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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第八章 暴走少年
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飴を撒くのは友達以外

「なによ。文句あるの?」

「文句じゃないよー。ちょっと、意外だなぁ、って。久保さんは嫌がるかと。あんまり好きじゃないでしょう? ゴシック、だっけ。ああいう服」

「自分じゃ選ばないだけ。君佳の服だし、着るわよ」

「その割にご不満そうで」

「それはアンタが一緒だから。断りなさいよ、アンタこそ」

「だって、落合さんが、僕はゴシック系の洋服を着る逸材だって」

「ふん」

「それさー、本当に、藤堂みたい」

「うるさい」

「イタッ!」

 昼休みの終わりかけ、今回の買い出しジャンケンで負けた有村と久保は、一階の自動販売機へと向かっている。階段を下りながら交わすのは、先程まで教室でしていた話の続き。落合に自作の洋服を着てほしいと依頼された件についての話題を続け、引き受けた久保の平手が同じくの有村の背中へと切れ味よく振り下ろされた。

 叩かれた背中は痛いが、顔には笑顔。落合がサイズを合わせ、自分と久保に着せる為に作ってくれる洋服が、有村は今から楽しみで仕方ない。何もかもお任せで、着用時にはメイクもされるようだ。女性の風貌へ近付ける為の文化祭でしたメイクとは違うと言うから、それもまた楽しみである。

「髪もね、洗えば落ちるので黒く染めていい? って言われた」

「君佳って好きよね、アンタの黒髪」

「似合うかな」

「考えるのも気持ち悪い」

「ひどくない?」

 落合が曰く、ゴシックファッションに自前の茶髪は合わないらしい。何はともあれ、カッコ良くしてあげると自信あり気だった落合に、身を丸ごと委ねるとしよう。

 服を着る、という、日常的に誰しもがしている事柄に於いて、久保は既にプロだ。当人はまだ数着の服を着て写真を撮ってもらっただけと謙遜するが、それを仕事にしているのだから間違いない。

 有村は、内面からも久保はプロフェッショナルだと思うのだ。近頃は懸命にレッスンやボディーメイクに取り組むだけでなく、一線で活躍するモデルのウォーキングやショーの映像を繰り返し見て勉強しているし、日本や世界の流行についてもアンテナを張り巡らせている。

 君とまた一緒に特別な服を着るのが一番楽しみなんだよ、と言えば蹴りが飛んで来るのだろうから、有村はそれだけ内緒にした。

「そういえばさ。この間、久保さんが働いてるカフェに行ったよ」

「は?」

 途端に目付きを鋭くする久保に、有村は苦笑い。少し前髪が短くなった久保は、睨む目の圧や威力が増している。

「偶然ね。偶然。バイト先の新メニューで悩んでて、ヒント探してプラプラしてたの。で、雰囲気の良いカフェだなぁと思って入って、装置みたいなサイフォン見て、もしかしてと店名見て、ビックリ。いいねぇ、あそこ。内装まで作り込まれてて、妙に落ち着く」

 緑があり、全体的にナチュラルな木調の雰囲気で統一された内装が、漂って来る珈琲の香りをより際立たせるようだった久保のアルバイト先。繁華街からは奥まった立地もあり、あのカフェはきっと都会のオアシスだ。

 久保はツンと胸を張り、「珈琲、美味しかったでしょ」と誇らしげ。確かに、あの珈琲は途轍もなく美味しかった。

「飲んだことない味がしたんだよね。香りも良くて。オリジナル?」

「そう。店長が珈琲マニアなの。ブレンドも焙煎も自分でするのよ」

「やっぱりなー。買って帰りたいですって、喉まで出かかったよ」

「言われることは多いけどね。売らないの、絶対」

「残念」

「また、飲みに来ればいいじゃない。私がいない日限定で」

「いる日はダメ?」

「死にたいの?」

「いない日にします」

「そうして」

 そのカフェは珈琲が美味しいだけでなく、スイーツの種類も豊富だった。実を言うと、カウンターの奥の立派なサイフォンとメニューの写真を見て、有村はここが久保の働き先と気付いたくらいだ。

 定番でありながら、少し捻った独創性。ティラミスにナッツの風味を加えるのは、大正解だった気がする。拘りを感じた盛り付けに然り、あそこは中々勉強になりそうだ。

「どうせなら、ミルフィーユにすればよかったのに。ウチのはイチゴに拘るだけじゃなくて、クリームにもそれに合うイチゴを選んで混ぜ込んでるのよ。パイ生地も全部、イチゴを美味しく食べる為に計算されてるの。時期によって微妙に、味を変えてね」

