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彼と彼女のソロプレイ  作者: 秋野終
第八章 暴走少年
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幼馴染み

 有村が客を相手にノクターンで笑顔を振り撒いている頃、部屋でマンガを読んでいた藤堂の元へ一通のメールが届いた。

 ノクターンを出るであろう十時半頃には家を出るつもりでいたので、身支度は精々、靴下を履いて上着を羽織ることくらい。

 向かったのは近所の小さな公園だ。久々に来てみると、記憶の中よりずっと狭い。高くなった目線の分だけ懐かしい公園のベンチで、幼馴染みが待っていた。

「待たせた」

「ううん」

 座る、揃えた太腿の上に置かれた久保の手に、携帯電話が握られている。

 少し話したいから出て来てほしい。そんなメールを寄こしてから、ずっとそうしていたのだろう。藤堂は隣りに座り、ふと飲み物くらい買って来てやれば良かったと思った。通り過ぎた自動販売機で温かいココアでも。この公園で遊んでいた頃の、幼馴染みの好物だ。

「寒くないか」

「寒い」

「だよな。今夜は冷える」

「うん」

「いつから、ここにいる」

「メールする、三十分くらい前」

「どうせするなら、すぐ寄越せ。風邪ひくぞ」

「別にいい」

「いいわけあるか。身体が資本じゃねぇのかよ」

「…………」

「なにがあった」

「……うん」

 大凡の察しはついていた。

 久保には夢がある。いつかはプロとして、ランウェイを歩くこと。モデルとしてはさほど長身というわけでない久保には、大きな夢だ。藤堂はその夢を応援しているし、叶える為にしている努力を知っているからこそ、いつか来る成就の日を信じ、待ち望んでいる。

 草間や落合、有村たちもそうだ。クラスの数名、久保が持った夢を知っている者は皆、応援している。久保の両親や、藤堂の親までも。しかし、今夜、久保が話し始めたのは案の定、最も応援してもらいたかった人物とわかり合えなかったここ数週間と、数時間前の話だった。

「騙されてるんじゃないかって言われた時は、心配してくれたんだと思えた。でも、プロの厳しい世界なんて私には無理だとか、今日はついに、聞きたくない、って。応援するって言ってくれたのを真に受けた私が、バカだったのかな」

 未だに就職が決まらない男の僻みだ。そう言ってしまえば片が付くのか、久保が更に傷付くのか迷う藤堂は言葉を選び、聞き役に甘んじる。

 何故、夢へ向かう背中を押してやれない。何故、努力するヤツを否定する。

 そういう人間はいる。藤堂も出会ったことがある。前へ進もうとする足を引っ張るだけの人間。やっかみ、八つ当たりもいいところだ。世の中、目指す夢すらない者もごまんといるのに。

 将来など考えようにも何もない、藤堂のように。

「私が無神経なんだと思った。向こうが大変なの、わかってる。でも、謝ろうとして、気が付いて。私、悪いかな。運が良かったとは思う。でも、夢を持っちゃいけないの? 上手くいかない人の隣りで、未来を夢見ちゃいけないの?」

「いいに決まってる」

「思っちゃったの。モデルになりたいって話した時、お前なら出来る、頑張れって言ってくれた圭一郎のこと思い出したら、謝るのは違うって、言いたくなかった。仁恵も君佳も、鈴木や山本だって、応援するよって言ってくれて、他のみんなも。当たり前じゃないかもしれないけど、みんな背中を押してくれるのに、なんで、ユージだけ……」

 膝の近くで、久保の両手がきつく携帯電話を握り締めている。背中は丸まり、肩が上がって、垂れ下がる髪に隠れてしまう横顔が、苦し気に目を閉じた。

 藤堂には、わかる。応援や声援は、通りすがりの他人から貰っても嬉しいものだ。けれどやはり、親しい人や大切にしたい人から貰う『ガンバレ』には敵わない。

 十人が背中を押しても、そのたったひとりが袖を引くなら、気持ち良く先へ進めない気持ちがわかる。

 わかるから、また思う。

 妬みなんかで前を向くヤツに下を向かせる野郎はクズだ。

 言って構わないかを未だ悩む藤堂が目を遣る先で、久保の背中が更に丸くなった。頼りなく、細かく、肩や髪を震わせながら。久保の手の中で携帯電話の軋む音が、夜の公園に小さく響いた。

「彼氏なら、一番に応援してくれると思った私が間違ってたの? 思って、思いたくなかった……でも、私がもし仁恵で夢を持ったら、アイツ……一番の味方は有村なのに。全部肯定して、一緒に、自分の夢みたいに思ってくれる。応援して、支えて、助けてくれる。そうだって信じられるヤツがいるのに……なんで、ユージは……」

「……捨てちまえ。そんなヤツ」

 今夜だけで二度も三度も我慢した。しかし、腹に据えかねて、藤堂は言った。久保の性格は知っている。他人を、別人を羨むのは、それを口に出すのはらしくない。そこまで追い詰められた久保を見て、我慢しきれなくなったのだ。

