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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第九章 主人公たる少年少女
345/379

いつもどおりが帰ってきた

 マンションのエントランスを出てすぐ、草間の隣で足を止めた有村が表情を固めた。

「有難いよ? 有難いけど、ちょっと手厚過ぎやしませんか」

 迎えに行く藤堂と共に草間が顔を出しただけでも、気恥ずかしそうにしていた有村だ。マンションの正面、前を通る道路を陣取り、落合や久保、鈴木や山本までが控えていれば、そういう文言のひとつも出るのは予想済み。

 思えば、前に久保と落合が来て五人で登校したことはあったけれど、そこに普段は自転車通学の鈴木と山本が加わったのは初めて。理由は勿論、一週間ぶりに登校する有村の護衛だ。

「気にするない、お嬢。これであたしらの気が済むんだ。寧ろ、黙って護衛されろやい」

 草間が思うに、たぶん戦闘ヒーローか何かのイメージなのだろう。右腕を斜め上へ伸ばし、肘を曲げた左腕も真っ直ぐな指先を同じ方法へ揃え、変身ポーズを決めるみたいに構えた落合が告げ、鈴木と山本もそういうオモチャのように何度も頷く。

「いや、気にするなって言われて、そうかってなります? 大丈夫よ? 僕、制服着て出て来て、やっぱりやめるとか言わない」

 それはそうだろうし、藤堂がまずさせないと草間は思う。有村がいなかった一週間、藤堂は本当に噛み付きたくて仕方のない狂犬のようだった。

 かけられる声への返答も、机に詰まれる大量の差し入れにも、そうなってしまうくらい辟易した気持ちは草間にもわかるのだ。本当に、凄かったから。本当に、絶え間なかったから。しかし、草間も正直を言えば、この一週間の藤堂の顔が怖かったので、有村にはもうズル休みをしないでもらいたい。

 文句を垂れた、ということで、次はやはり、ケンカを売る顔をする久保が口を開いた。

「ゴチャゴチャとやかましい男ね。アンタに何かしろって言ってないでしょ。こっちが勝手にやってることなんだから、口出すんじゃないわよ」

「久保さん。理不尽って言葉、知ってます?」

「知ってる。アンタの意見は、敢えて聞かない」

「うわぁ」

 草間はつい笑ってしまい、それをついでと有村の腕へ触れる。

 一週間。休んだ日だけを数えれば、たったの四日間。その間、休日も毎日顔を合わせていたのに、有村が制服を着ているということが、やけに嬉しい。

「来てくれたのに、先に行けって言うの? みんなで行こうよ。ね、有村くん」

 チラリと視線を寄こし、「ズルいよ」と有村が言った。草間としては、知ってるよ、という気分だ。

 手を繋いで先に階段を下りれば、有村は渋々歩き出し、待っていた四人と合流する。丁度出て来た大家さんや近所のおばさんたちが口々に、今日は賑やかねぇ、などと言い、それに「はい」や「いってきます」を返す有村に草間はまた嬉しくなって、堪え切れず、止まりもしない笑みを浮かべ続けた。

 駅のホームでも電車の中でも、絶えず有村を取り囲む六人は正に、鉄壁のガードを見せる。たまに現れる有村狙いの痴漢はおろか、人っ子ひとり寄せ付けないぞという気迫も充分。

 おかげで藤堂は電車移動中、心置きなく飴係に徹していた。もういいと言う有村の口へ、せっせと飴玉を放り込む係。食べなければいいのに、藤堂が袋の封を切って出すと、有村は口を開ける。五個、六個、七個、八個。入ってしまえば、何も入っていないみたいに頬が平ら。向かい合わせに立っていた草間は思った。有村くんは意外と、口が大きい。

――ガリッ! バリバリ!

 それを纏めて噛み砕ける有村は少し、働く車の仲間に見えた。

 そうして、登校時における最初の関門、満員電車をクリアし、SPを気取る落合は「ここからが本番だ」と、続く面子に気合を入れる。

「今日は誰も近付かせないぜ」

「挨拶くらいはさせてね、落合さん」

「なりません、有村氏。頭を低く」

「僕は何かに命を狙われているのかな?」

「ご自分のネガティブに」

「うわぁ。今のは結構なクリティカル」

 落合はこんな口調でいるけれど、純粋に、有村が心配で仕方ないのだ。

 この一週間で多少下火になったとはいえ、それは有村が休んでいたからだ。久保の言い草をそのまま借りるなら、ただ少し火力が弱まっているだけ。有村が登校すれば翌日並みの大炎上も覚悟しなくてはならないだろうし、ここから先は本当に、ある意味では護衛が必要かもしれない。

 少なくとも、先生たちは見かければやって来るだろうし、中にはいきなり責め立てる先生もいなくはなさそう。草間でも、ひとりかふたりは顔が思い浮かぶ。

 人として、とか、すぐに言うタイプの先生。橋本にしたことや、その後のズル休みなど、校内の雰囲気が寛容だからといっていい気になるな、とか、元々有村の茶髪に目を付けている風紀の先生辺りが言って来そう。