「そうなの? なんだー、そっちも食べればよかった。久保さんがティラミスの話をしてたから、飛び付いちゃったよ。あと五個はいけそうだったのに、失敗した」

 写真で、目についてはいたのだ。上に乗っていた鮮やかな真っ赤なイチゴ。わざわざ取り寄せているなどと聞いてしまっては益々、残念でならない。

 意地悪な久保は、ミルフィーユは大人気で、お目にかかれたらラッキーだと追い打ちをかけたりする。あったのに。三個もあったのに。心底、残念がる有村を、久保はおかしそうに鼻で笑った。

 そうして階段は二階を通り過ぎ、一階へと向かう途中、踊り場へと差し掛かる。いるのには気付いていた人影は平野で、その姿が目に留まる距離になると、有村の方へ小走りにやって来た。

「有村、ごめん。ちょっと、いい?」

「うん?」

 偶然に見掛けた、というより、待っていた、という雰囲気だ。平野はだいぶC組に馴染んだ感があれど、教室ではあまり、有村に話しかけないようにしているらしい。

 誰に気を遣っているのか、誰の目が気になるのか。いずれにしろ、躊躇いがちの目が久保を窺い、暗に有村にだけ『ついて来てほしい』と言っている。

「ごめん。ここじゃマズい? その、ふたりきりになるのは」

「あ、そっか。草間さん、嫌がる?」

「ううん。彼女は何も言わないよ。僕が、したくなくて。久保さんなら大丈夫。こう見えて、中立で公平なお方なので」

「言い方が気に入らない」

「あら」

 小突かれ、ふらつき、有村がヘラリと笑う間も、平野はまだ迷っている。話したいことには察しが付く。平野が持ち込むのは橋本の話だ。確かならメールでいい。そこまでの話でないから呼び止めたし、久保に聞かせるのを躊躇っているのだ。

 気楽な風体で待ち、有村は合った目で平野を促す。口元には微笑みを湛え、あくまでも、君の話は何だろう、という顔で。

 存分に躊躇ってから、平野は階段の一段分、近付いた。

「まりあのこと。最近、旧校舎に入り浸って、三年とつるんでるみたい。文化祭の時とは違う人」

「そう」

「で、アタシじゃなくて、他の、まりあに命令されてた子が聞いたらしいんだけど、有村がどうとか、草間さんにはなんだとか、話してたみたいで」

「うん」

「ちゃんと何かわかったわけじゃないから、言った方がいいか迷ったんだけど。でも、もし何かあったら、知らせておいた方がいいのかなと、思って」

「そっかぁ」

 親切な平野を心から労うよう、有村は言葉と表情、仕草でも礼を伝える。

 ありがとうと言えば、平野は忙しなく首を横へ振った。何かから隠れるように周囲を気にしながら、チラチラと向く上目遣いが何度も、微笑みかける有村を見ている。

「いいよ、礼なんて。アンタには借りがあるし、草間さんにも」

「でも、わざわざ教えに来てくれた。ありがとうね、いつも。気にかけてくれて」

「ううん」

 平野は、変わったと思う。教室でも灰谷と話すか、あとは静かに座っている。誰に嫌がらせをすることなく、目立った口論すら引き起こしていない。改心した人のお手本のようでいて、代わりに殆ど笑わない。

「でさ、平野さんの方はどう? 最近、上手く行ってる?」

「うん。町田がさ、実は同中で、味方になってくれてんの。で、話したりとかは、だいぶ」

「そう」

「あと、マオが写真部に誘ってくれてる。興味あるなら、カメラも貸すからって」

「そう。入るの?」

「まだ、わかんない。興味はあるけど」

「そう」

 笑わないし、ずっと何かに怯えているよう。自信なさげに、オドオドと。

 別に、敢えて尋ねはしない。去年、君が面白がって揶揄っていた弱虫の気分はどうだい、などと。

 細めていた目を閉じ、有村はニッコリと笑いかけた。

「興味があるなら、試してみたらいいのに。灰谷さんは詳しいよ? 楽しいかもしれない」

「そう、かな。ホント、全然、素人だけど」

「みんな最初はそうだって。やってみて、合わなかったらやめればいいじゃない」

「いいのかな、それでも」

「いいんじゃない? それで気を悪くする人じゃないと思うなぁ、灰谷さんは」

「そう、だね。うん」

 久々に、とても久々に、照れ臭そうに一瞬だけ笑った唇を噛み、平野は「呼び止めてごめん」と道を開ける。久保にも謝り、少しだけ頭も下げた。久保が答える。「構わないわ」、と。

