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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第二章 発条少年
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祭囃子が聞こえる

 結論から言えば、藤堂は正解だった。

 正解も正解、大正解だ。鈴木たちや先に合流した落合にはファインプレーと絶賛された藤堂の偉業。それに因り、有村はいま別の問題に直面して言葉を失っている。

「ごっ……あの、ちょっ……ごめ、あの……有村くん、すごくて……ちょっと、ちょっとぉ……!」

 鋭過ぎる眼光で睨みを利かす久保の後ろに隠れては顔を出し、また隠れては下駄を鳴らして、早十分。

 有村と出くわすや否や草間はこれまでで一番ではないかという挙動不審に陥って、なんだかもう、話しにならない。


 彼女の言う『すごい』とはつまり、鈴木たちと合流するまでに三回、合流してからも二回ほど一緒に回りませんかと声をかけられ、落合が来る頃には藤堂とふたりでそういう出し物のように注目と人だかりを拵えた有村の装いを褒めてくれたのではなく、前にもあった『有村が過ぎる』というアレだ。

「いやぁ、この混み具合じゃ探すの大変かもって心配だったけど、セコムと姫様が目立っててよかったわ」

「そんなハチ公みたいに言われてもな」

「でも、ホントそんな感じだったねー」

 たまに明後日の方向へガス抜きの如くカッコイイとは口走る。背後から帯でも引っ張られているのであろう久保はグラグラと揺れていて、対峙する有村の何とも言えない哀愁たるや。

「……なんか、どうしたらいい?」

 さすがの落合も笑い飛ばすのが辛くなり、見かねた藤堂が有村をその背に隠してようやく、彼らは待ち合わせの混雑から一歩踏み出せた。

「帰ろうかな……」

「慣れるから! もうちょっとで慣れるから、お願い! 頑張って姫様!」

「なにをがんばればいいの……」

「甘味だ! 甘味を持て、皆の衆!」

「あとでチョコバナナ食わせてやるから」

「有村。ガンバ」

「だからなにを……!」

 ほとほと、先が思いやられる。



 落合が気休めに放ったもうちょっとは、それから更に数分後。一行が石階段を上った先の鳥居を潜り、参道の両脇に並ぶ縁日の活気に包まれた頃に、ある意味では訪れた。

「落ち着いた?」

「う、うん。はっ! あ、あの、ごめんね?」

「いや。うん。大丈夫。無理にこっち見ようとしないでいいから」

「が、がんばる」

 だから、なにを。

 そう投げ掛けたいのを堪える有村の隣り、正確にはそのやや後ろで後頭部を向ける草間はとりあえず、顔を見なければ平気という段階までは飲み込んだらしい。

 進んだと言うか、引いて見れば戻ったと言うか。一ヶ月前より露骨な草間とはまだ会話もままならず、帰るまでに浴衣の感想くらいは言わせてくれたらいいなと、有村のハードルがまた下がる。

 草間が身を包むのは、淡いピンク地に小花柄が鏤められた一着。その一見幼く見えがちな浴衣をボルドーより少々明るい色の帯でキリリと引き締める着こなしは中々粋で、なによりとても似合っていた。彼女の透き通るような白い肌を引き立てる色遣いは小物との相性もよく、心地良い品もあって可愛らしいねと伝えるチャンスがこの先あればいいが、基本後頭部ではなんとも。

 しかし、だからこそ気付いたこともある。前向きに考えれば、これでもかと向けられたからこそ、サイドを編み込み襟足まで綺麗に上げてしまうのに、程よい抜け感を残したアップスタイルのヘアアレンジの中程、艶やかな草間の髪を纏めるビジューの髪留めにも目がいったわけだ。

 それこそ触れないわけにもいかないだろうに、礼のひとつも言えるかどうか。

「はっ! まだこっち見ないで!」

「ちょっとぉ、仁恵。いくらなんでも見ないではなくない? こちら、あなたの彼氏さん。そんなんじゃいくら寛大な姫様も拗ねて帰っちゃうよ?」

 呆れた物言いでは草間が気に病むのもわかりきっていることで、有村は出来るだけ穏やかに気にしていないと気遣ったが、この有様では最悪帰ってからメールだなと内心、諦めが半分以上。

 せっかくのお祭りなのに。賑やかな祭囃子を聞きながら、有村は密かに草間の後頭部へと視線を投げた。

 別に彼女がつれなくて気まずいのなら、藤堂辺りを連れてお互い気兼ねなく回ればいいのでは。そうは思うのに、切り出さないでいるのが草間の為ではないような。

 芳ばしく焼けるしょっぱい香りに、甘い匂いもちらほらと。周囲には鼻孔と空腹をくすぐる誘惑が幾つもあるのに何故だか退屈の足音が聞こえ始め、有村は先を行く藤堂の袖を引いた。