 不安はそれだけでない。藤堂が言うには、面白がって追及して来そうな生徒もいなくはないらしいのだ。誰かが小野寺渚の名前を出しませんように。草間は一番、それを願っている。

「アンタ、今日くらいはウロチョロしないで、大人しくしてなさい? 刺激受けたらダメなんでしょ。なによ、刺激って」

「わからないです」

「さすがや、絵里奈。優しささえもキレ気味」

「で、フラッシュバックって実際、起きるとどうなるのよ。また急に泣いたりするわけ? 叫んだり、吐いたり? キッカケは? 先に教えておきなさいよ。こっちにも心構えってものがある」

「いや。僕もまだ全く把握出来てないから。病院行ってから初めて外に出てるからね、いま」

「起きたんか、フラッシュバック」

「いや……思い出しはするけど、それでどうっていうのはなくて」

「息、出来なくなったりしてねぇ? 無理すんなよ? なんかあったら、すぐ言えな」

「してない。ありがとね、のんちゃん」

「ほんとーになんもねーの? 思い出すのに?」

「うん。あー、って落ち込みそうになるけど、それだけ」

「有村ってさ、タフなの? そうじゃないの? どっち」

「わかんない」

「繊細だけど図太いんだ」

「藤堂お前さ、それでどうやって納得してんの? 目、据わってっけど」

「してはない。有村はそういうもんだと思わんとやってられん」

「それな」

「すげーわかる」

「わかる。わかる」

「あれ? 急に敵かな?」

 ガードを固める六人を見回す有村の隣りで『わかる』とは言わずにいたが、草間も気持ちとしては藤堂と似た感覚でいる。

 有村は繊細だと思う。けれど、妙に動じない所がある。だからこそ久保ではないが、何がキッカケで嫌な記憶に襲われてしまうか、まるで予想がつかない。

 もしかすれば、何があろうと、何も起きないかもしれない。それも、有村らしいと言えば、そんな気がする。いつも通り、淡々と学校での時間を過ごしそう。そんな気はするのだけれど、油断してはいけないと、例えば草間の直感的なものが訴えているのだ。それは有村の第六感ほど、頼りになるものではないのだろうが。

 単純に、あれだけのことがあったから、心配で仕方ない。久々に行く学校で何か起きて、診察室で見舞われたような絶望が有村を襲うのは草間もつらいし、怖い。

 決して口には出さないけれど、あの時の有村があげた悲鳴が今も、耳に残っている。

 怯え切った、あの顔を。何十回と繰り返された、『ごめんなさい』の声を。

 半狂乱の中で、痛い、やめて、怖い、と叫んだあの声と止め処ない涙を、草間は忘れられないと思う。忘れずにいて、忘れたように過ごそうと思う。受け入れると決めた有村の隣で、これまで通りに。

 昨日、湯川や沢木が他クラスは誰ひとり入れないと豪語していたので、教室にさえ入ってしまえば安心出来る。クラスメイトたちはみな、有村の味方だ。

 頭の中で、毎日通る道順を改めて辿ってみる。校門を入り、靴箱のある昇降口へ。上がってすぐの階段を上って、廊下を真っ直ぐ。急げば五分とかからない距離。その間さえ、何もなければ。二年C組の教室にさえ、入ってしまえば。

 草間と同じように考えていた人は、久保や落合たち以外にもいた。

 真っ直ぐ続く桜並木の終わり、校門の手前で、会田と町田、その仲間たちが待っていた。

「おはよ、有村。どうよ。見た感じ、思ってたほど、やつれてねーな。つまんね。少しはイケメン減らして来いよ」

 まず、声を掛けたのは会田だ。草間は知っている。彼は湯川と共に率先して、橋本がチラシを撒き、有村が橋本を窓から突き出した件について教員室や指導室へ足を運び、その日のことやそれ以前のことを幾度となく説明した。

 有村の肩を持ち過ぎることなく、事実だけを言おう。そう、教室内での音頭を取ったのも会田だ。会田が纏めてくれたから、草間が登校した翌日にはもう、クラスは若干の落ち着きを取り戻していた。

「おはよぉ、洸太ちゃぁん。ダーリンがいなくてアタシ、寂しかったわぁ」

 次いで声を掛けた町田が、熱烈な投げキッスを何度も送る。

 町田はその広い交友関係を駆使して、校内に出回った嘘や偽りの情報を潰して歩いた。こちらも方針は会田と同じ。正しい情報を流すことで、結果、だから有村洸太を怒らせてはいけないのだ、という感じの空気を上手く作り出した。

 功労者であるふたりと共にいる面々もそれぞれ、こうして有村が再び登校するにあたり、少しでも心配事を減らそうと積極的に動いていた。そして彼らは、口々に言った。

「お前がいないと退屈なんだわ。待ってたぜ、宇宙人」

 有村へ投げた言葉と同じ台詞を、同じように笑って草間に、藤堂たちに。

 感動屋さんなので、有村は泣いてしまいそうな顔をした。我慢している有村の肩に町田が腕を乗せ、会田は小さく笑って目線を逸らす。そうして、「行こうぜ」と、ひと足先に校門を潜った。

