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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第一章 初恋少女
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変身前夜

 有村に言われた時もそうだったが、嫌かと言われるとすぐに否定の言葉が口から飛び出す。それは多分、一番素直な気持ちだったからだ。嫌なはずがない。でも。

 その、でも、を当たり前に知っている顔をして相槌をひとつ返した久保は、一度だけ草間が向ける脳天を見たあと静かに口を開いた。

「よく、初恋は叶わない、とか言うじゃない? あれって、初めて人を好きになった時はまだ自分がその人を好きってことで精一杯で、上手く伝えられないからなんじゃないかと思うの。そうしている間に、いつの間にか終わってしまっているのかも、って」

 ザラ、ザラ、ザラ、と氷が動く音がする。アラームが鳴り、子供が騒ぎ、軽快なBGMが流れる賑やかな店内で、やけに大きく。

「私の話になるけどね。付き合いたいなんて正直よくわかってなくて、見ているだけでよかったり、仲良くなりたいのとそう変わらなかった気がするわ。で、仲良くなってから気が付いたの。私は、なんだかもう、そばに居るのが当たり前だったから、こうなってしまったら余計に好きだなんて言えないな、って」

 久保が自分から初恋の話をしたのはこれが初めてだった。多分まだ最中だった頃からひっきりなしに認めさせようとしていた落合も驚きを隠せない様子で、草間と同じくじっとその綺麗な横顔を見ている。

 好きなんだろうな、とは草間もずっと思っていた。でも彼女はずっとそれを隠していた。一度も認めたりしなかったのに、それを持ち出したのは間違いなく、そうして上げた視線で見やった草間を想ってのこと。

「怖いじゃない。今のままでも幸せなのに、好きだって言ったらそばに居られなくなるかもしれない。初恋が叶わないだけじゃないの。失くすのよ、大切な友達も同時にひとり」

 でも、仁恵はまだ失くすまではいかないじゃない。そう言われて、草間はどこを見ればいいのかわからなくなる。自分だって少しは話せるようになった間柄、とも思ったのだけれど、それは仲が良いのずっと手前だ。

 今は、ただのクラスメイトのひとり。何かあっても、クラスメイトであることは変わらない。

 失くすものがないと言われれば確かに、物心がつく前から幼馴染みとしてそばに居た久保の初恋とはわけが違う。

「正直、結構しんどかったわ。当時はね。私はもう次の恋をして今のと付き合ってるから未練なんてないけど、でもあの時こうしておけばっていう後悔は結局いつまで経っても残っていて、普段は思い出しもしないのに、何かの拍子にふと蘇って来たりするの。邪魔なものよ。過ぎたことなのに、いつまでもチラチラして。鬱陶しいったらない」

「いま、でも……?」

「ええ」

「また、同じクラスになったから?」

「そうかもしれないわね。神様って意地悪だわ」

 やっぱり好きだったんじゃん、なんて、重い空気が大の苦手な落合が横槍を入れる。それにも久保は「ええ」と答えて微笑みを返した。

「絶対向こうも好きだったのに、言えばよかったじゃん」

「アイツは私をもうひとりの妹だと思ってたのよ。辛くても甘えてくれないんじゃ、お守りされるだけの恋愛なんて御免だわ」

 落合はまだブーブーと文句を垂れていて、久保はそれにどこまでも冷静な対応を見せる。

 時には少し思い出すような素振りをして、すると草間は本当に久保の初恋がもう終わっているのだと嫌でもわかった。たった一度だけ見た彼女の涙は確かに彼の為に流れたものだったのに、今となっては全部、過去のことなのだ。割りきれている。なのに、そんな久保でも後悔だけは残っていると言う。今の恋に満たされていても、まだ。

 中々引き下がらない落合をしつこいと手で押し返し、久保は改めて草間を見つめた。妙にスッキリした顔だ。同い年のはずなのに、年上と見つめ合っている気にすらなる。

「私は、仁恵に後悔だけはして欲しくない。やっと一歩踏み出せたなら尚更に、したいと思ったことを我慢して欲しくない。有村と出掛けたいなら、行ってくればいいと思うわ」

「でも……」

「大丈夫。それでもし仁恵が嫌がらせを受けるなら、私がなんとかしてあげる。けど、信じてもらえないのもわかってる。去年は守ってあげられなかったものね。でも有村と関わってってことなら、私には奥の手がある」

