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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第二章 発条少年
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適切な距離感

 淡いピンクにつぶつぶ苺の甘いストロベリーソースがたっぷりかかった期間限定のいちごプリンを平らげて、さすがに一日分の糖分を越えたらしい身体がじんわり重たくなった頃、店に入るまでは「三つ食う」と豪語していた山本を鼻で笑っていたくせに、自分だってペロリとふたつ平らげた鈴木が「ああッ!」と上擦るような声を上げた。

「…………ッ!」

「……っ、ビックリしたぁ。どしたの、のんちゃん」

 店内に響き渡る素っ頓狂と、それで椅子から浮き上がるほど跳ねた草間の両方に驚いて、有村は弾かれるように正面の鈴木へと目をやる。

 ガシャン。草間の膝だか実はそれと同じくらい飛び跳ねた山本の脚が当たったのだか、テーブルの上で大きな波を立てる近くのティーカップを持ち上げつつのことだ。一拍置いてソーサーに戻してやると、持ち主である草間が胸の辺りを押さえたままで、油の足りない機械のようにカクカクと小さな会釈をした。

「俺、今日こんなプリン食ってる場合じゃなかった」

「そうだったの? あ、じゃぁ、先に帰る?」

「そうでなく」

「駅まで送るか?」

「地元だぁ」

 その時丁度電話と手洗いとからそれぞれ戻って来た久保と落合も席に着いて、まだドキドキしているのか細かく震える草間に注目が集まるのを邪魔したかったわけではないだろうが、その元凶である鈴木はふと姿勢を正し、ぱちん、と顔の前で掌を打ち合わせた。

 ああ、嫌な予感がする。そう軽い瞬きを落とした、有村の前で。

「頼む! 有村!」

 神頼みよろしく切り出した鈴木はつまり、有村にもう週明け早々にも始まるテスト勉強を見てくれと乞うたのである。夕暮れも迫る、こんな時間になってから。

「いいけど、今?」

「放課後んなったら頼もうと思ってて、忘れた!」

「わからないところでもあったの?」

「あったっつーか、あり過ぎたっつーか」

「それ、そもそも今日の放課後だけで終わる量だったの?」

「終わんねー量」

「えー」

「だから、悪いって言ってんだろ」

「言ってない、言ってない」

「じゃぁいま言う」

「いい。言わなくていい。それってまたそのままウチに泊まり込もうって魂胆?」

「イエス! 今晩、ひとりだって言ってたろ! お前!」

「……言わなきゃよかった……」

「じゃーオレも行くー! 藤堂も行こうぜ、有村んチ。ハンバーグ食いたいーっ、肉汁すげーやつ!」

「増えた、だと」

「何しに行く気だ、お前ら」

「――ちょい、ちょい!」

 鈴木と同じく窓際に座る有村と、その斜向かいに座る藤堂が似たような仕草でうんざりと額を揉む中、手と口を挟んで来たのは落合だった。

「もしかして、テスト勉強まで一緒にしてんの?」

 仲良しか。そう跳ねた声には、下を向いたままで藤堂が、有村が教えるだけだ、と素っ気なく返した。

 中間の時もそうだったと続ければ、それで成績が下手に上がったものだから親のプレッシャーが半端ないんだと鈴木の眉がハの字を描く。いい意味で見たことのない点数を取った、というのは山本も同じようだった。彼の場合、それでも二教科ほど追試を受ける羽目になったのだが。

「その追試も有村が見てくれてよー。一回で済んだんだぜー! キセキ!」

「……俺はその一回もないように教えたつもりでいたんだけどね」

「英語はしゃーねーよ! オレ、日本人だもん!」

「あと、数学……」

「しゃーねー!」

 ああ、また糖分が足りなくなってきた。そう肩を落とす有村を見やり、次いで反応したのは草間だ。顎を僅かに引きながら、教えるの上手そうだよねと零す頬はやはり桃色で、山本の口にプリンを運んでやったのを見ていた時と同じ顔をしている。

 恥ずかしそうで、照れ臭そうで――少し、羨ましそうな。

「じゃっ、じゃぁ!」

「そうだ!」

 だから同時に声を上げた落合と鈴木は目が合っただけで、互いの思惑が同じことに気が付いた。

 ここだよな。ここでしょ。などというやり取りが、見えて来そうな目配せだ。

「そっち、お前らも、よかったら一緒にやんねぇ? 有村の教え方、マジすげーわかりやすいし!」

「そっ、そう? いやぁー、実はあたしも英語自信なくてさぁ。あと、物理も。センセーしてもらえたら助かるなぁ! 仁恵もほら、数学で苦手なところあるって言ってたじゃん。教えて貰ったら、せっかくだし! ね! 絵里奈も!」

「私は……」

「絵里奈も!」

「あー……うん。そうね」

「藤堂もな!」

「ん? ああ、わかった」

 気迫じみた鈴木と落合の押しで、流れは七人でということで纏まりそうな雰囲気だ。恐らく最も意見を求められるべき、有村だけが置いてけぼりで。

 いつもこうだし、安請け合いはちょっとなんて良い子ぶる気もなければ、自分の知識や教養に自信がないわけでもないから構わないと言えば構わないのだけれど、なにが折角なのやら、勉強など教科書を目で追うだけで頭にすっかり収まってしまう有村からすると、彼らは少々学生の本分を見誤っている気がした。