 昇降口では長谷や野田のグループが待っており、顔を見てから花が咲くように浮かべた笑顔のまま、有村の腕や胸をパシパシ叩く。靴箱の陰には灰谷がいて、ミッション中の工作員のよう、携帯電話で誰かと連絡を取りながら「今です」と、階段へ向かうタイミングの指示を出す。

 最初の踊り場には久世たちが、次の踊り場には森下をはじめとしたクラスで滅多に騒がない男子が数名、待っていた。集団は大きくなり、二年生のフロアに着く頃には、外から有村は見えなかったかもしれない。

 それでも、そこにいるのはわかるから、絶えず「おはよう」や「元気だった?」、「待ってたよ」などの声が飛ぶ。途中から、有村は手を振り返すだけになった。

「泣いちゃダメだよ、姫!」

「絶対、可愛い。姫、泣き顔見せて!」

 教室へ着く前に本当に泣き出してしまいそうだったから、草間はそっと手を繋ぐ。

 嬉しいね。思って見上げる顔が自然と、笑顔になる。

 私も嬉しい。草間の目がそう告げて、有村はいよいよ泣いてしまった。

「アカン。仁恵がトドメを刺しよった」

「草間ぁ」

「委員長ぉ」

「私? えっ、有村くん! 泣かないで。泣かないでぇ!」

 教室へ入ってしまえば、泣き虫の有村に驚く人はいない。

 同時に、顔を覆ってシクシク泣く有村の腕を必死で揺する草間も、この部屋の中では定番だ。

「やっぱ泣いたー。なに、草間さんが泣かせたの?」

「そーそー、仁恵がね」

「キミちゃん!」

 茶化した沢木は窓際で笑い、隣にいた湯川は近付いて来て、泣いている有村を覗き込む。

「ヨシヨシしたげよーか?」

「やだ」

「あははっ! 姫だー。おはよ。待ってたよ」

 おはよう、と、待ってたよ。それがセットで人数分、笑顔と共に有村へ届く。

 前と後ろのドアが閉められ、二年C組の教室は今日も賑やかだ。笑い声が響き、同時に喋る幾つもの声が混ざり、先生たちが怒るのも当然な、うるさい教室。いつも通りの朝。

 テスト期間中なので、草間の席は有村の隣ではない。後ろから見ていたら、泣き続けるのを見かねた藤堂が前の会田の席に座り、頭を抱きかかえ、有村をあやしてやっていた。

 猛犬注意の札ともさようなら。今は差し詰め、旦那さん。

「オイ! テメェいま撮っただろ。消せ、湯川」

「やーだー」

「消せ、湯川。携帯貸せ」

「やだねー」

「テメェ」

「とぉどぉ……うれしいよぉ」

「ああ。うん。わかった。わかった。嬉しいな、うん」

「藤有ターイム!」

「落合! 見せもんじゃねぇんだ。撮るな!」

「ヤバいわー。この藤有、白米、五合はいけるわー。うま、うま」

「きめぇんだよ、腐女子!」

「腐女子ちゃうわ!」

「溶けるほど腐ってんだろうが! 消せ! 写真!」

「とぉどぉ……うっ、うぅ……っ」

「ああ……泣くな。擦るな。跡が付く。跡、残りやすいんだから、な?」

「セコム、めっちゃダーリンなんだけど」

「つか、男子の泣き方と違くない? 何かの扉が開きそう」

「藤有沼深いわー。そりゃぁ人口も増えますよ」

「供給が鬼だからね。藤有はリアル」

「だから、お前ら次々、携帯を向けるな! 鈴木! どこだ鈴木! 助けろ!」

「え。俺、巻き込まれホモやだ」

「山本!」

「ごめん。オレいま、ジャムパン食ってて忙しーから」

「お前ら――」

「藤堂さぁ。俺の席でホモらないでくれない?」

「ホモじゃねぇ!」

「どぉどぉ……」

「ああ! わかった! 頼むから泣き止め。な!」

 慰めるにしても、そばにいるだけで充分だろうに。泣き止まない有村も大概だが、泣いているからといって当たり前に抱き寄せる藤堂も大概だ。

 ふたりが、というわけでなく、女子に取り囲まれて写真を撮られているのが面白くて、草間も席から遠巻きに一枚、携帯電話で写真を撮る。昨日は心配で眠れなかったのに、教室にさえ入れば、なんて、いつの間にかクリアしていた。この写真は、その記念。

 予鈴が鳴り、会田に席を返す時、藤堂は有村の頭を撫でて離れた。それでまた女子が騒ぎ、男子が呆れる。藤堂の席は草間より後ろで、本日二回目の「ホモじゃねぇ!」が、教室内を突き抜けた。

 やっと、いつもの二年C組が戻って来たみたい。

 ニヤニヤ笑いが止まらないまま初日最初の問題用紙が配られ、気を引き締めないとと思いつつ、草間はニヤニヤ。

 しかし、問題用紙を裏返して、嫌でも顔から笑みが消えた。

 忘れてた。一番最初、数学だ。

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