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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第九章 主人公たる少年少女
356/379

親友だからな

 ここからは、手術中の文字が点灯するのが、よく見える。その明かりが消えるまで、腰を下ろしたこの長椅子、この場所から、藤堂は微塵も立ち去る気がない。

 泣き続ける草間のことは、佐和に委ねた。今は廊下を挟む向かいの長椅子に並んで座り、抱き合うように寄り添っている。

 それから間もなく、息を切らせた和斗が駆けて来た。到着するなりなにやら言うが、有村の安否は未だわからぬまま、手術室のドアは開かない。

 ふらりと立ち上がり、藤堂は和斗の正面へ立った。

「アンタが悪いわけじゃない。だが、殴らせろ」

「うん。頼むよ」

 頬へ振り抜く藤堂の拳で和斗の身体が飛び、壁にぶつかる背中がそのまま、ズルズルと下まで落ちる。

 そうして床へ座り込む和斗を正面にして、藤堂は苦々しく顔を歪めた。

「アイツを守ると言っただろうが。守りたいと言っただろうが! だったら、近くにいるのをどうして、有村に教えなかった。教えてさえいれば備えられた。俺の家に泊まるでもいい。鈴木や山本の家も使って、転々とするんでも良かった。テメェが教えてさえいれば、ドアを開けないくらいは出来たんだぞ!」

 夜も遅い病院の廊下だ。これでも声の音量は抑えた。

 答えない和斗の前でしゃがみ、藤堂の鋭い眼光は真っ直ぐに、項垂れる和斗を射抜く。

「俺は見た。床に落ちてた、血のついた置時計を。エレベーターと部屋に、同じ甘ったるい臭いが残ってた。来たんだ。来て、ソイツが有村を殴った。なぁ、これをどうするんだ。家の遣いのテメェはよ」

 草間のか細い声が藤堂を呼んでいる。振り向く角度でそちらを見て、藤堂は軽く首を横へ振った。

 先に言った。落ち度はあったが、和斗が悪いわけじゃない。藤堂は責めているけれど、同時に話をしているのだ。

「教えろ。有村に言いたくなかった気持ちはわかる。俺たちにも言わなかったのは、俺らが知れば有村が気付くからか」

「……自分の能力を過信した。洸太に知られることなく、出国させるはずだった」

「それで結局、アンタは草間に電話をした」

「そうだね。だって、君は洸太を想い、俺に平気で嘘を吐くから」

 立ち上がりながらの藤堂の手が和斗へ伸びると、次はいよいよ佐和までが心許なく名前を呼ぶ。

 掴むのは腕だ。藤堂は和斗を立たせ、適当に服の汚れを払ってやった。

「一発殴れば充分だ。コイツを半殺しにして、有村がそこから走って戻って来るってわけじゃない」

 時刻は零時を過ぎ、日付はとうに替わっている。手術はいつまでかかるやら。

 藤堂はそこから離れ、自動販売機で三本の缶珈琲と、ペットボトルの紅茶を一本買い、舞い戻る。和斗に渡し、佐和に渡し、紅茶を渡す時、草間へ問うた。

「お前、終わるまで帰る気ねぇんだろ」

「……うん」

「だろうな」

 そういえば有村が、草間には開けられないペットボトルがあると言っていた。一度は渡した紅茶を取り上げ、藤堂はキャップを開けて軽く閉めてから、草間の手へ戻した。

「ありがとう」

「ん」

 静かなものだ。あのドアの向こうでは、有村がまだ戦っているのに。

「佐和さん。悪いが、手術が終わったら、俺と草間を送ってほしい」

 あと何時間かかかろうと、バスが出る時間になっても、服が血まみれのままでは目立って仕方ない。佐和は了承してくれ、藤堂は和斗の隣へ腰かけて、缶珈琲のプルタブを開けた。

「アンタは残るんだろ」

「うん」

「目を覚ましたら連絡をくれ。なくても面会時間に来るが、その前にまだならまだで、メールの一通も寄越してくれるか」

 ひと口、喉を下る珈琲は苦い。

 藤堂はスポーツが好きで、有村はどうしたってインドアだ。藤堂は米が好きだが、有村は嫌って滅多に食べない。ピタリと揃う好みは、これだけ。珈琲は、砂糖もミルクもなしのブラックだ。

