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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第八章 暴走少年
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閉じていく

 落ち着きを取り戻したリビングで、「戻った方がいいよね」と有村が呟いた。

「いま戻れば、遅くてもお昼休みには間に合うし、午後だけでも」

 戻った方が、ということは、本心では戻りたくないということだ。そう思うのは当然という顔で、藤堂はどっかりとソファの背に身体を預ける。藤堂とて、有村の心中は察して余りあるものだ。

「いいだろ、もう。午後っつっても一限だけだ。面倒臭ぇ。サボろうぜ。どうせ誰も、お前が戻って来るなんざ思ってねぇだろ」

「慣れているね。さすがは不良」

「ふん」

 その点、藤堂の隣に座る草間は違う。真面目な良い子はズル休みが初めてのようで、一点を見つめて固まる顔がまた、地蔵のようになっている。その胸では煩いほどに、鼓動が慌てているのだろう。

「お前は戻るか。アレの言う通り、上手くすりゃ四時限目にも間に合う」

「ううん」

 揃えた足へ下ろす草間の手には、携帯電話が握られている。普段は通学鞄の脇に差しているのだけれど、たまたま写真を見せ合っていてそのまま、ブレザーのポケットに入れていたらしい。

 そこへ、少し前に落合からメールが届いた。有村の様子を窺うものだったが、返信したあとも草間は携帯電話を持ったままでいる。

「私も、今日はサボる。キミちゃんがあとで鞄を持って来てくれるっていうし、ひとりで戻っても、どんな顔してればいいか、わからないし」

 有村が詫び、草間は有村の所為ではないと答えた。自分がそうしたいから、ここにいたいからだと答える声には迷いがないが、二年連続でクラス委員長を務める草間にとって『サボり』とは大罪のようだ。

「無理すんな、委員長。しれっと行って、しれっと授業を受けりゃぁいい。なに言われても流してよ」

「大丈夫。一日くらい、いい。私だって、それくらい」

「不良になった気分か?」

「ワルなの、私」

「ぬかせ」

 たったの一日サボったくらいで、飛び出した有村を追い駆けたくらいで何を言う。藤堂は笑い、「煙草でも吸うか」と言ってみた。当然、草間は「吸わないよ!」とこちらを向き、地蔵顔でなくなった。あの顔がブスだから、やめた方がいい。

「それね、本当に、よくないと思う。身体に悪いし、いま、先生たちもピリピリしてるんだよ。吸い殻が見つかったみたいで。荷物検査とか、あるかも」

「大丈夫だよ」

 そう告げて会話へ入って来た有村はキッチンにいる。沸かした湯で、珈琲と紅茶を淹れているのだ。

 回復が早いのは真っ赤だった目元も同じで、今ではもう泣いたこともなかった頃の顔をしている。キッチンカウンターの向こうにいると、接客しながらラテアートでもするカフェ店員のようだ。

「藤堂は持ち歩かないよ。夜に外へ出て、どこかで一服するんだろう。今朝は少し油断したね。僕がシャワーを浴びている間に、ベランダで吸った?」

「見てたのかよ、風呂場から」

「見えるようではあったかな。君のそれは反抗じゃない。とっておきの気分転換なら、あとで一本ちょうだい」

「……クソが」

 トレイにカップを三つ並べて運ぶ有村に、草間はまた「ダメだよ」と言う。笑う有村の顔を見れば、わかるだろうに。コイツが一番、言っている。そんなものはやめてしまえ、と。

 居心地悪く顔を逸らした藤堂の前に、香りのいい珈琲が置かれた。

「実を言うと、学校へ行きたくない。今日だけじゃなくて、しばらく」

「…………」

「行った方がいいのは、行かなくちゃいけないのは理解している。でも今は、叱られても慰められても、つらい」

「そうか」

 珈琲を口へ含み、藤堂は「いいんじゃないか」と返した。素っ気なく告げ、また珈琲をひと口。隣の草間は物言いたげで、藤堂を見る目は今朝の有村に苦言を求めた時のものと似ている。

