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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第八章 暴走少年
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いざって時の女は強い

 走りの遅い草間に足を引っ張られ、藤堂が辿り着いた駅のホームには既に有村の姿はなかった。前の電車は出たばかり。有村はそれに乗り、マンションへ帰ったはずだ。藤堂にはそうである自信があった。

 朝の領域であるこの時間、他に有村が逃げ込める場所はない。次の電車へ乗り込み、藤堂と草間はマンションへと急いだ。

「いるかな、有村くん」

「いる。アイツはひとりになりたいはずだ」

「そうかな」

「そうだ」

 再び駆け出し、息の上がる声で草間が言う。どうしてそう思うの、と。

 理由というほど確かでない。当然、確証などとは程遠い。けれど、藤堂は迷わず、マンションを目指す。行けば誰かしらいるかもしれないが、ノクターンへは行かない。人混みにも行かない。有村はいま、閉じ籠った部屋の中にいる。

「アイツは自分が怖いんだ。キレるのが怖い。アイツこそ思ってる。キレたテメェが化け物だ、と」

 草間は返事をしなかった。後れを取る草間を振り向き、藤堂は気付く。草間には、思い当たる節があるようだ。

 あとから歩いて来ていいと言った。草間が一緒に行くと言ったから、藤堂は途中で草間を小脇に抱え、残りの距離を全力で走った。

 嫌な予感がする。嫌な想像ばかりする。あの時、手を離すべきじゃなかった。まだ気を緩めるには早かった。後悔ばかりが押し寄せて、駆ける藤堂の気が逸る。

 マンションの前で草間を下ろし、真っ直ぐエレベーターへと向かった。ボタンを押して呼ぶけれど、階数表示は九階で動かない。焦る藤堂はまた草間を持ち上げ、今度は肩に担いだ。

「藤堂くん!」

「七階まで走る。落とさねぇから暴れんな」

「藤堂くん!」

 さすがの体力自慢も、七階までの階段を人ひとり担いで駆け抜けるのはラクじゃない。角部屋に辿り着く藤堂の息は切れ、鍵を取り出す手が焦る。しかし、触れたドアノブが軽く動いた。鍵は既に、開いていたのだ。

 やっぱりそうだ。有村はここにいる。

 確信した藤堂はドアを開け、名を呼びながら靴を脱いだ。

「有村!」

「有村くん!」

 以前に蹴り破ったドアを叩き、藤堂が、追い付く草間が呼びかける。

 前回とは違い、施錠された部屋の中からはすぐ、有村の声が返って来た。

「来ないで! ひとりにして!」

「有村くん!」

「有村!」

「頼むから、ひとりして! お願いだから!」

「有村くん!」

「…………」

 もう一度、蹴破るか。そんな考えも、ふと過る。藤堂がすぐ行動に移さなかったのは、中から聞こえる声があったからだ。取り乱してはいるようだが、会話にはなっている。冷静でないとしても、有村はいま、正気だ。

 だからといって、相手は有村だ。安心は出来ないが、強行手段にも出られない。ひとりにしたくはないが、と、躊躇っていた藤堂の隣で、草間が突然、呼ぶのをやめた。

 ドアを叩くのもやめ、ふと、リビングへと消えていく。金物のような物音が少しして、戻って来た草間はハサミを持っていた。

「話がしたいの。顔を見て、ちゃんと、話したい」

「イヤだ!」

「わかった。なら、私も嫌なことをするから、我慢して出て来て」

「……は?」

 部屋の中からも「え」という声がしたし、隣にいる藤堂も意味がわからず草間を見る。

 その横顔は真剣だ。腹を決めたような面持ちでいて、ハサミを提げていない方の手が、片側に寄せた長い髪を束で持つ。

「いま、有村くんと話さなきゃいけないと思う。そばにいなくちゃいけないと思う。だけど、出て来るのが嫌なら、しょうがない。出て来てほしいから、私、髪を切ります」

「なんだと?」

「髪を、切ります。ショートは似合わないし、髪を結うの好きだから嫌だけど、三つ数えて、切ります!」

 戸惑う藤堂を見もせず、部屋の中から聞こえる戸惑いの声にも答えずに、草間は大きく深呼吸。

 冗談だろうと思う。本当に切りはしないだろう、と。ただの脅しだ、そう思うのに、藤堂の口から「本気か」が飛び出した。

 返事を聞く前に、自分を見る草間の目を見て理解する――コイツ、本気だ。

「本気です。有村くんに、その場しのぎの脅しなんて効かないし」

「だからって、お前。そんな、どっかにあったハサミで……」

 コイツいま、ハッキリ脅しって言ったな。

 思う欠片程度の冷静さはあれど、草間の見せる剣幕に、藤堂は手が出ない。

 草間は不器用だ。専用のハサミでも散々だろうに、きっと、目も当てられないことになる。

 部屋の中からはオウム返しに聞き返す、素っ頓狂な声がする。止めなくては。頭ではそう思っているのに、藤堂はひたすら潔い草間に驚くばかりだった。決して譲らない強い目をして、寄せたハサミの開いた刃が首の近く、握る毛束を間に置く。

