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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第八章 暴走少年
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映画は観るもの。避けるもの。

 たまには憂さ晴らしに丁度良い、とは、待っていた分を合わせて倍ほどに増えた相手を前に、藤堂でもさすがに強がりだとして言えそうにない。

 連れ込まれたのは、見たところ、使われていない倉庫のようだ。所々が錆びていて、埃とカビの臭いがする。

「もっと焦れよ。死ぬぞ、お前」

 そうかもな。いっそ、笑ってしまいたい気分だ。

 待っていた男たちの先頭にいたのは、何度か叩きのめした三年のヤンキー。お友達を搔き集めて、去年からの仕返しに来たというわけだ。

 ドアの閉まる廃倉庫。手に鉄パイプやらバットやらを提げたヤンキーが二十名ほど。丸腰なのは、自分だけ。

 どこぞのヤンキー映画かよ。藤堂は呆れて、身構える気にもならない。

「コレも橋本の差し金か? 仲が良いだろ。お前の子分も、何人か来たしな」

「いい気になんなよ」

「なってねぇよ。弱ぇくせに突っかかって来るテメェらが阿呆なんだろうが。徒党を組めば勝てるって? 恥ずかしくねぇのかよ」

「殺すぞ」

「言ってろ」

 とはいえ、だ。さて、どうする。拳に自信はあれど、武装したこの人数を相手にして、病院送りならマシな方だ。

 動ける内に、半分以上を叩く。ひとりでも多く戦闘不能にして数を減らせば、骨のありそうなのは精々、四、五人だ。その程度なら、と考えはするが、最悪の事態が脳裏を過らないではない。

 本当に死ぬかもな。初めてそう思った。寄せ集めのザコ、烏合の衆のでも、これはあまりに分が悪い。

「一匹狼のつらいトコだよなぁ。助けを呼ぼうにも、ダチはひょろい女顔と、使えそうもねぇデブとチビ。命乞いすんなら、武器だけは捨ててやってもいいぜ」

「ゴチャゴチャうるせぇ。来いよ。相手になってやる」

 何ヶ月も無縁だったとはいえ、身体は動きを覚えているものだ。威勢だけで向かって来る輩は敵でなく、拳と蹴りで容易く、床へ転がる。

 運が良かったとすれば、すぐに起き上がってくる根性のあるヤツがそう多くなかったことだ。大抵は呻いて転がったままでおり、着実に数は減っていった。

 ただ、弱かろうと振り下ろす得物の威力はそれなりだ。腕ならいいが、受け損なって背中や腹に入ると息が詰まる。殴り飛ばし、蹴散らし、五人、十人と倒していけども、藤堂の息はすっかりと上がっている。

「……ッ」

 脇腹に蹴りを食らい、体勢が崩れたところで背後から頭を殴られた。朦朧とする。視界が白む。膝を着いたら終わりだとわかっているのに、それから三名ほどを打ちのめしたところで足を狙われ、藤堂の膝がついに床へと落ちた。

