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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第八章 暴走少年
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暴露

 放課後は美術室でキャンバスへ向かい、帰宅後はスケッチブックを開く数日間が過ぎた。

 用意したキャンバスは白いままであるけれど、体力作りは順調。昨晩も藤堂と十キロ強を走り、最速記録を更新した。とはいえ、そちらもしばらくはお休みだろうか。

 期末テストが近付いて来たということで、今回、有村はそれぞれに、各々の苦手な箇所の補足と強化を念頭に、テスト付きのテキストを作ることにした。

 前のように集まって勉強出来れば早いのだが、山本もバイトを始め、久保もレッスンで忙しい。草間も先輩の堀北のシフトを代わったり、仕事を幾つか引き継いで手一杯の様子だったので、隙間時間に解いてもらえるよう考え抜いた、渾身の力作である。

「あー、落合さん。これは勿体ないな。単純な計算ミス」

「お? あー、ホントだ。足し算じゃん。はず」

「あとは合ってるし、少し難易度を上げようか。意地悪な問題を用意するから、お楽しみに」

「うげー」

「久保さんは、さすが。数学はパーフェクト」

「まぁね」

「ここだけ。ここ、エスが一個多くてデザートになってる。かわいい」

「やだ。この辺、眠かったのよね。でも、ケアレスミスは注意しないと。笑うな」

「ごめん。草間さんはね、全問正解。でも、どう? 時間」

「かかった。すごく」

「そっか。じゃぁ、似た問題をもう少し用意するから、解く練習、続けよう?」

「うん。がんばる」

 朝の改札口から学校へ向かう通学路では、こうして昨晩の答え合わせをする。それを基に有村は次の問題を考え、休み時間に作成。下校までに渡すのが、テスト初日まで続くルーティンになりそうだ。

 教室へ着けば、鈴木と山本も持って来るはず。彼らには少し、この宿題方式は合わないのかもしれない。焦りがないのか、気合が入らないのか、特に山本は解答以前に文字が雑で、有村はまず読むのに苦労する。やって来るだけ頑張っていて偉いな、とは、思うのだけれど。

 久保の質問を受けていると、後ろで落合が「セコムもやってる?」と尋ねていた。「やってない」。その通りだ。藤堂には解説も問題も用意していない。彼は元々成績がいいし、泊っている夜に少しやれば解決する。

「あっ、次、あたし、いい? ちょい悩んだトコあって」

「どこ?」

 交代で落合が横に来て、テストという名のルーズリーフを捲る。同じ場所が草間も苦手だったらしい。歩きながらふたりに説明をしている後ろで、今度は久保が、藤堂の脇腹を肘で小突いた。

「煙草臭い」

「……そうか?」

「なによソレ。カッコ悪い。やめなよ」

「別にいいだろ」

「よくない。そういうの、すっごくダサい」

「そうかよ」

 不良ですと言って歩いているみたいで、ダサい。ダメ押し二回目の『ダサい』もあまり響かず、有村は久保に加勢を要求された。友人、友情を持ち出され、やめろと言えと。

 そうは言われてもな、と思い、視線を空へと上げた一瞬、とうに気付いていたのが草間にバレた。

 彼女もまた、知っていたなら止めないと、という顔だ。悪いことは、悪い。それは尤もなのだけれど、たったひとりの親友に敢えて何を諭す気もない。

「未成年の喫煙は法律で禁止されていて、健康にも害しかない。なんてことは藤堂もわかっているはずだから、好きにすればいいんじゃない」

「ちょっと」

「姫様、ハクジョー」

 そうは言われてもな。再び、有村は思う。好きにすればいい。そんなことは。

「ま、さっちゃんは少し胸が弱いから、そういうところには気を付けなねー」

「当然だ。みさきの前じゃ吸わねぇ」

「だろうねぇ」

 ヘラヘラと濁していたら、有村まで喫煙しているのではないかと疑われてしまった。

 疑ったのは落合と久保。草間はどこか心配そう。気分転換なら、有村には珈琲がある。中毒はカフェインで充分だから、ニコチンは興味がないと答えた。返答が可愛げないと言って、落合に叩かれた。

