表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第九章 主人公たる少年少女
342/379

守れたよ

 有村が張り上げた絶叫は藤堂に顔を背けさせ、先生の身を竦めた。

 同時に、一層に暴れ出した足に弾かれた和斗の腕が外れ、必死に堪えた藤堂も振り払われ、駆け出した有村は診察室の角で座り込むと、頭を抱えて蹲った。

「ヤダ……ヤダァ! 痛い! 痛い! 痛い! 痛い! アァ……ッ!」

 やめて。ゆるして。こわい。

 それ以外には多量の、ごめんなさい。

 小さく、小さく、隠れるように蹲る。有村の身体は二つ折りで、頭は床に着いていた。

「……なさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」

 数え切れないほどの『ごめんなさい』が、念仏のような呟き声で吐き出される。

 駆け出した和斗が有村に寄り添い、背中に触れた。それで、有村の声が大きくなる。零れ出すのは変わらず、「ごめんなさい」。時折、裏返り、その声は明らかに怯えている。

「――触んな」

 向かった藤堂は和斗の肩を突き飛ばし、謝り続ける有村の正面にしゃがみ込む。

「……もういい。もう謝るな。聞こえるか。聞け、有村。お前は何も悪くない。悪くないのに謝るな。帰って来い。戻って来い。負けんな。這い上がって来い。テメェ、俺のツレだろうが」

 ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 切れ間なく続く『ごめんなさい』を聞きながら、藤堂は有村をジッと見つめる。

 そこへ、立て直した先生が注射器片手にやって来た。退けと言うので断った。

 許したのは、佐和を振り切って駆け寄る草間だけ。

「有村くん」

 蹲る有村へ覆い被さるよう、草間が抱き着いた。

「退きなさい! 彼をこのままにしては――」

「――あぁ? テメェ、俺の親友、なめてんのか」

 無性に腹が立っていた。なにがプロだ。なにが、安心して任せろだ。

 任せてみればこの有様。偉そうに高説宣う大人はいつもそうだ。有村をここまで追い詰めたのも、こんなになるまで助けなかったのも、お前ら大人様だろうが。

 腸が煮えかえるほど、藤堂は怒っていた。

「コイツはとっくにイカレてる。頭のネジが飛んでいやがる。でもな、意地でも草間の所に帰ってくんだよ。幾分マシな、テメェを取り戻してな」

「…………」

「コイツは俺が見込んだ男だ。惚れ込むヤツだ。コイツは戦う。今も、頭ん中で必死に抵抗してる。邪魔すんじゃねぇよ。安心しろや。いよいよ狂ったら、俺が殴って壊しちまったことにするからよぉ」

 先生の胸倉を掴み、力任せに引き寄せる。そうして、藤堂は口角を上げた。

 軽い身体だ。有村より、ずっと軽い。

「草間。ソイツはどこにいようと、お前の声を聞き分ける。呼べ。死に物狂いで呼んで連れ戻せ。呼べ! 必死で呼べ!」

 草間が必死に、何度も何度も呼びかける。有村くん。有村くん。それでいい。藤堂は更に口角をつり上げる。草間の声は、有村に届く。

 先生も受付の女も佐和も和斗も動かない。近付いて来ない。藤堂が来させない。その鋭い眼光で、大人共の足を床へ縫い付ける。

「薬で寝かせて、また今度か? そうやって何度も苦しませるのか。思い出させるんだろうが。飲み込ませる腹だろうが。端からコイツ頼みじゃねぇか。だったら信じて、黙って見てろ」

