きみの夢をきかせてよ
英語のテストを受けていると、日本は不思議な国だ、日本人は本当に生真面目だなと、有村は思う。
様々な言語を習得して思うのは、日本語ほどバエリーションが豊富で、用途やタイミング、時には心情までを表現するのに幾つもの選択肢があるような言語は他になく、ゼロから習得するのなら、かなり難易度が高いということ。
そういう言語を日常的に用いていて、世界中の多くの国で通用するからと、学業のカリキュラムに英語だけが入っている。そのくせ、読ませて書いてを繰り返させるだけで、身に付けさせる気はないのだろうから、生真面目で不思議な国民性だ。言語など、使ってナンボというものだろうに。
そうした話を休み時間にしてみたところ、草間や藤堂、六人の顔が固まった。
「うっわ。出たよ、正論。そりゃぁ、読み書き出来ても聞いて話すのは別モンだとは言うけど、それは言わないお約束じゃん。普通に喋るお前が不足とか言うな。マジ、昨日の徹夜がバカみてぇ」
「そんなことないよ。その頑張りはきっと、のんちゃんの点数に反映されるはず」
「ないわー」
「いや。だから、無駄とは言ってない。正しい知識は大切。僕だって、授業受けるまで文法なんて碌に考えてなかったし。やめて、その顔。落合さんが言い出したんだよ? テスト出来たから英語ペラペラだー、とか。それと話すのは別、って言っただけで、そんな大罪のような目をしなくても」
「いい、もう。初めて海外旅行に行く時は、姫様に通訳してもらう」
「だな。それがいい」
「そうね。癪だけど、不便があるより良いわ」
「絵里ちゃん……」
「で、なんで急に海外旅行の話が出たの?」
「卒業旅行。三学期始まったら、あっという間に三年じゃん? なったら行くでしょ。期間的に、狙うは夏休み」
「半年以上も前なのに?」
「関係なかろう? 三年になったら、卒業までのカウントダウンは始まるべさ」
「海外だったら、どこ行きてー? オレ、普通にハワイ」
「私は、ヨーロッパの方かな。有名な美術館とか、行ってみたくて」
「いいわね。ルーブル、私も一度は行ってみたいの」
「だよね! 気が合うね、絵里ちゃん! キミちゃんは?」
「あたしは……ギリシャ」
「そういうアニメにハマってんだな。なら却下だ。お前ぜってー、すぐ変わんもん」
「そういう鈴木はどこがいいのさ」
「俺? 俺は……やっぱフランス。スイーツって言ったら本場だし」
「ヤベー。それ言われたら、ほか言えねー」
「いいよ、別に! 決まんなかったらで! で、藤堂は?」
「……砂漠」
「意外」
「国じゃねぇ」
「か、密林。ジャングル。無人島」
「サバイバルがしたいんだね、藤堂は」
「いつか、身ひとつでどこまで出来るか試したい」
「それは、ごめん。巻き込まれツライ」
「僕も、せめてきちんと宿のある場所がいいな」
「姫様は国ならどこよ?」
「僕は、ノルウェーには行ってみたいかな」
「あ、おばあさんの生まれた国だね」
「うん。薄いけれど縁はあるし、いつか、お祖母さまや志津さん以外のブークモールを聞いてみたい。好きなんだ。響きがとても、美しくて」
「で、どこ行く?」
「無視がエグい」
「俺は興味あるぞ、ノルウェー」
「藤堂……」
「とりあえず、旅行パンフでも集めますかの」
「だな」
「じゃぁ、現実逃避終了ね。休み時間終わるよ。ホラ、席へ戻って」
「ほーい」
「はーい」
みんな、英語のテストの出来は上々だったらしい。今日はまだあと一科目残っているのだが、大きな壁を乗り越えて気分が既にホームルーム前。もしかすれば、少し帰路に就いているのかも。
散り散りに座席へと戻って行く六人を見送り、有村はふと考えてみる。卒業旅行で、海外へ。現実的には国内になるだろうけれど、また七人で一週間くらい出掛けられたら最高だ。