「かかれ!」

 あと何人だ。何人いる。身体を丸め、引っ切り無しに振り下ろされる打撃から頭を守りながら考えるが、その前にこのどうしようもない状況を、どうする。

 チクショウ。こんなザコ共に負けて堪るか。

 チクショウ。チクショウ。悔しさばかり込み上げる。これは本当に、殺されるかも。

 心が折れたらお終いだ。けれど、もう折れてしまいそうだった。砕けていなくても、全身の骨が悲鳴を上げている。ここからどう持ち直すかなど、もう考えられなくなっていた。

 どうする。

 呼吸すらままならなくなった藤堂の頭を抱える腕が緩みかけた時、突然、暢気な声が倉庫に響いた。

「いた、いた。探した。やっと見つけたよー、藤堂」

 ドアが開いた音はしなかった。

 どこから入った。誰かがそう言った。上の窓だ。そう答えたのはまた、別の声だ。

「で、この状況は一体、なに」

 打撃が止み、横たわる藤堂も声のする方を見る。

 声だけで疑いようもない。進んで来る足取りもそうだ。

「――誰でもいいや。教えてくれる? 何人? ねぇ。丸腰の相手ひとりに武器持って、何人がかりだって訊いてる」

 離れて行ったひとりが殴りかかろうと、バットを振り下ろそうとした刹那、地面を蹴った長い足の片方が空を切り、向かって来る頭を的確に蹴り抜いた。

 男は倒れ、動かなくなる。緩んだ手から零れたバットが、砂を被ったコンクリートの上をコロコロと転がった。

「らしくないな、藤堂。集団で武装しなくちゃ挑めもしない軟弱者に、何を大人しく殴られてやってる」

 そのバットを拾い上げ、一度、思い切り地面へと叩き付けた。地鳴りのような音が立ち、藤堂も咄嗟に瞼が揺れる。

 折れ曲がったそれを後方へと放り投げると、瞬きをしない有村の目が周囲一帯を一望した。

「立て、藤堂。こんなズルを恥ずかしげもなくする輩など、さっさと片付けて、帰るよ」

 ひとりの男が「有村だ」と声を上げた。譲葉の制服だ。

 それを皮切りに、助けなど来ない、そう踏んでいた残党は意表を突かれ、慌てた声が幾つも飛ぶ。

 ケンカ出来ない優等生だと言ったのは誰だ。どうせ弱いと言ったのは誰だ。

 犯人捜しは結構だが、その隙はただ藤堂の好都合。注意が有村へ逸れている間に痛む足をおして立ち上がり、一番近くにいた男を殴り倒した。

 いける。まだ、拳に力が入る。

 もうひとりの腹へ拳を捻じ込み目線を投げると、有村もまた鉄パイプを振り翳して殴りかかるふたり目の攻撃をかわし、脇腹を蹴り飛ばしていた。唾か何かを吐いた男は武器を落として倒れ、蹴られた腹を抱えて丸まっている。

 トレーニング以外でその動きをする有村は初めて見た。いつも通りにキレが良く、いつもより一撃が重い。

 ふと、口角が上がる藤堂は思う。やっぱりそうだ――有村は、ケンカでも俺の隣に立てる。

 三人目は振り下ろされるバットを捉えて蹴り飛ばし、一切の迷いがない有村の目が藤堂のそれとぶつかった。

「手順がわからない!」

「ない! 向かって来るのを叩きのめせ!」

「どうしたら終わる!」

「向かって来なくなりゃ、コイツらが逃げ出せば終いだ!」

「それなら僕らが逃げてもいいんじゃないの!」

「俺らが逃げたら追って来るだろうが!」

「そうか!」

 藤堂がもうひとり、有村がもうひとり、拳や蹴りで黙らせていく。藤堂の動きはケンカ仕込みのそれなので、受けるだけでなく向かって行って殴り飛ばす。対して有村は護身術とはいえ武術の心得があるので、構えを取り、向かって来る相手をいなして沈黙させていく手法だ。

 確実にひとりずつ無力化していく手腕は見事だったが、藤堂が思うに武術とケンカはモノが違う。特に場数も踏んでいない有村は一対一なら難なく倒せるとして、同時に複数人に襲われると幾つかを避け損なった。

 痛みに足が止まる一瞬、藤堂は有村を庇う。すぐに動き出す有村は藤堂が仕留め損なった者を次の一撃で戦闘不能にしていく。

「無事か」

「君のゲンコツに比べたら可愛いもんさ」

 殴り殴られ蹴り飛ばし、背中合わせに立った時、藤堂と有村の呼吸は乱れていた。

 まだ立っている者はいる。しかし、睨みを利かせる藤堂にも、同じくの有村へも向かって来ない。

「まだやんならかかって来い! つぎ殴られてぇヤツは誰だ!」

 藤堂が上げた怒声は倉庫へ響き、残党は武器を捨てて逃げ出していく。

 駆け出して行く者。足を引き摺りながら去る者。あとには手放された武器がそこかしこに転がり、最後のひとりがドアへ向かい始めた時に、有村がひとりを抱えて近付いた。

「申し訳ない。気絶させてしまったので、このお友達をよろしく頼むよ」

 横抱き、所謂『お姫様抱っこ』で有村が託したのは、一番最初に蹴り倒した男だった。

 加減を見誤ったのは、その一回だけ。足の関節がおかしくなっている者はいそうだったが、ふたり残る古びた倉庫で、ケンカの最後にも最低限の礼儀を払う有村の有村らしい振る舞いに、藤堂は声を出して笑い出した。

