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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第八章 暴走少年
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なみだ

 いよいよ順番が回って来てボウルの穴に指を入れたところ、草間が慌てて有村を呼んだ。

「有村くん。右手は、何かあると困るよ。描けなくなっちゃう。逆は無理?」

 有村の右手は草間曰く、『絵を描く為の手』。告げる草間は真剣な面持ちでいて、気軽に『大丈夫』と返せる雰囲気ではない。

「そうだね。そうする」

 手首を多少痛めたところで大したことではないのだけれど、案じている草間に従い、有村は左手の指へと変える。

「いやいや、逆はさすがに」

「あっ、でも、有村は両利きじゃん。そういえば」

「そうなん?」

「アイツ、どっちでも字書けるぜ? 箸も持てる」

「マジか。どこまでチートキャラを地で行く気だ、お嬢」

「そうなの? 仁恵。右利きかと思ってた」

「なるべく右利きにしてるんだって。そっちの人の方が多いし、道具でも何でも左利き用は少なくて面倒だから、って」

「……へぇ」

「絵を描く時は右手だからね。何かあると、大変」

 そういえば。背後で交わされる会話を聞き、有村はひとつ、自覚のなかった癖を知る。

 言われてみれば、確かにそうだ。右も左も同じように使えるが、絵を描く時は右手で色鉛筆や筆を持つ。いつからだろう。最初からそうだった気がする。

 両利きではなく、右利きだけど左も使えるだけなのかも。新発見に感動している有村の隣へつけ、藤堂は未だ先生の顔だ。

「どうせ、お前はわかってるだろうが、助走でついた勢いが乗った時に手を放せ。足元が少し滑る。それだけ、気を付けろ」

「うん」

 光沢のある板張りを前に、借りたシューズのグリップ力は少々、心許ない。

 踏み込むような動作をし、足元を確かめてから、有村は見様見真似の体勢を取る。単純な話。あの先頭に当てればいい。踏み出しながら腕を下ろし、タイミングを見て指を放した。最初は滑るように押し出されたボウルは真っ直ぐに進み、ピンが弾けてストライク。

「すごい! 初めてなのに!」

「やっぱ有村かぁ。やるわな。アイツは」

「出来ちゃうよねぇ、お嬢は」

「……チッ」

「いや、久保さん。舌打ちて」

 戻って来ない有村を、藤堂が呼ぶ。拍手を終えた草間が先頭で、ハイタッチを待っていた。

「どうした」

 真っ直ぐに立ったまま左手を見ていた有村が振り返り、ポツリ。

「なんか血が出た」

「なに?」

「一回目で?」

「なにやってんのよ、バカ!」

「なんやってんだよ、有村ぁ」

 割れたわけでもない爪の間から、血が出ている。騒ぐみんなの元へ戻りつつ、ほら、と見せれば藤堂が駆け寄り、草間は慌てて通学鞄を漁り出す。

「お前、どれだけ強く握った。引っ掛けて、落ちなきゃいいんだ。バカが」

「そんなの聞いてない」

「俺の所為か?」

「有村くん!」

 別に痛くもないし、大した出血でもないのだけど、大慌ての草間がバンドエイドを貼り付ける。

 たぶん、爪が少し剥がれたのだ。目標に集中して身体がついて来ないのは、よくあること。

「脆くて困るねぇ、人体って」

「発言がサイコパス!」

 痛みはないので、ゲームは続行。但し草間が丁寧に巻き付けてくれたバンドエイドが妙に引っかかるので、有村は結局、三投目から右手を使った。

 その所為で草間はソワソワ。初回でストライクを出した有村は次のステップへ進み、ワクワクだ。

「あー、本当だ。角度ちょっとで、すごく曲がる」

「だろ。こっちに回転つけても、軌道変わるぞ」

「次やろー」

「怪我しないでね、有村くん……」

 カーブを覚え、面白いほど思い通りに弧を描く軌道。意のままに進むのに、時折残る、一本、二本。藤堂曰く、「ちょっとしたズレ」でストライクを逃すボウリング。なるほど。確かにこれは、単純だから面白い。

「そう。そこで倒れる。なるほど」

「ハマったな」

「楽しそうでいいけどさぁ、実験感、ハンパないんだけど」

「有村だから。ゲームの趣旨、変わっとる」

「あのバカ、ストライクは二の次?」

「かも。狙った所だけ倒すゲームになったみたい。有村くん」

「有村だなぁ」

「君佳の番よ」

「あいあいさー!」

 倒すより、倒さないことの方が難しい。倒したいピンに狙いを定め、カーブの精度を上げながら、そこだけを射抜く遊びに興じた有村の右手は最後まで、全くの無傷だった。

 点数に拘らない有村を含んでしまった三組の勝敗はぼちぼちで、三ゲームを終えボウリング場をあとにする面々の次の議題は、夕方にしてそこそこの空腹を癒してから帰るか、どうか。