今年の夏は山へ行ったから、次は海もいい。外で焼く肉は美味しかったし、手持ち花火も楽しかった。帰りの車内でやり忘れたと落合が嘆いていたから、次は是非、肝試しとやらも体験したい。
大幅に余ってしまうテスト時間にそんなことを考えていた有村をキッカケに、本当のホームルーム後から下校の間も、七人は進級したあとのこと、ついにはその先の将来についての話題が中心になった。
「鈴木はやっぱ、製菓系の学校行く感じ?」
「そのつもりでいる。パティシエになって、いつか自分の店を持つ」
「夢デケー」
「そのデカい夢、咲かせろな、鈴木どん」
「おう」
親指を立て合う鈴木と落合が先頭にいて、後方から眺めていた有村は笑みを浮かべる。鈴木にそんな夢があるとは知らなかった。その夢が叶ったなら、一番の常連さんを目指すとしよう。
鈴木が尋ねて、落合は服飾系の学校に行きたいのだと答えた。
「まだ、めちゃくちゃボンヤリで、悩んでんだけどね。服は作りたいの。知識も技術も習いたい。けど、別に自分のブランド持ちたいとかじゃないから、仕事にするのはどうよ、っていう。そこ考えると、うーん」
作りたいのはあくまで自分が着たい服。それなら別に、趣味のままでいいのではないか。そこで悩んでいる落合は久保を振り返り、「絵里奈はそのままモデルじゃんね?」と問う。返答は、「えぇ」。
「でも、私もまだ悩んでるかな。進学は特に考えてないの。卒業したら本格的に仕事を始めて。だから、すぐすぐではないんだけど、夢ってことなら海外へ出たい。大舞台のランウェイを歩いてみたくて」
「へぇ、初耳。アレだ。パリコレ的な」
「どうせなら大きな目標を持ちたいじゃない。世界で通用する一流モデルになるには身長も足りてないんだけど、努力して、挑戦したい」
「いいね。あたし、めっちゃ応援する。山もっちは?」
「オレも進学はしねーかな。勉強ヤだし、卒業したら働こうと思ってる」
「芳雄はメシ屋がいいんじゃね?」
「わかる。山もっちは美味しいご飯を作る人の顔してる」
「マジか。出しちゃうか、オレも。メシ屋」
「やったれ! やったれ!」
大きな夢が続き、期待を背負って次のバトンが渡された藤堂はしれっと、「普通に大学でも行くんじゃねぇか」と他人事。
特にやりたいことはないし、就きたい仕事も特にない。普通に大学へ進学して、就職をする。他人事の顔で現実的に語る藤堂は方々から、休み時間に有村が英語の件で浴びた視線を一身に受けた。
「藤堂がサラリーマン?」
「普通に上司とケンカしそう」
「同僚ともケンカしそう」
「お客さんともケンカしそう」
「オイ」
加勢はしなかったのに、笑ったというのと近くにいたということで、有村は代表で藤堂に小突かれた。
そうして一歩前へ出ると、尋ねるには振り向く角度に首が回る。
「草間さんはある? 将来の夢」
「うーん」
草間はだいぶ悩み、他のみんなと同じように『ボンヤリと』を頭に付け、人の役に立てる仕事に就きたいと答えた。
困っている人の役に立てる仕事。ほんの少しの不便を手伝えたり、助けられたりする仕事に就きたいというのは念頭にあるが、具体的な職種はまだ、悩み中。
「本当は看護師さんって言いたいんだけど、私、とにかく血が苦手でしょう?」
「せやな。注射刺して気絶しそう」
「うん。だから、そういうのは無理かな、って。なんだろう。命を助けてもらうほどの大きなことじゃなくて、日常の中のちょっとした苦手とか不便を手伝いたい? 例えば、介護士さんとか」
「ヤバ。いま秒で、おじいちゃんおばあちゃんのアイドルになる仁恵が想像出来た」