 後ろで、草間が有村を呼んでいる。何度も、何度も呼んでいる。

「頑張って、有村くん。負けないで。頑張って。お願い――!」

 体重をかけ、草間は有村の身体を起こした。ごめんなさいしか言わない有村の首へしがみ付き、戻って来いと訴える。叫ぶように、染みて、耳から中まで入って行くように。

「乗り越えて、有村くん。信じてる。有村くんは、負けない!」

 負けないで。逃げないで。戦って。乗り越えて――帰って来て。

 しがみ付く草間の背中に届いた有村の手が、服を握り込むよう指を立てた。

「……まけ……ない……っ」

 上等だ。上出来だ。藤堂は勝ち気に笑い、先生へ、ここにいる有村と草間以外の全員へ絶えず注ぐ、向ける三白眼は鋭さを増して真っ直ぐに射抜いた。

 有村は戦っている。負けるものかと戦っている。

 ならば、ここから先は俺の領分だ。

「ケンカってのはよ、始まったら相手ボコって倒すしか、終わる方法も帰る道もねぇんだよ。テメェで戦い、テメェで傷を拵えて、痛ぇ想いもなんもかんも、テメェひとりで背負うんだ」

 専門家がなんだ。どうせ誰も、有村の痛みを肩代わりすることは出来ない。

 方法を変えたとして、そんなものは気休めだ。結局は、有村がたったひとりで苦しまなければならない。そばにいてやることしか出来ない。信じてやることしか出来ない。だとしたら、それに必死をつぎ込まないでなにが友だ。なにが男だ。

 強い瞳をギラつかせ、藤堂は信じている。

 誰よりも、何よりも、意地でも強く、傷だらけになっても帰って来る、有村を。

「帰って来い。飲み込んで、戻って来い! 根性見せろ、有村!」

 負けるな。勝て。帰って来い。戻って来い。

 気まぐれで、生真面目で、素直なくせに腹の中は真っ黒で、生きてるだけで楽しそうで、絵を描くことと草間が好きで、頭の中にそれしかないお前で、俺たちの所へ帰って来い。

 願う藤堂の足元近く、草間に抱きつかれ満足に抱き返せないまま、微かな声が漏れ出した。

「……とぉど……」

 背後では休みなく、草間が有村へ呼びかけている。微かに呼んだ藤堂の名を機に謝罪の雨は一度止み、後ろを気にする藤堂の耳には、有村が草間を呼ぶのが確かに聞こえた。

 草間さん。草間さん。二度、呼んだところで、有村はまた大音量の悲鳴を上げ、床へ二つ折りになった。次のフラッシュバックが起きたのだ。

 先程よりも小さく身体を丸める有村に再び抱き着き、草間が問う。誰に謝っているのか、と。

 誰に何を謝っている。そう尋ねる草間の声のすぐあとで、『ごめんなさい』以外の言葉が増えた。藤堂は確信する。有村には、草間の声が届いている。

「ごめんなさい! 言うこときく。いい子になるから、怒らないで、お父さん!」

「…………」

「ごめんなさい。大きくなって、ごめんなさい。女じゃなくて、ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。しゃべらない。笑わない。考えないから、怒らないで、お父さん……」

 謝ってるのは、親父にか。

 誰もこちらへ近付かぬよう睨みを利かせたままで、藤堂はあと少し、謝り続ける有村へ近付く。

「ごめんなさい。見て、ごめんなさい。こんな色で、ごめんなさい。お父さんに似てなくて、ごめんなさい」

 ふと、謝罪の相手が変わった。

 有村は一層に泣き出して、所々が益々、聞き取りづらくなる。

「息をして、ごめんなさい。お母さんって呼んで、ごめんなさい。頭が悪くて、何がいけないのかわからなくて、ごめんなさい。言うこときけない悪い子で、ごめんなさい……」

「…………」

「ごめんなさい……ごめんなさい! ごめんなさい! 僕が悪い……僕がいけない、全部! だから、お願い……リリーをぶたないで……蹴らないで……おねがい。ごめんなさい……痛いの全部、僕に、ください……」