 自動販売機にはこれしかなくて見慣れないのを買ってみたのだが、意外と美味い。もうひと口飲んでから、藤堂は和斗を見遣った。

「俺はアンタを信じなかった。お互い様だ。だが、俺はアンタのメールを待つ」

 目を合わせたまま、もうひと口。

 和斗もプルタブを開け、珈琲を飲んだ。

「……するよ。目が覚めたら、すぐ。覚めなくても、朝になったら」

「そうしてくれ」

 それから四人、無言で過ごした。

 藤堂が三本目の缶珈琲を飲み終わる頃に『手術中』のライトが消え、先にひとり、医者が出て来る。草間と佐和がすぐさましたように、隣の和斗よりは一拍遅れて藤堂も席を立ち、話を聞きに近付いた。

「血圧、脈拍、共に安定してきており、命が脅かされるという状態からは脱しましたので、まず、ご安心を。頭部の負傷についてですが、裂傷自体は深くなく、後日、精密な検査をしてみるまで断定は出来ませんが、現段階で憂慮すべき所見は見られません。心配なのは少々出血が多いことですが、こちらも危険水域というわけではない。彼はまだ若いですし、回復は充分に見込めるかと」

 他の三人ほど深くはなかったが、藤堂も会釈をして医者を見送り、間もなく、手術室から有村が運び出された。

 駆け寄る佐和や和斗が呼び掛け、草間は手を握りながら名前を呼ぶ。顔がいつもより一層白く見えるのは仕方がない。満員電車に一緒に乗る藤堂からすれば、有村の顔面蒼白など見慣れたものだ。

「有村。待ってるからな」

 藤堂はそれだけ言って、その夜は、草間と共に帰宅した。

 翌日と呼んでいいのかわからない土曜日。帰宅した時刻からほんの三時間後に、和斗からメールが届いた。有村はまだ目覚めない。たったの三時間では驚きもしない。藤堂は仮眠をとり、草間と途中で落ち合って、病院が定める面会時間に足を運んだ。

 有村は個室で、藤堂は有村が目を覚ますか、草間が帰ると言うか、面会時間が終わるまで居座るつもりでいた。結果は、三番目。日が暮れて病院を出たあと、相談して、他の四人に連絡をした。

 電話口ですぐに教えなかった草間を責めただけで足りなかったのか、次の日の日曜日、病院の外で六人が顔を揃えると、落合は藤堂にも食って掛かった。

 とはいえ、最後には泣きそうな顔になる。文句というよりは、八つ当たりに近い。

「ごめん。あたし、悔しくて」

「言ってスッキリするなら、いくらでも言え。俺も同じだ」

 その日も、日が暮れるまで病室にいた。七人でいるのに姫様が寝てるから楽しくないよ、と、帰り際、落合が言った。

 翌、月曜日。誰ひとり、学校を休もうとは言わない。

 いつも通りに通学し、草間は掲示板の前で写真を撮った。

「熱出して家で寝てる有村くんに見せようと思って。いらないだろうけど」

 笑顔でそう答えたのは、湯川へ向けて。想定はしていた。有村がまた休めば、そうと知った面々が騒ぐであろうことは。

「普通に、風邪ひいちゃったみたい」

 朝から何度も、何度でも、草間は笑顔で嘘を吐いた。藤堂たちも同じだ。口裏を合わせ、気が緩んで熱など出した有村を小馬鹿にする。三学期が始まる頃になっても頭の包帯が取れなかったとして、辻褄合わせは口の上手い有村に任せればいい。

 間に丸一日置き、草間はすっかりと落ち着きを取り戻していた。外見上は、完璧に。手術が無事に済んだのが大きいのだろうとは思うが、藤堂は出来るだけ草間の隣か、すぐ近くにいた。

 平気なはずがない。バカが付くほど正直者の草間が、スラスラと流れるように嘘を吐くなど。

 こんな居心地の悪い日は短いに越したことがないから、藤堂は退屈な授業中に窓の向こうの空を見上げ、幾度となく胸の内で語り掛ける。早く起きて、せめて草間を安心させてやれ。バカ野郎。