「髪は、また伸びます。私はいま、有村くんに出て来てほしい。いきます。いち。に。さ――」

――ガチャ。

「ヤダ! 僕の所為で切らないで!」

 ドアが開くと同時に飛び出し、いま正にバッサリと切り落とそうとしていた草間を有村が抱きしめた。間一髪。草間の髪はまだ無事で、ハサミを取り上げる有村の手が焦っている。

 無抵抗の草間から取り上げてからは、禄に見もせずリビングの方へと放り投げた。大きな音が立ったので、床に傷くらいはついただろう。有村にはそれを気にする素振りもなく、何度か撫でて確かめる草間の髪の安否だけで頭がいっぱいの様子だ。

「なんで、そんな、切るなんて」

「そう言ったら、出て来てくれると思って」

 草間の作戦勝ち、というところだ。存分に焦った有村の目や目元は赤く、涙も一瞬で引っ込んでしまったらしい。

 しかし、籠城を破り、藤堂と草間がひと息吐けたのも束の間。ふと我に返った有村は腕を解き、草間から距離を取る。そうしてすぐさま部屋に戻ろうとする有村に草間が抱き着き、藤堂はドアを掴んで閉めさせなかった。

「放して! 離れて、草間さん!」

 抵抗する力で、わかる。有村はいま正気だし、あの怪力は出せないようだ。

 抱き着く草間に触れもせず、口だけで解放を願う有村は本気に見える。

「いま、何が一番いや?」

「…………っ」

「なにが一番いやですか? 教えて、有村くん」

 尋ねる草間の声は落ち着いていた。諭すように問いかけて、有村の胸に頬をしっかり着けている。

「……怖がらせたくない」

「怖くないです。他は?」

「…………っ」

「他は? 有村くん。ちゃんと言ってくれなきゃ、わからないよ」

 譲る気のない草間に観念したのか、有村は上を向き、両手で目を覆った。

 見えている口元が苦しそうだ。苦々しく、悔しそうにも見える。草間は抱き着いたまま顔を上げないが、巻き付く腕が強くなったのは藤堂にもわかった。

 教えて。草間がそう繰り返す。知りたいから、教えて。聞き出そうとする草間はやはり、落ち着いている。

「……怖い、自分が。人を傷つけたくない。乱暴なんかしたくないのに、出来てしまう自分が、やってしまう自分が、怖い」

 ようやく口を開いた有村が喋り出すと、草間は黙る。ただ無言で抱きしめて、じっくりと耳を傾けているみたいだ。

 倣うように藤堂も、続きを待った。

「何をしたのか覚えてる。恐ろしいことを考えていた。僕がしたことなのに、全部、僕じゃなかったみたいで。だから、怖いって言ったんだ。僕は、自分が何をしてしまうかわからない。橋本さんは正しい。僕は、頭がおかしい……化け物だ」

 吐き出した有村はまた泣き出して、草間の手が背中を撫でた。

 違う、と、草間はすぐに言ってやらない。言ってやらないのか、と、藤堂の胸が詰まるほど、ただ静かに背中を撫でた。

「さっきは、確かにやり過ぎだったと思います。橋本さんは本当に怖かったと思うし、私も、見ていた人たちも怖かったと思う。だけど、橋本さんもやり過ぎたと思う。家庭事情なんて、他人が勝手に踏み込んでいいものじゃない。過去なんて、面白がって探るものじゃない。私は、頭に来ました。許せないと思った。有村くんにっていうのもあるけど、誰に対してもしちゃいけないことを、橋本さんはした。有村くんが怒ったのは、遅かったくらいだと思ってます」

 腕を緩めて顔を上げ、草間は真下から見上げる有村の頬に触れる。

 指先を乗せる程度、本当に、触れたという感じだ。目元を覆う有村がその顔を見ないのは残念に思えた。藤堂にも伝わる。草間がどれほど心配して、ここへ駆け付けたか。有村を見つめるその目を見れば、無理矢理にでも笑おうと、引き上げようとする口の端に滲む懸命を目にしてしまえば、嫌でもわかる。草間がどれほどに、有村を想っているか。

 見ていられず、藤堂は視線を外した。

「怒るの、怖いって言ってたもんね。慣れないから、怖いって。でもね、そうやって大体は抑えてる有村くんは理性的だと思うし、もしも、なんて、させないよ? 藤堂くんが」

「……俺?」

 目が合い、草間は藤堂へと笑いかける。草間の目は、よく喋る。信じていると言われたみたいで、眉間に皺を寄せた藤堂はまた、視線を外した。

「どっちがいいのかなぁって、ここに来るまで考えてたの。怒りたくないから小さいのをずっと我慢して、爆発したら、大爆発。じゃぁ、小さいのをちょくちょく怒ればいいの、って。怒りっぽい有村くんはなんだか、それはそれで疲れそうだよね」