「おく、のて?」

「ええ」

 コテリと首を傾げる草間の前で、自信あり気に口角を上げる久保が「いざとなったらアイツになんとかさせるわ」と目を細めた。それに真っ先に食いついたのは落合だ。彼女は「そっか!」と叫ぶや否や、拳と手の平を打ち鳴らして見せたりする。

「セコムならどうとでも出来るもんね! 去年町田たちを黙らせたのもセコムだったし、それいい!」

「でもっ!」

 確かに藤堂が味方をしてくれれば、草間に構う人たちは激減するだろう。有村が群を抜いている所為で最近は少々目立たなくなっているが、彼の人気も未だ根強く影響力は大いにある。

 でも草間としてみれば、過去のこととはいえあんな話を聞いたあとで久保にその手を使わせるのは気が引けた。縁が切れたわけではないにしろ、高校へ進学して再び同じクラスになってから名前ではなく苗字で呼び合うようになった間柄だ。久保がなるべく関わらないようにしているのも知っているのに、自分の為に嫌なことをさせるなんて。

 気まずいだろうし。そう思うのは落合も同じはずなのに、彼女は端からそれが良いようなことを言って嗾けるばかりだし、「構わないわ」と笑う久保は本当に構わないような顔で焦る草間を宥めにかかる。

「アイツは元々小競り合いとか鬱陶しくて仕方ないタチなのよ。それより面倒臭がりだからよっぽどじゃないと動かないけど、言えばすぐにどうにかしてくれる」

「でも、絵里ちゃんはもう、藤堂くんとは……」

「前ほど親しくはないけどね、そのくらいは言えるわよ。幼馴染みって中々切れないの」

「でも……っ」

 大事になってしまったと泣き出しそうになる草間へと手を伸ばし、久保は優しくその髪をひと撫でした。もしもの保険よ。そう言って、もう一度軽く指を滑らせる。

 昔から久保はそうやって草間を宥めるのだ。受験前に緊張でずっと手が震えていた時も、彼女はその指先で落ち着かせてくれた。

「だから仁恵には、自分の思うようにして欲しいってこと。仁恵が自分から動こうとするなんて初めてだもの。お菓子作りとか、本当は怖くて仕方ないホラー小説とか、なんだって。嬉しいのよ? 本当に」

「……いいの?」

「ええ。ただ、ひとつだけ覚えておいて欲しいことがあるわ」

 すっと離れて行った手が、頬杖を着く久保の左手と一緒にテーブルへ下りる。

 何を言われるのだろう。髪を撫でてくれた手が横たわるのを目で追い、そのまま久保の顔を見つめると、彼女は今日見た中で一番真剣な表情を張り付けていた。

 思わず、お喋りな落合も静かに見守ってしまうくらいの。

「この世に、完璧な人なんていないの。そう見える人がいたとしたら、それは余程我慢強い人か、どうしようもない性悪だけよ」

「……え?」

「あー……」

 何か察したように呆れ声を上げた落合はそれだけで久保の言わんとすることが理解出来たのかもしれないが、草間には無理だ。

 わかるのは久保の指す完璧な人というのが有村のことで、彼が性悪でないということくらい。でも単に釘を刺すだけにしては、いつの間にか戻って来て不意に捉まれた手に感じる久保の力が強過ぎる。

「いい? 仁恵。顔はともかくね、成績が良くてスポーツ万能で誰にでも優しい王子様なんているはずがないの。有村はいい人かもしれないけど、間違いなく強かなヤツよ。アイツは頭が良い。自分が置かれた状況を、よくわかってる。上手い身の振り方を知ってるわ」