「食ってくかぁ。さすがに腹減ったわ。生きてる? 芳雄」

「しぬ」

「サンセー! 絵里奈も行ける?」

「そうね。ファミレス? ファストフード?」

「久保さん的にはどっちよ?」

「軽めがいいわ。サラダかしら」

「ファミレスじゃん!」

「そうでもねーよ?」

「そーかー?」

 そこに、「この駅周辺には数店、サラダバーがある店があるよ」と、草間が加わる。行ったことはないから場所はわからないけど、と手帳を取り出し、落合と久保がその手元を覗き込んだ。

「すごいわね、仁恵。これ全部、サラダバーのあるお店?」

「だけじゃないけど、野菜がたくさん食べられるお店をメモしてて」

「リサーチ、すご。あ、姫様か。マジの方の草食彼氏持つと大変だぁ」

「そんなことないよ。私も、好きだし」

「仁恵……なんて健気なの? 私が彼女にしたい」

「あたしもしたい。仁恵、有能!」

「うふふっ」

 そうだったんだ。どおりで、いつも野菜が新鮮なお店ばかり教えてくれると。

 巨大な『ありがとう』で胸がいっぱいの有村はよく洗った手で口元を覆い、その肩を「泣くなよ」と藤堂が抱く。泣きそうなくらいの感動だ。草間さんが、僕の為に。

「あれ、でもコレどこだ? ダメだ。地図がねーとわかんねー。藤堂! 有村! お前らコレ、わかる?」

「たぶん。見せて?」

「どれ」

 プルプルと震えた肩を治めた有村と、その肩から手を離した藤堂が輪に加わり、手帳を見る。

 ずらりと並ぶ、店名と住所の一覧。一行のオススメポイントまで記載されており、草間を抱きしめてしまいそうな有村はまた感動で、少し震える。

「ああ、あれだね。前に行ったバッティングセンターの方に出て、紳士服のお店の先だ」

「牛丼屋の手前を右、くらいか。だったら、向こうから回るか」

「そうだね。ここから、十分くらいかな」

「だな」

「おー」

 視線を上げると、落合が小さく、小刻みな拍手をしている。地図が読める系男子は心強いと言って、助けを呼んだ鈴木をじっとりとした目で見た。

「役に立たんのう」

「地図ねーじゃん。ありゃぁわかるよ。ねーんだもん、地図」

「ごめんね、鈴木くん。次からは、地図も」

「ちがう。違う、委員長。文句じゃない。文句じゃないから、こっち見んなって有村ぁ! 目! 目ぇ!」

「ホラ、行くぞ。目を剝くな、有村。どうした、絵里奈。腕、怠いか」

「久々だったから、少しね。大丈夫。行きましょ」

「めーしっ、めしっ!」

「こっち見んな、腐れ女!」

「なにおう! ドチビ!」

「うるせぇ! 黙ってついて来い、バカ共が!」

「サーセン!」

 動き出す前に、有村は返した手帳を通学鞄へしまう草間に礼を言う。貸してもらったことと、調べてくれたこと。嬉しくて微笑む有村へ、草間もまた照れ臭そうに笑う。

「他のお店も、今度行こうね」

「うん」

 かわいい。たまらずに閉じてしまった目を開き、有村も草間と共に来た道を戻り始めた。

 七人で行動する際、とりあえずこちらの賑やかな駅へ向かってから行き先を決めることは多い。なので、来た道を戻るのも、運悪く遠回りになることもざらにある。

 それを散策と呼べる有村はいいが、藤堂はせっかちなので、イラつくタイプだ。戻るくらいなら決めてから動き出せよと言わんばかりに歩調が速く、大抵で、先頭でひとりになる。これが定番なので、他の面々は有村を含め、無理をしてまで追い駆けない。けれど、今日は久保がピタリと、藤堂の横にいた。

 少し前からだ。具体的には、先週から。藤堂と久保の間で雰囲気が変わった。同じ頃、久保の悩みが解決したようにも見える。別れたんだろうなぁ、とは思うが、それを口に出すほど有村は野暮じゃない。

 ただ、隣で草間が声を潜めるのなら話は別だ。変化に気付き、なにかあったのかな、と、草間は心配そうな顔をする。

「解決したんだと思うよ。スッキリしてるように見える」

「スッキリ?」

「さようならしたんじゃないかな。無理をすることじゃない。久保さんなら、もっと素敵な人がたくさんいるよ」

「そっか……そうだね」

 久保は見目麗しい。顔立ちが整っているのは前提として、一本気な性格がそのまま表れたような目と表情が魅力的な女性だ。相応しい男は他に、必ずいる。

 隣の草間は、藤堂がそうだと思っているのかもしれない。悪くはないだろうが、有村から見るに、ふたりには恋人以上に適した関係がありそうだ。前に草間にも言った、ふたりだから築けた関係。素敵ではないか。