「しばらくって言っても、来週になりゃ期末が始まる。それには出るだろ、どうせ」

「うん。そのつもりでいる」

「騒ぎになるのは仕方ない。そこでお前が数日休めば、禁句扱いで黙るヤツはいるかもな。今のお前が、それを狙ってるようには見えんが」

「…………」

「好きにすりゃいい。絵でも描いてろ」

「……うん」

 今朝、有村はこういう気分だったのだろうかと、藤堂は少し思った。

 落合からのメールで、学校はやはり、かなりの騒ぎなっているらしい。二時限目からは普通に授業があったというが、C組はその最初で事情聴取の真似事をされたようだ。

 何があったか、何を見たか。橋本たちは連れて行かれたまま戻って来ず、今回ばかりは穏便にというのも難しいだろう。なにせ、これまでの散々を穏便に済ませて来た張本人が、ここにいるのだから。

 何度目かになる溜め息を吐き、藤堂は項を掻く。あれこれと考えるのは苦手だ。何事も、なるようになる。

「じゃ、俺はコレ飲んで帰る」

「えっ」

 返した有村の目は丸く、視線を投げる藤堂は相変わらずの涼し気な三白眼だ。驚かれた方が驚きだ、という顔をしているのだが如何せん、藤堂は表情が薄い。

「落ち着いたみたいだし、あとは草間だけでいいだろ」

「えっ、いや……」

 物言いたげな有村に構わず、藤堂は草間へ「いいよな」と短く確認。草間が頷いたので、これで終いだ。

「で、でもさ、藤堂だってこの時間、フラフラしてるとアレじゃない?」

「慣れてる。不良なんでな」

「藤堂……っ」

 有村の気持ち、若しくは願いは察したつもりだ。これで付き合いは長くないながらも浅くない。親友の面倒な性格を理解しているからこそ、藤堂は残りの珈琲を何食わぬ顔で飲み干した。

「ごちそうさん。じゃぁな」

「藤堂!」

 ソファに草間を残し、有村は玄関までついて来た。引き留めたいのはわかっている。わかっていて、藤堂は一秒でも早くこの部屋を出たいのだ。

 袖を引かれても知らぬフリ。藤堂は靴を履き、食い下がる有村へと目線を投げる。

「乗馬の時にお前が言ったろ。落馬したら早いトコ、リベンジしろと」

「なんで今その話を?」

「同じだ。安心しろ。お前のバカ力は、ブチギレてる時しか出ない。怖いんだろうが、まだ。草間にリベンジさせてもらえ」

「藤堂」

「あのな。俺だって馬には蹴られたくない」

「藤堂!」

 乗馬で始まり、馬で終わる。上手く纏めた顔で頷きを残し去って行く藤堂に置き去られ、閉まったドアに有村は思う。いつもは気なんか遣ってくれないくせに。確かにまだ、異性に触れるのは怖かった。

 出そうとすれば出てしまう力が怖い。藤堂ですら制止するのに苦労する、自らの力が怖い。

 ひとりきりの玄関で狂暴を働いた手を見つめていたら、背後から草間の声が有村を呼んだ。

 さて、どうしよう。リビングへ戻っても、有村はキッチンへ立ち寄ったフリで、草間がいるソファへは近付けない。何が、リベンジをさせてもらえ、だ。草間にだけは、もしもがあってはならないのに。

「有村くん。こっち、おいでよ」

「うん」

 返事はするが、足は重い。ただ、部屋を漂う沈黙に負け、有村はキッチンという名の城を出ざるを得なかった。

 ソファで草間が、こちらを見つめて待っている。実に草間らしい、曇りなき眼だ。

 物言いたげでもなければ、ただただこちらを見ているというような目が居た堪れず、気まずさの限界で有村はテレビのリモコンを手にした。頭の中は速度を上げて回転しており、どうにか草間と距離を取ったまま過ごせる時間潰しを探している。