「それ、どういう……」

「絵里奈ぁ」

「いいから、とりあえず最後まで聞いて」

 遮ろうとした呼びかけをねじ伏せられた落合が、気まずそうに首筋を撫でている。

 何だ。何が始まるんだ。困惑しきりに正面に座るふたりの間を草間の視線が何往復もしていると、握り込まれた手を揺らし「こっちを見て」と久保に引き戻された。

「誰に何を言われてもヘラヘラ笑ってるなんてのは、救いようのないバカじゃないなら、ただの善人には出来ないわ。だから正直、私はアイツが嫌い。気味が悪いし、信用もしてない。でも仁恵が頑張ってみようと思えたきっかけになったってことだけは感謝してるし、藤堂がそばに置いてるくらいだから、根っから腐ったヤツでもないんだろうとも思ってる。だから何が言いたいのかっていえば、有村に対する警戒心だけは、失くしちゃダメよ」

「警戒心?」

「そう。男なんてのは一律、薄皮の一枚下ではただの動物なの。いい? だから絶対に人気のない所に行っちゃダメ。押し切られそうになっても、変だなと思ったらすぐに逃げなさい。殴っても構わないわ。こういう時はね、大人しくしてる方の負けなの。女の方が始めから分が悪いのよ。でもその分絶対的な被害者なの。わかるわね?」

「えっと……」

「マジかぁ……」

「で、何かあったらすぐに連絡して。何もなくても、何かされそうになったら必ずよ。約束して。いい? 私は仁恵の味方。仁恵を泣かすようなことがあれば、あのドールフェイス、ただじゃおかないわ」

「えっ」

「やっぱ絵里奈はそう来るよねぇ……」

「え?」

 目に物を見せてやる。そう断言した久保の目は座りきっている。すると耐え兼ねた落合が横から手を振り下ろし、久保に包み込んでいた草間の手を離させた。

 一体何が起きたというのだろう。警戒しろと言われたのはわかるが、恋愛に対してお花畑の草間には久保の言った言葉の端々が良く理解出来ないのだけれど。

 そんな草間を補うよう、久保に鋭く睨まれた落合は閉じた瞼を指で揉みつつ、つまりさ、と心底嫌そうに噛み砕いた。

「絵里奈は、姫様が仁恵なら大人しいし、なにしても大丈夫みたいに思ってんじゃないかってことが言いたいわけね? そんなことないでしょうよ。こう言っちゃなんだけど、姫様はそっち方面困ってないと思う」

「わからないじゃない。仁恵はこんなに可愛いし」

「それすっごい分厚いフィルターかかってるよって何回言ったらわかる? 確かに仁恵は素材はいいよ? けど、化粧っ気もなければオシャレもよくわからんて、クローゼットの中身ほぼワンピっていうズボラさんよ。色気とかさぁ、正直なトコあるかいな」

「そういう女をどうこうしたい男はいるわ」

「映画観に行くだけなのに」

「そんなものは口実よ」

「えっ」

「ホラ出た。聞いたね、仁恵。このおねーさまの本音はこっち。いつもの脅しだから、話半分で聞いておくといいよ」

「えっ」

「脅しじゃなくて、警告」

「はいはい。もうホント、たまにはいいこと言うやんけーとか思ったあたしがバカでしたよー。絵里奈がそうやって男怖いぞー、オオカミだぞーって言うから、仁恵の男子嫌い酷くなってんじゃん」

 どうどうと諌める仕草で落合が肩に触れ、それを振り払う久保の手の速いこと。草間はビクリと軽く跳ね、両方の揃えた指先で口許を隠しふたりを交互に見やった。

 草間があまりにもそういう方面で純粋にここまで育って来てしまったので、久保は時たまこうして落合と敵対してでも釘を刺して来る。騙されちゃいけない、男は信じるに値しない、と、傷付く前の予防線として懇々と。

 そんな大きな話だったっけ。言い争うふたりを見ていたら、草間は少し頭が冷えた。

 だって、最初はただ映画を観に行くという話だったはずだから。例えば何かの口実だったとしても、有村とふたりでお出掛けというだけで、草間にとっては同じこと。

「そうやってね! 仁恵に恐怖心を植え付けて、このまま一生彼氏出来なかったらどうするの、って!」

「出来ないはずないわ。こんなにいい子は他にいないもの。わかる男が、きっと見つける」

「それを邪魔してんだよ、絵里奈が!」

「してない」

「してる! 姫様がそうかもしれないじゃんか!」

「アイツはどうも胡散臭い」

「それは絵里奈の感想でしょ。よくない! 人を見た目で判断するの、ダメ絶対!」

 今や草間の心は、土曜日に映画に行くという方向ですっかりと落ち着いていた。あとから何かを言われたとしても、あの有村と一緒にふたりきりで過ごせるまたとないチャンスだ。いい思い出にしよう。一生の、宝物になるような。