「ねぇ、ここは素通りしちゃうの?」

「ああ。まずはやることを済ませないとな」

「やること?」

 お参りでもするのかと問うよそ者に、藤堂や鈴木、山本、落合に次いで久保までもが勿体ぶった笑みを浮かべる。草間はこの調子だし、今日はみんなして少し意地悪だ。

 そうしていよいよ拗ね始めた有村は無言のままあとに続き、吐き出し損ねた不服が無意識に口を尖らせたりした。楽しみにしてたのにな。彼の横顔には『つまらないな』の吹き出しが付く。

 徐々に膨らんでいく不満は一歩ごと募るようだった。こっそり帰ってしまおうかなと画策し出すほどに。しかし募った想いが口を吐く直前で振り向いた藤堂と目が合うと、浴衣姿のハンサムな親友は有村の肩を抱き寄せ、そのまま前へと押し出した。

 参道から横道に入って間もなくのことだ。有村はなんとなく石畳を眺めていたから気付かなかったが、下駄を鳴らして一足先に踏み出したのは随分と開けた広場。

 乱暴にするなとでも言ってやろうとして顔を上げた有村はそこで、やけに満足気な藤堂たちの笑みと、今日の意味を目の当たりにした。その瞬間、思わず漏らした声は思いの外弾み、視界が広がっていくのがわかった。

 一気に込み上げる胸の高揚に、有村はもう不機嫌など気取っていられなくなったのだ。

「すごい……本当に七夕祭りなんだ!」

 高台の開けた場所に何本も束ねて設えられた、盛大な笹飾り。有村が歓声を上げた無数の短冊が揺らめくそれは正に天の川の如く華やかで、思わず駆け寄り仰ぎ見れば夕暮れの空にも映え、息を飲むほどに美しい。

 天まで届くみたいだ。そう呟くと久保は皮肉に鼻で笑ったけれど、落合は鈴木や山本と一緒になって得意気に胸を張る。

 内緒にして正解だった、と口々に。そういうことなら意地悪だと思った自分が軽率だったと、有村の口角が僅かばかり下を向く。被害妄想だなんて、らしくない。

「この短冊に願いを書いて結ぶんだ。どんなことでもいい。鈴木はまた背が伸びますように、だろ?」

「ふざけんな。伸びてんだよ、着々と」

「ミリでな!」

「うるせぇ! 黙れやデブと巨人!」

 隣接するテントで配る短冊を人数分持って来た藤堂が順に手渡していくと、用意のいい落合がすかさず人数分のペンを取り出す。好きな色を選んでいいと言われ、有村は重複していた黒を選んだ。

 色とりどりの短冊に、思い思いの色で託した願いがこんなにもたくさん。結びやすい下の方は鮨詰め状態で、上の方はがらんどう。そんな不規則すら風味なのだ。ひとりでは決して生み出せない、有村はこれもひとつのアートだと感服する。

「前はちゃんと七月七日にやってたんだけどね。このあとのお楽しみに合わせて、最初の土曜になったってわけ」

 だから小さい願い事を書くわけよ。陽気にポンと背中を叩いた落合は平らな場所を求めて離れて行き、残された有村はもう少しだけ笹飾りを眺めたあと、彼女らと同じように木の幹を下敷きにペンを握った。

 小さな願いとは、どのくらいのものを指すのだろう。身長が伸びますようにと願う鈴木、山本はナイスボディ祈願と書くらしい。何センチ欲しいとか、痩せたいとかは小さくないのか。だとすると、益々悩む。

「健康でも願おうかな。いや、それはちょっと年寄り臭いか」

 小さな願い、小さな願い、と何度も呟いていたら、ふといいものが浮かんだ。

「うん。これにしよう」

 これから来る夏休みが楽しく過ごせますように。それなら叶うかどうかは大凡自分次第で、空には空らしく健やかでいてもらうだけだ。

 小さいはずと書き込んで出来るだけ空いている場所に短冊を結んだ有村は、その視界の隅にちょこまかと離れて行く草間を見つけ、なんとなく、その背中を追いかけた。



 笹飾りを囲む、杭と縄で出来た一応の柵。それと敷地の脇に立つ木々との狭い隙間を抜けると、裏手に回り込めるようだった。

 進むほどに短冊の数が減り、それらはやがて手の届かない中程や上の方に最初からついていたと思われる白紙のみになる。常連だからこそ知る穴場というか、道の悪さを思えばここまで来るのは子供くらいかと思われる、細い細いけもの道。