「テレビでもつけようか、ね。この時間ってどんなのやってるんだろう」

「有村くん」

「ああ、見て? すごい、美味しそうな海鮮――」

「――有村くん」

 どうやら今日は運にも見放されているらしい。生魚が全く食べられない有村は二度目に呼び掛けに、「はい」と、苦悶の表情をテレビ画面へ向けたままで答えた。

 どうしたって、傷付けたくないのだ。万が一にも、もしもがあっては困るのだ。

 俯くしかなくなった有村の背中へ草間が飛び込み、身体の前へと細い腕が巻き付いた。

「邪魔だって、ひとりになりたいって言われたら、私も帰る」

 しっかりと抱き着かれ、抱きしめてくれる草間へ有村が、心にもないことを口に出来るはずもない。

 負けだ。完敗だ。有村は諦めた。そもそも、草間を相手に勝てた試しもないけれど。

「……ずるいよ、それは」

「うん。知ってる」

 指先から、掌全体へ。恐る恐る触れ、重なり合った小さな手は、温かかった。

 とりあえずつけたテレビではタレントたちが賑やかに、何か食べたり、何かのクイズを答えたりしている。話題のスイーツや、観光スポット。流行りのファッション。誰かが勧める名店でのグルメレポート。次から次に情報が垂れ流され、ソファへ座り、画面へ横顔を向けている有村には耳の上辺を撫でるよう、何ひとつとして入っては来ない。

 有村の指先が頬へ触れると、草間はそっと目を閉じ、嬉しそうに微笑んだ。

「君が怖がりだなんて嘘だ。僕が怖い僕のこと、どうして、怖がってくれないの?」

 頬へ乗る有村の手に自らの手を添え、草間は柔く、頬擦りなどして見せる。

「だって、怖くないんだもん」

 ちっとも怖くない。そう告げる草間が目線を上げ、見つめていた有村は囚われたような感覚を覚えた。目を逸らせない。引き込まれる。いつから、草間の瞳はこんなにも強い引力を纏うようになったのだろう。

 近頃。少し前。最初から。どれも正解のようで、正しくはない気がする。

 澄んだ草間の瞳に映る自分の姿は、有村にはひどく情けない男に見えた。

「……しないの? キス」

 頭を傾け、草間が言う。

 見える、ではない。途方もなく、自分が情けない。

「……したら、君の口を食い千切ってしまうかも」

 言いたくないのに、真剣に答えたのに、草間は軽く、大きく笑った。

 今だけは、きちんとそのまま受け取ってほしい。冗談じゃない。本心だから、きちんと。

「有村くんは、ホラー映画を観過ぎなんだよ。しません。そんなこと」

 また、まともに受け取ってもらえなかったのだと思った。いつも通り。また、届かなかったのだ、と。

 けれど、苦しくなって投げた視線の先、笑うのをやめていた草間の目は、真剣だった。

「しないよ、有村くんは」

 そう告げて、草間は有村の手を持ち上げる。

 小さな両手で包むように、浚われて引き寄せられて行く右手を、目で追った。

 顔のそばまで引き寄せて、草間はその指先にキスをした。

「……ごめんね。私には、これが限界」

「…………」

「だから……して? 有村くんから、キス」

 促されるまま吸い寄せられ、引き寄せられるまま唇を重ねた。

 触れるだけ。一回。二回。

 また泣いてしまいそうになり、躊躇う三回目の前で、草間の細い指が頬を撫でた。

「…………」

 見つめ合う至近距離で、草間は、何も言わない。

 何も言わずに、真っ直ぐ目を見つめている。ジッ、と。そうして、少し笑った。

「……すき」

 たったの二文字が、やっと想いで声になる。

 これまで何度も言って来た。ついさっきも、藤堂へ向けて、浴びせるほど持ち出した。

 なのに、草間へ捧ぐこの一度、それは胸を抉るほど、重くて深い言葉だった。

「好き……好きだ、草間さん……すき……好き……」

「…………」

「ごめん。好きだ……草間さん……くさま、さ――」

 苦しい。好きで、愛しくて、苦しい。

 怖かった。こんな慰めを求めては、貰っては、受け取ってはいけないと、わかっている。

「――ちがうよ」

「……え?」

「私いま、慰めてない」

 なんで、わかった?

 口に出していない。言ってない。

 驚きに大きさを増す有村の目を、草間はまだ見つめている。

「わかるよ。言わなくても。有村くんの目が、そう言ってる」

「…………」

「……もう、しない?」

「……する」

 三回目、触れる直前で躊躇った。

 重ねてしまえば、触れるだけでは終われなかった。

 何度も、何度も、キスをした。吐息を乱し、抱き合い、貪るように、何度も。

「……はぁ……っ」

 すぐに、何も考えられなくなった。

 けれど、有村は思っていた。草間とのキスに溺れながら、この瞬間、この部屋の外が全て、滅びてしまえばいいのに、と。

 僕と、彼女。

 世界が、僕と君だけの物になればいいのに。 


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