 元より学校での草間の立ち位置などあってないようなもので、失う物は実際ない。だから久保と落合の言い合いもどこか他人事のように聞き流しつつ、帰りに本屋へ寄って映画雑誌を何冊か、と草間はもう別のことを考えていた。怖くないホラーとかないかな、などなど。

 なので。

「ねぇ仁恵!」

 突然二人同時に呼び掛けれた草間は椅子から数ミリ浮き上がるほど驚き、「ふえ?」なんていう間抜けな声がうっかり零れた。

 またしても、何がどうなったのだろう。ふたりは共に随分と険しい表情をしていて、どういうわけかその手は固い握手など交わしていたりする。さっきまで険悪だった気がするのだけれど、こうなると草間は毎度全く以て付いて行けない置いてけぼり状態だ。

「なに不思議そうな顔してるの。今の話、聞いてた?」

「あ、えっと……ごめん。途中から、ちょっと付いていけなくて」

「だからね。要は姫様が本気で仁恵を気に入ればいいんじゃないかって話」

「へ?」

「それが一番誰の文句も出ないでしょ? で、アレがダメだとわかったら、あとから潰せばいい話」

「ええっ!」

 なんだその物騒な話。面食らった草間は目を白黒させるのに、すっかりタッグを組んだらしいふたりはニコリともせず話をどんどんと進めて行く。

「姫様が今まで全員振ってるのはさ、単に好みじゃないからなんじゃん?」

「仁恵みたいに自分からガツガツ来ない方が好みってこともあるわ」

「いや……ただそういう話になったから、声をかけてくれただけだと――」

「だとしても、よ」

「そもそも遊んでもいいかなって思うくらいには興味がないと誘わないじゃんか」

「でも……映画観るだけ……」

「そうよ」

「その短時間で、姫様に仁恵を選んでもらう」

「ええっ!」

 その時の「ええっ!」がこれまでで一番大きかったと、後に落合は語る。が、今はさておきだ。道路に面した窓から夕陽差し込むこの時間になってようやく腹を括った彼女たち、未だ置いてけぼりの主役をこれから引っ張り上げなくてはならない久保と落合にはもう少しの猶予もない。

 今日は週の後半木曜日。土曜、土曜とは言いつつ、それはもう明後日のことなのだ。しなければならないことは山のようにあるのだから、今すぐにでも動き出さなくては。

「買い物行ってる時間勿体ないし、服はウチらの手持ちでなんとかしよう。あとは眉を少し整えて……元から形はいいからそれ活かした感じで仕上げていこうか」

「そうね。これから仁恵の家へ行って一応見てから、明日持ち寄りましょ。服を決めたらネイルもしなきゃ」

「これから? もう五時になるよ?」

「そうよ! もう五時なの。時間がないの。やるとなったら徹底的にやるわよ。明日は私、泊まらせてもらうわね。朝メイクして、送り出す前にちゃんとチェックしてあげる」

「ごめんね。あたし、土曜は始発出の用があって」

「いいよ、そんなっ!」

「ダメ。オシャレは女の戦闘服よ。そういう抜かりなさが相手を牽制するの。軽々しく見られちゃ困る」

「絵里ちゃん……」

「磨くわよ。これから」

「ふえぇ……」

 何もそこまでしなくてもとは思うのだけれど、長い付き合いだ、こうなったふたりが自分の話を聞いてくれないことなど草間はよく知っている。

 それに人生初デートなんだから思いっきり楽しめるようにと両方の手を一本ずつ包み込まれてしまうと、それは確かにと諸々言い淀んでしまうから、草間は根っからの流され体質なのだろう。多分。

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