 跳ね上がる久保の顔がこちらを向く。形の歪む目が赤かった。

 見つめ返す藤堂は真っ直ぐに、涙を堪える久保を見た。

「お前が惚れてるなら、俺が口出すことじゃない。だが、端から思ってた。お前は、女は、飾りじゃねぇ。会わせもしねぇで写真だけ見せて、何がお前は顔じゃない、だ。見てくれじゃねぇか、結局は。家が古いだか狭いだか知らねぇが、バイト詰め込んで金がないだの、中身も小せぇ。見栄なら別の所で張れってんだ。無理すんだよ。意地を張る。惚れた女に良いトコ見せたいなら。それを、心配かけて、気ぃ遣わせて、女に好きに喋らせもしねぇで何が男だ。捨てちまえ、そんなヤツ」

「…………」

「お前にはもっと、お前に合う男がいる。お前と歩ける男がいる。ソイツじゃない。そんな小せぇ、くだらねぇしょうもないヤツの所為で泣くな、絵里奈」

 無性に腹が立っていた。鋭さを増す藤堂の目が睨んでいるのは久保を泣かせる男で、潤んでいく瞳を、瞬きさえ減らして見つめた。

 憎らしい。口惜しい。そして、悔しい。

 久保が、幼馴染みが惚れた男の不甲斐なさに腹が立つ。

 結ぶ口元を震わせる久保を見つめ、藤堂の一旦は閉じた口も、固く結ばれる。

「我慢するな。惜しくない」

「…………」

「お前は、お前が思ってるよりずっと、イイ女だ」

 言い放つ藤堂を見つめたまま、久保の目が涙をひと粒、零れさせた。

 人気のない公園に、静かに泣く久保の声が漂う。堪えるように、押し殺すように。素直に泣けもしない久保が、メールを寄こして呼び出したのだ。それだけでも藤堂には堪える。

「……はじめてだったの。見た目じゃなくて、私の中身がいいって言ってくれた」

「…………」

「いつも、見た目ばっかり。笑った方がいいって、可愛いなんて、はじめて言われた。でも結局、そう言われて私、騙されただけなんだ。未成年だから大事にしたいんじゃなくて、未成年に手を出すと自分が困るから、そんな気もなくて、なにもしようとしなかった……知ってたのに、わたし……」

「…………」

 可愛いなんて台詞は、女へ向ける常套句。藤堂は滅多に使わないが、乱用するには便利な言葉だ。

 昔から何かと口には出さずに草間や落合と自分を引き比べている久保は確かに、その言葉を向けられる機会が少なかったかもしれない。子供の頃から大人びていた風貌を取り上げて、言われるなら『キレイ』や『美人』の方だろう。

 そんな有り触れた台詞ひとつで惑わされてしまうなら、思う度に言ってやればよかった。藤堂の視線が、足元へ落ちた。

「すまん。照れ臭くて言わなかったが、お前は、普通に可愛い」

「やめてよ。らしくない」

 久保の手が擦るように、髪で隠れる頬を拭った。

 その口の利き方は可愛くない。けれど、そこが幼馴染みの可愛いところだと藤堂は知っている。照れ臭い。恥ずかしい。だから、素直になれない。可愛いヤツだ。

 思う藤堂の隣りで、久保は泣きながら小さく笑った。

「知ってる。私は、可愛くない。見栄っ張りで、君佳みたいに自分に正直になれないし、仁恵みたいに素直じゃない。仁恵みたいに嬉しいとか楽しいとか、何が好きとか苦手とか、素直になれたら。他人にどう見えるかより、思ったことを素直に出せたらいいのに……」

「出てるぞ。案外」

「ウソ。言えないもん、私。平気なフリして、そうじゃないのに……」

「口は、な。けど、お前は言ってる。顔と態度で」

「可愛くない」

「そうでもない……ってよ。お前はそういう所が可愛いと、有村が言ってた」

 今度は自分が情けない。急に気恥ずかしくなって、親友の名前で逃げた。

 実際に言ってはいたから嘘ではないが、言ったそばから藤堂は悔む。ここは、自分がと言ってやる場面だった気がする。

「俺も思うぞ。そういう、跳ねっ返りみたいなトコは悪くない」

「跳ねっ返りのどこがいいのよ。慰めるの下手過ぎ」

 確かに。思う藤堂は目を細める。言いたいことは間違っていないが、言葉選びは間違えた。

 何と言ってやればいい。女を励ましたことなどないし、気遣ってやる言葉すら、藤堂にはあまりない。

 傷付けず、傷付いた久保の心を軽くしてやれる言葉。台詞。自分にないのなら、藤堂は身近にいる得意なヤツのことを考えた。アイツならどう言ってやる。幾つか思い付きはするが、どれもキザで気恥ずかしく、藤堂には到底、言えもしないものばかり。