 前回もそうだが、非効率だと思うのだ。集まれば口も動くし、気だって散る。

 でもこの異様な気遣いが自分と草間の為であるのは察して余りあるし、こうした遠回りが例えば親睦を深めることに繋がったり、苦楽を共にするなどという青春時代らしい時間の使い方なら倣った方がいいような気もして、有村はしばらく様子を窺ってみることにした。

 有村には、彼ら以外に同い年の知り合いはいない。無論、学友を持った例はなく、普通はどうするのかを判断するにはまだ助言が必要だった。いつもならば藤堂が、でも彼はいま久保に捉まっていて忙しそうだし、頼れそうな雰囲気でもない。

 さて、どうしたものか。断るなら早い内が、などと視線を移した先では、草間が小さく「せっかく……」と呟いていた。

「私たちも、いい、かな……?」

 彼女がそう言うのなら、答えはイエスだ。

「もちろん。俺でよければ」

 そうして無事に落としどころを見つけたのも束の間、有村が出した許可を得て、鈴木と落合がすかさず動き出した。

 明日の午前中から集まるのを早々に決め、場所は東口のカラオケはどうだとか、やれ、あそこのファミレスはドリンクバー粘りに厳しいおばちゃんがいるだの、二駅先の図書館はキッズルームがあるからちょっとくらい騒いでもいいだのと、それぞれが男子代表、女子代表のような顔で話を進めていく。ふたりの性格もあるのだろうが、こういう時の連携は何度見ても見事なものだ。

 有村自身は傍観者の体で決まったことを了承するだけだけれど、その確認までが素早くて滑らかなのはふたりの社交性の成せる業。そうした方がいいんだろうなと頭で考えた付け焼刃を社交性と呼んでいる自分とは違って、鈴木と落合はそれを肌で感じたり、反射的にやって退けているような印象がある。

 持って生まれたものか、経験値か。どちらにせよ、こういう時には黙っているのが常の草間や、表情のわかりにくい藤堂を擁しながらも滞りなくこの集団を動かしていく彼らの手腕は中々のものだった。

 そう感心してしまう時点で、有村はどこか冷めてしまっているのだろうけれど。

 どうやら上がりきったらしい候補が、どこが最良かではなく、どこが一番の妥協点かに変わる中、有村は人付き合いの難しさを痛感しながら手元の珈琲をひと口含んだ。

「…………っ」

 しまった。こっちはまだ冷めてなかった。

 火傷した、なんて、さすがにそこまで熱くはなかったけれど、それでもチリチリ痺れる舌先を口の中で転がしていると、不意に別の声が聞こえて来た。

「ハイ、ハーイ!」

 聞こえて来たというか、ふくよかだからふたり分などと言われて鈴木と藤堂に挟まれてもさして快適そうに見えない山本が元気いっぱいに手を上げてきたのだ。

 因みに、向かいは女子三人に有村を含めた四人が肩も触れずに腰かけている。山本の鎮座する姿は、そろそろ球体になりそうだった。

 そんな曲線しかない山本のふくよかはストレスの多い有村の数少ない癒しでもあるのだけれど、この純真無垢と言わんばかりの糸目のくせにつぶらな瞳は、鈴木の平身低頭よりも面倒な予感を漂わせる。

 またつまらないことを言うよ、とか。

「オレ、やっぱり有村んチがいいと思いまーす!」

 やっぱり。噤んだ口を平坦にした有村に構わず、山本は続けて捲し立てる。

 リビングは広いし、何時間いたって怒られないし、美味い物も出てくるし、と。山本の目当ては十中八九最後のひとつで、けれど思いの外難航していた場所決めに前のふたつは抜きん出た好条件だった。

「いいか? 有村。六人で押し掛けても」

 そうやって最後のひと押しだけ声を下げて思い遣りなど覗かせるから、有村は本当に鈴木は上手いと思うわけだ。

「落合さんたちがそれでもいいなら、いいよ」

 俺、一応男だし。そう付け加えて、そんな部屋に遊びに来てもいいのならと匂わせたところ、草間は赤くなり、久保は「へぇ」と目を細め、落合には「姫様って、案外真面目だよね」と笑われた。

 やっぱり、人間はよくわからない。

「要らない心配はしないし、させないもんじゃん! 勿論、ウチらはオッケーよ!」

 満面の笑みで親指を立てる落合に、そういうものかなと納得することにして、有村はまた手持無沙汰に持ち上げたコーヒーカップに口をつけた。

 まだ、熱い。

 ひとつだけ遅れて運ばれて来たこの珈琲は、きっと帰るまで冷めてくれないんだろうなと、集合は何時にしようと盛り上がる鈴木たちを尻目に有村は思った。

 息を吹きかけて冷ますのは、どうにも面倒だ。

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