの。僕は今も昔も、ただ見栄えのするお人形だ。彼女にとってそうじゃないなら、それが一番嬉しい」

 クラスメイトや藤堂たちの挙げる草間の欠点は、有村にとってひとつも彼女を損なわない。勿論、理解は出来るし、それ自体は改めるべきだろうと思うことはあっても、由来するものまで否定する気にはなれないから逸材に見える。

 無神経などではないのだ。彼女はいつもあとから深く後悔していて、改善策が見つからないまま、拗らせてしまっているだけ。それでも変わりたいと口に出来る実直さは、有村にはひどく眩しい。

 ひとつ訊かせろ。そう言った藤堂を見やった有村は「なんでもどうぞ」と、自分でも驚くほど自然に頬が緩んだ。迷いが消えたような気分だったのだ。藤堂の手を借りてひとつずつ確認していくと、今すべきは嘆くことではなく、真摯に草間と向き合うことだと、そう思えた所為もある。

 だから。

「お前が言うキレイってやつに、草間は何かしら引っかかってるのか?」

 普段なら物のついでにその入口を切り出すだけで邪険にするような質問を投げて寄越した藤堂にも、どうして、とは訊かず、有村は「最後まで聞けよ」と軽口のついでを零した。

「以前、妊娠が怖いならそもそもセックスなんてしなければいいって話をしたの、覚えてる?」

「一応は。子供は愛の結晶だなんだとぬかして、ガキが困るなら云々と、散々好きに女抱きまくったその口で偉そうに言いやがった時だろ」

「根に持ってるなぁ。けど、うん。それね、実はちょっと続きがある。君がもし出来てしまったら困るなんて言わなかったから、僕はきっと羨ましいと思ったんじゃないかな」

「羨ましい?」

「ただ愛しくて、触れ合うだけでは足りなくなってしまうんだろう? そういう衝動に駆られたことはないけれど、とても純粋で、それ自体は綺麗だと思うよ。僕が動物を好む理由も大体同じでさ、彼らは実に正直だ。興味があるからそばに来て、用が済めば去って行く。取っておいたらあとで使えるかも、なんて、考えていないだろうからね」

「うん?」

 またわからんことを言い出したぞと露骨に書いてあるような渋い顔をする藤堂は、つまらなそうな仏頂面と同じくらいに見慣れている。

 だから有村は普段自身をあまり掘り下げないし、打ち明けるにも言葉を選んでいるつもりでいるが、今日ばかりは聞いて来たのはそっちだと言うつもりで先を続けた。

「したいからそうしている。そうあるように、そこにいる。言葉にすると、僕が思う綺麗はそういうことかもしれないな」

「ただの自分勝手に聞こえるんだが」

「そうだね。でも生き物なんて本来、自分勝手なものなんじゃない? そこで草間さんを絡めると、彼女が僕に向けてくれる好意は、ただそれだけって気がする」

「それだけ?」

「それだけ。だからどうしたいっていうのがない、っていうのかな。持ってるだけで満足で、僕には何も求めてないって感じだ。そういうのを人間から向けられたのは、はじめて」

「……へぇ」

「わかってないでしょ」

「全く」

「だと思った」

 つまり、草間はお前にとって理想的な激レアってことか。そういうこと。

 知ろうとした藤堂がいて、教えようとした有村がいて、それでもやはり彼らには明らかな温度差があり、そのズレにふたりはまたどちらからともなく笑みを浮かべ合う。

 藤堂が確かめたかったのは、有村が何かと基準にするその部分でも、草間に惹かれているのかということ。そうと知っていて答えた有村は、それだけ伝われば充分だと温い夜風に髪を委ねる。