「わかってる。見栄っ張りな私の性格が悪いの。でも、急には直せない。正直、もう好きなのかわからない。なのに、別れないのは、実際、惜しいからなのかも」

「好きかどうかもわからねぇなら別れろよ。お前のタメにならん」

「言うのは簡単よね。でも、次はないかなって」

 そうじゃない。コレもダメだ。アレも言えない。

 悩んだ末、藤堂は開いて座る足へ肘を着く手で、目元を覆った。

「そしたら俺がもらってやる」

「……は?」

「俺は他にいると思う。が、探して他にお前の良さがわかるヤツがいねぇなら、わかる俺がもらってやる。だから、もう捨てちまえ。なんだ。お前とは付き合いも長いしな。大事にする」

「なによそれ……フッ」

 短く吹き出した久保は笑い出し、腹を抱えて二つ折りになる。響く笑い声は実に楽し気だ。さも愉快に笑う久保に、藤堂の面持ちは険しくなる。

「あのな。俺だってまともに付き合えばそれなりだ。適当に言ってねぇ」

「あははっ!」

 どこまで知っているかはさておき、久保の耳にも藤堂の短命な恋愛話のひとつかふたつは入っている。我ながらに数が多いとは、似たようなのが続くとは思っているが、高笑いされる藤堂の口元は不遜を描くし、三白眼も持ち前の威力を発揮せざるを得ない。

 笑い泣きの粒を笑顔で拭った久保は身体を起こし、「ああ、おかしい」と息切れの様相。

 位置を高くした頬は、寒さと何かで血色がいい。

「知ってる。けど、そういう所よ。何を言い出すかと思えば」

「オイ」

「わかってる。私だって長い付き合い。圭一郎はそんなこと、適当に言わない。察しが悪い正直者なだけで、軽薄じゃないもの。けど、圭一郎だけは絶対にイヤ。恋人なんて冗談じゃないわ。私は甘えたいの。圭一郎には、死んでもイヤ」

「…………」

 夜更けに呼び出すのは甘えじゃないのかよ、とは言わずにいた。やっぱり、幼馴染みは可愛くないかもしれない。猫みたいで可愛いじゃないかと言って退ける有村にはなれず、藤堂の目は存分に文句を垂れる。

 ただ、笑うだけの元気が出たのは良かった。笑われたのは、気に食わないが。

 不服も露わな藤堂を見てまた笑い、久保はそっと息を吐く。

「このままがいい。不味い料理食べさせて、愚痴言って文句言って。圭一郎とは、それがいい」

「メシが不味い自覚あったのか」

「悪い? でも、アンタ食べるじゃない。文句言いながら。カッコつかない場所が他にないの。勿体ないじゃない。そんな場所こそ、もう出来ないのに」

 笑ったあとの目を再び沈ませ、久保の視線が落ちた。

 向かう先は揃えて座る足の方。開く手が携帯電話を持っている。

「でも、ありがとう。勇気出た。だから、もう少しだけ、そばにいてくれる?」

「ああ」

 藤堂は腕を組み、ベンチの背もたれにどっかりと寄りかかった。

 斜め後ろから見る幼馴染は一回の深呼吸をして、携帯電話を耳へ当てる。

「いいの。もう謝らないで。いいの、もう」

 静かな夜が憎らしい。電話の向こう、何を言っているのかまでは聞き取れない男の声が慌てて、心を決めた久保に縋っている。

 バカな男だ。お前が逃がした魚はデカい。

 もう遅い。別れたくない理由は、まだ惚れているからとも限らないのに気付いた久保は、もう揺れない。

 けれど、何度も食い下がられる久保の肩がやけに華奢に見えたから、藤堂は座り直したフリで大きく開いた膝を軽く、握り締めた拳の乗る細い足へぶつけた。

 そばにはいる。肩を抱いて支えてやるような仲じゃない。

「ごめんなさい。決めたの、もう。もう会わないし、連絡も、しないでほしい」

「…………」

「一緒にいて楽しかった。色々大変だと思うけど、身体に気を付けて。それじゃ」

「…………」

 電話を切った久保の身体が丸まり、やがて嗚咽が聞こえて来る。

 納得ずくでも傷付きはする。藤堂も背中を浮かせ、足へ腕を着く元の体勢へ戻るなり、久保の頭をくしゃくしゃと、乗せた手で掻き回した。

「どっか、なんか食いに行くか。奢ってやる。この時間じゃファミレスだな」

「……明日、スイーツビュッフェがいい」

「今日、ファミレスだ。お前、俺の鼻を殺す気か」

「…………っ」

「頑張ったな、絵里奈。悪くなかったぞ」

 もうしばらくはこのまま、他に誰もいない公園で泣かせてやろう。

 声を上げて泣きじゃくる久保が泣き止むまで、藤堂は掻き回したり弾ませたりしながらその頭にずっと手を乗せ、ようやく堰を切ったような溜め込んだ涙が止め処なく溢れるのを、隣りで黙って聞いていた。

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