「友達ちゃうんかい!」

「友達だよー? 一番の仲良しだよ。だからかなぁ」

 有村は振り返り、目が合う藤堂へニッコリと微笑む。

「吸いたくなったらウチ、おいで。ベランダ貸してあげる」

「……おう」

 三人が極悪人を見るような顔をするので、一応、ダメなことなんだぞ、とは念を押した。禁止されていることは、ダメだ。

 しかし、未成年の喫煙がダメなら、未成年が成人女性と関係を持つのもダメ。有村はそもそも、正義の説教など出来る立場ではなかったのだ。

 この尾はしばらく引いてしまい、藤堂より有村が責められる中、五人は校門へと差し掛かる。お馴染みの登校時間。相も変わらず賑やかだ。

 朝のパレードをやめたあとも、そこかしこから声を掛けられるのが有村の日常で、たくさんの「おはよう」に「おはよう」を返しつつ昇降口へ辿り着く頃には、三人は話題を切る他なくなった。

 それでもまだ言い足りない様子の三人から逃げるよう、有村と藤堂は横並びで先を行く。

「いつから知ってた」

「五日前?」

「初日かよ」

「あら。僕、すごい」

「クソが」

 服に臭いがついていたわけではない。藤堂を見ていて何かしらの違和感を覚えたので、そうと気付いた順番だ。最近の藤堂は少し変だ。照れ屋さんで済ませていい範囲を、ほんの僅かにはみ出している。

「けどさ、次は、火をつける前に来てよ。で、映画でも観よう?」

「絵を描くんだろうが」

「描かないよ。絵はいつでも描けるもん。藤堂とは、夜にしか映画を観られない」

「……そうかよ」

「ははっ」

 美味しい珈琲も淹れてあげるよ、と上目遣いをする有村に、藤堂はうんざりと眉を寄せたあと、小さく笑った。

 到着した教室も、いつも通りの朝だ。賑やかで、大きな声の「おはよう」が飛ぶ。

 今日は珍しく、灰谷の「おはようございます」もボリュームが大きかった。きっと、いい写真が撮れたのだ。アタリを付けて探りを入れれば、取り出したカメラで猫の欠伸を見せてくれた。

「可愛い……やったね、灰谷さん」

「はい。丁度、空を撮っていまして。撮れた瞬間は、もう。実は、朝一番で有村さんにお見せしようと」

「ありがとう。元気出た」

「なかったんですか?」

「もっと出た。もう一回、見せて? かわいい。ほっこりする」

「恐縮です」

 真っ白な子猫の、全力の大欠伸。可愛さに身悶える有村は招き猫で、灰谷の周囲に写真を見たがる人が増えたのを機に、有村は灰谷に礼を告げると席へ向かう。

 いいものを見た。灰谷はいつも、中々見ることの出来ない動物たちの特別な瞬間を見せてくれる。空の写真も見たかったけれど、今は忙しそうだから、それはまた今度にしよう。

 会田が来て、町田が来て、鈴木と山本の解答をチェックしながら、有村はそちらへも「おはよう」を返す。

「いいなぁ、それ。俺もほしい」

「コピーしてやろうか」

「いいのか? 鈴木」

「いいぜ」

「え? 作ったの有村だろ? いいの?」

「いいんじゃない? そんな、手書きので良ければ」

「じゃぁ鈴木、俺も」

「はいよ」

「しかし有村はホント、字までキレイな」

「抜かりなく」

「どうしよう。ムカつきもしない」

「わかるわー」

 別に仲が悪いわけでないと言いつつ、別のグループに属している会田と町田が揃うのは、大体、有村の席だ。鈴木と山本は当たり前にやって来るし、朝は特に、有村の座席周辺は人口密度が高い。

 テストが近付いたことで三割増し程度ではあったけれど、それもまたいつものことだ。説明上手な有村先生を頼るクラスメイトは他にも数名やって来て、藤堂は特に嫌な顔をするでもなく席を立つ。