 ゆっくりと、藤堂が振り返る。膝を着いて草間が寄り添う、蹲る有村がまたリリーの名前を出した。

 ぶたないで。蹴らないで――親は、家にいたクズ共は、飼い犬を、唯一の友達を盾に謂れのない折檻を繰り返し与え、耐えさせた。剰え、自ら望むような台詞まで言わせて。

 食い縛り過ぎた藤堂の奥歯が、嫌な音を立てた。

「……僕に……僕に、ください……リリーは、しゃべれないから、言えないから、いじめないで……おねがい。おねがいします。ごめんなさい。ごめんなさい……こえ、ださないから、いじめないで。おこらないで……おねがい。リリーと和斗を、いじめないで……」

 瞬間、この部屋の時間はまるで止まったかのようだった。

 蹲る有村は泣いている。泣いて謝り、願っている。

「ごめんなさい。おねがい。優しくしてくれる……和斗と明子さん、追い出すって言わないで……いじめないで……僕は、ぼく、なんでもする。なに、されても……へいき……ぶって、ください。ふんで、ください……僕に、ください……だから、おねがい。いじめないで。リリーと和斗……僕の、たいせつなひと……」

 有村以外の沈黙を裂き、和斗が床を蹴った。

 転がるように駆け出して、藤堂の脇を通り抜けた。

 先生もとうに向かって来る気がなさそうで、看護師は泣いていたし、その奥では佐和もポロポロ泣いていた。藤堂は、有村の元へ駆け付ける和斗を許した。有村はもう悲鳴を上げていなかったから。

 謝り続けている有村を抱き起こし、抱きしめた和斗が一番、泣いていたから。

「俺と母さんをどこかへやるって言われてたのか……?」

「…………」

「リリーと、俺と母さんをいじめるって言われて、ずっと、耐えてたのか……?」

「…………」

 抱き起された有村の背中が反り、口が止まった顔が上を向く。散々泣いた跡はあるが、その時にはもう、次の涙は溢れていないようだった。

 今は、今度は和斗が詫びている。知らなかった。何も知らなかった、と。

 藤堂はただ、幼かろうと、術を持たなかろうと、どこまでも有村だと思い聞いていた。

「ごめんな、洸太。俺、何も気付かないで。お前を守ってる気でいて、お前こそ、必死で守ってくれてたんだな。だから、手当てしてやるといつも、洸太、俺に笑いかけたのか。心配かけないようにじゃなくて、代わりに痛い想いして、守ったよ、って」

「…………」

「平気じゃない。つらくて、空っぽに……心が見つからなくなるまで我慢して。本当に喋れなくなるまで、笑えなくなるまで、感じなくなるまで我慢して……俺の……俺たちの、ために……」