「……何を、言ってくれようとしてる?」

「思ったことを言ってるだけ。それもね、有村くんはきっと何回かしたら慣れて、制御出来るようになるんだろうなぁ、って、思ってる」

「……ならない」

「なっちゃうんだろうなぁ、きっと。それか、これだけはどうしようもなくて、みんなが大噴火を避けるようになるかも。本当は、それがいいと思わない? 有村くんは別に、気に入らない程度じゃ怒らない。見てるとね、腕を噛まれても足を噛まれても、やめなさいって言うだけで、首とかを噛まれて初めて反撃する感じ。もっと手前で怒るんだよ? 痛いじゃん。しつこいよ、って」

「…………」

「今回、橋本さんは首を噛んだ。だから、有村くんは反撃した。女の子が相手だって思うかもしれないけど、それで全部を許さなくちゃいけないなら、男の子が可哀想過ぎるよ。やり過ぎたって謝るのはいいけど、橋本さんに腹を立てたことは、謝らなくていいと思う」

「…………」

「謝らないでほしいな、私は。そこは、折れないでほしい。だけど、藤堂くんには、ありがとうだよ、有村くん。藤堂くん、暴走モードの有村くんをまた、必死で止めてくれたんだから」

 先に草間が顔を向け、つられて有村が藤堂を見る。有村の泣き顔も、だいぶ見慣れた。何を言うでもなく目を遣り返したら、腕を完全に解いた草間が背中を押し、有村を一歩、藤堂の方へと動かした。

「ごめん、藤堂。腕、噛んだ気がする。この間も、本当に、ごめん」

「…………」

 仕方がない。そのような風体で、藤堂は制服の袖を捲る。ワイシャツごと押し上げて、噛まれた腕を見せてやった。この辺だ。そう告げて指をさす辺りに、傷はない。

「服もあったし、どうってことない。別に、いい」

「藤堂……」

 ふらりと近付く気配がして、それを視界の端に映していた藤堂に、有村が抱き着いた。

 首元に両腕を巻きつけ、肩口には顔まで埋める。耳のすぐそばで繰り返される「ごめん」を受け、藤堂はその頭を抱えてやった。

「美味いメシの礼だと思え。気にするな」

「とぉどぉ……」

 身長はあまり変わらないので、抱き着かれると顔が傾き、それなりに邪魔だ。見ている草間も気になり、藤堂は「わかったから、放せ」などと諭してみる。いくら相手が有村でも、男同士で抱き合う趣味はない。

「藤堂がいてくれて、本当に良かった」

「そうかよ」

「ありがとう。いつも、助けてくれて」

「そうかよ。わかった。わかったから、な。離れろ、有村」

「とぉどぉ……」

 抱き着かれて嫌な顔をする藤堂を、草間が見て笑っている。笑ってはいけないと思っているみたいに口へ手を寄せ、声には出さずにクスクスと。

 肩が揺れているだけで、藤堂には充分、憂鬱だ。ウンザリするやら照れ臭いやらで、有村の頭を引き剥がすように手で押した。

 そうして目にした、目が合った有村に、藤堂は嫌な予感がする。

 キラキラしている。三割増し、いつもの倍以上、有村がキラキラした目で藤堂を見ている。

「藤堂……」

「よせ」

「藤堂!」

「よせ! 有村!」

 久々で、反応が遅れた。そういう目をした有村は抱き着いて来るのが常で、既に抱き着いていた状況では藤堂の顔を両手で押さえ、事もあろうにキスをした。

 全く以て事もあろうに、口の、すぐそばへ。

「お前ッ、なにしやがる! 気色悪い!」

 一瞬だったが、確かに有村はキスをした。された藤堂は有村の頭にゲンコツを落とし、いよいよ両手で肩を掴むと、引き剥がすべく必死の抵抗。まだキラキラしている有村は笑みすら浮かべ、ビクともしない。

「好き! 大好き、藤堂! 好き!」

「離れろ! テメェ、いい加減しろ!」

「大好き! カッコイイ、藤堂! 好き!」

「やめろテメェ! 貼り付くな! キラキラすんな! バカ野郎!」

 怒鳴っても殴っても解放されない藤堂は鬼の形相。対して、有村は幸せそうに抱き着き、ウフフと笑っている。

 それを見ていた草間はキスした瞬間だけ驚きに目を丸くしたものの、ついに耐え切れない様子で声を上げて笑い出す。腹を抱えて、あははは、と。

 笑い事じゃない。藤堂が本気で繰り出した拳が脇腹を捉え、有村は息が詰まった瞬間だけ小さく唸る。しかし、腕は解かずに、それからしばらく大量の「好き!」をバラ蒔いた。


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[一言] ほっと一安心ですね。素敵なお話をありがとうございます!
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