 その先はやはり閑散としていて、ふと開けた場所に佇む草間を見つけた有村は咄嗟に一歩後退り、茂る笹飾りに身を隠した。

「うーん! もう、ちょっと……!」

 その特等席で不安定に盛り上がる木の根に立ち、精一杯に腕を伸ばす草間の様子に、出て行くのを躊躇ったのだ。声は勿論、仕草からしてあまりにも必死だったものだから。

 しかし有村はその躊躇いを深く悔やんだ。こういう時は時間が経つほど出て行き難くなるものだ。困っているのなら手助けもしたいし、せめて目指している枝くらいは。そう思い少しだけ顔を覗かせた有村は、目の当たりにした光景にすぐさま物陰へと逆戻り。

 どうしたものか。爪先立ちで唸るほど身体を伸ばすのに、如何せん小柄な草間のこと。有村なら難なく届く辺りにも手が届かずにいるその姿が、低身長を気にしている草間には申し訳ないが、可愛らしいとしか思えなかった。可愛らしくて、つい笑ってしまいそうなほど。

 ここで笑い声だけ先に出したらそれこそ終わりと、先の物悲しさも忘れ自身を宥める有村に、更なる追い打ちが下されたのは間もなくのこと。

 懸命に堪える有村の存在になど気付く由もない草間が、唐突に「えい!」と跳ねて「惜しい!」と零したのだ。その瞬間、有村はいよいよ声が出そうになって口を塞いだ。

 どこだ。どこを目指して惜しかったんだ。一番近そうな目ぼしい枝まで、目測でも数センチはあったように思うのだけれど。

「えいっ! えいっ!」

 時折周囲を確認しつつ挑み続ける頬は徐々に赤らんでゆき、それでも笹の葉にじゃれつく小動物のような草間が有村に気付く気配はない。そうなるともう拷問の苦しみだった。可愛いものは見たい。けれど見たら確実に笑ってしまう。好奇心と理性の板挟みで、悶える有村の我慢も限界。

 なのに終わらない、届かない草間のワンマンショー。

「次こそ! ふっ、ふー。よし! えいっ! 惜しい!」

 溜めたけど跳べてないし、変わってないし、やっぱり全然惜しくないし。

 ダメだ、もう耐えられないと涙目になった有村は、跳ね疲れたのか息を上げ、ふと草間が前屈みに俯いた折を狙って背後から近付き、そこからでも届く彼女が目指したのより上の方の枝を掴んで目線の高さまでしならせてやった。

 思いつく限りありとあらゆる意味で、見ていられなくての決断である。

「これで届く?」

「へっ? ひやっ! あっ、ありむらく……!」

「短冊も草間さんも見ないようにしてるから、ここでもよかったら結んで? もっと上がよければ変えるけど」

 突然の登場に面食らう草間を宥め、行き場のないおかしさは無言で開けた大口で逃がした。よもや草間の後ろ姿が有り難くなる日が来ようとは。平常心、平常心、とその間も有村は何度唱えたかわからない。

 その苦労の甲斐もあり、草間が「ここで大丈夫です」と言えば有村は宣言通りに横を向き、用が済むのを待った。

「し、失礼します」

「はい。どうぞ」

 まったく、草間の愛らしさはそろそろ殺人兵器になりそうだ。

 そうして心を鎮めがてら遠くへと視線を投げて気付くのは、この場所の見晴らしの良さ。草間と同じ木の根の上に立つ僅かな差で邪魔な枝葉が視界の下に入り、丁度開けた隙間から周囲が一望出来る。

 この辺り一帯は閑静な住宅地で、夜も更ければ深夜でも明るい街並みよりずっと心地よいはず。夜のランニングで近くまでは来たことがあるが次からはここまで、と思案した有村はふと草間にか細い声をかけられ、その逡巡を手放した。

「あっ、有村くんは、もう結んだの?」

「うん。正面にね。こっちにも来てよかったなら、そうすればよかったかな」

 話しは弾まなくとも、沈黙も草間には気まずいらしい。

 ならばと有村はここは君の穴場かと尋ね、見られると恥ずかしいからと答えた草間に、また微かな綻びを見せた。ポツンとひとつ離れた方が余程目立つと思うのだけれど、そういう外し方もまた草間の可愛いところ。