 昼休みはあと十分。早く食後の珈琲を届けないと、藤堂が待ちくたびれてしまう。

「もし、素敵な写真が撮れたら、見せてほしいな」

 先に久保が歩き出そうとする中、去り際に告げて、有村は少し大きめの笑顔を見せる。

 歯列は覗かせる程度に、ニッコリと。平野の唇が緩み、そっと閉じる。うん、と頷く頬は、血色が良い。

「あ、そうだ。ごめんね、平野さん。さっきの話だけど。もし、詳しい話がわかったらまた、教えてくれる? 耳に入ったらでいいから」

 それにもまた、平野は頷く。大きく一回。黒に戻した長い髪が、少々揺れる。

 ウェーブもやめ、ストレートにした黒い髪は肩甲骨を超える長さ。平野は文化祭のあとに髪を染め、それからずっと、その長さだ。

「わかった。なんか聞いたら、すぐ」

「ありがとう。でも、無理にじゃないからね? いい?」

「うん」

 派手だったメイクも落ち着き、今ではクラスでよく見る程度の範囲内だ。着崩した制服や短いスカートはそのままのようだが、たるみで裾を汚していたルーズソックスを黒いハイソックスに変え、幾分か清潔感が出た。

 爪は変わらず塗っている。しかし、色が付くだけで、邪魔そうな突起物を貼り付けるのはやめらたらしい。このようにして、平野は少しずつ変わっていく。大人しい方へ、以前の平野に言わせれば、地味な方へ、少しずつ。

 身体の前でもじもじと合わせている両手の指先。こちらを向き、去って行かないその意味が、有村にわからないはずはない。

「いい色だね、それ」

「……え」

「平野さんって、明るい色が似合うよね。いいと思う」

「そう? ありがと」

「うん」

 じゃぁねと小さく手を振り階段を下りる有村が追い付き、待っていた久保はすぐさま、平野からは見えない角度と位置で有村の手を抓る。

 肉のない手の甲を一部。引き千切らんばかりの一撃だ。

「イタッ」

「最低。アンタのそういうトコ、ホントに嫌い」

 お叱りはご尤もなので、有村は赤くなった手の甲を擦りつつ、笑う他がない。

 お礼というつもりではないが、ちょっと渡す程度の飴は常に持ち歩いている。久保の言う『そういう』とは有村のそれのことで、明らかな不機嫌がチクチクと、横から刺さって存外、痛い。

「けど、それで仁恵が困らないなら、アンタは進んで餌になれ」

「言われずとも、よろこんで」

「そもそもアンタの所為だもの。アンタみたいのと付き合うから」

「あらぁ。話、またそこまで戻します?」

「……別に、それはもう、いいけど」

 自動販売機へと先に到着した久保はブラック珈琲を買い、アイスティー、炭酸飲料と購入ボタンを押していく。出て来た缶やペットボトルは当然、有村の荷物だ。

 続けて、有村のお遣いも代わりにボタンを押してくれる。一応、有村も珈琲でいいか訊いてくれる辺りで久保は優しく、今はそれが多少気まずい。

「気分悪い。何でもない顔して女の機嫌取りしてるのなんて見たくないわよ。心底、仁恵以外はどうでもいいくせに」

 驚いた。久保の耳が、ほのかに赤い。

 追加で缶コーヒーと炭酸飲料を二本ずつ、計七本を抱える有村の両腕は埋まっていて、その所為で身動きが取れないふりをした。返すのに適した言葉が選びきれなかったのを、誤魔化す為に。

「やめなさいよ、ああいうの。やめたんでしょ。みんなの有村くんは」

「…………」

 ほんの少し、叩かれた方がマシだった。本当に、叱られてしまったようで。

 再び階段へと向かって行く久保に続き、有村は口元を固くする。目線は全くの別の方、久保とは反対側へと自然に逸れた。

「慣れないハイヒールで足を痛めてるの、気付いてるよ」

「…………」

「君には言わない。落合さんにも。それじゃ、ダメ?」

 昼休みの校内はそれなりに賑やかで、どこかの誰かの楽しそうな笑い声が、そこかしこから聞こえている。

「……大っ嫌い。アンタなんか」

「僕は好き」

「死ねばいいのに」

「ははっ」

 手で持っていた財布まで久保が缶とペットボトルの山に乗せて来たので、有村の笑みは本物になった。

 こんな時、ふと思う。女性はすごい。根本的に、産んでもらわなければ生を受けられない男は敵わない気がする。久保の慈悲に感謝して、有村は今後、改めようと少々思った。

「うん? アンタ、目、どうかしたの」

「め?」

「右目。ゴミでも入った?」

 二階から三階へと階段を上りつつ、両手が塞がる有村の右目を、久保がジッと覗き込む。

「別に何か入ってるわけじゃなさそうだけど」

「そう思います」

「なら、疲れ目? 酷い顔してたわよ。顰めて」

「んー……そうかも」

 してたかな。自覚のなかった有村は、そっと目を閉じてみる。言われてみれば、疲れているかもしれない。今日は久々のコンタクトレンズで、乾いている気はした。

 体育の授業がない明日はまた、眼鏡にするとしよう。

「目薬くらい持ち歩きなさいよね。コンタクトの必需品よ」

「気を付けます」

「ホントにもう、だらしない」

「すみません」

 そうして帰りも途中で目を閉じていたりと時間を食ったので、藤堂はやはり食後の珈琲を待ちくたびれてしまったようだ。

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