 昼休みが終わる頃、藤堂の携帯電話に和斗からのメールが届いた。

 つい先程、有村が目を覚ましたという。少しだが、会話も出来たと書いてあった。

「有村もいねぇし、午後はサボる」

 教室の一角、いつもの場所で藤堂はそう告げて席を立ち、有村の席に座っていた鈴木の肩をグイと押した。

「あと、頼むな」

 血の海で有村を見た時からずっと、藤堂には確かめたいことがあった。有村と、一対一で。

 他の五人が来る前に話を終えるため、着いた病室では和斗にも席を外してもらった。

「お前はここで、話せるか」

「大きな声を出すのはつらいから、ベッドに座って、顔を近付けてくれる?」

 寄せた耳元で、有村が囁く。

「ドアに誰も近付かないよう、和斗が見張ってる。和斗にも聞かせたくないなら、このままで」

 身体を倒し、枕元に腕を着く藤堂の体勢はまるで、病床の有村に覆い被さるよう。

「誰にも見られたくねぇな」

「そうだね」

 微笑み合うと、藤堂は胸が苦しくなった。有村も閉じた口を震わせたので、一度だけ腕を回して抱き寄せた。

 必要な検査はまだ幾つも残っていたが、有村は全て覚えていたし、把握していて、理解していた。けれど、和斗や医者、対話をした全員へ、家で何があったのかは覚えていないと話していたし、これから思い出すこともないと言う。そう、決めたのだそうだ。

 藤堂には真実を告げるのに、甘ったるい残り香の持ち主の名前を出しても寂しげな目をするだけで、首を上下にも、左右にも振りもしない。藤堂の目的は甲斐のない犯人探しではないから、一度尋ねて、それきりだ。

「お前、わざと殴られたな」

「…………」

「あの部屋は乱闘会場じゃない。相手はひとりだ。精々な。拮抗すらしてない。どっちかがずっと優位だった。お前の腕は無傷だ。庇う時、お前は咄嗟に左腕が出る。ただ逃げてたヤツがタイマン張って、お前に致命傷になる一撃を食らわせるなんざ、無理だ」

「…………」

「逆に、それだけ弱ぇヤツを仕留めるのに、お前は時間をかけない。怖がらせて逃げ回らせて楽しむクズでもない。急所を避けて、煽ったか。キャンキャン吠えるだけのザコを追い詰めて、無我夢中で殴らせた。違うか」

 問い詰める間、盗み聞きを避ける至近距離で、藤堂と有村は見つめ合っていた。

 コテリと首を傾げ、有村の口が開く。

「……エスパー?」

「ケンカとお前を知ってるだけだ」

 そうして有村は溜め息を吐き、「そうだよ」と答えると、下げた視線はもう藤堂へ戻らなかった。

 目を覚ます気はなかった。告げる有村は俯いたまま、その時の判断と行動を悔やんでいるのも、藤堂には打ち明ける。

 死んでも構わない、ではなく、自分を殺させようとした。

 それを聞き出し、言わせる為に、藤堂は誰より早く病室を訪れたのだ。

「理由はなんだ」

「友達の仇」

 互いの目の奥を覗くようにして過ぎた数秒間。横顔を向けた藤堂が舌打ちをして、俯く直前に有村はまた寂し気な、泣き出しそうな目をした。

 教室を出たあとで、草間にメールで向かう時には連絡を寄こすよう伝えている。

 今しがたポケットの中でバイブ音がしたから、こうして話せる時間もあと僅か。

「後悔してる。我慢したんだ、これでも。とても」

 一応は着用しているという風にだらしなく提げている藤堂のネクタイを掴み、有村は自分の方へと引き寄せた。元より相当に近かった距離だ。咄嗟に腕を着かなければ、藤堂の鼻先は有村のそれとぶつかっていたかもしれない。

 そのくらいに強い力で引いた有村の目は切実を滲ませていて、藤堂はその近過ぎる場所へ留まり、視線を注いだ。

「頼む。叶えると言って」

「わかった。なんだ」

「あらゆる悪意から、草間さんを守って。橋本まりあは懲りてない。全く。彼女なら、僕への報復を考える。けれど、もう二度と、僕に直接仕掛けて来ることはない。狙われる。守ってくれ、必ず」