「珈琲、買って来る。いるか?」

「ほしい。あ、ついでに水もお願いしていい? 喉、乾いて」

「ああ」

 会田と町田が不貞腐れ、「有村だけかよ」とぼやく。「そうだが?」。素っ気なく返す藤堂には「ゲー」や「オエー」というような声が投げられ、立ち去る前の藤堂の口角が微かに上がった。

「お前らホント、仲良いよな」

「妬けちゃう?」

「そーそーもー、ちょージェラシー」

「あははっ」

 男らしくカッコイイ藤堂が『ダンナ』や『カレシ』と呼ばれるのは理解出来るとして、『嫁』や『奥さん』と呼ばれるのに、有村は少しだけ慣れたくない。嫌なわけではないので町田の大袈裟なうんざり顔を見て笑うが、自分たちはあくまで友達だ。

 借りたマンガで読んだ、男同士は本気で殴り合ってからが本当の友達、という一節。熱血少年マンガならではそれが、今は多少、わかる気がする。背中を預けて共闘するには信頼が欠かせないし、藤堂とは裸の付き合いもある。無論、大浴場で。

 あらゆる意味で、洗い浚いという感じだろうか。手を繋いでいたいのは草間。藤堂は隣にいる、という感覚。それがとても心地良い。

「あ、有村くん。あの、僕も数学、訊いていいかな」

「もちろん。僕で良ければ、いつでも。来て? 見せて、森下くん」

「ここ。ありがとう。いつも、何度訊いても親切に。そんなに、仲良くないのに」

「えー、寂しいこと言わないでよ。僕、仲良いと思ってた」

「ありがとう」

「どの辺で悩んでる?」

「えぇと、基礎問題は出来るんだけど、応用が」

「そっか。えっとね、これは――」

 普段はあまり話せないクラスメイトも話しかけてくれるから、テスト前のこの時期、悪くない。

 教室ではひとりでいることが多く、賑やかでもお喋りでもない森下に数式の解説をしていると、「なに、アレ」という声が聞こえた。

 最初に言ったのは沢木だろうか。有村と森下が顔を上げた時には、近くで鈴木と山本が、その奥では町田と仲間たちが窓を開け、身を乗り出すようにして注目を寄せている。

「うん。わかった。もし、ダメだったら、また訊きに来ていい?」

「当然。呼んでくれたら行くよ。森下くんてさ、字、キレイだね」

「有村くんに言われると、照れるなぁ」

「あははっ」

 彼は確か天文部だ。星に詳しいのかもしれないから、いつか、そんな話もしてみたい。

 話し相手がいなくなったので、有村も窓の方へと視線を向けた。上からパラパラと落ちて来る白い紙。花吹雪にしては、だいぶ大きい。

「プリント? どんなウッカリだよ」

「廊下から途轍もない強風が吹いたとか」

「ファンタジーかよ」

 草間や落合、久保も気になったようで、すぐ近くまでやって来た。久保が睨むので何が降っているのか知りたいのだけれど、しっくりこない眼鏡では目を凝らそうとよく見えない。

 そんな時に活躍するのが草間だ。羨ましい視力を持っている彼女は目を凝らし、「写真がついてるみたい」と言った。次いで落合が指摘した通り、これは誰かが敢えて投げ捨てたような量。大量に撒かれた、何かのプリント。

「掃除、大変そう」

「そこ? あー、下の人ら、拾ってやってるわー」

「救う神」

「それほどじゃねーよ」

 鈴木とそうしたやり取りをしていたら、教室のドアが激しい音を立てた。元々開いていたはずだから、二枚重ねの戸に手を強く当てたような音だ。

 そこには平野が立っていた。息を切らし、肩が大きく上下している。

「有村!」

 騒がしい教室を突き抜ける声で放った平野は真っ直ぐに向かって来て、有村がかける「おはよう」には応えない。強い剣幕が歩調と表情に漲っていて、立ち止まるなり、有村の両肩を掴んだ。