 ケンカはひとりでするものだと思っていた。誰かを庇いながらなど、冗談じゃない、と。

 けれど、悪くなかった。背後を気にせず飛び込めたのは初めてだ。

 大きく息を吐くと安堵して、今回は、今回に限っては、有村が来てくれてよかったと心から思った。

「病院、行くかい?」

「いや。帰って寝てぇ」

「頑丈なことで」

「お前もな」

 有村も血が滲む口角を上げ、笑った。

 しかし、歩いて藤堂の正面へ立つと、その頬へフルスイングの平手打ちを一回。

「なにを楽し気にしてる。殴られてやれば気が済むとでも思ったか。君はいつからそうも脳天気になった。正解を教えてやる。君は駅前で騒いで、警察の手を借りるべきだった。可哀想に、久保さんも店員さんも怯えて、困惑していたよ。当然だ」

「…………」

「頭の使い方を間違えるな、この大馬鹿者が。こんなことは二度とごめんだ。次があっても相手にするな。挑発に乗るな。わかったな、藤堂」

「……すまん」

 真横を向かされたその一撃は、相当に痛かった。

 折れていれば動かないはず、を、判断基準に、藤堂は歩きながらも腕や足を動かし、身体の不具合や損傷具合を確かめる。

 このくらいなら、一晩寝れば問題なさそうだ。前にも寝て治った程度の負傷である。ただ、切れた口の中が不味いのはいつものこととして、腹や背中を打たれ過ぎたのか、今夜は食事が取れそうにない。そんなことを考える藤堂の隣では、有村が大きく首を回していた。

「絵里奈はどうした」

「安田先生が保護して、学校にいる。泣いて助けてくれなんて言わせて、会ったらちゃんと謝れよ」

「お前はどうして、あそこがわかった」

「複数人だと聞いたから人目に付かない場所と踏んで、この辺りに詳しい高橋先輩に心当たりを回ってもらった。自転車の後ろに乗せてもらってね。あとでお礼を言わないと」

 言わずもがな、有村はかなりの不機嫌だ。

 暴力が嫌い。ケンカが嫌い。なのに巻き込んでしまったのだ。申し訳なく思うから、藤堂の口数はいつも以上に少なく、歯切れが悪い。

「でもね、僕が苛立っているのは、君が安易にあんな場所へ行ったことだ。人数の問題じゃない。相手が武装していた時点で、逃げるべきだった。人体の丈夫さを過信するな。打ち所が悪ければ、ただ転ぶだけでも最悪は有り得る」

「すまん」

「不良映画のクライマックスじゃないんだぞ。主人公だから生き延びる前提などない」

「すまん」

「頼むから、自分を、命を大切にしてくれ。友人を失う、大切な人を守れず旅立たさせるなんてことは、リリーだけで充分だ」

 自殺未遂の前科持ちがどの口で、とは、思い浮かんだとて言えなかった。

 傷のついた横顔を見せている有村の声は沈痛であり、深く、強い想いが感じ取れる。藤堂は改めて「悪かった」と詫びた。事実、今までにないほど反省していた。申し訳なくて、胸が痛い。リリーの名前を出されれば尚更だ。

「お前が来てくれて助かった。次はない。もう、ケンカはしない。今度こそ」

「そうしてくれ。誇らずとも君は強い。強いからこそ、その力は守る為に使え。ただ誇示する為に安売りするな。君の核を損なう」

 久保が助けを求めた時、探し回っている時、あの倉庫を見つけて袋叩きにされている姿を見た時、それぞれの有村を藤堂は想った。

 自分と同じで痛むはずの身体や、これから腫れるであろう赤い頬が痛いと、有村はひとつも言わない。そんなことは欠片も匂わせず、伏し目がちの目がただ傷付いているみたいだ。

「わかった。ありがとう、有村」

「ううん。わかってくれればいい。でも、これで本当に最後だからね」

「ああ。約束する」

 ほんの少し躊躇ったが、藤堂は有村の肩を抱き寄せた。

 有村は逃げず、避けも、退けもせずに、引き寄せられるまま髪の先を揺らした。

「ただよ、そこでリリーを出すのはナシだ。俺はお前に助けられたし守られたが、リリーは寿命かなんかで死んだんだろう。お前が何かしたでも、しなかったからでもない。守れなかったなんて思うな」