 わかるような、わからないような。有村とこの手の話をすると毎度込み上げるモヤつきを抱えた藤堂の方は、らしくもなく踏み込んだ話題に居心地の悪い咳払いをひとつ。

 カラン、カランと気ままに響くふたりの足取りは、気を取り直した藤堂に肩を小突かれた有村のひとつ分だけ不規則な下駄の音を奏でた。

「それで、これからどうする。動くなら早めがいいぞ」

「勿論。時間を空けてどうこうなんて考えてないし、ただ、ちょっとね……」

「どうした。言ってみろ」

 先程までとは打って変わり不安気に口籠る有村を急かし、藤堂は悠然と構えて答えを待った。万能で自信に満ち溢れた王子様が聞いて呆れるが、そうした外面がただの幻想と知っている藤堂には、こちらの方が余程有村らしい。

 思ったままを言葉にしろ。そう促してやっと、有村は「こわい」と言った。

「謝りたいんだ。たったひと言。だけど、彼女がどんな顔をするかとか。もしまた泣かせてしまったらって思うと、不安で」

「違うだろ? お前が言われたくないのは、有村くんなんか大っ嫌い。もう話しかけて来ないで。じゃ、ないのか?」

「……それは、確かにつらい」

「言うわけねぇだろ。バカか、お前」

 有村の思考の終着点が草間が許してくれるかどうかなら、藤堂の思う終着点は有村が許してくれと言えるかどうか。怖がり同士というのは、斯くももどかしいものだ。

 藤堂は「面倒臭ぇ」と有村の頭を両手で鷲掴み、どこまでも無遠慮にその髪をかき混ぜた。髪と一緒にその中もグシャグシャにしてやると、そんなつもりで。

 そうして何度も何度も掻き回わされ「酔う」と零した有村を真正面から見据え、藤堂は不遜に笑って言い放った。途轍もなく真剣な風を装い、途方もなく馬鹿げた話を。

 落ち込んでいるのが馬鹿らしいと、有村が思うくらい真っ直ぐに。

「ちゃんと謝って草間に振られたら、仕方がねぇから俺が嫁に貰ってやる」

「…………嫁?」

「そうだ。それが嫌なら、一生懸命ごめんなさいしろ」

「ごめんなさい、って。僕はさっちゃんじゃないぞ」

 似たようなもんだ。そう言われたら、有村は思わず声に出して笑ってしまった。

 確かに似たようなものだ。やっとそこに立てたなら、嬉しいとすら思って。

 今夜はとことんまで甘やかしてくれるつもりらしい藤堂へ向け、有村は呆れた風を装い「誰が嫁だ」と毒吐いた。

「なって家政婦だよ。今だけのね」

「そいつは残念だ。メシは美味いし、掃除は丁寧って理想的なんだがな。おまけに玉の輿だし、末はどっかの社長にでも納まるのか?」

「肩書には興味がないし、残念ながら期待もされてない名ばかりの跡継ぎだよ」

「親戚一同お偉方でよく言う。お前の所はグループ各社とかってCМないのか? このーきなんのき、って」

「あるわけないでしょ。ただの資産家なのに」

「出た。ただの金持ち」

「僕じゃなくて祖父がね。もう! 僕は真剣に悩んでいたのに、バカな話で腰を折るなんて。君ってヤツは本当に――」

 と、その時だった。悩んでいるなどと言いながら、もうすぐには落ち込めそうにないほど気が緩んでしまった有村がくだらないと投げた視線の先で、ふと飾りでなく浮かべていた笑みを消す。

「藤堂。悪いが少し黙っていてもらえるか。僕がいいと言うまで、何があっても口を開かないでくれ」

「は? なんで――」

 おかしなことを言うな。最底辺からは脱したはずの有村に向けた藤堂の薄ら笑いは、瞬きもせず一点を見つめるヘーゼルグリーンの瞳に掻き消された。

 敵意すら滲ませるような、堅く身構える鋭い視線。この一瞬で張り詰める冷淡な気配を、藤堂は既に知っていた。だから直感的に有村が望む先、丁度目指すマンションの正面あたりに停車していた乗用車を振り返り、その意味をも瞬時に悟る。

 車種になど明るくない藤堂でもわかる黒塗りの高級車。そこから降りて来るスーツ姿のひとりの男。それがまず間違いなく、有村の生家から遣わされた者であることを。

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