 友人同士にも絶交というものがあると聞くが、効力のほどは恋人同士が選ぶ別れの比ではないだろう。友人の間柄では出来ないことが出来る、恋人の関係。だからこそ、道を分かつ時には明確な分かれ道でも訪れるのだろうと思う。もう二度と、交わることのないような。

 ふと、隣を行く草間を見た。今は少し伸ばすだけで繋げる手と手。これが、なくなる。その権利を失う。純粋に、怖くなった。

 まただ。有村を時折襲う大きな波が、胸の内側をせり上がって来る。込み上げて、溢れそうになる。不安は何もないはずだ。草間との仲は良好で、明日もこんな風に幸せな日がやって来る。信じている。明日も、草間は隣にいてくれる。

 明日も。信じているのに、怖くなるのは何故だろう。

 気付かれまいと表情に隠し、会話をし、それでも胸がいやに騒ぐ。

 明日。明日も、また――明日なんて、来ないかも。

「…………っ」

 鋭い頭痛が襲い掛かった。

 割れそうに痛む頭。その痛みでまた、思考が止まる。それ以上を考えられなくなる。押し戻される。思考が、時間が、少し前に引き摺り戻される。

「有村くん?」

 黒目がちの丸い目が心配そうに、首を傾げて見上げている。

「久保さんは――」

 違う。この話は、もう終わった。そうじゃない。

「――久保さんはやっぱり、食生活にも気を遣っているのかな」

「そうみたい。元々痩せてるのにね、太らないように、って。見習わなくちゃ」

 おかしい。頭の中が、おかしい。

 前々から、少し前から薄々覚えてはいた、違和感。

 時間が飛ぶ。記憶が飛ぶ。鮮明でない箇所が、増えている。

 あの、新しい薬が悪さをしているんだ。有村はそう結論付けた。あの薬もやめてしまおう。どうせもう、他の薬も飲んでいない。トイレに流して消してしまおう。いつものように。あの、透明な袋に入った、名前のわからない薬。薬たち。

 サラダバーで新鮮な野菜をたらふく食べ、大満足で店を出た。これならもう夕食はいらないと、前方で久保や草間が話している。鈴木も、山本も満足したようで良かった。駅へ向かう道のりを最後尾で進む有村は微笑み、隣を行く藤堂の歩調も軽やかだ。

「今日も来る?」

「一旦、帰る。で、あとで行く」

「了解」

 この一ヶ月、藤堂は多分、自宅より有村の家で過ごす夜の方が多い。それを許してくれる藤堂家は大らかだ。遅刻も無断欠席もしたくはない有村には、有難いこと。そういう意味では目に見える以上の人に助けられ、今の生活がある。

 久々に七人で思い切り遊んだ帰り道だからこそ、尚のこと幸せに感じた。温かい世界にいる。藤堂に言わせれば当然で感動することではないのだろうけれど、得られないと諦めていた有村にはとても大きな幸せだった。

 幸せだ。とても。

 笑い合える友人がいて、優しい人たちに囲まれ、愛する人が目の前にいる。

「……どうした、お前」

「え?」

 藤堂が驚いた顔をしていた。言われて気付く有村は頬に触れ、両方の目からポロポロと零れて来る涙に、藤堂より驚く。

 泣いていた。悲しくもないのに、理由のわからない涙が留めなく溢れて来る。

「あ! セコムが姫様、泣かしとる!」

「あぁ?」

 先頭を行っていた落合を筆頭に、先を歩いてた五人が立ち止まる有村と藤堂の元まで引き返し、あっという間に藤堂はいじめっ子になった。

「泣かすなさぁ」

「何もしてねぇ。勝手に泣いた」

「ウソ吐け」

「噓じゃねぇ」

 近付くなり腕へ触れて来た草間も心配気で、有村は、藤堂は本当に何もしていないと言ったのだ。告げた口には笑みを浮かべたけれど、零れる涙は止まらない。

「どうしたの?」

「それが、わからなくて。なんで、出て来るのか」

 悪者扱いの落合が迫り、藤堂との距離が少しずつ開いていく。

 鈴木も山本も多少の不安を混ぜた『心配』の色を濃くしていて、それは静観する久保にも見える。不可解だが、それ以上に案じている。大丈夫と言ってみたところで、涙が止まらないのでは説得力がない。

「…………」

 ふと、草間が横から抱き着いて来た。位置が悪かったのか腕を回したまま正面へと移動して、有村の胸に頬がすっかりとつくくらい、しっかりと抱き着く。

 みんなのいる所では、外では、手を繋ぐのも恥ずかしがるのに。

 抱き着いて離れない草間は、回す腕を強くした。

「……ごめん」

「ううん」

「……ありがと」

「うん」

 一度、草間を強く抱きしめたら、止め方がわからなかった涙がピタリと止まった。

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