 もたつく不器用な手つきもそうだ。笹の葉に紐を結ぶだけで四苦八苦。

 無意識の温度を持って見つめる有村の視界で、光を浴びた髪留めが揺れる。

「それ、着けて来てくれたんだね」

「はっ、え?」

「髪留め。浴衣も、すごく似合ってる」

「あ……ありがとう、ございます……」

 せっかくの、チャンスだったのに。

 もっと気の利いた言い回しがあっただろうに、ひしひしと伝わる草間の緊張が移ったみたいに素っ気なく紡いでしまったから、有村は何故だが急に恥ずかしくなった。

 同じくピンクがかった浴衣を着た落合との合流しなに、無言の拳を突き出して来た鈴木じゃあるまいし。草間といると調子を狂わされてばかりだ。

 女性を褒める言葉は幾つも持っているはずなのに、もっと上手く振る舞えるはずなのに。出来ていたのに、これまでは。それがどうも草間にだけ上手く当てはまらない。

 お世辞なんかじゃないのに『ありがとうございます』なんて他人行儀が寂しくもあって、有村はこんな時にどういう表情をしていれば正解なのかも自信がなくなり、気が付けばだいぶ下の方にまで視線を落としていた。

 何て言えばよかったんだっけ。

 その前に、何か言うべきだったのかな、とも。

「あ、あの、ここね。このお祭り、昔からあるの。だからずっと毎年来てて、最近は当日じゃなくてちょっと寂しいけど、この笹飾り大きくて立派でしょ? 珍しいらしくて。だから、せっかくなら有村くんにも見てもらいたいと思って。でも、急に誘って迷惑じゃなかったかなって思ってたから、その……あ、有村くんの浴衣も、よく似合……ああっ!」

 しかし、そうして物思いに耽り出した視界で、やっと短冊を結びかけた葉を力んで千切った草間の声が、同時に有村の憂鬱を打ち負かした。

 おめおめと落ち込んでいる場合ではなくなったのだ。なんで枝に結ばないんだと言う間も、ぶちっ、と思い切り立てた音を笑う隙もなく、そのあとのあまりに滑稽な慌てように草間を励ます方が忙しくて、落ち着くよう声をかけた口角が自然に持ち上がれば表情なんて気にしている余裕もなくなる。

 でも、それでいい気がした。どうせ彼女はこちらを見ないのだもの。空気など、読んでくれないのだもの。

 枝を更にしならせて、結び易そうな辺りを指で指してやり、そうして短冊を飾り付けた草間の首はピンクも朱色も超えて真っ赤っか。こんなにも不器用で、この子は今までどうやって生きて来たのだろう。そんなことを少しだけ思った。

「もしかして、本当の提案者は草間さん?」

「いや! 私はただキミちゃんに話しただけで」

「そうだったら嬉しいのに」

「……誘いたいって言いました」

「はは、素直になった」

 きっと、その素直さを武器に、優しさに包まれて生きて来たんだ。

 優しい声色で切り出せば頷くだろうと打算で動く自分とは違う本物の良い子が眩し過ぎて、有村は草間が腕を下げるのを待ち笹を放すと、改めて誘ってくれた礼を告げた。

「このあとさ。もし辛いようなら、別々でもいいよ。意地悪とか、拗ねたんじゃなくてね。毎年楽しみにしてるお祭りなら、草間さんも楽しみたいでしょ」

 邪魔をしたくないのは本音。けれどもうひとつの本音では、これ以上草間といれば例の天秤が形を成してしまいそうだったから。草間に倣い話せるような思い出もなければ、それに見合うだけの礼も今日は出来そうにない。そう思えば、別々にと切り出すのは有村自身の為だった。

 不足に苦しむのは嫌だから距離を置く。いつものことだ。謝られては立場がないから、どうか、その前に。

 しかし意を決したように振り返り、その悪癖をまたも寸でのところで遮った草間は目が合って数秒、やはり息も絶え絶えに視線を逸らすと、俯いたまま木の根に向かって吐き出した。

「ごめんなさい! 失礼なことをしてるってわかってるんだけど、見慣れない有村くんが、どうしても恥ずかしくて! だけど、出来れば一緒に……近くにいたいです!」

 その声があまりにも大きくて。草間のものとは思えないくらいに、大きくて。

 有村はそのまま、肩を窄める草間が泣いてしまうのかと思った。

 見たくなかった。つり合わない反動で、あとで自分の首を絞めることになったとしても、それ以上に。ずっと。

「……俺に、何か出来ることはある?」

「思いついたのは……でも、たぶん見ないより失礼なことだと思うから……」

「それでもいいよ。試してみよう? やっぱり、せっかくなら俺も、草間さんといたいみたいだ」

 自分の為に我慢してくれと草間が言った。わがままを言ってごめんなさいと、草間が、言い出しかけた我儘を跳ね退けてくれた。目が覚めるようだったのだ。こんなにも優しい自分勝手を、有村は知らなかったから。

 手を繋ぐのを条件に急ぎ足がてら藤堂へ言付けた有村は、草間とふたり、提灯の灯り出した参道へと引き返した。嬉しくて。嬉しくて。恥ずかしいほど頬が熱を持つ感覚も、有村はこの時、生まれて初めて知ったのだ。

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