 やっと藤堂を見た赤みを差す有村の目が、大きく瞬きをする。

「寿命?」

「違うのか。病気かなんかなら、お前なら気付くかと」

 重なっていた視線が逸れ、有村は何やら考え込む顔をした。

 それを見て藤堂が思うのは、リリーの名前は出すべきではなかった、ということだ。言い方は悪いだろうが、いつの間にか死んだ相棒まで自分の所為にするのは止めたかったのだが、どのタイミングでもリリーの話題はデリケート。藤堂はすぐに話を変えた。

「しかし、ヤンキー映画ってのは確かにな。俺も思った。観たことあるのか」

「テレビでやってて、前にね。見てられなくて、途中で止めたけど」

「映画であるシーンなんてのは、テメェでやるもんじゃねぇな」

「そうだね。こんなに血の気が引いたのは初めてだよ」

 頬へ丸めた指の背で触れ痛むか問えば、「痛いよ」とぶっきら棒に返して来る有村に、藤堂はまた口角を上げる。

 噓みたいに整った、綺麗な顔が台無しだ。これは草間も騒ぐだろうし、鈴木たちも、見る全員がさぞ騒ぐことだろう。

 早く冷やしてやらなくてはと思い、藤堂がまじまじ見ていると、有村はさすがに腕の中から逃げ出した。

「見過ぎ」

「腫れたお前の頬なんざ、もう見る機会もないだろうと思ってな」

「誰の所為だよ」

「責任取って、手当てはさせろな」

「ふん。好きにすれば」

「ははっ」

 歩いて学校へ戻るには、億劫なほどの距離があった。あちこちが痛い状況では殊更だ。せめて何かしら話していないと、座り込んで寝てしまいたくなる。

 時間は夕暮れ。寒くなり、陽が短くなった空は暗くなりつつあり、暮れていく空を見上げた藤堂の口がふと、「映画」とひと言、呟いた。

「そうだ。お前、しばらく映画館行くな。公開映画情報なんかのテレビも見るなよ」

「なに、急に」

 雑誌も見るな。映画を避けろ。

 唐突に告げる藤堂を見る有村の表情は無論、訝し気。

「小野寺渚が出るのが公開される。もう知ってたか」

「いいや? 初耳。けど、それっていま言うこと?」

 確かに。思い付くまま口を滑らせてから、藤堂は多少の『しまった』の顔をした。

「昨日知ってな。タイミングを見て、話そうと」

「それが今?」

「いや。映画っつったら、つい」

「つい」

「つい」

「そう」

 久保に相談するくらい悩んだというのに、つい、うっかり。

 目と目を合わせたままで数秒間の時間が流れ、有村は込み上げたように吹き出して、カラカラと笑い出した。

「君ってホント、そういうところ」

「ダメか」

「ううん。悪くないタイミングだったかもね。背中が痛過ぎて、正直、それどころじゃない」

「そうか」

「おははっ」

 どうせ狙い澄ましたとして、藤堂に丁度のタイミングを突くなど不可能だ。それならこうして不意打ちの方が、という程度かマシかの話だろうが、有村が笑えば藤堂も何やら愉快になり、笑えて来る。

 鈴木がもしかしたらと持ち掛けて来たこと。どうしたものか、久保に相談したこと。ついでという風に打ち明けると有村は呆れ、そういう人のプライバシーを雑に扱うなと文句を言う。

「いずれ知られてしまうとしても、僕にだって敢えて明かしたくないことくらいあるんだぞ」

「俺たちにはいいだろ」

「それを決めるのは君じゃない」

「お前は秘密主義だ」

「身の上話が地雷尽くしの自覚があるんだよ。言わせるな。悲しい」

 いつもは必要なことも言わないくせに、そういう所ばかりお喋りでどうする、とも言われたのだ。藤堂も勝手に明かして悪かったとは思うが、信頼の地盤に秘密は少ないほど良い。

 文句を言われるだけ、苦言を呈されるだけ詫びるけれど、有村に何かしてやりたいと考えた先で必要になれば、藤堂はきっとまた有村がまだしていない話を久保たちにする。自分を含め、七人一組の仲間だ。何度詫びて来ようとそうするであろう藤堂を知っているから、有村は最後に特大の溜め息を吐いた。

「まだ話してないだけだ」

「だから、話さずに済めばいいなと思ってることくらいあるんだって」

 何を聞いたとて、知ったとて、アイツらは何も変わらない。

 藤堂がそう告げたのを最後に、有村は首を左右へ揺らして『もう嫌だ』を表した。

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