「キッカケとかあるの? 仁恵、前は普通に本屋か司書になりたいって言ってなかった?」
「本屋さんにはなれたから。自分が、みんなにすごく助けてもらってるからかな。助けてもらって、支えてもらって今があるから、大人になったら、自分が何かしたい」
「仁恵ぇ。もう、なんてイイ子」
「絵里ちゃん」
久保に抱きしめられた草間が、その肩口から有村へ問うた。有村くんの将来の夢はなに。七人目で、最後のひとり。なのに、名前を出され、他の視線を感じてようやく、有村はそれが自分にも向く質問なのだと感じた。
数回の瞬きと共に考えてみる。将来の夢。なにも浮かんで来なかった。
「まぁ、有村は何でも出来そうだしな。進学するにしても、どこだって行けるだろーし。それこそ、リーマンだろうがスルスル出世しそう」
「専門職も粗方いけそうだもんね。職人で極めるもよし。接客系もお手の物」
「つか、お前は家の何かを継ぐんでなくて?」
「鈴木ぃ」
「鈴木」
「え? 今のアカンやつ?」
「鈴木」
「え? いや、名前だけ言うのやめて?」
名前だけで責められる鈴木を助けず、継ぐのだろうかと考える。
相続はするのだろうと思う。でも、それ以外に何を継ぐのだろう。人形作家になる気はない。
「僕の将来って、誰が決めるんだろう」
「お前は無理そう?」
「わかんない。考えたことなくて」
考えたことがなくて、考えても何も思い付かなくて、有村は夢がある鈴木から目を逸らしてしまった。自分以外の六人、全員から。
視界には、歩き続ける足元が映っている。例えばこの通学路のように歩んでいく道が人生にあるとして、それを用意するのは家なのだろうと思う。用意された道を、歩むのだと思う。
「姫様はさ、それでいいの?」
「わからない」
「いや、わからん、て」
気まずくなり、今度は六人の顔を見回した。
本当に、わからなかった。
「考えたことがなくて。僕、身体弱くて、小さくて。しょっちゅう倒れて、点滴されて動いてたようなもので。身体が壊れてく実感があったから、大人になるとか、一年後とか明日とか、そういうの、全く」
そうなるのが当然だろうけれど、一気に暗く、重たくなる雰囲気に有村は顎を引き、苦笑をひとつ。失敗した。言わなくていいことを、言ってしまった。
この、壊してしまった雰囲気を、どうしよう。悩んでいたら、久保が放った。
「なら、これから考えればいいじゃない。アンタはもう小さくないし、あと何年かで嫌でも大人になるんだから」
告げた久保の隣で、草間がニッコリ笑った。
「私、わかるよ。有村くんはね、将来も、絵を描きます」
「それだ」
「それだな」
「それね」
「それしかねーわ」
「だな」
六人が口を揃えて言う。有村に絵を描かないという選択肢はない。絵を描いていない未来は見えない。描いているという安心感すらある。そうした言葉を次々と浴びせ、挙げ句、六人は「しょうもない」と笑った。
進学でも、就職でもない。趣味でも仕事でもなく、ただ、絵を描いている。
あまりに断言されるから、有村もつられて笑った。
「だといいね」
「絶対そうでしょ。姫様は、それしかないでしょ」
「寧ろ、アンタみたいな飽き性に、他に何が出来るのよ」
「確かに」
「案外、有村が一番、何でもは出来なくねぇか」
「うん。俺的に藤堂より間口が狭い」
「ふふっ。飽きちゃうのは、ね。ふふっ」
仕事になればきちんとやるよ、とは返したが、言われてみれば確かにひとつのことをし続けるのは飽きそうだ。興味が持てればいいけれど、それも長く続く自信はない。
ずっと続けて来れたのは、絵を描くことだけ。
そんな絵しか自分にはないと六人が言い張るから、口では否定や拗ねた口振りをしてみせても、有村はなにやら妙に嬉しかった。