 壁か天井へ向く何も映していないような有村の目は、立ったまま見下ろす藤堂に、ひどく暗い色を内包しているのを窺わせる。

 敵意を露わにした時の暗さとは違う。あの、他人を射竦め、操ろうとする目とも違う。ガラス玉。その表現が今ほど嵌る瞬間はないと、そんな色の目だ。

 他人を庇い、心が壊れても尚、耐えた。

 見上げたものだ。他人を守るとは、そういうのを言う。出来る範囲、枠を超え、自分を犠牲にしても、なお。

 きっと、そこまでは出来ない藤堂にはまた有村がとんでないモノに見え、同時に、ひどく切ない男に見える。その性格が、生き方が、藤堂の素直な心で、悔しい。

 どこまで生き辛くなれば気が済む。どこまで不器用になれば気が済むと言うのか。目の奥からじわじわと込み上げる痛みを押して、藤堂は逸らさず、有村を見つめ続けた。

 帰って来い。戻って来い。そう、強い想いを乗せた目で。

「……ありがとう。洸太……」

 大層な泣き声で、和斗が告げた。

「俺も、母さんも、ちゃんと洸太が守ってくれたよ」

 その瞬間、藤堂が見つめ続ける有村の目が少し、明るさを取り戻し始めたように見えた。

 生気が戻る、というのだろうか。ガラス玉が徐々に、人間の目になっていく。

 弾かれるように仰ぐ草間と目が合った。藤堂は、その時に思い出した。和斗はこれで医学を学ぶ学生。涙声ではあるけれど、語り掛ける声は今や、すっかりと落ち着いていた。

 ゆっくりと有村の背中を撫で、そのタイミングや速度はまるで、呼吸を整えてやるかのよう。

「洸太が守ってくれたから、俺はちゃんと大人になったよ。だからもう誰も、俺と母さんに出て行けなんて言わない。終わったよ、洸太。洸太はちゃんと、守り切ったよ」

 言い聞かせる和斗の肩口に顎を乗せ、ぼんやりとした口調で「終わったの?」と、有村が言う。

 和斗は更に抱き寄せ、頭を撫で、「終わったよ」を繰り返した。

「洸太が守ってくれて、その間に、俺と母さんは家にいないと困る人になった。追い出すなんて誰にも出来ない。だからもう、洸太は代わりに痛い想いをしなくていい。嫌なのを我慢して、言うことをきかなくていい」

「……お父さんと渚さんはもう、和斗と明子さんをいじめない?」

「いじめない。ふたりが何を言っても、俺も母さんももう言うことをきかなくてよくなった。その時間を、洸太がくれた」

「……僕が……僕、守れた?」

「そうだ。そうだよ、洸太。ありがとう。心も、背中も、こんなに傷だらけになって。それでもずっと、俺たちを守ってくれて、ありがとう」

 暗さが消え、有村の瞳が普段の緑と黄色を混ぜた、綺麗な色へと戻って行く。

「……よかったぁ」

 その目が歪み、有村は声を上げて泣き出した。口を開け、ワーワー、と。和斗に抱かれ、幼子のようにしばらく泣いて、誰も何も言えない部屋で泣き疲れた頃、眠りへ落ちた。

 有村をベッドへ寝かせ、脈を取った先生が言う。

「言っておくが、こんな博打は愚かもいいところだ。フラッシュバックとケンカを一緒にするなんて。君たちの洸太くんを信じる気持ちは理解するけど、こんな方法が彼の精神にどれほどの負担をかけるか考えもしなかった自分たちを、君たちこそ知るべきだ」

 叱る口振りではじめ、先生は、多少冷静になり状況の把握をし始めた藤堂と草間の早計を窘める。追体験中にそれが報われたという方向へ向けるフォローを和斗が咄嗟に出来たからいいものの、先生の立てたプランではじっくりと時間をかけ、少しずつ飲み込ませていく手筈だったのだ。

 しかし、ある程度までは窘め、草間がしょんぼりと俯き、藤堂も目線を落とし始めると、先生はひとつ吐いた溜め息のようなものを最後に、ふと口角を上げた。

 結果はまだ、有村が目覚めてみないとわからない。そう前置きはしたものの、並び合う藤堂と草間へ投げて寄越した先生の目線はどこか柔らかい。

「だけど、そうだね。そんな勝負に出ても、決して負けない。洸太くんには、無条件で純粋に心の底から信じてくれる人の存在と、その人の元へ帰りたいという想いが、何よりの力になったのだろうね」

「…………」

「だからって褒めないよ。協力には感謝するけど、君たちね、暴走し過ぎ。ただまぁ、うん」

「…………」

「良い友人と、良い恋人を持ったね、洸太くんは」

 叱られたのだか、褒められたのだか。微妙な気持ちと面持ちで藤堂は隣りにいる草間を見遣り、見上げて来る草間も似たような表情を浮かべる。

「……アイツ、もっとイヤな奴かと」

「……なんか、もうひとりの有村くんのお兄さん、みたい?」

 顔を寄せ、互いにだけ聞こえる小声で言い合う。

 先生はカルテに有村の問題が解決したと書き、家へ戻すのが目的であるはず。そういう依頼を本家から受けているはずだ。実績のある、優秀な医者として。

 なのに、有村の頭を撫でた藤尾奏多という男を眺め、藤堂はどこか、和斗や瓏、楽園にいた佐々木や志津のような温もりを感じていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