「わかった。お前の代わりに、必ず」

 これも、藤堂が今、この場所でしたい話のひとつだった。

 大凡は把握しているつもりでいる。有村がどこに、どんな花が咲くのを期待して、どのような種を蒔いているか。長くてもあと数日だ。まだ芽が出ていないものはいいとして、有村が不安に感じている人間、想定しうる状況を、藤堂はひとつずつ頭へ叩き込みながら、頷きと共に聞く。

 覆い被さる状態で聞き続けて思うのは、半分ほどは考え過ぎであろうということ。

 要は草間をひとりにしなければいいのだ。校内では藤堂が寄り添うし、藤堂がついて行けない場所には久保と落合を行かせる。応じても、有村は不安そうにしていた。

「弱ってんだな。当然だ。元々嫌いな病院に閉じ込められて、傷だってまだ痛むだろう。大丈夫だ。何も心配しなくていい。俺だけじゃなく、五人で守る。お前は安心して、回復に専念しろ。まだ、顔色が悪い」

「藤堂」

「もうじき草間たちが来る。そんな泣きそうな顔じゃなく、元気な顔を見せてやれ。それが今、お前に出来ることだ。お前にしか出来ない。草間を安心させてやれ」

 気が利く草間なら、近くからまた『もうすぐ着きます』とでもメールをくれるかもしれないが、今日はその期待をしないでおく。草間は焦っているはずだ。急いでいるはずだ。一秒でも早く、有村に会いたくて。頭の中は、それでいっぱいだろう。

 どうせ、既におかしな、言い訳も出来ない鼻先と鼻先の距離だ。藤堂は片方の手をシーツから浮かせ、白い頬へ触れる。

 どうにも冷たくて、色の所為か陶器に触れたような気分になった。

「早く元気なお前に戻って、大急ぎで退院しろ。やるからな。クリスマスパーティ」

「…………」

「早く帰って来い。お前がいねぇと、退屈だろうが」

 言ってはみたが、これは、想像以上に照れ臭い。

 登校復帰初日に大勢が言うのを見たが、不遜を纏い、顔を横へずらす藤堂はつい、アイツらにには恥というものがないのだと胸の内で毒吐く。こんなセリフをよくも公の場で、見ている他人の目がある中で言えたものだ。

 あまりに居心地が悪く、藤堂はもう来るであろう草間たちの所為にして、有村から離れる。腕を伸ばし、身体を起こして、ベッドの縁へただ腰かけた状態になると、その背中に有村が頭を預けた。

「お前、ちゃんと寝て――」

「――強敵が現れず、世界が平和である時、ヒーローは退屈なものだ」

 ちゃんと寝ていろ。そう告げようとした藤堂は振り向こうとしたが、薄い青色の病衣を纏う肩や、襟から覗く白い首を見るのが精々だった。

「同時に、孤独なものだ。有事に備え、その平和を共に謳歌しきれない。腐るなよ。その時に会心の一撃が出せるよう、研ぎ澄ませておけ。君の最大の武器である、その躊躇いのない正義を。たとえ誰に傲慢と呼ばれようとも、否定されようとも、君は胸の正義に正直であれ。僕が色に逆らえないように、君はそれに突き動かされてしまうのだから。そういう君が、美しいのだから」

 背中へかかる重みが消え、藤堂は座ったままで振り返る。有村は再びリクライニングを起こしたベッドへ身体を預け、ニッコリと大きな笑顔を見せた。

 結局、ベッドの縁に腰かけて五人を迎えることになった藤堂は、駆け込む草間に場所を譲る。草間は飛びつくように抱き着いて、有村を呼びながら泣いた。

「ごめんね。心配をかけて」

「有村くん……!」

 首元へ両腕を回してしがみ付く草間を抱く有村の手には、透明な管が付いている。

 あまり動かすものではないのだろうが、その手が愛おし気に草間の頭を撫でるのを、藤堂は、他の四人も、当然の如く止めなかった。

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