「すぐ、学校を出て」

「え?」

「すぐ! 学校、出て! 帰った方がいい!」

「平野さん?」

 有無を言わさず、平野は有村の腕を掴む。机の脇に掛けている通学鞄も勝手に外し、体重をかけてその腕を引っ張った。

 呼びかけても、理由を訊いても、平野は、学校を出ろ、帰った方がいい、のふたつしか言わない。

 動かされてしまうほどの力ではなかったが、有村は立ち上がり、少し足を動かした。

「待ってよ、平野さん。急に」

「お願いだから言うこときいて! 見たくないの! アタシ、アンタが傷付くの、見たくない!」

「平野さん」

「イヤだ! アンタが傷付くのも、誰かに傷付けられるのも、見たくない!」

 平野は必死で、クラスの誰も、草間や鈴木たち、会田や町田たちでさえ口を挟まず、動かずにいる。

 言うことをきかせようと振り向く平野が、泣きそうな顔をしていた。その手、有村の腕を引いていない方の手がクシャクシャに、一枚の紙を握り締めていた。

「……それ、いまバラ撒かれてる紙? 見せて」

「見ない方がいい!」

「見せて、平野さん」

「見ない方がいい! お願い、有村。早くここから――」

「――平野さん」

 引かない有村を見ていた平野の目が伏せられ、苦し気に閉じた瞼が睫毛に光る粒を付けた。

 握り締められる紙を引き抜く時にも、抵抗する力を感じた。けれど、平野は諦めたように肩を落とし、視線も同じく床へ向く。

 誰も動かずにいる、静かな教室。開いた紙を見て、有村の表情も固まった。

「……大勢が見た。下はもう、騒ぎになってる。いくらアンタでも、あることないこと、言われる」

「…………」

「お願い、有村。アンタだけは守りたい。アタシ、アンタにだけは、悲しい想いしてほしくないんだよ!」

 わかってくれと平野は泣き、近付いた鈴木が有村の手から、皺だらけの紙を奪い取った。

『有村洸太は精神病! 自殺未遂で病院送り! 母親はポルノ女優! スキャンダルまみれの男好き! 全身整形モンスター!』

 週刊誌の見出しを真似る、煽り文句のワープロ文字。

 すぐ下には添付写真が二枚。A四サイズの余白を埋め尽くす写真には、大口を開け淫らに喘ぐ女の顔のアップと、胸を露わに全裸で横たわる、男に足を大きく開かれた女のあられもない姿。それらは恐らく、映画のワンシーンを切り取ったもの。

 山本が、久保が、落合が、草間が駆け寄り、それを見る。鈴木は紙を粉々に破り捨てた。

「気にするな、有村。こんなもん」

 答えない有村を見遣る鈴木の視界で、先程の平野のように駆け込んで来るクラスメイトの悲惨な顔が幾つも見える。手には紙。それを見て、教室中がざわついた。

「バカらしい。ふざけんな! 誰が、こんなもん……!」

「…………」

 無言を貫く有村の腕に、草間が触れて呼びかける。山本と久保は息を詰め、落合が口元を覆う。

 頭に血が上り、鈴木は一瞬で全身の血が沸騰するようだった。俯く有村は呼吸で肩が揺れ、何も言えない。

 そこには噓などひとつもない。自宅で溺れ、病院へ送られたのは事実だ。精神科病棟にもいた。自分を産んだあの女が異性関係のスキャンダルで何度も週刊誌にスクープされたのも、全身にメスを入れているのも、事実。

 事実だから、何も言えない。黙り込む有村へと、町田や会田、湯川や沢木、他にも数名が駆け寄ろうとしたその時、教室へふたりの女子生徒が入って来た。

「あれぇ? 死にぞこないの有村くんだぁ」

「…………」

 嘲る音を含ませた弾む声を響かせたのは、橋本まりあ。

 お供をひとり引き連れて、楽しそうに笑っていた。

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